第13話 漫画家、脱稿する

** naoyuki side **


 瑠々がカニクリームコロッケを旨そうに頬張っている。

 彼女が座っているのは昨日と同様、鈴々の遊び場ゾーンに急造されたテーブル席だ。

 したがって瑠々の隣には昨日と同様鈴々が座っており、その鈴々も幸せそうにカニコロを頬張っている。


 さらに瑠々の左には光理が座っていて、猫目を光らせながら瑠々に何か話しかけている。

 そして鈴々の遊び場のすぐ近くのソファでは、動物たちをはべらせた機嫌の良さそうな滝乃がひ孫の尚太郎をあやしている。

 尚太郎はジトッとした目つきで滝乃の顔をベシベシ叩いている。


 キッチンでは尚哉と文香の若夫婦が仲睦まじく調理具の片付けをしている。

 席の空き状況から見て、二人はおそらくソファ側のテーブルで昼食を食べることになるだろう。

 ダイニングテーブルでは尚久と秋穂の熟年夫婦が和やかに話をしていて、その対面では尚之と詠海の兄妹が黙々と昼食を食べている。


 本日は千垣家全員が揃い踏みである。

 休日の風景としては珍しくはないが、普段の千垣家よりどこか明るい雰囲気がある。

 その原因はきっと鈴々の相手をしているあの娘なのだろう。


 と、そんなことをぼんやり考えながら尚之がカニコロを食べていると、尚之の隣に座る妹の詠海がヒソヒソと話しかけてきた。


「あの人、週に何回入んの?」

「決めてないけど、作画の方は土日入れて週四は入ってもらいたいな」

「作画の方はって、他になんかあんの?」

「家事もやってくれることになってるんだよ」

「え、きもくない。それ」

「別にきもかないだろ。文香さんの負担も大きかったし、俺もお前も何もしないんだから家事代行の人は必要だろ」

「それはそうかもだけど、別にあの人がやらなくてもよくない……」

「アシも家事もしてくれるんだからうちらにしたら渡りに船だろ。てか本人の前でそれ言うなよ。ああみえて多分結構繊細だから」

「別に言わないし」


 そう言ったまま詠海は黙り込んだ。

 どうやら詠海は瑠々のことを快く思っていないようだ。

 光理と同じ陽のオーラを感じて怯んでいるのだろうか。


 瑠々は見た目は明かるそうだが、性格はどちらかといえば光理より詠海寄りだと感じている。

 瑠々と詠海には同じチームの仲間として、できれば仲良くして欲しい。

 が、合わないなら合わないで仕方がない。


 などと考えながら、尚之はカニコロを完食する。

 尚之は皿を洗ったのち、仕事もたいらげるべく自室に向かった。


 ◇


 昼食後、作業に入ること約2時間。

 その週の原稿がとうとう完成した。予定より12時間早い脱稿だ。

 尚之の心が達成感と開放感で満たされ、普段は無愛想なその顔にもこの時ばかりは笑みがあふれた。


 それにしても脅威的スピードだった。

 最後の方は互いに競争でもしているような気迫を感じた。

 アシスタントを引き受けてくれた三人に改めて感謝の念が湧いてくる。

 さしあたっては目の前にいる少女に、その気持を伝えておく。


「朱鷺川さん、大変お疲れ様です。あなたのおかげでこの難局を乗り切ることができました」

「いえあの、みなさんと比べたら私全然お役に立ててなくて……」


 技術の高い揚羽や労働時間の制約がない詠海と比べると、たしかに瑠々の作画量は少なかった。

 しかし瑠々の作業がなければ原稿は完成しなかったし、揚羽と詠海に火が付いたのは瑠々の存在が大きかったように思う。


「いえ、朱鷺川さんは値千金の働きぶりでしたよ。報酬は上乗せさせていただきますが、その他に何か希望があったら言って下さい」

「あの、それでしたら、今からお部屋のお片付けをしたいのですが」


 そういえば瑠々の履歴書には趣味が片付けと書いてあったのを尚之は思い出した。

 この部屋の散らかりようが、綺麗好きな彼女としてはずっと気になっていたのかもしれない。


「それでは褒賞になりませんが、希望というのであればぜひお願いします」

「かしこまりました!では早速始めますね」

