第15話 漫画家、肌色写真に困惑する

** naoyuki side **


 瑠々がテキパキと散乱する本を片付けてゆく。

 集中しているときの彼女は動きに無駄がなく、見ていて心地よい。

 瑠々の働きに満足しつつ、尚之はカラー原稿の作画作業を再開した。


 尚之はカラー原稿の作画を液タブを使って行っている。

 連載初期はマーカー等を使ってアナログで塗っていたが、最近では効率をかんがみてほぼデジタル彩色である。

 尚之としてはアナログの方が物を作っている感覚が味わえるので好みだが、時間的優位性には代えられない。


 作業を始めて間もなく、ノックの音が聞こえたので瑠々に出てもらうと、入ってきたのは詠海だった。

 瑠々の丁寧な挨拶に対し、詠海は「ども」と二文字だけ返して尚之の元にすたすた歩いてくる。

 仲良くするつもりが無くても挨拶ぐらいまともにできないのかと、妹に対し少々残念な気持ちになる。


「私、何すればいい」


 尚之の元に来た詠海が、不機嫌そうな顔で問うてくる。

 が、この顔は詠海のデフォルト顔で別に不機嫌というわけではない。


「詠海、『よろしくお願いします』ぐらい返せ」


 尚之の言葉で詠海の口がへの字に曲がる。

 これは機嫌の悪いときの顔である。


「別にあの人と話すこと無いし」


 詠海の言葉を聞いた尚之は、どうしたものかとこめかみを手で抑えた。

 尚之は詠海のことをかわいい妹だと思っている。

 これまでは人見知りも彼女の個性だと思って看過していたが、これでは人見知りを通り越して人嫌いだ。


 先のことを考えれば、仕事場でぐらいは他人と協調できないと生きるのに苦労してしまう。

 そう考えた尚之は、詠海にささやかな課題を与えることにした。


「詠海、俺は原稿で手が離せない。なので、お前は朱鷺川さんの指示に従って行動して欲しい」

「え、やなんだけど」

「それが嫌なら、今回は茶会も含めて辞退してもらっていい」

「なっ!」


 詠海が唇をぎゅっと噛んでいる。

 小さい頃から詠海が怒るとよくやる仕草だ。

 こんな顔をさせたくないがここは尚之の仕事場である。

 いくら妹がかわいいとはいえ、甘やかすことはできない。


「別に仲良くしろとは言わない。スタッフとして最低限の仕事をしてくれれば良い。きちんとこなしてくれたら報酬も出す。だからやってくれないか?」


 なるべく反感を持たれないように穏やかに頼んでみる。

 そんな尚之の様子を見た詠海が、つぶやくように応えた。


「わかった、やる……」

「ありがとう、頼んだ」


 頭を撫でたくなった尚之だったが、嫌がられそうなので止めておく。

 瑠々を呼び、事の次第を伝える。


「わかりました!私、詠海さんと一緒に最高のお茶会を作り上げてみせます!」

「えーと、気軽な集まりなので程々でお願いします」

「はい!では詠海さん、張り切ってお片付けしましょう!!」

「ん……」


 瑠々が異常なやる気を見せている。

 そして詠海が心底嫌そうな顔をしている。

 詠海より瑠々の方を心配したほうが良かったかもしれないと、尚之は少々不安になった。

 ともあれ、詠海も協力する様子は見せているので、しばらく見守ることにした。


 原稿に没頭していると、二人の少女が言い争う声が聞こえてきた。


「はぁ?アヴァルが良いヤツになったら何の魅力も無くなるんですけど」

「でもでも、レックくんとアヴァルが協力して戦う所もっと見たいじゃないですかッ」

「そりゃ二人の共闘は熱いけどキャラ崩壊とかはありえないわ」

「崩壊じゃないですよ!成長です!」

「漫画のキャラとしての魅力のことを言ってんの」


 どうやら瑠々と詠海が尚之の作品のキャラについて議論しているらしい。

 詠海がこんなに喋っているのは初めて見たので、尚之は少し衝撃を受ける。

