第11話 漫画家、アシを車で迎えに行く

 ** naoyuki side **


 尚之は玄関にてアシスタント一日目の仕事を終えた瑠々を見送る。

 瑠々は丁寧な感謝の言葉を述べた後、深々とお辞儀をして帰っていった。


 尚之は瑠々に明日、朝6時半に車で迎えに行くと言ってしまった。

 作画が予想以上に早く進行したため気分が高揚していた。

 勢いで安易な約束をしてしまったとすこし反省する。 


 瑠々の母親に事の成り行きをメッセージで送る。

 送り先からは『先生の送迎なら安心です。娘をよろしくお願いします』と返信が来た。

 自分で送っておいて何だが、いいのかそれでと思ってしまう。

 まあ、本人と保護者が良いと言うなら問題ないことにする。


 自室に戻り、クラウドを開いて作業の進行状況を確認する。

 休憩中に更に原稿が2枚完成している。

 揚羽と詠海に頼んでいた分だ。

 二人もモニタの向こうで頑張ってくれていたらしい。


 このペースなら余裕で締切に間に合う計算である。

 尚之はアシスタントたちの優秀さに再びテンションが上ってきた。

 二人に感謝のメッセージを送っておく。


 それにしても三人とも技量が高い、と尚之は感じる。

 つい先日まで週間連載をしていた揚羽は別格だが、瑠々と詠海も群を抜く上手さがある。

 連載が決まり辞めてしまった元アシスタントの青年と比較しても技能に遜色がない。

 瑠々のほうが詠海より少し上手に思えるが、年齢を考えれば詠海の成長もまだまだこれからだ。


 尚之は瑠々と詠海は今後漫画を描くつもりはあるのだろうかと考える。

 小西は瑠々を漫画家にさせたいようだが正直瑠々は何を考えているのかわからない。

 メイドになりたいとは聞いたが、尚之にとって進路としてのメイドはピンとこない。


 詠海の方もよくわからない。

 詠海がアシスタント以外に創作活動をしているのは彼女の絵を見れば分かる。

 以前気になって漫画を描いているのか聞いたことがある。

 その時は「べつに」と言われて話を打ち切られた。

 尚之としては詠海がクリエイターの道に進むなら色々と支援してあげたいと考えているが、詠海からの希望がない以上は手の出しようがない。

 

