第19話 漫画家、ぬいぐるみになる

** naoyuki side **


 水曜日昼。尚之の自室。


 雑誌の表紙イラストを描いていたら、瑠々からメッセージが届いた。


『先生、大変です。フェイスタメンバーとメイハーヒロインが似てるって噂になっています🔥フェイスタのみちるちゃんのブログ確認して下さい』


 一体何事だと思い、指定されたブログを言われた通り確認する。


 どうやら『フェイバリット☆スターズ』のみちるという子が、メンバーとキャラが似ていることに気づいて、それをブログに書いたようだ。

 当該記事のコメントをざっと見てみると、千本柿笑午が同じフェイスタファンであることを歓迎する意見、姑息なファンアピールを嫌厭する意見、ファンなら他のメンバーも出せという意見が多い。

 実はファンではないですとは言い難い空気である。


 ともあれ、見たところブログのコメント欄だけの盛り上がりで、大変というほどの騒ぎではない。

 漫画家が有名人をキャラクターのモデルにすることなど日常茶飯事だが、対象がトップアイドルだったため変に話題になってしまったようだ。

 三日もすればファン達の熱も冷めるだろう。


 一応、連絡のつく一色あやめには瑠々経由で謝罪を入れておく。

 文章だけでは味気ないので、千本柿笑午の自画像キャラである二頭身のキツネ人のスタンプも添えておく。

 このスタンプは漫画家仲間とのメッセージ用に作ったもので、暇な時期に手間をかけて作ったものだが、最近はめっきり使われなくなった悲しいスタンプなのである。


 ◇


 夕方になり、瑠々が出勤してきた。

 正直部屋も片付き作画の仕事もないので平日は休んでもらって良いのだが、滝乃から瑠々を貸すよう要望があるので本日はそちらに回ってもらう。

 その旨を伝えると瑠々は「かしこまりました!」と元気よく返事をして部屋を出ていった。


 作業していると、揚羽からメッセージが入った。


『あなた、炎上してるわよ? 大丈夫? いたずら電話とかされてない?』


『いたずらメッセージなら今ちょうどきてます』


『あら失礼しちゃうわね。せっかく火消しに参加しようと駆けつけたのに』


瑣末さまつ小火ぼやですので、水も消火器も不要です』


『ならついでにあたしもメイハーヒロインのモデルだってこと、公表しちゃおうかしら』


『なんで火消しに来た人が、燃料撒こうとしてんすか』


『一番似てるのはあたしとロザリーなんだから』


『変なとこで張り合わないで下さい。そもそも、みんな姫小路先生の顔知らないし公表されても反応に困るでしょ』


『私が厚化粧だから誰も素顔なんか知らないってこと? どうせ化粧落とせば反応に困る顔してるんだろって言いたいわけ?』


『急にヒスるのやめて下さい』


『ま、皆コメントで好き勝手言ってるから真実を教えてあげたくなっただけよ』


『確かに、ファンだと思われてるのは多少気になりますけどね』


『あたしは誤解を解きたいの。千本柿笑午は美少女を見れば見境なく手を出すケダモノだって』


『誤解の上塗りやめて下さい。てかしれっと自分のこと美少女枠に入れてるし。とにかく、ほっとけばそのうち飽きるでしょうからスルーしときます』


『そう。だったら私とロザリーの関係も秘密にしておくわ』


『そうしてください』


 そこでメッセージのやり取りが終わった。

 まったく暇なのかこの人は、と尚之はため息をつく。

 だがまあ、揚羽が機嫌よく絡んでくるときは大体仕事が上手くいっているときだ。

 裏で手応えのあるネームが進行しつつあるのかもしれない。

 であれば、しょうもない息抜きの相手も甘んじて受け入れよう。


 さて、揚羽とのやりとりの通り、実はメイデンハーツのヒロインである吸血鬼のロザリーのモデルは姫小路揚羽である。

 小西から新しいヒロインをオーダーされて悩んでいたとき、ふと授賞式の会場でポツンと佇む揚羽のイメージが脳裏に浮かび、そのまま頭の中でキャラクターとして動き出した。

 尚之は一度キャラとストーリーのアイデアが湧いてしまうと、それを修正することが非常に苦手である。

 ゆえに揚羽の外見そのままで新たなヒロインにしてしまったが、後日揚羽に「このロザリーって娘、私よね」と指摘されたときはたいへんたまれない思いをしたものだった。


 ともあれ、ヒロインのモデルを当てられたからとて、特に問題が起きるでもなし。 

 尚之は気にせず仕事を続けることにした。


 作業に疲れ、顔をあげると部屋に瑠々がいた。

 驚き心の中で「おうっ」と叫んでしまう。

 尚之が没頭している間に、部屋に入ってきていたようだ。


