第17話 漫画家、厳重注意しそこなう

** naoyuki side **


 小西との打ち合わせを終えたのは、午後7時を回った頃だった。

 最近では打ち合わせも簡略化していたため、彼のキノコ頭を長時間眺め続けるのも久々である。

 心身共に疲弊したが、内容が充実していたので、尚之は明るい気持ちで店を出ることができた。


 帰宅中の電車内にて、尚之は今から帰ると瑠々に連絡した。

 瑠々からは「かしこまりました、お待ちしております!お気をつけてお帰り下さい」とメッセージが入る。

 彼女らしい文面にふと笑いがこぼれるが、今日の打ち合わせの内容を彼女にどう伝えるか悩んでしまう。


 瑠々から写真を預かり、それをヒロインのモデルに使用したなら、そのことを彼女に伝えるのは筋というものだ。

 だが尚之は、瑠々が違法ギリギリの写真を渡してきたことを厳重注意しなければならない。

 淫靡な写真を送ったことを叱った後で、淫魔のモデルにしたことを報告するのである。とても辛い。


 どうしようか悶々と考えていると、自宅に到着してしまった。時間は午後8時だ。

 自室のドアの前に立つと中から話し声が聞こえた。

 内容は分からないが声は瑠々と詠海のものである。

 あの詠海が誰かと会話している事実に、改めて不思議な感覚をおぼえる。


 ドアをノックすると会話が止み、2秒でドアが開いた。


「先生ッ、お帰りッ、なさいませッ」


 いつものフリル付きのメイド服に身を包んだ瑠々が、息を切らせながらドアを開け、おじぎをする。

 そんなに慌てんでも、と心でツッコみつつ尚之は瑠々に挨拶する。


「朱鷺川さん、お疲れ様です。今日はお休みの日に出てくださりありがとうございます」

「いえ!私が無理言って来てしまったのでお気づかいなく。へへ」


 そう言って瑠々が照れたように笑う。


「ところで、詠海は一体何をしているのですか?」


 部屋の中央を見ると、詠海がテーブルに置かれた磁器のポットを睨みながらストップウォッチを握っている。


「あれは、紅茶を淹れる練習です。先生も、よろしければお仕事の前にぜひ一息ついてください」


 そう言って瑠々が期待するような目でテーブルを指し示す。

 テーブルには磁器製のティーセットの他にも、お茶の缶やクッキーが並んでいる。

 どうやら週末に開催予定のお茶会の準備をしていたようだ。

 さっきまでカフェにいたのでコーヒーをたくさん飲んでしまっていたが、いらないといえばがっかりしそうなので断り難い。


「せっかくなので、いただきましょう」

「かしこまりました」


 尚之の返答を聞いた瑠々が明るい笑顔を浮かべる。

 茶葉の蒸らし時間を計測していた詠海に帰宅の挨拶をしつつ、ソファに座る。

 瑠々が流麗な動きでティーポットから三人分のカップに紅茶を注いでゆく。その品のある所作は本物のパーラーメイドのようである。

 瑠々がソーサーを両手で持ちどうぞと言ってうやうやしく差し出してくる。


 ソーサーに乗ったティーカップを手に取る。糖分を摂ると眠くなる体質なので、ストレートでいただく。

 白い磁器のカップに入った黄金色の液体を口に含む。

 口の中に爽やかでフルーティーな香りと程よい渋みが広がる。

 尚之はこれまで紅茶はペットボトルかティーバッグでしか飲んだことが無かったが、なるほどこれは美味いと感じた。


「本格的な紅茶は初めて飲みましたが、とても香りがいいですね」

「ダージリンという紅茶でして、私の一番のお気に入りなんです」


 そう言って瑠々がはにかみつつニッコリと笑う。

 その柔らかな笑顔と爽やかな香りに、これからはコーヒーだけでなく紅茶も飲んでみようかなと、尚之は思うのだった。


 さて、打ち合わせの件を話すならこのタイミングで話してしまおう。

 後になるほど言いにくくなるし、詠海がいる方がたわいない話として処理できそうだ。

 そう考えた尚之は、書類ケースから昨晩書いた企画書のコピーを取り出した。


「朱鷺川さん、お預かりした写真ですが、確認させていただきました」

「あ、はいっ。い、いかがでしたか?」

「えー、結論としましては、大変参考になりました。それで朱鷺川さんの写真を元にキャラクターをデザインしてみたところ、担当からもOKが貰えまして……」


 その言葉を聞いた瑠々がガバっと立ち上がる。


「そ、それ、みせていただくことはできませんでしょうか!」


 あまりの勢いに尚之はつい圧倒されてしまう。

 元々見せるつもりだったので、持っていた紙束を彼女に差し出す。

 企画書を恐る恐る受け取った瑠々は、その紙を目玉が飛び出るほどに凝視する。


「えー、キャラクターの種族に不快感を感じるかも知れませんが、少年漫画ですので種族から連想されるようなシーンはありませんし、服装も一般的なメイド服なので不健全な印象を与えることはございませんので、寛大な心で許容していただけるとありがたいと申しますか……」