「原稿が早く上がったので、私も一緒にやります。自分の部屋ですし」

「はいあの、はい」


 それから尚之は瑠々と二人で部屋の片付けを行った。

 とりあえず床に散乱している本をひたすら本棚に詰め込んでいく。

 大雑把に漫画、小説、実用書程度のジャンル分けをして、細かい並べ替えは後回しである。


 作業をしていると瑠々がある一冊の本を抱えて質問してきた。


「あの、先生は一色あやめちゃんのファンなんですか?」


 彼女が手に持っているのはとある有名なアイドルの写真集だ。

 瑠々は妙に緊張しているようで、軽い雑談という雰囲気ではない。

 瑠々が彼女のファンで、同士を見つけたと思い興奮しているといったところだろうか。


 だがあいにく尚之は一色あやめについてファンというほどの知識はない。

 その目を引く外見が絵を描く上で参考になりそうだと思い買ったモノだ。

 尚之は人物・風景問わずそういう写真集をたくさん持っている。


「えーと、綺麗で魅力的な方だとは思いますがファンというほど詳しくはありませんね。人物の写真集は資料として色々集めているんです」


 そう言って尚之は近くに落ちていた他の写真集を拾い上げる。


「あ、フェイスタの夏凛ちゃんにポップンラビッツのさくらちゃん……」


 尚之が手に取った写真集を見て瑠々がその被写体の名をつぶやく。

 フェイスタはフェイバリット☆スターズの略であやめの所属するグループ。

 ポップンラビッツは小西の好きなメイドカフェのポップンパーラーが発祥のメイドアイドルユニットである。

 さくらはそのグループのセンターで小西が激推ししており、写真集も小西に貰ったものだ。


 瑠々はアイドルが好きなのか、と思い尚之は彼女に疑問を投げかける。


「朱鷺川さんは一色あやめのファンなんですか?」

「いえあの、あやめちゃんは学校の友達なんです」

「そ、そうでしたか。一色さんはヒロインのモデルにさせてもらったんですよね。その節はどうもとお伝え下さい」


 思わぬ返答に焦って妙なことを言ってしまう尚之であった。

 しかし瑠々がそれに食いつく。


「あっ!!ソニアちゃんってもしかしてあやめちゃんがモデルだったりしますか!?」

「まあそうです。よくご存知で」

「ああっ!!ミュウちゃんがさくらちゃんでクロフシちゃんが夏凛ちゃん!!?」


 瑠々が続けざまに尚之の作品のキャラとアイドルの名前を叫ぶ。


「御名答です。彼女たちは顔立ちが端正かつ個性的なのでモデルにし易かったんですよね」


 誰にも言ったことがなかったが言い当てられてしまった。

 まあこの先本人の耳に入ることも、本人に会うこともないのでべつに構わないが。


「なんだかとってもスッキリした気分です。となるとロザリーちゃんは一体……」

「と、朱鷺川さんの顔もモデルにはしやすそうですけどね」


 尚之は銀髪の吸血鬼キャラであるロザリーのモデルから話をそらそうとして言葉を発した。

 が、すぐさま、いかん余計な事を言った、と思った。

 瑠々の顔がモデルにしやすいのは事実ではあるが、この流れでそんなことを言ったらどうなるか。


「ほ、本当ですか!?私も『メイハー』のヒロインにしてもらえるんですか!?」

「いや、まあモデルにしやすそうだなと思っただけで……」

「わかりました!あの、それなら明日私の写真も持ってきますね!!」


 一色あやめの写真集を抱いた瑠々の目がキラキラに輝いている。

 ネーム会議に次章のヒロイン案として瞳の大きな黒髪ロングのキャラなんか持っていったら小西に何を言われるか分かったものではない。

 かといってこのキラキラの期待を反故にするのはなかなか心苦しいものがある。


 よし、何も考えずに流れに身を任せよう。

 尚之はそう決めてウキウキの瑠々と部屋の片付けを再開するのだった。


 ◇


 瑠々が帰った後、尚之は詠海に茶会の件を伝えた。

 揚羽が茶会を開きたがっていて、詠海と瑠々を同席させようとしている話である。


「揚羽さんに会えるんだ……」


 詠海の顔には珍しく喜色が滲んでいる。

 

