第20話 メイド少女、勉強を教える

** junji side **


 朱鷺川淳次ときかわじゅんじは彼のアトリエにて、愛する妻からのメッセージを受け取った。

 内容は、娘である瑠々の仕事に関するものだ。

 淳次はまたきたか、と少し憂鬱そうな表情を浮かべる。


 淳次の元には、先日から瑠々についての不可解な報告が立て続けに届いていた。

 例えばメイド服を着て仕事をしているとか、早朝歩いて仕事場に行ったとか、千本柿笑午に送迎をさせることになった、などの報告だ。

 淳次は色々と言いたいことがあったが、麻里江からの「瑠々の好きにさせてあげて」という願いを聞き入れ、不満を抱えつつも口を閉じていたのだった。


 娘は次はいったい何をやらかしたのかと、メッセージの内容を確認する。

 メッセージの文章を読んだ淳次は案の定、こめかみに血管を浮かべる事になった。

 瑠々が漫画のヒロインのモデルにしてもらうため、水着や下着の写真を千本柿笑午に渡し、笑午もその写真を元にヒロインをデザインしたのだという。


 明らかにアシスタントの範疇を超えているし、笑午の行動も未成年に対し不適切だ。

 怒りの感情を抱えつつ、メッセージアプリのトークルームに作られたアルバムを確認する。

 瞬間、淳次の中にあった怒りは消え去り、代わりに生じた感情は驚愕だった。


 アルバムページの瑠々の写真は、どれもカメラ目線で表情が豊かだった。

 淳次は今までカメラ目線、つ赤面していない瑠々の写真を見たことがなかった。

 瑠々は写真やビデオに撮られることが嫌いで、淳次がカメラを向けても決して笑ってくれることがなかった。

 それがこの写真はどうだ。あられもない格好をしているにもかかわらず、彼女の表情は一切の恥じらいが無い。そしてその表情は笑顔に真顔に変顔と、実に多彩だ。 

 そして淳次はその写真の少女に、被写体としての計り知れない資質を感じずにはいられなかった。


 早まる鼓動を抱えたまま、淳次は笑午の企画書のスキャン画像も確認した。

 本来は秘密の書類だそうだが、直接瑠々に関わることなので両親にも了承を得たいと送ってきたそうだ。

 淳次は企画書を見て唸った。一枚見ただけでそれが一流のクリエイターの仕事であると感じとれた。

 淳次には映画界の巨匠などと呼ばれている友人がいるが、彼の持ってくる企画に通ずるような人をワクワクさせる魅力が、その絵とストーリーにはあった。


 先程まで淳次は笑午のことを倫理観の欠如した不誠実な若造だと思っていたが、写真と企画書を見た今ではわかる。

 彼は出会ってしまったのだ。アイデアの源泉に。きっと瑠々の写真が問題と解りつつも、描く手を止められなかったのだろう。

 同じクリエイターとしてその気持は痛いほどわかる。


 淳次は次々と湧いてくるティーン向けアイテムの構想に広角を上げつつ、笑午に対し親近感を覚えてしまうのだった。



** ruru side **


 水曜夜。

 瑠々が仕事を終えて自宅に帰ると、リビングに父の淳次がいた。

 瑠々は淳次に頼みたいことがあったので、よし、と心の中で拳をにぎる。

 瑠々は淳次に帰宅の挨拶をすると、彼の座るソファの向かいに座った。


「お父さん、あの、わたし実はお願いしたいことがありまして……」

「奇遇だね。お父さんもちょうど瑠々に頼みたいことがあったんだよ」

「え、そうなんですか?」

「ああ。じゃあ先に瑠々から言ってごらん」

「わかりましたっ。あの、お父さん! どうか私にお洋服の作り方を教えてください!」


 瑠々のお願いを聞いた淳次は、驚いて目を見開いた後、「はっはっは」と快活な声をあげて笑った。瑠々は笑う父を見てキョトンとした顔をしている。


「瑠々が作りたいのは、千本柿先生の企画書に描かれていたメイド服だろう?」

「え!! なんでわかるんですか!!」

「瑠々の作りたい服といったらメイド服だろうし、それにあのデザインなら作りたくなる気持ちもわかるからね」

「そう、そうなんです! 私、お父さんにあのメイド服の作り方を教えてもらいたいんです!」

「それなら、私があのメイド服を作る様子を見て勉強するといいよ」

「え! お父さんが作ってくれるんですか!?」

「瑠々にも少しは手伝ってもらうよ。あのデザインは私と瑠々以外には秘密なんだろう?」

「は、はい! わかりました、私がんばります!」


 瑠々が興奮した顔でそう言うと、淳次が優しく微笑む。


「では、私も頼み事をしていいかな?」

「はい! 何でも言って下さい!」


 淳次のお願いごととは、若い女性向けの新ブランドの立ち上げに協力して欲しいという話だった。

 瑠々が「自分には何もできませんが」と戸惑うと、顔を伏せた状態でいいので、LOOK BOOK(ブランドカタログみたいな写真集)とプロモムービーのモデルになって欲しいと言われた。

