第12話 メイド少女、モフモフに囲まれ掃除をする
** misuzu side **
アシスタント初日の仕事を終えた瑠々が朱鷺川家に帰ってきた。
玄関を入ってきた瑠々はどこか夢心地なフワフワした表情をしている。
そんな瑠々に朱鷺川家の家政婦である美寿々が声をかける。
「瑠々ちゃん、おかえりなさい」
「美寿々さん、あの、ただいま戻りました」
ぼんやりしていた瑠々の表情が、美寿々の厳しい顔を見た途端に緊張で強ばる。
「さて瑠々ちゃん、私がこんな顔で待っていた理由はわかる?」
「あの、朝のこと……ですよね……?」
「そうね。そのことで少しお話しましょう」
瑠々は浮かれた気分をすっかり無くし、美寿々とともにリビングに向かった。
望月美寿々は元々麻里江のマネージャーだった。
結婚・出産を期に芸能事務所を辞めることになった美寿々だったが、美寿々は生活面の不安から仕事を求めていた。
そこに多忙だった麻里江から有償で家事を頼まれたことが、彼女の家政婦生活の始まりだった。
麻里江は美寿々を信頼していたし、美寿々も条件の良い新たな仕事を歓迎した。
それ以来続いている関係が、麻里江の結婚や出産を経て約四半世紀続いている。
美寿々は瑠々のことも生まれたときから世話をしているし、瑠々も美寿々のことを第二の母のように敬愛している。
子供の頃の瑠々は、よく突拍子のない行動をして美寿々に叱られたものだった。
瑠々が大きくなってからはそんなことも無くなっていたが、ここにきて久方ぶりにその機会が訪れたわけである。
美寿々は瑠々に数年分の穴を埋めるがごとく、みっちりとお説教をした。
幼少時に誘拐されかけたときの反省がないこと、普段から隙が多いこと、思いつきで行動すること、淳次や麻里江の心配を考えていないこと、など思いつく限りの言葉を瑠々に投げかける。
瑠々は思った以上に自分がダメダメであることを突き付けられ、ショックを受けている。
「瑠々ちゃんが自分を大切にしないなら、アシスタントのお仕事も中止させますからね」
「ご、ごめんなさい美寿々さん……もう危ないことはしないので……アシスタントだけは続けさせて下さいッ……」
とうとう瑠々が泣き出してしまった。
娘のように共に過ごして来た瑠々を泣かせるのは、美寿々にも心苦しいものがある。
美寿々はこんなところかと区切りをつけ、お説教を終わらせることにした。
「瑠々ちゃん、屋外で一人きりにならない、男性とは二人きりにならない。約束できる?」
美寿々がそう尋ねると、瑠々がバツの悪そうに答える。
「あの、美寿々さん……実は明日の朝、先生に迎えに来ていただけることになっていまして……」
瑠々の言葉を聞いた美寿々は苦笑し答える。
「それは麻里江さんから聴いています。お仕事のこともあるので千本柿先生と二人きりになるのは仕方ありません」
「はい」
瑠々がホッと安堵の息をつく。
麻里江からは笑午なら瑠々を任せても心配はないだろうと聞いていた。
もし間違いが起きてしまったらそのときはそのときだとも。
しかし、淳次の気持ちを考えれば美寿々としては間違いなど起きてほしくはない。
「でも瑠々ちゃん。千本柿先生も男性ですからね、あまり無防備な姿は見せてはいけませんよ」
「わ、わかりました。でも、先生は私みたいな子供なんか全然相手にしないと思いますけどね」
瑠々が頬を染めつつ、少しすねたような態度を見せる。
この子にはお説教の内容がちゃんと伝わってるのだろうかと心配になる。
こうなればもう嫁に出すつもりの気持ちでいた方が、精神的な負担は無いのかもしれない。
「千本柿先生には明日の朝、私もご挨拶しますね」
「わかりました……。あの、美寿々さん」
「なあに?」
「心配かけてごめんなさい」
そう言って瑠々が深々と頭を下げる。
瑠々が頭を上げると美寿々はその頭を優しく撫でる。
「やりたいことが出来るようになって良かったわね、瑠々ちゃん」
「美寿々さんっ」
感極まった瑠々が美寿々に抱きついた。
実は美寿々にはもうすぐ孫が生まれる。
そうなったら家政婦の仕事も徐々に減らしていくつもりでいた。
瑠々がアシスタントの仕事を始めたため、一緒に過ごせる時間も多くはない。
これからは今まで以上にこの娘との時間を大切にしようと思う美寿々なのだった。
** ruru side **
瑠々は美寿々にしこたま叱られた。
人に面と向かって叱られるのは久しぶりだったので、瑠々はとてもヘコんでしまった。
しかし美寿々の愛情も感じられて、幸せな気分にもなった。
瑠々は保護者達を安心させるため、もう少し大人になろうと心に誓った。
さて、大人という単語で瑠々の頭に一人の成人男性の顔が思い浮かぶ。
明日の朝、その男性が瑠々を迎えに来てくれる事になっている。
そのことを考えると瑠々はどうしていいか分からず「ふおおおおっ」と叫んでしまう。
瑠々は父と習い事の先生以外の異性とまともに会話したことが無い。
幼稚園の時から今のお嬢様学校にエスカレーター式で在学していたので男子との接点が殆どなかったためだ。 なので瑠々は明日、車の中で笑午とまともに会話できる自信が1ミリもなかった。
「トークデッキを考えておかないと……」
以下が瑠々の考えた話のネタである。
・メイデンハーツの半妖娘ちゃんのメイド服で一番気に入ってるデザインはどれですか?