 ともあれ、アシスタントのみんなが頑張ってくれているなら自分も頑張らないといけない。

 尚之は気合を入れ直して机に向かった。



** yomi side **


 自室の机で作業をする詠海の耳に、複数の人間が階段を降りる音が聞こえた。

 家に通いになったアシスタントの女が帰るようだ。

 詠海はクラウドにアップロードされている原稿を確認した。


 新人アシは午前中はベタトーン作業を担当したようだが午後は背景もやったようだ。

 その原稿を見て、詠海は唇を噛む。

 新人アシの担当した原稿の背景は、明らかに詠海よりも上手い。


 メイド服の女がアシスタントをやると聞いたとき、詠海はその女が尚之の邪魔をしないか心配した。

 リモートで仕事ができるのにわざわざ通いにするなど、異性として尚之に近づこうとしているとしか考えられない。


 週刊少年誌で人気漫画を連載する兄の尚之は、創作界隈で活動する女から見れば憧れの存在だ。

 年収も多分普通のサラリーマンとは比較にならないほど稼いでいるし、ヒエラルキーの上位にいる男に惹かれるのは女の性だ。

 それに兄の漫画を読めば純粋にその作者に惚れる人間がいたって何の不思議もない。


 なので詠海はその女が尚之の邪魔をして原稿の進みが遅れるようなら、自分が圧力をかけて追い出そうと考えていた。

 しかし、蓋を開けてみれば進行は遅れるどころかいつもより数段早く進んだ。


 あの新人アシは有能だったのだ。


「揚羽さんと比べたらお子様レベルだし」


 新人アシの背景は揚羽の描くものと比べれば雲泥の差があるが、だからといって自分が新人アシより上手くない事実は変わらない。

 完全にブーメランな自分の言葉に詠海は再び唇を噛む。


 詠海は昔から絵を書くことが好きだった。

 詠海と一緒に絵を描いてくれる優しい尚之のことも大好きだった。


 しかし尚之が漫画にのめり込むようになると詠海はあまり構ってもらえなくなった。

 その頃から詠海は寂しさを拗らせて兄に対し素っ気ない態度を取るようになった。

 兄に漫画の手伝いを頼まれたときは飛び上がるほど嬉しかったが、結局そっけない態度は直せなかった。


 詠海にとって兄の漫画に関われるのは誇りだ。

 ベタやトーンだけとはいえ、毎週少年ヨッシャーに自分の関わった絵が載るのは興奮したし、書店でコミックスを手に取ったときはつい涙を溢してしまった。

 友達がいなかったので自慢はできなかったが。


 背景も任されるぐらいに絵が上達した頃、当然な流れとして自分も漫画を描いてみたいと考えた。

 しかし、詠海には尚之のように魅力的なキャラも引き込まれるストーリーも思い浮かばなかった。

 ただ、不思議なことに尚之の作品のキャラで漫画を書くとスラスラと話を作ることができた。

 その作品は自分でも面白いと思ったが、尚之の作品のキャラや設定を流用してることに罪悪感を感じて尚之には見せられなかった。


 しかし詠海は自分が描いたもので自分が面白いと思っているものを誰かに見せずにはいられなかった。

 結局詠海はSNSで自分の作品を公開した。

 そして、その作品は反響を呼び数千のいいねがつくことになった。


 それから詠海の二次創作作家としての生活が始まった。

 今では尚之の作品だけでなく好きなアニメやゲームのキャラのイラストや漫画もSNSに投稿している。

 詠海のハンドルネームである「ヤミマチマロン」もSNSでは徐々に浸透しつつある。


 新人アシスタントに対するモヤモヤした思いを振り払うため詠海は自身のアカウントを覗く。


「あ、また『メイドさん大好き』さんがリプ一番乗りだ」


 『メイドさん大好き』というアカウントは詠海が作品を投稿すると必ず反応してくれる詠海のファンともいえる存在だ。

 特に尚之の作品であるメイデンハーツの二次創作には毎回長文のコメントを付けてくる。

 若干引くほどの反応だが、詠海もそのアカウントの反応を毎回楽しみにしている部分もある。


 フォロワーからの反応が良いと新作を上げたくなるが、週末は尚之の原稿が優先だ。

 自分の創作意欲をぐっと抑えて尚之の原稿の作画を再開する。

 ぽっと出の新人アシには絶対負けないというライバル心を燃やしながら。



** naoyuki side **


 揚羽からメッセージがあった。


『随分と仕事が捗ってるみたいね。女子高生と一緒で張り切っちゃったのかしら?』


 しょうもない煽りメッセージである。

 まあ、揚羽の煽りは挨拶のようなものだ。

 これは作業の健闘を称えつつ原稿が間に合いそうで良かったねと言っている、と尚之は解釈する。


『いえ、全ては姫小路先輩のご支援の賜物です。原稿が無事上がりましたら相応のお礼をさせて頂きますので引き続きご協力をお願いします』


 こんなもんだろう、と尚之はメッセージを返す。

 するとすぐに揚羽から返信があった。


『お礼ねえ。それじゃあ来週末、あなたの家に招待でもしてもらおうかしら』


 何言ってんだコイツ。と尚之は考えてしまう。

 いや、流石に冗談だろうと思いつつ探りのメッセージを入れる。


『現在自宅は少し荒廃しておりまして、従って誠に遺憾ながら姫小路先輩をご招待できる状態に無く、お礼は別の形で提供させていただければと思うのですが』


『今週乗り切れば来週は合併号で休みが取れるじゃない。私をもてなせる環境に整えておきなさいな。それとも私の協力はアンタにとって家に招待することが面倒に感じる程度のつまらないものだったかしら』