 二人が自作品で熱くなってくれるのは嬉しくもあるが、作業の手は完全に止まってる。

 というか、普通に声が大きくてこっちの気が散る。

 言い合いを止める気配のない二人に向かって、尚之は声をかける。


「二人共、少し声を落としてもらえますか。それと手は動かして頂けると有難いです」

「はうっ!あ、先生!す、すみません!」

「あ……」


 瑠々が顔を青くしペコペコ頭を下げ、詠海がバツの悪そうに目をそらす。

 そして再び黙々と片付けを始める。


 原稿に没頭していると、再び大きな声が聞こえてきた。


「はぁ!?アンタ『天使が来たりて』読んでなかったの?!」

「あ、あの、ヨッシャーはメイハーしか読んでおりませんで……」

「え、バカなの?なんであの名作読みとばせるのか理解不能なんですけど」

「ちょっと話が難しいといいますか、他にもチェックせねばならないコンテンツが山積してるといいますか」

「いやいやいや、あの作品以上に価値のある作品なんてまず無いから。ていうかわかった。あの名作が終わったのってアンタみたいなクソ読者がいっぱいいるからだわ」

「あ、う」


 今度は詠海が瑠々に一方的に怒っているようだ。

 どうやら揚羽の打ち切りになった作品について話をしているようだ。

 まあ名作には間違いないが、人を選ぶ作品なので瑠々が読んでいなくても仕方ない。

 というか普通に五月蝿うるさい。


「ちょっと、詠海」

「あ、尚之兄、聞いて、この女揚羽さんの漫画読んでないんだって。この女、お茶会同席させるの考え直した方が良いよ。というかセンスないからアシ辞めさせたほうが良いよ」

「あう、読みます、読みますから解雇だけはご勘弁を!」


 詠海はずいぶんと熱くなっているようだ。

 というか、今瑠々を辞めさせたらこっちが漫画家を休業するはめになる。


「えーと、以後静かにできないなら二人とも出て行ってもらいます。よろしいですか」

「「あ、はい」」


 その後、二人は就業時間まで大人しく作業をしていた。


 そして二人の頑張りの結果、床に散乱していた本は全て棚に収まった。

 ここしばらく尚之を憂鬱にさせていた悩みの種が取り除かれ、気分が晴れ晴れする。


 尚之は嬉しくなって「頑張った二人に好きな本を三冊ずつ差し上げましょう」と伝えると、詠海はちゃっかり数万円する美術書を3冊選び、瑠々はなぜかアイドルの写真集を3冊選んだ。

 瑠々の思考は相変わらず謎だらけである。


 帰り際、瑠々は詠海から揚羽作品の単行本を借りていったようだ。

 詠海が瑠々に「ちゃんと読んだか明日テストするから」と言っている。

 自分のファンがこんな過激な布教活動をしていたらイヤだな、と尚之は思ったが、なんだかんだ会話する関係は出来上がったようなので引き続き経過観察を行うことにする。


 ◇


 瑠々が帰ると詠海も自分の部屋に帰っていった。

 詠海は詠海で色々とやることがあるらしい。

 尚之もやりたいことがあったのでちょうど良かった。


 やりたいこととは何か。

 それは瑠々に渡されたメモリースティックの確認作業である。

 彼女に手渡されたときから中身が気になっていたが、本人の前で見るのも何だったので帰るのを待っていたのだった。


 ということで、フォルダを開いてみる。

 そしてすぐ閉じた。


 何かものすごく肌色の面積が多い写真が見えた気がした。


「コレ、見てもいい写真だよな……?」


 そう呟いて再びフォルダを開く。

 フォルダのサムネイルに並ぶのはメイド服、お嬢様風の私服、学校の制服、ハチマキを巻いた体操服……

 ここまではまあ良い。その後に続くのが問題だ。

 並んでいたのはバレエ用のレオタード、そして白色のビキニ、極めつけは下着と思われるキャミソールとショーツ姿でさらにスクロールするとキャミソールも脱いでしまっている。

