第10話 メイド少女、アシスタントに挑む

** ruru side **


 滝乃の話は瑠々にとって、とても感動するものだった。

 主と結ばれた後も生涯をかけて主に尽すというのは、まさに瑠々の理想とするメイドの姿だ。

 現実にそんな人がいるなら自分もそうなれるのではないかと、希望が湧いてくる。


 そんな滝乃の後押しでメイド服の着用が認められた。

 笑午は思うところがある様子だったが、滝乃の顔を立てたのか反対はしなかった。

 笑午が乗り気でないなら着用すべきでないかもしれないが、メイド服の誘惑に瑠々は抗えなかった。

 せめて笑午にメイド服での仕事を心から納得してもらうために、彼のため全力を尽くそうと瑠々は決意を新たにした。


 メイド服に着替えるにあたり、瑠々には着替え用の部屋が与えられた。

 笑午の兄の尚哉が使っていた部屋だそうで、更衣室としては上等すぎる。

 が、部屋は使用していなかったためか埃が溜まっている。

 機を見て掃除しようと瑠々は野望を抱く。


 さて、時間もないので素早く着替えねばならない。

 着ていた私服を脱いで綺麗にたたみ、カバンからメイド服をとりだす。

 そして黒いワンピースに袖を通し、ファスナーやボタンを留めていく。

 さらにエプロンドレスを纏って背中のエプロン紐を結ぶ。

 最後に髪をまとめてシニヨンキャップを被れば完成である。


 姿見で自身のメイド服姿を確認する。

 あまりの可憐さに口元がムズムズとにやけてしまう。

 他の服では感じることができない高揚感を感じてしまう。


 いやいや、自分のメイド服姿を自画自賛している場合ではない。

 主を待たせているのだから急がねばならない。

 そう思って瑠々は部屋を出て笑午の部屋に向かう。


 深呼吸をしてドアをノックすると中から「どうぞ」という声が聞こえた。

 可能な限り所作が美しく見えるように、つむじからつま先まで気を使って部屋に入る。

 自分は超一流のメイドさんという暗示をかけ、笑午の前で微動だにせぬよう直立する。

 瑠々は幼少からバレエをやっていたので同じポーズで静止するのは得意なのである。


 しかし瑠々は笑午に見られるとどうしてもその鋭い視線に緊張し、うまい立振舞ができなくなってしまう。

 笑午の仕事開始の挨拶にも、ワタワタした返事を返してしまった。


 さて、早速仕事が始まるのかとおもったら、ペン先が無いとのことで笑午は部屋を出ていった。

 瑠々は笑午の部屋に一人残されてしまった。

 じっと待とうと思った瑠々だったが、瑠々は部屋の奥に見えるあるものに強烈な関心を持ってしまう。


 じわじわと横歩きをしながら瑠々は机の方に寄って行った。

 机の横に張られた洗濯バサミ付きの紐。

 そこに吊るされた2枚で一つの絵になるアナログ原稿。


 それはネネットちゃんのキスシーン原稿であった。

 昨日はキャラにしかペンが入っていなかったが、今日はすでに背景付きの完成原稿に仕上がっている。

 美しい。あまりにも美しい。美しすぎてまた鼻の奥がツーンとしてきた。

 物欲のあまり無い瑠々だがこの原稿が手に入るなら何でもしてしまうだろうと考えてしまう。


 バタンと音がなったので慌ててサササササと横歩きで元の位置に戻る。

 が、笑午はまだ戻ってこない。

 また原稿を見に行くのは危険なので、散乱する本を眺めてみることにする。


 漫画、小説、アート本、辞書、動物図鑑、その他諸々。

 散らかる本を見ると片付けたい欲求が湧いてきてしまう。

 と、そのとき瑠々は雑多な本の中に大変なものを見つけてしまった。


 それは国民的アイドル「フェイバリット☆スターズ」のクールキャラ担当、一色あやめの1st写真集である。

 大手通販サイトのサバンナで週間書籍ランキング一位にも輝いたベストセラー本で何を隠そう瑠々もこっそり持っていたりする。

 あやめは凛々しく中性的と言われているが色白でスタイルも良く、顔も超のつく美形なので男女問わず人気が高い。

 高校生になり解禁になった水着写真には男子でなくてもファーーーと叫んでしまう艶めかしさがあった。


 瑠々の中に自分にも説明できない不可解な感情が溢れ鼓動が早くなる。

 なぜ親友(希望的観測)の写真集が主(希望的観測)の部屋にあるのか。


「先生はあやめちゃんのファンなんでしょうか……」


 瑠々が悶々とした空気に包まれていると廊下からバタンという音が聞こえた。

 それを聞いた瑠々が慌てて直立し接客のポーズを作る。

 間もなくして笑午が部屋に入ってきた。

 お待たせしましたと言われたのでお帰りなさいませと返す。

 