 こいつガチで来るつもりだ。と尚之は焦る。

 確かに明日を乗り切れば合併号の都合で再来週まで締切はない。

 しかし尚之は来週の余暇を利用し、手を付けられなかったカラー原稿や単行本関連の仕事をまとめて済ませようと考えていた。

 揚羽をもてなす準備をする余裕などない。

 というか、家族への説明が面倒すぎるので家には呼びたくない。


 しかしだ、揚羽の協力が尚之にとって計り知れないほどに有り難いものだったのは間違いない。

 その揚羽に家に行きたいと言われたら駄目だとは言い難い。

 その時、尚之の頭に救世主となりうる一人の人物が思い浮かぶ。


 その人物は本日からアシスタントとして尚之の家に通うことになったメイド少女こと、朱鷺川瑠々である。

 片付けやもてなしの準備を彼女に任せることはできないだろうか、と尚之は思い至る。

 かの少女に積極的に家事を頼むのは気が引けるところがあるが、背に腹は代えられない。


『わかりました。来週末、姫小路先輩を自宅にご招待します。充分なおもてなしができるかわかりませんが、心を込めてお迎えの準備をしておきます』


『殊勝な態度ね。アシスタントへの慰労会だから妹さんと新人さんにも同席してもらうから伝えておいてね。では残りの原稿も皆で力を合わせて頑張りましょう』


 妹と新人も同席という文をみて尚之は「はぁ?」と口に出す。

 何を企んでるんだコイツは、と思索しつつ尚之は眉を顰める。

 が、どうせ遊び半分だろうな、という結論に至り尚之は深いため息をついた。


 ◇


 ――翌朝。


 尚之は約束通り瑠々を送迎すべく、彼女の自宅に向った。

 睡眠はしっかり三時間取ったので眠気はない。

 が、車の運転が久々すぎて少々緊張してしまう。

 ちなみに車は秋穂所有のコンパクトカーである。

 尚之は駐車場の都合で自分の車を持っていないのだった。


 走行が予想以上にスムーズで瑠々の家には約束の5分前に着いた。

 瑠々の家は鉄筋づくりのモダンな外観の家で、そしてその家の前に人影があった。

 瑠々ともう一人、麻里江ではなく尚之の知らない女性だ。


 瑠々が尚之の車に気がつき、遠い距離から車に向かって大きく手を振ってきた。

 恥ずいからやめーやと思いつつ、左前方にいる彼女にゆっくり近づき、その前で停車する。

 車から降りて瑠々の前に行くと、カチコチに固まった彼女が真っ赤な顔で挨拶をしてきた。


「先生、おはようございます!ほ、本日は恐縮ながらわ、わたくしのために先生にわざわざお車を出していただきまして、あの、本当に感謝の気持ちでいっぱいでして」

「しー、静かに。まだ早朝だから。おはようございます朱鷺川さん。約束通り送迎に来ました。えーと……」


 そう言って尚之が瑠々の隣を見ると、そこにいる女性が挨拶をしてきた。


「はじめまして、私は朱鷺川家にお仕えしている家政婦の望月と申します。瑠々さんの日常のサポートを任せていただく身として、先生にご挨拶したく思い瑠々さんと共にお待ちしておりました」

「そうでしたか。はじめまして、千本柿笑午です。瑠々さんには初日から随分と助けてもらい感謝しています。瑠々さんの業務についてご意見や要望があれば善処しますので遠慮なくおっしゃって下さい」

「承知しました。気になることがあればお伝えすることにします」


 尚之は望月と連絡先を交換し、朱鷺川家を発つことにした。

 尚之が運転席に座ると、瑠々が助手席のドアを開けてシートに座る。

 尚之は後ろじゃないのかと一瞬戸惑ったが、まあ不自然ではないかと考え、何も言わずシートベルトを着用する。


 朱鷺川家の車庫でUターンし、望月に会釈をして自宅へと向かう。

 運転に集中したいので話しかけてくれるなよ、と考えたが瑠々は終始無言だったので難なく自宅に到着した。

 送迎で30分程ロスしたが、瑠々の働きで数時間は原稿の完成が早まるので時間的な問題は無い。


 縮こまって固まっている瑠々に声をかけ、彼女を連れて駐車場から玄関への通路を歩く。

 それにしても瑠々はよくこれだけ緊張できるもんだというぐらい緊張している。

 仕事に影響がでないといいが、と思いながら玄関を入るとそこには滝乃が椅子に座って待っていた。

 

「来たね瑠々。それじゃあさっさとお仕着せに着替えてきな」

「は、はい!!師匠!!」


 尚之は二人に挨拶ぐらいせーや、と心でツッコみつつ楽しげな滝乃を見るのは嬉しくもあるので何も言わないでおく。

 滝乃は足を悪くしてから常に不機嫌で憂鬱そうだった。

 家事の行き届かない部分が目につくが自分ではできないし指示できる人間もいないのでフラストレーションが溜まっていたのだ。


 文香は限界だったし、秋穂は不器用だし、男らは仕事で手がいっぱいだ。

 そして滝乃は孫には甘かった。

 名門鞍星の分家である千垣の人間として所作やマナーは口を出すが、家の家事をしないことには何も言わなかった。


 そこに自分を師匠扱いしてくる瑠々が現れたので、一気に気分が燃え上がってしまったようだ。

 瑠々も妙なやる気を見せているとはいえ、人様から預かった娘さんにあまり無茶な仕事をさせるわけには行かない。

 自分が監視はできないので家族の皆に無茶をさせないよう注視してもらったほうが良いだろう。


 一階で早めの朝食を取ろうとトースターに食パンを差し込んでいると、メイド服への着替えを終えた瑠々が二階から降りてきた。

 今日はヒラヒラのエプロンドレスではなく、フリルのないシンプルなエプロンを身に纏っている。

 エプロンだけで随分と印象が変わるものだ、などと考えながら尚之はトースターのスイッチを押すのだった。

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