 尚之が言い訳がましい説明、というか言い訳を並べるも瑠々の反応はない……と思ったら喋った。


「コ、コピーを……この国宝級資料のコピーをとらせていただくことは、か、かなわないでしょうか……」


 瑠々が跪き、年貢の減免を訴える農民のような顔つきで尚之に縋ってきた。ちょっと怖い。


「そちらは元々朱鷺川さんに渡すためのコピーですので、受け取って頂いてかまいません」

「あう、あ、ありがとうございます!あの、汚れないようにカバンに仕舞ってきても良いでしょうか!?」

「ええ、構いませんが」


 そう言うと瑠々が早足で部屋を出て行ってしまった。

 尚之のプランでは瑠々と詠海にドン引きされつつも毅然とした態度で健全さを主張するつもりだったが、予想外の展開に進んでしまった。


「わたしも見たいんだけど」


 ずっと黙って紅茶とクッキーを食べていた詠海がボソッと呟く。

 元々詠海にも見せるつもりだったので、もう一組のコピーを彼女に渡す。

 企画書に目を通す詠海の表情が、ムカデでも見るような顔に変化していく。


「夢魔ってサキュバスだよね。尚之兄、あの女のことそういう目で見てんの?」

「いや、違うぞ詠海。そこに夢魔なのにまったく色気がないと書いてあるだろう。どちらかといえばキャラに落とし込んだのは彼女のあどけなさとか天真爛漫さの方で……」

「てか写真て何?そっちも見たい」

「それは朱鷺川さんの許可が無いと見せられん」


 そんな話をしているとフワフワした顔の瑠々が戻ってきた。

 すかさず詠海が瑠々に写真を見せてと頼んでいる。


「えっと、ちょっと恥ずかしいですが詠海ちゃんならいいですよ」


 瑠々の返答を聞いた詠海がこっちを見てきた。

 こんなこともあろうかと、尚之は用意していた。

 朱鷺川瑠々写真集、全年齢対象版を。


「このメモリースティックに入ってる」

「ふーん」


 そういって詠海が低いテーブル用のPCの電源をつける。

 そしてPCが立ち上がると、詠海がメモリースティックをスロットに差し込み、中の写真データを確認していく。


「え、これ撮影プロに頼んだ?」

「撮影はうちの家政婦さんです。写真がすごく上手なんです。詠海ちゃんも撮ってみますか?」

「撮るわけ無いじゃん。てか何このモデル気取りの顔。キモいんだけど」

「ヒドいです!結構可愛く撮れてるじゃないですか」

「自分でゆうな」


 わいわい写真を見る二人を尚之が感慨深げに眺めていると、瑠々が話しかけてきた。


「先生あの、ヒロインのモデルにしていただきありがとうございました。私、とても感激しています。これからも写真たくさん撮ってきますので」


 瑠々が変なことを言い出した。というか、写真については厳重注意をしたいのだが詠海がいるので具体的な話は出せない。


「朱鷺川さん、写真は十分ですのでこれ以上は必要ありません」


 尚之の返事を聞いた瑠々が少し残念そうな顔を見せる。

 が、瑠々はすぐに「ひらめいた」という顔をして頭の上に電球をとばす。


「そうですよね、言われてみればわざわざ写真じゃなくても、私が直接モデルをすればいいんですよね」

「いや朱鷺川さん、そういう話ではなく……」

「わたし、同じポーズ続けるの得意なんです。あの、それに水着ぐらいなら、が、頑張りますので!」


 そういって瑠々が頭から湯気を出しながら胸の前で拳を握る。

 この娘はまた妙なことを言い出した、と尚之は困惑する。


 といいつつ、瑠々の提案は尚之の興味を引いた。

 目の前でポーズモデルをしてくれる人が欲しくないかと言われれば、すごく欲しい。

 尚之は難しいポーズの絵を、アクションフィギュアを利用して絵に落とすことがある。

 人形のようにスタイルの良い瑠々が、望み通りのポーズをとってくれるならとても重宝することだろう。


 しかし、妹である詠海の冷ややかな視線で尚之は我にかえる。


「頼む機会があるかわかりませんが、ポーズモデルの件は心に留めておきましょう。とにかく、これ以上の写真は不要ですので」