 瑠々は妙な感情を振り払い、気合を入れて初めてのアシスタントの仕事に取り掛かった。

 仕事はパソコンを使った作業だ。

 瑠々はノートパソコンは持っていたが絵を描く時は全てアナログでペンタブは使ったことがなかった。


 座布団に座る瑠々の横に笑午が座り、瑠々に丁寧に描画ソフトの使い方を説明していく。

 近距離からの笑午の低い声に妙にそわそわとしてしまうが、集中集中と言い聞かせしっかり使い方を覚える。

 描画ソフトの操作を覚えるのは大変だったが、レイヤーやアンドゥなどアナログにはない便利機能に瑠々は興奮した。


 任された仕事はベタ・トーン・ホワイトで、原稿に書かれた指示通りに塗ったり貼ったりするだけなのでそこまで難しくはなかった。

 というか、笑午の美しい線画が自分の作業でさらに魅力的に変化していく様子に興奮が止まらなかった。

 夢中で作業していると、気がつけば与えられた仕事が無くなってしまっていた。


 どうしようと笑午の方を向くと、笑午がものすごい怒りの形相で原稿を描いていた。

 瑠々が笑午の見たことのない表情に驚き様子を窺っていると、今度は笑午の顔が泣きそうな表情に変化した。

 観察を続けると冷たい微笑を浮かべたり、驚いた顔になったり次々と表情が変化していく。


 どうやら笑午は漫画を描いていると描画中のキャラの表情と同じ顔をしてしまうようだ。

 普段は無表情な笑午の顔が、百面相のように変化する様子は瑠々にとって新鮮だった。 

 年上で先生の笑午には失礼だが、ちょっとだけかわいいと感じてしまい瑠々はその顔をしばらく眺めていた。


 笑午の顔を眺めつつ作業した原稿を再チェックしていると、瑠々のお腹が鳴った。

 瑠々は慌てて笑午の顔を見たが、腹の音に気づかれてはいないようだ。

 そういえば朝ごはんを食べていなかった、と瑠々は思い至る。

 朝一時間歩いたのも地味に効いている。


 瑠々のお腹がもう一度鳴る。

 このままでは絶対に気づかれる、と思ったところで幼女の声が響いた。


「ゆきくん、るるちゃんごはんだよぉーー」


 笑午の姪の鈴々の声だ。

 時計を見ると午後0時5分。

 お昼の時間になったようだ。


 しかし瑠々は焦った。

 瑠々はお昼を用意していなかった。

 朝はハイになっていたため昼のことなどすっかり頭になかった。

 仕方がないので着替えて外に買いに行こうと瑠々は観念する。


 笑午は鈴々の声に気がついていないようだ。

 瑠々も「先生」と声をかけるが没頭していて気が付かない。

 瑠々は仕事する笑午に近づく。

 笑午は主人公のペン入れをしているところだった。

 瑠々が顔を近づけても笑午は熱血顔をしながら原稿を描いている。

 超近距離で笑午の仕事を見れることに興奮しつつも、やるべきことをする。


「先生」


 瑠々が耳元で大きめの声を出すと笑午がビクッとなった。

 失礼だがちょとかわいいと感じてしまう。


 笑午に鈴々が呼んでいることを伝えると、恐縮なことに昼食をごちそうになる話になってしまった。

 断ろうとしたら、急に仕事を褒められた。

 思わぬ不意打ちに焦って言葉を並べると、今度は笑いながら褒めてくれた。

 自分に笑いかける笑午というさらなる不意打ちに、とうとう瑠々は言葉が出せなくなって口をアワアワさせてしまう。


 笑午が席を立ったので瑠々は慌ててその後を追う。

 扉の外にはお団子頭の愛らしい幼女がいた。

 笑午の姪の鈴々である。


 鈴々は出会ったときから瑠々への好感度がマックスでとてもかわいい。

 鈴々は瑠々をきせかえ人形のルルちゃんだと思っているようだがそれもまたかわいいので良しである。

 まあ、ルルちゃん似については瑠々の幼少時からさんざんネタにされているが瑠々もルルちゃんは好きなので問題ない。


 笑午に鈴々ちゃんの相手を頼まれたので喜んで引き受ける。

 お昼も鈴々ちゃんと一緒に食べることになった。

 リビングに入り千垣家の人々と挨拶を交わす。

 メイド服だったので緊張したが皆普通に接してくれたのでありがたいと思う。


 笑午の妹の光理の「ヤバ」という言葉で幼少期にメイド好きを否定された記憶がフラッシュバックしかけたが、すぐにポジティブな意味だと理解し気持ちを持ち直す。

 光理は多分悪意なく思ったことを言ってしまう子なんだろうと認識する。

 危なっかしいけど瑠々としてはちょっとうらやましい性格だとも思う。


 鈴々に手を引かれてテーブルに案内される。

 テーブルには味噌焼きうどんが並んでいて美味しそうな匂いを漂わせている。

 お腹がなるのを必死で抑え込み、鈴々とともに座布団に座る。

 笑午も一緒に食べるのかと思ったが別テーブルに行ってしまったため少し寂しく感じる。


 味噌焼きうどんは空腹だったこともあり涙が出るくらい美味しかった。

 というか、複雑な味付けがされていて明らかに料理としてのクオリティが高い。

 レシピが非常に気になってしまう。


 料理を食べ終えて鈴々と遊んでいると文香と尚哉がテーブルにやってきて鈴々の相手のお礼を言われる。