 勝手に入室して良いと許可したのはこちらだが、気づいたら部屋にいきなり人がいるのは、かなりびっくりする。

 特に瑠々は現実感の無い容姿と格好をしているので、妖精的な何かが突然現れたように錯覚してしまい結構怖い。

 ノックに気づかないこちらが悪いので文句は言えないが。


 見れば、瑠々は背景作画の練習をしているようだった。

 滝乃から開放され、時間が空いての選択だろう。大変結構である。

 瑠々に近づいてみるが、作業に没頭していて全然気が付かない。


 絵を見てみると、先日アドバイスした部分が改善されている。

 教則本の内容も理解しているようで、数日で格段に進化していると言っていい。

 学校や家事の仕事であまり絵の練習に時間を取っていないだろうに、この上達っぷり。

 描画に関する学習能力が高いと言わざるを得ない。


 瑠々に声をかけて終業時間を知らせる。

 少し言葉を交わすと、瑠々が何か言いたげな様子でこちらをうかがってくる。

 言葉を待っていると瑠々の顔がどんどん赤くなり、結局「お疲れ様でした!」と言って部屋から出て言ってしまった。


 相変わらず考えの読めない少女である。


 ◇


 翌日木曜。

 本日、瑠々には休んでもらうことにしてある。

 週に一日は休んでもらわないと、法的にアウトなので。

 尚之はというと、単行本の表紙イラストをひたすら作画中である。


 今回手掛けるのは単行本13巻の表紙で、メインは月兎のネネットだ。

 ネネットの表情は単行本の暗い内容に合わせて、憂いを持たせてある。

 しかし手に取る人がネガティブな感情を抱かないよう、色は優しく繊細で綺麗な印象となるよう気を配る。


 尚之は自分の描いたネネットの悲しげな表情を見て、ある少女のことを思い出す。

 それは今から八年ほど前のこと。

 尚之が瑠々と同じ高校生の頃の話だ。


 尚之は学校の行事でとある有名なテーマパークにおもむいていた。

 人混みが大嫌いな尚之は、友人と分かれひとり静かなエリアを散策していた。

 そのとき、ベンチに座り泣いている少女を見つけた。

 年は小学校低学年ぐらいだったと思う。


 その少女は目立たない場所で顔を隠すように泣いていたので、周囲の人は少女が泣いているのに気づいていなかった。

 気になった尚之は少女に声をかけたが、彼女は顔を背け何も答えない。

 少女は迷子というより、自らそこにいる意志を感じとれた。


 何となく放っておけなかった尚之は、少女の隣のベンチに座り、成り行きを見守ることにした。

 暇だったので尚之がしおりに絵を描いていると、いつのまにか少女が隣りにいて興味深そうにしおりの絵を見つめていた。そのときはもう、少女の涙は止まっていた。

 尚之が少女に話しかけてみると、今度は会話が成立した。


 どうやら少女は病弱らしく、今回はじめて両親と外出したが、少女が少し咳をしたら両親が帰ろうと言い出したので、それが嫌で走って逃げてきたとのこと。

 まさに小学生らしい短慮さだ。

 さぞや心配していることだろう、と尚之は彼女の両親が気の毒になった。


 尚之が少女に迷子センターに行こうと提案すると、少女は渋々頷いた。

 名前をアナウンスされるのは恥ずかしかろうが、連絡手段がないので仕方がない。

 迷子センターへの道すがら、少女の名を叫ぶパークスタッフに出会った。

 両親の要請を受けて、スタッフ数名で少女を探していたようだ。


 そのスタッフに少女を託そうとしたとき、少女が尚之のしおりを欲しいと言った。

 尚之はしおりにさらさらと少女の似顔絵も追加し、彼女に贈った。

 少女は満面の笑みでありがとうと言い、しおりを持って去っていった。


 その時の迷子の少女が、ネネットのモデルというわけである。

 もうあの少女に会うことは無いだろうが元気に成長していると良いな、と思いを馳せつつ尚之は単行本の表紙を描きあげていくのだった。


 ◇


 夕方になったが、瑠々は休みなので出勤してこない。


 かわりにメッセージが送られてきた。


『今父のアトリエに来てます。明日いいものを持っていきますので、楽しみにしていて下さい』


 父のアトリエ。

 瑠々の父といえば『アイビス』というブランドを立ち上げた世界的デザイナーの朱鷺川淳次である。

 尚之が瑠々の雇用にあたり朱鷺川淳次をWIKIで調べたところによると、彼は国内外の数々のデザイン賞を獲得し、映画界の巨匠からも衣装デザイナーとして愛され、各種スポーツの日本代表チームのユニフォーム、数億の再生回数を誇る海外のトップミュージシャンのMV衣装、果てはある国の王族の結婚式で着用されるウェディングドレスまでも手掛ける、まさに歩く文化遺産と言われるような人物であった。