 サムネイルが小さくて分かりにくいが、ポーズも四つん這いになったりベッドに寝転がったりアルファベットをかたどったポーズをしてみたりとかなり際どい。


「いやこれアウトだろ」


 昨今さっこん、不埒な大人がいたいけな未成年を手懐けて猥褻画像を送らせるという事件をよく耳にするが、完全にそれである。

 児ポ法には詳しくないが、こういうのは持ってるだけで違法になるのではないだろうか。

 まあ相手方の意志で渡されたものなので、これで捕まったら不条理極まりないと訴えたいところであるが。


「まったく何を考えているんだか……」


 万一このことが世間に知れわたり、顔が新聞に乗って連載打ち切りにでもなったら悔やんでも悔やみきれない。

 二度と妙な写真を送らないよう瑠々には厳重注意をせねばならない。


 さて、本人には厳しく指導するとして、画像を即刻削除するかどうかはまた別の話だ。

 尚之は綺麗な写真を見るのは好きなのだ。そして健康な男子なのである。

 そこに美しい肌色画像があるならクリックせずにはいられないのだった。


 ともあれ、ここまでされたらヒロインのモデルにはしないとはいい難くなってしまった。

 妖狐、雪女、アラクネ、かまいたち……。

 出来の良すぎるグラビア写真を眺めながら、被写体に合いそうな半妖娘をイメージしてゆく。


 結局尚之は翌日の明け方まで、新しいヒロインとその半妖娘が主軸となるストーリープロットを考えていた。

 カラー原稿を終わらせるつもりが妙な横道にそれてしまった

 だが、資料の質が高かったおかげかイメージが捗り、一章分のプロットが一気に完成してしまった。

 普通は数日掛ける作業なので、これが通ったらかなり時間に余裕ができる。


 しかし、このキャラ案とプロットを小西に見せるのはなかなか抵抗がある。

 あの軽い口調でモデルのことについてツッコまれるのは少々煩わしい。

 というか、写真を渡された件は絶対に知られたくない。


 本日打合せのため会う予定になっているキノコ頭の顔を思い浮かべて憂鬱な顔で眠りにつく尚之なのだった。


 ◇


 午前9時、携帯のアラームが鳴り尚之は起床した。

 午後から打合せなので、午前中の間はカラー原稿を進める。

 昼を回ったので小西と連絡をとったところ、打合せ場所はいつものメイドカフェらしい。

 ウチでやるんじゃないのかと聞いたら、朱鷺川さんがいないのに行っても仕方がないと言われた。

 さいですか、とつぶやき尚之は着替えて家を出る。


 なんだかんだ言いつつも、カフェに向かう電車内の時間を尚之は気に入っている。

 基本家から出ないので、屋外の空気を吸うのは良いリフレッシュになるのだ。

 電車からぼんやり外の景色を眺めていると携帯にメッセージが入る。


『先生、お昼の時間ですよー♪私は今あやめちゃんと『天使が来たりて』読んでます(返信不要です!)』


 続いて、瑠々と一色あやめが揚羽の漫画の単行本を持ったツーショットが送られて来た。

 何じゃこりゃ。と思ったが、2回目なので驚きは少ない。

 これは昼になると毎回送られてくるんだろうか。

 別に卑猥な写真でないなら構わないが、送られても対応に困る。

 まあ返信不要とあるので既読スルーしておこう。

 と思ったが、伝えることがあったのを思い出した。


『本日は打合せなので帰りが遅くなります。朱鷺川さんも今日はお休みにして下さい』


 少しして返信が来る。


『お留守の間、仕事場のお掃除をさせていただく事はできませんか?お休み扱いで構いませんので!』


『それは助かります。が、無償というわけにはいきませんので、後日お礼をします』


『恐縮です』


 三連勤だったので一度休んで貰おうと思ったが、瑠々にその気は無いらしい。

 勤勉なアシスタントを授けてくれた神様に心のなかで柏手を打って感謝しておく。


 ◇


 いつものメイドカフェに入ると小西が先に来てテーブルに座っていた。

 ここのメイドカフェはビルが丸々メイドカフェになっていて、普通のレストランとして利用できるくつろぎフロア、メイドカフェでおなじみのサービスを提供するおもてなしフロア、ライブやトークイベントが行われるステージフロア、メイドさん相手にゲームを遊べるカジノフロア、個室でメイドさんとフリートークできるVIPフロア、などなど色々なメイドコンテンツを楽しめる総合アミューズメント施設になっている。