・フェイバリット☆スターズの一色あやめちゃんの写真集持ってますよね?ファンなんですか?
・姫小路揚羽さんも先生のアシスタントに入っていますよね?どんな関係なんですか?
・メイドカフェに取材行ったりしますか?行くなら私もご一緒していいですか?
・私のメイド服姿はどうですか?
以上。
せっかくゆっくり話ができるチャンスなので、瑠々は笑午に聞きたいことを聞いてみることにした。
これだけ話題があれば仕事場までの時間は乗り切れるだろう。
◇
翌朝、自宅の前で美寿々と共に笑午を待つ。
見覚えのある車が遠くに見えたので、認識してもらえるよう大きく手を振る。
するとその車はやはり笑午のもので、瑠々たちの前でゆっくり止まった。
降りてきた笑午に元気よく挨拶すると「静かに」と制されてしまった。
確かに住宅街で早朝から大声を出せば近所迷惑になる。
朝イチでやらかした瑠々は頭と心臓がクワーと熱くなる。
結局、出鼻をくじかれた瑠々はそこから調子を上げることができなかった。
笑午と会話しようと助手席に座ったは良いが、言葉が何も出てこない。
というか、笑午と並んで座るというのが想像以上に意識してしまうものだった。
心臓がドドドと早鐘を打って頭が真っ白になり、トークデッキも吹っ飛んでしまった。
終始無言のまま車は仕事場に着き、瑠々は助手席を降りる。
帰ったら笑午の人形でも作って会話の練習でもしようと誓いつつ、笑午に追従し玄関を入る。
するとそこにはモフモフたちを従えた滝乃がいた。
滝乃に着替えるよう指示されたのですぐさま二階に上がりメイド服に着替える。
今日は掃除をするので身に纏うのはフリルのないシンプルなエプロンだ。
飾り気は無いが、働き者のメイドさんの感じがしてこれはこれで素敵だと思う。
いや、自画自賛している場合ではない、と瑠々は急いで一階に降りる。
笑午は朝食を食べるようで、トースターのスイッチを入れている。
瑠々はリビングにいる笑午の家族に挨拶し、滝乃にも改めて挨拶をする。
「本日からご指導よろしくお願いします!師匠!」
「いい挨拶だね。お仕着せも良く似合ってるじゃないか」
「ありがとうございます!」
「それじゃあ今日は洋間の掃除から始めるよ」
「はい、かしこまりました!」
滝乃が松葉杖をついてゆっくりと玄関横の洋間に入ってゆくと、大きな白い犬に茶トラと三毛の二匹の猫も彼女について行く。
そして瑠々もその後を追う。
洋間には掃除機やモップや雑巾などの掃除用具が並んでいた。
「瑠々、掃除はどこから始めるか分かるかい?」
「ええと、上から下、奥から手前でしょうか」
「そのぐらいは知ってるようだね。この部屋ならどこから掃除する?」
「そうですね。棚の上やカーテンレールに溜まったホコリを落としたいです」
瑠々の回答を聞いた滝乃がウンウンとうなずく。
「まあ間違っちゃ無いがね。だが今日は時間もないから直接掃除機で吸い取っちまいな」
「は、はいっ。わあ、この掃除機ホースがとっても長いですね」
「充電式のやつは重たくてダメなんだよ。脚立の上で足に絡ませないよう気をつけな」
「はい!」
滝乃に渡されたのはホース長が5m程ある掃除機のノズルだ。
確かにホースが邪魔でもあるが、高いところを掃除するには軽くて持ちやすい。
電灯、棚、窓枠、椅子の足裏、床などなど掃除機でホコリを吸ったら、モップやワイパーで残った汚れを綺麗にする。
モップで掃除をしていると、茶トラと三毛の二匹の猫が瑠々の足にすり寄ってくる。
瑠々の胸がきゅうんと高鳴り、モフモフしたい衝動に駆られるが必死で我慢する。
ちなみに大きな白い犬は滝乃の足元を離れず丸まったままだ。
埃を取ったら窓拭き、床磨き、家具類の拭き掃除を行う。
滝乃から「ずいぶんと手際が良いじゃないか。使用人としては及第点だね」と褒められ顔がニマニマしてしまう。
メイド服を着てモフモフに囲まれレトロな洋館のお掃除をして師匠に褒められる。
瑠々にとっては、まさに充実の極みと言えるひとときだった。
欲を言えばご主人さま(仮)のお世話をして褒められたいが、その機会は後の楽しみに取っておくことにする。
そしてそんな至福の時間にも終りが来る。
「ばあちゃん、時間だから朱鷺川さんこっち入ってもらうよ」