 そんな朱鷺川淳次のアトリエに瑠々は何をしに行ったのだろうか。

 彼のブランドの服でも持ってきてくれるのか。

 尚之の兄貴分の漫画家の九頭谷やすひこが、確かアイビスの服を好んで着ていたように記憶している。

 もし、瑠々の言うがアイビスの洋服だったら九頭谷に自慢でもしようかなと、尚之は不安を抱きつつ考えるのだった。


 その日の夜も瑠々からメッセージが入った。


『アトリエで暇だったので先生のぬいぐるみ作ってみました。似てますか?』


 続いて送られてきた画像には、パジャマ姿の瑠々が目付きの悪い人型のぬいぐるみを両手で抱える姿が写っていた。

 朱鷺川瑠々はつくづく理解し難い少女であると、尚之は改めて感じた。

 自分のぬいぐるみが作られた動機が不明すぎて怖い。

 『まち針でも刺して憂さ晴らしします!』とでも言ってくれたほうが、ツッコミが入れられる分ありがたい。

 どう反応していいか分からないが、とりあえず『裁縫も上手ですね』とだけ返しておく。


 ◇


 翌、金曜日の夕方。

 自室に入ってきた瑠々を見て、尚之は驚いた。

 理由は、彼女の着ている服である。

 瑠々が着ていたのはいつものメイド服ではなく、尚之がデザインした新ヒロインの着ていたメイド服だった。


 いつものメイド服と比べるとスカート丈が短く、袖も半袖タイプで、造形としてはいわゆるメイド喫茶のスタッフが着ているようなメイド服に近い。

 さらに、彼女の頭には角が、腰からは尻尾が生えていた。

 その姿はまさに尚之がデザインした新ヒロインそのものであった。


「先生、おつかれさまです! このメイド服、デザインが素敵でしたので父に手伝ってもらって作ってみました! といっても、ほとんど父が作ったんですけど……」


 そう言って瑠々が照れたようにへへへと頬を掻く。

 どうやら尚之がデザインしたメイド服を歩く文化遺産が立体化したらしい。

 麻里江経由で届いた企画書をもとに型紙を起こし、一晩で仕立てたそうな。

 恐縮すぎて震えてしまう。


「お父さん、リボンと革紐が純真さと妖艶さを絶妙なバランスで表現していて良いデザインだって言ってました」

「いや、それは大変光栄ですが……」


 しがない漫画家がちゃちゃっとデザインしたメイド服を、ファッション界の権威に評価させるんじゃない、と尚之は心のなかでツッコむ。

 といいつつ、瑠々が着ているのを見ると我ながら良いデザインだとも感じる。

 まあ、リボンやフリルの配置が結構直されているので、良く見えるのは瑠々父のセンスによるところが大きいのだろうが。


というのは、その服だったんですね」

「はいっ。それともう一つあります」

「なんでしょうか」


 尚之が問うと瑠々がカバンからあるものを取り出した。


「これ、どうぞッ」


 そういって瑠々が手渡してきた。

 新ヒロインの手作りぬいぐるみを。