 詠海は揚羽のファンだと思われる。

 尚之はこれまでも何度か揚羽にアシスタントに入ってもらったことがある。

 その時に詠海が尚之に、揚羽からサインを貰えないか聞いてきた時があった。


 尚之が揚羽に作画の手伝いをしている妹がサインを欲しがっていると伝えると、気を良くしたのか揚羽は美麗なイラスト付きの色紙を送ってきた。

 詠海はその色紙を見てたいそう喜んでいた。

 というか、尚之がちょっと欲しいと思ってしまったのは内緒である。


「わかった。私も準備手伝う」

「え?詠海が?」

「あの人だけに働かせたって思われたくないし」


 こういうときは家事っぽい事もするのか、と新たに発見した妹の生態に尚之は感心する。

 瑠々の存在は詠海にとっては良い刺激になるのかもしれない。

 少し嬉しくなり「頼むな」と言い詠海の頭をポンと撫でると詠海は嫌そうな顔をして部屋に引っ込んでしまった。


 年頃の妹は扱いが難しいものである、と尚之は眉を下げるのだった。


 ◇


 翌、月曜日。


 原稿も終わり部屋も片付き始めている。

 合併号のおかげで締切は再来週の日曜日だ。

 尚之は久しぶりに清々しい気分に浸っていた。


 とはいえ、尚之にはゆっくり外出する余裕などはない。

 ここ最近の人手不足で連載原稿以外の仕事が溜まっているのだった。

 雑誌の表紙、カラー原稿、単行本の表紙、単行本のおまけページなどなど。

 この期間を利用して一気に片付けてしまわねばならない。


 作業していると腹が鳴った。

 時計を見ると午後1時を回っている。

 そろそろ飯でも食うかと原稿から目を離すと、携帯がピカピカと明滅していた。

 メッセージか、と思い尚之は携帯を確認する。


『先生、お昼の時間ですよ~?ちゃんとお食事取ってくださいね♪(返信不要です!)』


 続いて、送り主とその友人のツーショット写真が送られてきている。


「おお、本当に一色あやめだ」


 ではなく、何なんだこのメッセージは。

 意図が全くつかめない。

 これが女子高生というものなのか。

 というか、芸能人がこんな軽々しく写真を送っていいのだろうか。


「昼飯食うか……」


 尚之は女子高生の生態について深く考えるのを止め、腹を満たすことにした。


 尚之の平日の昼食は、基本勝手に食べることになっている。

 千垣家には炊飯ジャーが二つあり一つは規則正しく生活する人用でもう一つは不規則な人用のジャーである。

 規則正しい人は毎回炊きたてご飯を食べるが、不規則組は朝炊いた米を夜食べることもしばしばである。


 尚之は不規則用のジャーから白米を皿に盛り、温めたレトルトカレーをだばっとかける。

 ダイニングテーブルの席に付き、カレーをガツガツとかっこむ。

 TVをつけると一色あやめがグループのメンバーとともに洗顔料のCMに出ていた。


 やはりこの一色あやめという娘はダントツで顔が整っている、と尚之は考える。

 そんな現役アイドルと並んでも容姿に全く遜色の無い少女が、自分のアシスタントをやっているのはやはり不思議に感じてしまう。

 とはいえ、今彼女に抜けられたら非常に困るので、芸能人をやった方がいいなどとはもう思わないが。


 ◇


 仕事に没頭しているとノックの音がなった。

 時間は午後4時45分。新人アシスタントの出勤の時間だ。

 扉に向かって「どうぞ」と声をかけると予想通りメイド服を着た少女が入ってきた。


「あの!先生、お疲れ様です!あの、昼間は変なメッセージを送って申し訳ありませんでした!」


 メイド少女が入ってくるなり謝罪してきた。

 言っているのは昼間のツーショット写真のことだろう。

 確かになんじゃこりゃ、とは思ったが別に怒ってはいない。


「朱鷺川さん、お疲れ様です。メッセージは気にしないで平気です。食事どきが分かって助かりました」


 そう言って尚之が笑顔を作るとメイド少女こと朱鷺川瑠々が赤くなりながら「良かったです」と笑いハンカチで汗を拭く。

 そしてメイド服のポケットに入れていた、あるものを差し出してきた。


「あの、これ昨日言ってた写真です」


 尚之が受け取ったのは銀色のUSBメモリであった。

 中には瑠々を写した画像データが入っていると思われる。

 正直扱いに困るが、返すのも気が引けるので貰っておくことにする。


「ありがとうございます。大切に扱いますね」


 尚之がそう言ってメモリスティックを受け取ると、瑠々が「いえ、えへへ」と照れたような笑顔を見せる。

 その無邪気な笑顔を見て、瑠々の警戒心の無さが少々心配になってしまう。

 瑠々の母親にまた連絡しないとと考えつつ、尚之は瑠々に仕事の予定を説明する。


「今日から一週間は作画の仕事はありません。したがって朱鷺川さんには昨日に引き続き、部屋を片付けてもらいたいのですがよろしいですか?」

「はい、お任せ下さい!チリ一つ無いお部屋にしてみせます!」


 非常に自信とやる気に満ちた声である。

 尚之には瑠々の思考はさっぱり読めないが、彼女の仕事に前向きな部分は好ましく感じる。

 信頼をこめて「よろしくお願いします」と伝え、尚之はカラー原稿の作業に戻るのだった。

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