 瑠々も料理の礼をして、とても美味しかったと伝える。

 レシピを教えて欲しいと言うと料理はするのかという話になり、料理の話でとても盛り上がった。


 今度一緒にご飯作ろうという約束を交わしたところで作業再開の時間になった。

 笑午はいつの間にかいなくなっていたので、すでに二階にいるのだろう。

 去り際に鈴々に泣かれてしまったが心を鬼にして二階に上がった。


 笑午は予想通り部屋に戻っていた。


「先生、お待たせしました」

「いえ、時間通りですから。午前中に用意していた仕事が終わってしまったので、午後は背景にもチャレンジしてみますか?」

「はい!やってみます!」


 瑠々は建物を描くのも好きだ。

 メイデンハーツの主人公の拠点である妖明亭に至っては漫画に登場した全てのコマを研究して全容を解き明かし、どこからの視点でも描ける技術を手に入れている。

 まあ、今回の原稿には妖明亭は出てこないが。


 意気込んで背景を引き受けた瑠々だったが、中々苦戦することになった。

 描くには描けるが、キャラには魂があるのに背景が死んでいるように感じてしまう。

 どうしてもうまく行かないので笑午に相談する。


「えーと、まず、背景はこれで問題ありません。改善の余地はありますがこのまま雑誌に乗せても問題ないでしょう」

「でもなんだか背景が浮いていると言いますか、キャラと合っていない気がします……」

「おそらく線の太さに変化が無いのと歪みの無い線しか無いからですかね。キャラの線を基準に遠近を意識して太さを変えてみて下さい。それと所々にフリーハンドの線を入れると味が出るかもしれません」

「なるほど!やってみます!」

「ふ。こだわってもらえるのは嬉しいですが、速度も意識してくださいね」

「は、はいっ」


 笑午の指導を受けた瑠々が嬉々として背景作業に入る。

 確かにこだわりだすと無限に時間が溶けていく感じがある。

 違和感のない程度を意識して作業を進めていく。


 携帯のアラームがなり、はっと我に返る。時刻は夕方の4時だ。

 背景作業に没頭していたらいつの間にか退勤の時間になっていた。

 まだ続きをやりたい。笑午から続ける許可がもらえないだろうか。

 そう思って瑠々は笑午にもっと仕事をしたいとお願いしてみた。


「ダメです。ご両親と学校に休日の仕事は午後4時までと約束していますので。あなたはまだ学生で漫画以外にもやるべきことがあるはずです。仕事を続けたいならルールは遵守してください」


 笑午にキツめに諭され瑠々は泣きそうになる。

 そんな瑠々を見て笑午がフォローを入れる。


「朱鷺川さんには今日、十分すぎるほど成果を出してもらいました。おかげで原稿を落とさずに済みそうです。優秀なあなたに今後も長く働いてもらいたいと思っていますので、ご両親や学校との約束はしっかり守っていきましょう」

「あ、は、はい」


 瑠々は涙声になってしまった。

 自分が尊敬する人に認められるというのはなんと心が満たされるのかと。

 昔の人たちが主に忠誠を誓う気持ちが今の瑠々にははっきりとわかった。


 送迎を4時半に依頼し、メイド服から私服に着替えて一階に降りる。

 笑午も休憩すると言って一緒に降りてきた。


 笑午の家族に挨拶するためリビングに顔を出す。

 すると入り口近くのダイニングテーブルに座っていた滝乃に声を掛けられる。


「もう帰るのかい」

「はい、ご指導いただけなくてすみません、師匠」

「ふん、仕方ないさね。瑠々、あんた明日は何時に来るつもりだい」

「あの、8時40分を予定しています」

「遅いね。もっと早くこれないのかい」

「徒歩は禁止となりましたので……」

「ばあちゃん、あんま無理いわないでよ」

「尚之、あんた車運転できるだろ。この子のこと迎えいったらどうだい」

「迎えに行っても仕事できる時間は決まってるんだよ」

「仕事じゃなくて女中のいろはを指導するんだよ。習い事と同じさね」

「朱鷺川さんには勉強の時間も必要だし、俺も送迎の時間をとるのは難しいよ」

「使用人になりたいこの娘には学校の勉強より家事の勉強のほうがよほど将来のためになるよ。それにこの子のおかげで原稿が間に合いそうだって言ってたじゃないか。主なら優秀な使用人のために数十分時間を使うぐらいの甲斐性ぐらい見せたらどうなんだい?」

「むむ。いや、主ではないけど。朱鷺川さんは、どうしたいですか?」

「あの、先生に車を出していただくなんて恐れ多くてお願いできません」

「いや、早く来たいか来たくないかで言うと?」

「あの、それは……来たい……ですが……」

「わかりました。しかし車を出すとなると混雑の一切ない早朝しか時間は取れません。それでもいいですか」

「あのでも……」

「止めますか?私はどちらでも良いですが」

「あ、あの、ではよ、よろしくお願いします」

「わかりました。明日6時半に行きますので覚悟してください」

「は、はいっ!」


 こうして土日は笑午が朝、瑠々を車で迎えに来ることになった。

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