 瑠々は緊張しているのか目をギュッとつぶっている。

 これはもらう以外の選択肢は無いようだ。


「ありがとうございます。とてもよくできていますね」


 尚之が受け取ったぬいぐるみを観察する。

 本当によくできている。

 このままUFOキャッチャーの景品にでもできそうだ。


 そこに詠海が入ってきた。

 尚之はぬいぐるみを隠したかったが、隠せる場所がないので小脇に抱える。

 詠海は瑠々の格好を見ると、部屋にガガンボでも見つけたような表情になり瑠々に悪態をつく。


「何その服。お前コスプレして仕事する気?」

「いえ、角と尻尾はすぐ外せますので大丈夫です!」

「大丈夫じゃねぇよ。何そのスカート丈。痴女かよ」

「ひどい! 膝丈より少し短いだけじゃないですか!」

「その腕に絡んでる紐もなんかエロい」

「これは夢魔としての力を抑えるための紐ですので、むしろエロくならないための紐でして」


 二人の会話に居た堪れなくなった尚之が割り込むように声を上げる。


「えー、今日は二人に明日の茶会に必要なものをリストアップしてもらおうと思います。明日の午前中、私が買い出しに行きますので」

「あ、先生。お茶会の準備ならもう大体済んでます。明日、お菓子だけこちらで焼きたいのでオーブンをかしていただきたいのですが……」

「そうですか、それは助かります。材料費などはこちらで負担しますのでレシートがあれば出して下さい。なければ大体の金額で結構ですので。オーブン含めキッチンは明日の午前中、自由に使っていただいて構いません」

「かしこまりました! ありがとうございます!」


 瑠々が両手をギュッと握ってやる気をみせる。

 その横で仕事が無くなってしまった詠海がぼそりとつぶやく。


「なら今日何するの」

「……えー、各自の裁量に任せます」

「ふーん。ならあたし部屋で勉強するけど」

「ああ、わかった。むしろそうしろ」

「あんたも来て。勉強教えて」

「え! 詠海ちゃんのお部屋入っていいんですか!」


 瑠々が歓喜に震えるような声で叫ぶ。

 そして尚之の顔を窺う。


「朱鷺川さん、詠海の勉強ぜひ見てやって下さい。詠海、教わるならちゃんと敬意をを払うんだぞ」

「かしこまりました!」

「ん……」


 瑠々が花咲く笑顔で返事をし、詠海が嫌そうな顔で返事をする。

 そして二人は尚之の部屋を出ていった。


 詠海の部屋になど、ここ数年は尚之ですら入ったことがない。

 本当に朱鷺川瑠々という少女は摩訶不思議な存在である。

 明日の茶会は不安しかないが、揚羽が瑠々にどんな反応をするのか楽しみな部分もある。


 せっかくなら、全員楽しい気分で終われればいいなと、瑠々にもらったぬいぐるみを眺めつつ尚之はそんなことを考えるのだった。

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