「わかりました」


 乗り気ではない尚之の反応に、瑠々が眉を下げショボーンという顔をする。

 熱心なのは嬉しいが、あまりアシスタントの範疇を超えた仕事をさせて問題になるのも怖い。

 瑠々に任せる仕事は、世間に知られても外聞が悪くならないものに留めておくべきだろう。


 その日は帰宅時間も遅かったので、すぐに瑠々の終業時間になった。

 ティーセットは瑠々の私物だったようだが、待機室に置かせて欲しいと言われたので許可した。

 企画書は仕事に関わる機密文書なので他人に見せないよう念を押しておく。


 瑠々の帰宅後、彼女の母である麻里江に瑠々の写真を預かった事とヒロインのモデルにした事を、全ての写真と企画書を添付して報告した。

 麻里江からは『瑠々が楽しそうで何よりです』と返信があった。

 問題視されなくて良かったが、相変わらず大らかすぎる母親である。


 その日の午前零時、カラー原稿を描き上げた尚之の携帯に、メッセージが入った。


 『これから寝ます!先生もしっかり休んで下さいね。じゃないと先生の夢、食べちゃいますよ♪(返信不要です!)」


 続いてワンピースのパジャマ姿の瑠々の写真が送られてきた。

 瑠々は手に企画書を持って、そこに描かれたヒロインのポーズを真似している。角と尻尾が無い以外は瓜二つだ。


「それは獏だろ」


 そう呟いた尚之は『おやすみなさい』と返信し、寝ることにした。



** yomi side **


 詠海の二次創作のアカウントが身バレした。

 しかもバレた相手があのメイド女だ。

 そして、そのメイド女は詠海の創作活動をファンとして支え続けた恩人でもあった。


 正直、心の整理が追いつかない。


 あの女のアカウント名は『メイドさん大好き』。

 詠海が投稿を初めた黎明期からの古参フォロワーで、投稿した作品には必ず反応をくれる律儀さに好感を抱いていた。

 まあ、その言動と執念深さにちょっとアレなやつだとは感じていたが。


 リアルで会った『メイドさん大好き』はネット以上にイカれた女だった。

 大女優の娘でちやほやされるであろう完璧な容姿を持っていながらヘラヘラと人の顔色を窺ってきて、やたらと能天気だ。

 そしてメイド服に異常な愛情を持っていて、メイドになりきって尚之にまとわりつく様は正直気持ち悪い。


 が、家事や仕事の能力は高いし、うちの家族とも上手くやっているようだ。

 尚之のことになるとやたらとポンコツ化する姿は面白くもある。

 尚之に惚れているのは間違いないと思うが、ネットのよしみもあるので、今は追い出してやろうとは思っていない。

 

 とはいえ、尚之にお似合いなのは、やはり揚羽のようなクリエイターとして格上の女性だと詠海は思っている。

 瑠々には悪いが詠海より少し上手いぐらいでは、尚之のパートナーとして釣り合いが取れない。


 なので、詠海は今度のお茶会で尚之と揚羽をくっつけようと企んでいる。

 男女の仲を取り持つなどというのは経験したことがないが、どうにか良い雰囲気を作ってカップルを成立させたい。

 瑠々には自分の墓を自分で立てるような真似をさせることになるが、まあ初恋なんて実らないのが世の常だ。

 泣くようなら同人活動にでも誘って慰めるぐらいはしてやろう。


 などと考えながら紅茶の淹れ方を教わっていると、打ち合わせから帰ってきた尚之とメイド女こと瑠々が妙なやりとりをしている。

 聞けば尚之が瑠々から写真をもらい、それを元に瑠々がモデルの夢魔ヒロインをデザインしたという。

 とてつもなくキモい、と詠海は感じてしまった。


 瑠々には本気で他人を魅了する能力があるのかもしれない。

 尚之が完落ちする前に尚之への精神攻撃を阻止しなければ。

 と、瑠々の写真を眺めながらそんなことを考える詠海なのだった。

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