 瑠々は無理だと言ったが、一生に一度の本気のお願いだと言われ、今回だけということで了承した。

 まともにこなせる自信が一ミリもないが、あのメイド服が手に入る対価と考えれば断ることはできなかった。


 その日は淳次の作業部屋で瑠々の採寸と型紙の作成のみを行った。

 イラストからサクサクと型紙を起こしていくさまに、改めて父の凄さを感じて尊敬の念を抱く。

 明日は瑠々の仕事が休みなので、続きはアトリエで行う事になった。完成したメイド服を身に纏う自分を想像しつつ、ドキドキしながら瑠々は眠りについた。


 ◇


 翌木曜昼。美化研究部部室。


 瑠々はあやめから炎上の続報を聞いた。

 昨日、フェイスタ・メイハー酷似事件を聞いたフェイスタの音楽プロデューサーが面白がってSNSでネタにしたらしい。

 アニメ主題歌のオファー待ってますと。

 フェイスタの音楽Pは良い曲を作るが、悪ノリ発言をよくするのでフェイスタファンは皆ヒヤヒヤしているのだった。


 それと、夏凛も公式ブログでメイデンハーツの話をしたようだ。

 作品の内容をべた褒めする記事で、今度の握手会でクロフシちゃんのコスプレしたいなと締めていたとのこと。

 ちなみにクロフシとは夏凛をモデルにした烏天狗のヒロインである。 

 夏凛は現在、日本で最も人気のあるアイドルだ。その発言の影響力は大変大きい。


 そんなわけで現在フェイスタファンの間で、にわかにメイハー熱が高まっているのだった。


「ごめんね。私のせいで大事になっちゃって」

「あはは。作品が話題になるんですから、きっと先生も怒らないと思いますよ」

「なら良いんだけど……。それとさ、夏凛が学校の友達について詳しく教えろって聞かないんだけど……瑠々のこと話していいかな?」

「ふふ、あやめちゃん夏凛ちゃんと仲良しなんですね。アシスタントのことだけ秘密にしてもらえれば、私のことは好きに話していいですよ」

「ありがと瑠々、助かる。えっと……夏凛に瑠々と二人で撮った写真送っていいかな?」

「もちろんいいですよ!」


 瑠々はこの機を逃すまいと、あやめを後ろからギューッとハグする。

 あやめは多少驚いたが、すぐに笑顔になり二人で頭をくっつけた写真を撮った。

 そして、あやめがそれをメッセージで送る。

 送り終わったあやめがふう、と一息つく。


「瑠々も私に頼みたいことあったら何でも言ってね」

「では一緒に学校のお掃除に行きましょう。実は特別教室棟の二階に気になる汚れがありまして」

「あはは、瑠々らしいお願いだね。私も美化研究部の部員だし、しっかり活動しないとね」


 ということで、その日はあやめと二人で学校の汚れ落としをすることになった。

 いたずらと勘違いされないように、美化研究部の腕章もつけておく。

 瑠々は今までは隠密のように人の目に触れないよう孤独に清掃作業を行っていたが、二人いると気が大きくなり作業も堂々と行える。何よりあやめと一緒だととても楽しい。


 途中、通りがかった教員に褒められつつ、目的の汚れも落とすことができ、大満足の瑠々なのだった。


 ◇


 放課後、瑠々は淳次のアトリエを訪れた。

 先日、大きなイベントを終えたばかりなので、アトリエ内は穏やかなムードに包まれている。

 瑠々も年に数回は訪れるので、籍の長いスタッフとは顔見知りだ。

 瑠々に気がついたスタッフが、瑠々を快く淳次の元に案内してくれた。


 淳次は彼専用の作業室で瑠々のメイド服を制作していた。

 すでに布の裁断は済んでいて、次は仮縫作業に入るところだ。

 瑠々の体に合わせつつ、しつけ糸で服のパーツを大雑把に縫い合わせていく。


 そしてただの布だったものが、淳次の手によって洋服の形に生まれ変わった。

 感動である。

 ここからはひたすらミシンで縫い合わせる作業だ。

