彼女は恐る恐る僕に近づいてくる。

 僕はゾンビから逃げる人のように後ずさったが、扉に背がぶつかるだけだった。

「…ミヤビさん」

 彼女が、僕の首に巻かれたベルトに触れる。

「何…、やっているの…?」

「…………」

「ねえ、何やっていたの?」

 もう逃げ場なんて無いのに、ベルトを背中に隠した。

 それをさせまい…とでも言うように、水上が手を伸ばし、僕の肩を掴む。

「…ねえ、なにやっていたの!」

「………」

 彼女の息が早くなっているのがわかった。指先も震えている。目には光るものがあった。

「教えてよ…」

「…………」

「教えて!」

 肩を強く揺さぶられ、視界が歪む。水の中に入ったみたいに、水上の声がくぐもって聞こえた。けれど、僕の頭の中では、祖母の声がずっと響いていた。

 お前は馬鹿だ。お前は役立たずだ。お前は畜生だ。私の言うことを聞け。でないと首を吊る羽目になるぞ。お前は私から離れられない。お前は一人じゃ生きていけない。お前は私がいないといけないんだ。お前は私の子どもさ。お前は…。

「ミヤビさん!」

 ゴンッ! と後頭部を扉にぶつけた。その瞬間、視界が明瞭になって、目の前の水上の泣き顔が鮮明に像を結んだ。

「………」

「応えてよ…」

 彼女はボロボロと涙を流し、そう訴えてきた。

「…………」

 彼女は項垂れると、絞り出すように言った。

「どうして…、私がいっぱい話してるのに…」

 ああ、やめてくれ。

「喋って、くれないの…?」

 プツン…と、頭の中で何かが切れた。

「…なんで、喋れないの?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る