第9話 漫画家、アシの仕事に満足する
** naoyuki side **
いつの間にか新人アシスタントがメイド服を着て仕事をすることになっていた。
正直、尚之の価値観においてメイド服はアシスタントの服装として適当ではない。
なぜならメイド服の少女が仕事場にいたら気が散りそうだからである。
だがメイド服を着ることで瑠々のやる気が向上するなら、禁止する必要もない。
尚之にとって、優先すべきは時間あたりの作画量である。
少しでも原稿が早く上がるなら、多少気が散るぐらい目をつぶるべきだろう。
さて、瑠々が着替えるなら彼女用の更衣室を用意しなければならない。
千垣家には空き部屋がいくつかあるが、尚之の部屋の隣がちょうど空いているのでそこを使ってもらうことにした。
そこは元々兄の尚哉の部屋で、広さは尚之の部屋と同じ12畳ほど。
ベッド、ソファ、机、そしてクローゼット等ひと通りの家具が揃っている。
「この部屋を朱鷺川さんの待機室にします。休憩や着替はこの部屋で行って下さい」
「か、かしこまりましたっ」
尚之は瑠々の返事にご主人さまが付いていないことに安堵する。
瑠々は先程滝乃と妙な共鳴をした影響で、心が完全にメイド化していた。
服装でモチベを上げるまでは許容するが、人を妙なロールプレイに巻き込むのは止めて欲しい。
「着替えが終わったら仕事部屋に来て下さい」
「はいっ、かしこまりましたっ」
瑠々が着替えをしている間に、彼女の作業環境をチェックしておく。
尚之の原稿は基本デジタル作業になるため、瑠々の仕事道具として昔使っていたPCと板型のペンタブを倉庫部屋から引っ張り出してきた。
しかし、よく見るとペンの芯が減っている。
自分の部屋に替えの芯が無いか探してみるが見つからない。
このペンタブは最近まで詠海が使っていたので詠海なら替芯を持っているかもしれない。
ちなみに詠海は今、尚之が誕生日にプレゼントした液晶タブレットを使っている。
働いてもらう下心が見え見えのプレゼントだが、喜んでもらえたので問題ない。
熟睡中であろう詠海の部屋に芯を取りに行くか悩んでいるとノックの音がなった。
尚之が「どうぞ」と言うと瑠々が入ってきた。
彼女が着ているのは昨日と同様の長袖ロングスカートのクラシカルなメイド服だ。
先程まで下ろしていた黒髪は、フリルつきのシニヨンキャップに収まっている。
似合っているかと問われれば、怖いくらいにと答えるしか無い。
背筋を伸ばし手のひらを体の前で組み直立する姿はまるで絵画のような美しさだ。
昨日は緊張しワタワタしている印象しかなかったが、静止している様を見るとやはりその美しさは普通でないと感じる。
尚之は綺麗なものは女性でも動物でも風景でも絵に描きたくなってしまう。
しかし今の尚之にそんなことをしている暇はない。
「それでは作業に入ります。よろしくお願いします」
「あ、あの、よろしくお願いします」
尚之の言葉に瑠々が慌ただしく頭を下げる。
先程までの幻想的な美しさが消え去り、いつものワタワタ感が生じる。
「早速作画に入りたい所ですが、備品に不備がありまして。上の妹の所に行きますので少し待っていて下さい」
「妹さんですか?」
「ええ、上の妹にも作画の手伝いを頼んでいるのですが、彼女が備品の替えを持っていると思いますので」
「か、かしこまりました。行ってらっしゃいませ」
瑠々を待たせ、妹の詠海の部屋に向かう。
詠海の部屋の前につくと、扉をノックして少し大きめの音量で声をかける。
「詠海、少しいいか?」
中からの返事はない。
もう一度同様に声をかけると中から「んーー」と返事があった。
そして扉が少し開き、その隙間から詠海が不機嫌そうに「なに」と問うてきた。
寝起きなので髪は下ろしメガネも掛けておらず、普段の2割増で目つきが悪い。
「寝てるとこ悪い。今アシさんに板タブ使ってもらおうとしたんだがペン先が無くなってたんだ。詠海の部屋に替え芯あるか?」
「……。家にアシきてんの?」
「ああ。詠海も昨日会ったろ」
「あー。あのメイド服の?」
「ああ」
「ヤバい人なの?」
「いや、割と普通だ」
「ふーん」
「挨拶しとくか?」
「え、昨日したし。いい」
「そうか」
「うん。待ってて」
詠海がそう言うとドアがバタンと閉まりしばらくすると再び少しだけ開く。
「ん」