 淳次の指導のもと、瑠々もミシンを使ってみる。やはり淳次と比べると縫い目が歪んでいてガッカリする。


 あとは淳次が完成まで本縫い作業に集中するとのことで、瑠々は暇になった。

 せっかく高性能な裁縫道具が揃っているアトリエにいるので、瑠々はかねてから作ろうと思っていたあるものを作ることにした。

 何かといえば、それは笑午のぬいぐるみである。

 笑午と緊張せずに話せるようになるため、瑠々には練習用のダミー人形が必要なのだった。


 父に道具を使う許可をもらい、作業室をでる。

 瑠々が道具や素材のある大きな作業室に入ると、男性アイドルのようなイケメンスタッフがオネエ言葉で話しかけてきた。

 瑠々が幼女の頃からの顔なじみで、瑠々にとても優しくしてくれる人だ。

 瑠々がぬいぐるみを作りたいと言うと、彼が丁寧に教えてくれることになった。

 周囲にいたスタッフたちも面白がって手伝ってくれたので、笑午ぐるみはみるみる間に完成してしまった。


 瑠々には作りたいものがもう一つあった。

 笑午ぐるみと対になるぬいぐるみだ。

 そっちは自分の手で作りたかったし、デザインを口外できないので、父の作業室で作ることにした。


 作り方はさっき覚えたのでサクサクと作業は進む。

 そして完成した。瑠々お手制の夢魔ちゃんぬいぐるみが。

 とても可愛い気がする。笑午に渡したら喜んでくれるだろうか。

 一緒に寝てくれると嬉しいな、などと考えながら、瑠々は笑午と夢魔のぬいぐるみをギュウと抱きしめるのだった。


 瑠々が二体のぬいぐるみを作っている間に、ついに淳次が瑠々のメイド服を完成させた。ジュンジが一晩でやってくれたのである。

 瑠々は早速着てみた。とても可愛らしい。このまま笑午のもとに向かいたい気分である。

 淳次がデザインについて色々語っているが、鏡を見てうっとりする瑠々の耳には入っていない。


 その日の夜、気分の昂った瑠々は笑午にメッセージを送った後、笑午のぬいぐるみを抱いて眠りにつくのだった。


 ◇


 翌、金曜夕方。笑午の部屋。


 瑠々は笑午に新しいメイド服のお披露目をした。

 笑午は最初こそ驚きの表情を見せたが、その後は相変わらずの無表情だ。

 だが瑠々にはわかる。笑午のこの顔は、わりと悪くないと思っている顔だ。

 笑午とは出会ってまだ一週間だが、瑠々の優れた観察眼は笑午の顔のわずかな変化を察知できるようになっていたのだった。


 その日のお仕事は詠海の勉強を見るという、とても楽しそうな指令だった。

 しかもお勉強は詠海の部屋で行うという。

 ヤミマチマロンの実態に迫るチャンスである。

 瑠々は興奮と期待を抱きつつ、詠海の部屋に入って行った。


 詠海の部屋は笑午の部屋より一回り狭く、八畳程度の広さだった。

 壁には笑午の部屋のように、クローゼット以外の壁が本棚になっている。

 しかし、並んでいる本は笑午の部屋よりもライトな内容のものが多い。


 そして入り口から死角になる部分に、フィギュアやぬいぐるみやアクスタなどの押しグッズが飾られた一画があった。

 ロスブラ(暗めのロボアニメ)やシャドスピ(暗めの忍者アニメ)などの男性キャラのグッズが多めである。

 マロンがよく描くキャラたちなので、メイドさん大好きとしては「ですよね」という感想が浮かんできて口元が緩んでしまう。


「あんたはそっちの机の椅子座って」


 そう言って詠海が自分のベッドに腰掛ける。


「あれ、勉強するんじゃないんですか?」

「するわけないじゃん」

「え! しないんですか!?」


 瑠々は詠海の勉強を支援する気満々だったので、詠海の言葉に驚いた。


「ちょっとアンタに言いたいことあってさ」

「な、何でしょうか」

「アンタさ、尚之兄のこと好きなんだよね」


