両親の離婚をきっかけに、三歳の頃から祖母の家で暮らし始めた。

 離婚の理由は、「すれ違い」だとか「夫の浮気」とかの単純な理由ではない。僕の母親が、育児ノイローゼになったからだ。

 気が狂った母は、幼い僕を蹴ったり、首を締めたり、ご飯を与えなかったりといった虐待をするようになった。止めに入った父親にまで包丁を振り上げて怪我を負わせた。

 父が離婚を切り出し、親権を争って裁判となった。

 二年にもわたる裁判の末、親権は父が獲得。だけど、母親を育児ノイローゼにするくらい、子育てには不干渉だった父だ。自分では僕を育てられないと判断し、母親の家…つまり、僕の祖母のところに転がり込んだ。

 祖母は不甲斐ない父を散々罵ったらしいが、それでも、あの家に住むことを承諾してくれた。裁判中、ずっと応援してくれた父の友人は、こぞって胸を撫でおろしたらしい。

 これで、息子さんは幸せに暮らせるね。

 今まで母親の虐待を受けて辛かったね。

 もう大丈夫だね。

 …そうなれば、どれほどよかっただろうか?

 祖母の家で暮らし、祖母によって育てられたことが、僕の地獄のような人生の始まりだった。

 黒澤葉子…。これが僕の祖母の名前だ。

 祖母と言う人間を簡単に説明すると、「昔ながらの人間」。もちろん、悪い意味だ。

 「栄誉」が大好き。「恥」が大っ嫌い。そのままの意味だ。人に注目されることに何よりの快感を覚えるが、人の前で失敗することを何より嫌悪している。

 そんな祖母は、親に虐待されて家に転がり込んできた僕を見て、こう思ったらしい。

「可哀そうな子だから、誰にも馬鹿にされない、立派な子に育てなければならない」と。

 傍から聞けば立派な祖母のように思えるかもしれないが、僕にとっては、ありがた迷惑な話だった。

 祖母は僕を家に招き入れたその日から、僕を厳しく躾けた。

「いいかい? 見てわからないなら、言ったってわからない」

 それが、その口癖。祖母の教育方針を象徴とする言葉。

 基本的に、口で説明はしない。全部、見て、考えて覚えさせる。

 炊事、洗濯、掃除…。全て、一度見させたら最後。後は「ほら、やってごらん。人間は賢い生き物だからね。ちゃんとできるはずだよ」と言って、何も教えてくれなくなる。仕方なく見よう見まねでやって失敗したならば、鬼の首を取ったように怒り、僕を痛めつけた。

 殴って、蹴って、叩いて、酷いときは、納屋に閉じ込められ、最大で一日ほど食事を抜きにさせる。

 地獄のような日々。

 僕はそんな祖母と、十八歳の頃まで、一緒に暮らしていた。

 その祖母が、二十歳の夏に、死んだというわけだ。

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