そういって詠海がドアの隙間からペン先の入った小袋を渡してきた。
「寝てたとこ悪かったな。あと原稿ありがとう。助かった。続きも頼む」
「ん」
そして再びバタンと扉が閉まった。
詠海は極度の人見知りである。
家族ともほとんど会話をしないし学校以外の時間は部屋にこもりきりだ。
そんな詠海と家族で一番会話をするのが尚之である。
ほぼ9割9分が仕事の話ではあるが。
自室に戻ると瑠々が接客のポーズで直立していた。
鈴々の言うように、本当に巨大な着せ替え人形のようだ。
「朱鷺川さん、お待たせしました」
「いえ、お帰りなさいませ、先生」
そう言って瑠々が頭を下げる。
やはりメイド服の少女が自室にいるのは違和感しかない。
それはさておき、ペン先を交換して実際の作業に入ることにする。
机がひとつしか無いので瑠々の作業机は部屋の中央の低いテーブルだ。
「座布団での作業になりますが、疲れやすい等の問題があれば対応しますので必ず言って下さい」
「かしこまりました」
それから瑠々の隣に座り作業の方法を説明して行く。
瑠々はデジタルでの作業には慣れていなかった。
だが理解力が早く、教えたことはすぐにできるようになる。
デジタルの長所を説明するといちいち「ふおおお」「すごい……」などの感動の声をあげる。
1時間ほど説明すると、必要最低限の仕事は任せられる状態になった。
隣で作業を確認していたが、かなりのハイスピードで仕事をこなしていく。
原稿が完成していく様子を見るのは気持ちがいい。
ずっと見ていたかったが、自分が仕事をせねばアシスタントの仕事がなくなる。
瑠々には分からないことがあれば必ず質問するよう伝え、尚之は机に戻った。
初めはメイド服に気が散るかと思っていたが、仕事ができるのを見ると現金なもので全く気にならない。
尚之は普段通り仕事に没頭することができた。
◇
「先生」
突然耳元で囁かれ驚きで体がビクッとなる。
「何でしょうか?」
「鈴々ちゃんが呼んでいます。お昼ごはんだそうです」
「そうですか。えーと、朱鷺川さんはお昼は用意していますか?」
「あの、持ってきていないので外に買いに行こうかと……」
「や、時間がもったいないのでうちで用意しましょう」
「いえ、それは……」
瑠々の遠慮を
その日瑠々に任せるつもりでいた、ベタ等の仕上げ作業がほぼ終わっている。
仕上がりも完璧と言っていい。想像以上のスピードだ。
「朱鷺川さん、素晴らしい作業速度です。大変ありがたい」
「いえあの、せ、先生の線画が綺麗なのと、し、指示が的確なので私はなぞってるだけといいますか、すごくやりやすいので私の力ではないといいますか」
尚之が弾んだ声で褒めると、瑠々が紅潮し手をワチャワチャさせながら謙遜する。
そんな瑠々の様子が可笑しくて尚之がフッと笑い声を洩らす。
「失礼。朱鷺川さんは優秀ですよ。それでは昼食を食べに行きましょう」
瑠々はゆでダコ状態のまま、無言で口をアワアワさせている。
顔がとても面白いが笑うのは我慢する。
尚之が席を立ち歩きだすと、瑠々も慌てて後ろを付いてきた。
部屋を出ると鈴々がいた。
食事の呼び出し係である鈴々だが、部屋の前まで来るのは珍しい。
「るるちゃんおきがえしてる!」
鈴々が、いつのまにかメイド服姿になっていた瑠々を見て目を輝かせる。
そんな鈴々に瑠々も笑顔になり、しゃがんで鈴々の頭を撫でながら答える。
「鈴々ちゃん、これはお仕事用の服ですよ」
「おしごとおわった?」
「お昼なので一休みです」
「じゃあるるちゃんいっしょにごはんたべよ」
そう言って鈴々が瑠々の手を取る。
瑠々がどうしましょうと尋ねるように尚之を見てくる。
瑠々の方も子供好きなのか鈴々の手をしっかり握って遊んであげたい雰囲気を出している。
家族の多い千垣家だが、鈴々とまともに遊んでくれる者は少ない。
男性陣は真面目に遊ばないし曾祖母は厳しく祖母と母は忙しく叔母達はあまりかまってくれない。
鈴々が優しくてルルちゃんそっくりの瑠々に懐くのは自明の理であった。
「朱鷺川さん、少し鈴々の相手をしてあげて貰っても良いですか?」
「はいっ かしこまりましたっ」
そう言って瑠々が嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「一旦下にいきましょう」
「はい」
