親友…と思える者の顔と名前を忘れるなんて、本当に失礼なことをしたと思う。

 だけど、忘れたくなるくらい、それは辛い記憶だった。

 小学校の卒業を期にスイミングスクールを辞めた僕は、中学に入学した時、同じく水泳をやっていて、そして僕と同じタイミングでやめた熊崎と出会った。

 同じスイミングスクーに通っていた…と言っても、僕が「週一コース」なのに対し、熊崎は「選手コース」で、将来を有望視されていた。スクールを辞めた理由も、僕の「勉強する時間が無くなるから」というものに対し、彼は、小学六年の冬に巻き込まれた交通事故の後遺症によるもの…と、二人の境遇は全くと言っていいほど違った。

 けれど、「水泳」という共通の話題があった僕たちは、すぐに意気投合した。

 仲良くなった僕たちは、休みの日になると市民プールに赴いて、ストレス発散程度に泳ぐようになった。

『自分のためになる子と付き合いなさい』

 これが、祖母の口癖だった。僕は、熊崎が、その「自分のためになる子」だと信じていた。だってそうだろう? 彼は祖母が大好きだった水泳を本格的にやっていた人だ。タイムは僕なんかよりずっと早いし、身長一七〇センチと、体型にも恵まれていた。

 今まで、たくさんの友人を祖母に取り上げられてきたが、きっと、熊崎なら祖母は許してくれるだろう…。

 そう、甘い考えを抱いていた。

「許さないよ」

 祖母は、僕が熊崎と出かけることを許さなかった。

「その子とは会うなよ」

 僕は困惑して反論した。

「どうして? 水泳をすることは、自分のためじゃないのか? ばあちゃん、中学に入っても、自主練として水泳を続けろって言ってたじゃないか」

「確かにそうだ。でも、あの子を泳ぐのは許さないよ」

 祖母の言い分はこうだった。

「あの子は、事故で水泳を諦めたんだろう? 事故って言ったって、腕や脚が吹っ飛んだわけじゃないんだ。五体満足のくせして、途中で道を諦めるような心の弱い子は嫌いだよ。そんな子と付き合っていたら、お前まで心が弱く育っちまう!」

 そりゃないよ。の言葉が出てこない。

 祖母は昔の人間だから、差別をする人だとは理解していた。内輪で、差別的発言をするのは許容しよう。しかし、祖母は、その差別を、僕を誘うために家にやってきた熊崎に言ったのだ。

「これ以上、うちの子に近づくな。お前のような心の弱い人間とは違うんだ!」

 あの時の熊崎の顔は、本当に見ていて胸が痛かった。

 え? って、目を丸くして、半歩後ずさり、鬼のような剣幕で自分を睨む祖母を見つめる。その目に、光るものがあって、半開きになった唇から、生温かい息が洩れた。

 一瞬だけ、祖母に反論した。

「仕方がないじゃないですか…、事故で、もう全力で身体を動かせないんですから」

 彼は、その程度で祖母が鎮まらないことを知らなかった。

 祖母は、人の心を平気で抉る。

「交通事故だろう? 前を見て歩いていなかったのかい? そんなぼけっとしているからいけないんだよ。そんなやつと一緒にいて、うちの孫が巻き込まれて死んでもいけない」

 熊崎の目から、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。

 そして、彼は踵を返すと、右足を引きずりながら走っていってしまった。

 熊崎の背中を見ながら、祖母は鼻を鳴らした。

「最近の若い子はだめだ。ちょっときついことを言われたからって、すぐに逃げ出す。あんな弱い奴と付き合ったらだめだ」

 後日、僕は熊崎に謝った。

 熊崎は悲しそうだったけど、怒ってはいなかった。

「お前も大変だな」

 そう言って笑って、僕の肩を叩いた。

 だけどそれ以降、お互いに気まずくなって、学校でもしゃべることは無くなったし、彼が僕を泳ぎに誘うことは無くなった。

 スマホを持った時も、なんとなくアドレスを交換し合って、高校卒業後は音沙汰なしだった。

 僕はずっと後ろめたさを抱いていた。

 もしかしたら、僕は、熊崎の人生を破壊してしまったのではないか…? って。

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