瑠々が猫を背中に乗せながらホンワカした顔で床の頑固な汚れを落としていると、突然洋間に男性の声が響いた。
瑠々がその人物の顔を見ようと慌てて頭を上げたとき、頭上にあったテーブルの存在を忘れて思い切り頭をぶつける。
本気で痛い。そして恥ずかしい。
「大丈夫かい、瑠々!?」
「平気ですか、朱鷺川さん」
「あはは。あの、全然大丈夫です……」
なぜ笑午の前ではこうも失敗してしまうのか。
自分の間抜けさを恨みつつ、瑠々は二人にやせ我慢の笑みを見せる。
すると笑午が台所からタオルに巻かれた小さな保冷剤を持ってきてくれた。
恐縮しつつそれを受け取り後頭部に当てる。
「朱鷺川さん、アシスタントの時間ですのでこちらの作業をお願いします。痛みが引いたらで構いませんので」
「はい、あの、すみません……」
「それにしても綺麗になりましたね。この部屋」
「この子は中々筋が良いよ。いい使用人を見つけたね、尚之」
「いや、使用人ではないけどね。朱鷺川さんが優秀なのは認めるけど」
笑午に褒められ瑠々の顔が一気に熱くなる。
嬉しいが、ここで浮かれてはまた失敗してしまう。
笑午はさっきの失敗をフォローしてくれただけだと自分に言い聞かし、瑠々は顔がニヤけるのを我慢する。
「朱鷺川さんは今日はその服で仕事するのですか?」
笑午が瑠々の姿を見ながら尋ねてきた。
瑠々としてはメイド服を着れるだけでも贅沢だとは思うが、汚れない仕事のときはやはりフリル付きのエプロンドレスを身に着けたい。
「あの、これはお掃除用でしてその、エプロンだけ交換したいと思っているのですが……」
「なるほど。わかりました、では着替えたら仕事部屋に来て下さい」
「かしこまりました!」
今日の笑午にはメイド服に対する引っかかりのようなものは感じなかった。
仕事の頑張りが認められた気分がして嬉しさが湧いてくる。
滝乃にお礼をし、モフモフたちにも別れを告げ、二階でエプロンをフリル付きのものに交換する。
やはり可愛いメイド服を着ると気分が高揚する、と瑠々は感じる。。
笑午の部屋に入ると、すぐに作画作業に入ることになった。
進行は非常に順調であるらしく、すでに人物のペン入れは済んでいて後は背景と仕上げ作業のみだ。
現在進行系で揚羽と詠海も作業中だそうで、チーム千本柿フル稼働で原稿の完成を目指す。
瑠々も気合を入れて作画作業に集中する。
笑午は今日は余裕があるためか、作業の合間に瑠々の仕事の様子を見に来てアドバイスなどをくれた。
その際、瑠々はお腹の音がグウウゥと鳴るのを聞かれてしまった。
昨日の反省から朝食は取ったが、食べたのが早朝だったので昼まで持たなかったようだ。
気まずさを打ち消すため笑午がフォローを入れてくる。
「ええと気が回らずすみません。次回からは軽くつまめるものを用意しておきます」
「いえあのお腹は鳴りましたが別に全然お腹は減ってないといいますか、あの先生に用意させてしまうぐらいなら自分でお菓子でも焼いて持ってきますのでその」
手をわちゃわちゃさせる瑠々の言葉に笑午が反応する。
「朱鷺川さんはお菓子を作れるのですか?」
「あ、あの上手くはありませんが少しは」
笑午は「そうですか」と言った後しばし考え込み、意を決したように瑠々に告げる。
「実は姫小路揚羽先生から来週末にここで茶会的なことをやって欲しいと言われまして。急で申し訳ないのですが、その準備を朱鷺川さんにお願いすることはできますか?」
茶会の準備!!と、瑠々は心の中で叫んだ。
主のためにお茶会の準備をするというのは瑠々のメイドになったらやりたいことリストの中でも上位に来る項目である。
笑午の言葉を聞くなり、瑠々は間髪入れずに返答する。
「やります!やらせて下さい!!」
「良かった。では少し早いですがお昼休憩にしましょう」
瑠々の勢いに少々面食らった様子の笑午だったが、肯定の返事だったのですぐに笑顔になった。
その表情を見た瑠々は、再び顔が熱くなってしまった。
その日の昼食はカニクリームコロッケで、空腹の瑠々にはやはり涙が出るほど美味しく感じるのだった。
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