尚之の後を手を繋いだ瑠々と鈴々が付いてくる。
リビングに行くと詠海以外の家族が全員揃っていた。
キッチンでは兄夫婦が料理を作っている。
休日は二人で料理を担当するのが定番である。
今日のメニューは味噌焼きうどんのようだ。
母の秋穂も目を覚ましたようで、二人の作った料理をダイニングとソファの2つのテーブルに配膳している。
ソファでは父の尚久がニュースを見ていてダイニングテーブルでは光理がスマホをいじり、祖母の滝乃が甥の尚太郎をあやしている。
3人でリビングに入ると声をかけてきたのは一番近くにいた滝乃だ。
「原稿は終わったのかい?」
「まだまだここからだよ。明日の深夜まではかかるから」
「なんだい、じゃあしばらく家事の仕事はできないじゃないか」
「朱鷺川さんの話?それは来週からで頼むよ」
「その子は尚之の使用人だから仕方ないね。それにしてもあんた、そのお仕着せちょっと華美に過ぎやしないかい」
滝乃が瑠々のメイド服を見て指摘する。
確かに瑠々のメイド服はエプロンドレスのフリルがやたらとヒラヒラしている。
綺麗ではあるが家事をしていたら普通に汚れそうだ。
「あの、エプロンはシンプルなタイプも持ってきています。お掃除のときはそちらを使おうと思っています」
「なるほどね。そっちのゴテゴテしたのは主を楽しませる用かい」
「そ そういうつもりでは」
別に主ではないし楽しんでもいない、と尚之は心でツッコむ。
「瑠々ちゃんマジでメイド服着てる!ヤバ!」
光理の言葉で瑠々が少し俯く。
「光理、お前が着ろ着ろ言ったんだろ」
そういうとこだぞ、と尚之はいいたい。
光理は悪気なく人の地雷を踏む癖がある。
そして言葉足らずなところも。
「違うよ!可愛さがってこと!瑠々ちゃんマジでアイドルとかやった方がいいよ!」
「あのええと、あはは」
返答に困った瑠々が愛想笑いを返す。
そんなことは散々言われてきたし、散々流してきたというような反応だ。
というより、お前こそ運動神経が良いんだからまたバスケでもやればいいのに、と尚之は思う。
つまらない言い合いになるので言葉にはしないが。
「あ、麻里江ちゃんの娘さん」
配膳していた秋穂が瑠々の存在に気が付き声をかけてきた。
「あの、お邪魔しております」
「瑠々ちゃんだったよね。仕事はどう?尚之に無茶なこと言われてない?」
「あの、先生からはすごく丁寧にお仕事を教えていただいて原稿もすごく綺麗でそのとても勉強になっておりましてあの」
「あ、うまくやってるならいいんだ、うん」
秋穂に肩をポンポン叩かれる瑠々を横目に尚之がキッチンの尚哉に声をかける。
「兄貴、昼飯朱鷺川さんの分も用意できるかな」
「もちろんだ。朱鷺川さんの休日の昼食については毎回こちらで用意することにした。夕飯も必要なら遠慮なく言ってくれ」
「味噌焼きうどん、瑠々ちゃんのも作ってあるけん食べていってね」
「だそうです。遠慮なく食べていって下さい」
「あ、あの、ごちそうになりますっ」
「るるちゃんはこっち!」
鈴々は瑠々が家族と話している間は大人しくしていたが、話が終わった雰囲気を感じ取って瑠々の手を引っ張る。
行き先はリビングの一画に常設してある鈴々の遊び場ゾーンである。
遊び場ゾーンの周囲にはぬいぐるみやブロックや絵本などの鈴々の玩具が箱や棚に収納されている。
そのゾーンに、新たにコタツサイズのテーブルが設置されており、そこに二人分の昼食が並んでいた。
「ここりりとるるちゃんのおうち!」
「わあ、素敵ですっ」
鈴々が瑠々の手を引き自分の隣に瑠々を座らせる。
「朱鷺川さんすみません。今日だけ鈴々の相手お願いします」
「はい、お任せください!」
そう言って瑠々が笑顔で鈴々の相手を始める。
特に面倒そうな雰囲気は無いようで尚之は安心する。
1時から作業を再開すると伝えダイニングテーブルで昼食をとる。
「瑠々ちゃんってガチでいい子じゃない?」
テーブルで頬杖をつく光理が話しかけてくる。
「かもな」
「ユキ君好きになった?」
「俺にはすでに心に決めた相手がいるからなあ」
「えーー?誰々?」
光理の好奇心一杯の猫目をチラリと見て尚之は答える。
「そりゃ漫画さ」
「うわさむっ」
尚之は味噌焼きうどんをかっこんで皿を洗い
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