 ちなみに、尚之たちがいつも打合せに利用しているのは一階のくつろぎフロアである。


「最近じゃポップンパーラーも人気出ちゃって平日でも人多くなっちゃったねえ」

「あー、小西さんの押してるグループ、バズってるらしいですね」

「そうなんだよ!まあさくらちゃんがセンターやってればポプラの躍進も必然だよねえ。でも黎明期から押してた身としては嬉しいけどちょっと寂しいと言うかなんというか」


 ポップンパーラーというのはこのメイドカフェの名前で、全国に300店舗を展開する大メイドカフェチェーンである。

 ポップンパーラーでは、全国からよりすぐりのキャストを集結させてポップンラビッツというメイドアイドルユニットを立ち上げさせ、全国のメイドビルのステージで歌とダンスを披露させていた。

 動画投稿サイトのポップンパーラー公式アカウントでそのライブ映像を公開したところ、数千万の再生回数を記録し、ポップンラビッツは今一躍時の人となっているのだった。

「いや、小西さんの押しの話はいいんで打合せしましょう」

「ひどいよ!千本柿先生、自分は専属メイドがいるからってさ!」

「そんなもんはいません」

「で、実際朱鷺川さんはどうなのよ。随分優秀みたいだけど」

「ええ、優秀ですよ。小西さんが担当したがるのも分かりました」


 というわけで、新人アシスタントの仕事ぶりから現在のタスクの進行状況、読者アンケートの内容、企業とのコラボ案件、そして来週分のプロット会議と打合せが進んでいく。

 そして問題の新章の企画案の話に移る。


「それで、小西さんに見て欲しい物がありまして。こちらなんですが」

「あれ?ネネット編の次の企画もう作ったの?随分早いじゃない。どれどれ」


 小西が尚之の差し出した十数枚の紙束をチェックする。

 そこにはストーリーの大まかな流れや登場するキャラクターのデザイン案やその他設定などが鉛筆で走り書きしてある。

 尚之は居心地の悪い気分を抑えながら、小西の反応を待つ。


「夢魔かー……」


 企画書で顔が隠れた小西の口からつぶやきが漏れる。

 そう、瑠々がモデルの半妖娘として結局尚之が選んだのは、夢魔=サキュバスだった。

 自分でもドン引きなのだが、瑠々の際どい写真を見ているうちに頭の中でキャラが動き出してしまったのだから仕方がない。

 固まったまま動かない小西の様子にいたたまれなくなった尚之は、自分から彼に問いかけた。


「まああれです。雑誌的にアウトならボツにしますんで」


 小西が企画書を少し下げて目だけ出して尚之を睨む。


「この子、人気出るよ」

「いけますかね」


 小西がテーブルに企画書を広げ、黒髪ロングのヒロインを指差す。


「ポンコツサキュバスはありきたりだけど、とにかくキャラデザが秀逸すぎるね」

「ありきたりですか。そこらへん修正したほうが良いですかね」

「いや!それを修正するなんてとんでもないよ!ありきたりの先にみんなが求める財宝が眠ってんだよ!この子にはそのダイヤモンドの輝きがある!」


 小西が企画書を両手で掴み天に掲げる。


「ちょっと何言ってるかわからないですが」

「とにかく、このキャラとストーリーなら悲願のアンケ1位取りにいけるよ。このまま企画進めよう」

「わかりました。やってみます」


 そう言って尚之と小西が熱い視線を交わす。

 手応えのある打合せというのはやはり心躍る、と尚之は感じる。


「それにしても、この子、誰かに似てるよね」

「ツッコまれるのは覚悟の上です。企画通してくれたので好きなだけからかってくれていいですよ」

「ははは、まあモデルにするには最高の素材ではあるよね。千本柿先生とは良い関係でいたいのでそこには触れないでおくよ」

「そうしてくれると助かります」


 というわけで、晴れて瑠々はメイハーヒロインに採用されることが決まったのだった。

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