 しばし時間が停止したのち、瑠々の顔がゆでエビのように赤くなり湯気を放つ。


「はえ?! あういや、もちろん尊敬はしてますし当然すきではありますが……」

「恋愛感情、があるだろって言ってんの」

「ウ゛ェ、いやはや、そういったことはまだ先のはなしでして」

「将来はじいちゃんとばあちゃんみたいに結婚したいんでしょ?」

「あう、え、結果的にそうなったら素敵だとは思いますけども……」


 真っ赤なまま指をうにうにさせる瑠々に、詠海が少し言いにくそうに告げる。


「多分だけどさ、尚之兄って揚羽さんのこと好きだよ」


 その言葉を聞いた瑠々の表情が固まる。

 そして瑠々の胸がぐっと苦しくなる。


「そう……なんですか?」

「尚之兄って揚羽さんの話するとき、すごく優しい顔するんだよ。尚之兄が人の話でそんな顔するの揚羽さんだけだから」


 瑠々には心当たりがあった。面接のとき、揚羽の話が出たときに見た笑午の笑顔。

 自分にもあの笑顔を向けてくれたらと、瑠々は揚羽を少し羨ましく感じたことは覚えている。

 確かにあの時から、そうなのではないかと予想しないわけではなかった。


「もし尚之兄が揚羽さんを好きなら、私は尚之兄を応援するつもり。あんたには悪いけど」

「……」

「あんたの邪魔はしないから、そっちはそっちで頑張れば良いと思う。でも揚羽さんの気持ちも尚之兄に向いてるなら、潔く諦めて欲しいとは思ってる」

「……」


 瑠々は詠海の話に、何も答えられなかった。

 そもそも、自分が笑午に恋愛感情を抱いているのかすら、あやふやだからだ。

 確かに、笑午と一緒にいられると嬉しいし、褒められれば幸せになるし、四六時中彼のことを考えてはいる。

 そう考えるとなるほど、確かに自分は笑午を好きなのかもしれない。


 では、笑午と揚羽が両思いで恋人同士になったなら、自分はどうするのか。

 たとえ笑午に恋人がいても、メイドとして彼に仕えたいのか。

 とても苦しい気持ちになったが、瑠々はそうしたいと思った。


 瑠々にとってメイドになりたいという夢は、子供の頃から大切にしてきたものだ。

 恋愛がうまくいかないからといって、放り出すことはしたくないと思った。

 結局自分に必要なのは、何があろうと生涯一メイドとして生きる覚悟なのだ。

 瑠々はそう結論づけた。


 瑠々が目に光を宿し、ぐいっと顔を上げる。


「詠海ちゃん、私決めました。私はメイドの道を極めることにします」

「え、どういうこと」

「何があっても、主の幸せを一番に考えるってことです」

「尚之兄は諦めるってこと?」

「いいえ、メイドとして心と技を鍛えて主に仕える。ただそれだけを考えます」

「そう」


 詠海はよくわかっていないようだったが、瑠々の決意を汲んで頷いてくれた。


「詠海ちゃん、あなたのおかげで大切なことに気づくことができました。ありがとうございます」


 そういって瑠々が立ち上がり、詠海に深々とお辞儀する。

 すると詠海が瑠々に言葉をかけてきた。


「あのさ、もし尚之兄と揚羽さんがくっついちゃったらさ……」


 詠海の言葉に瑠々が心臓をぐっと押さえる。


「な、なんでしょうか」

「……何でもない。まあ頑張れば」


 途中で言葉を止めた詠海に瑠々が不思議そうな顔をする。

 だが気を取り直して、メイドの顔つきに戻る。


「それでは詠海ちゃん、私の覚悟の第一歩として、詠海ちゃんにはお勉強を頑張ってもらいます」

「は?」

「私の終業時間まで、みっちり数式と向き合ってもらいます。いいですね!」


 やる気に満ちた瑠々の様子を見て、詠海は馬糞を踏んづけたような顔になったが、ため息をついたのち、渋々カバンから数学の教科書を取り出すのだった。

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