第8話 メイド少女、人生の師に出会う
** marie side **
面接の帰り道、朱鷺川家の送迎車の中。
「まさか古彫先生が千本柿先生のお母様だなんて、驚いたわ」
元々モデルだった麻里江にとって、事務所にふられたドラマの仕事は気乗りするものではなかった。
モデルの仕事に誇りがありそれ以外やろうと思わなかったし、そもそも演技などやったことが無かった。
スタッフもやる気がなく、企画も話題になった漫画のタイトルと設定だけ借りてくるようなつまらないもので、麻里江を客寄せパンダにして低コストで視聴率を稼ごうというのが見え見えの内容だった。
そんな中、古彫誉の脚本だけは面白く読み物として引き込まれるものがあった。
自分は役者としては素人だけどこの脚本を書いた人間を喜ばせる演技がしたい。
あのときそう思ったからこそ自分は今演技の世界にいる、と麻里江は思っている。
なので今日古彫誉に再開できたことは、麻里江にとってとても運命的な出来事だった。
「それよりお母さん、千本柿先生、私のことどう思ったと思いますか?」
「それよりってあなた、私の大事な思い出をおまけ扱いしないでくれる?」
「うう、今の私は先生が何を考えてるのかしか考えられないんです」
娘の瑠々はこんなにポンコツだっただろうか、と麻里江は考える。
が、色気づいた年頃の娘など皆こんなものかと思考を打ち切る。
「瑠々あなた、千本柿先生の原稿にすっかり心が焼かれてしまったのね」
「原稿……ネネットちゃん、美しかった……あれはもはや宗教画……はっ、いやそうじゃなくて先生が私をどう思ったかの話ですよ!」
「ま、普通に良い子だって思ったんじゃないかしら。実家に通わせるぐらいだし」
「ほ、本当ですかっ?変な子って思われてないですかね?」
「……」
「なんで黙るんですか!?」
「とにかく、働く環境としては問題ないみたいで安心したわ。淳次さん、ずいぶん心配してたのよ」
夫の淳次からは職場に男性しかいなかったり、瑠々をやましい目で見そうな男がいたら話は保留にすると言われていた。
基本的には屋敷には常に女性がいるし、千本柿笑午も瑠々の容姿に驚くほど無反応だった。
小西という編集者はデレデレはしてはいたが、仕事場にはほとんどこないというので許容範囲だろう。
「はい、とっても素敵なお屋敷でした。お掃除しがいがありそうです」
屋敷の話はしていない、と麻里江は心のなかでツッコむ。
「でも一つ心配なことがあります」
「あら、何かしら」
「やっぱりメイド服を着て仕事はできないのでしょうか」
「……」
「なんで黙るんですか!?」
娘のポンコツ化が心配になるぐらい加速している気がする麻里江だった。
「……そういうのは仕事が認められたらにしなさい」
「なるほど!もしかすると千本柿先生が不機嫌そうだったのは未熟な身でメイド服を着る私が気に入らなかったんでしょうか?メイド服はメイドポイントが溜まってランクが上がって初めて着れるものであると、先生はそうおっしゃりたかったんでしょうか?」
メイドポイントって何なの、と心でツッコみながら麻里江は「そうね」と言って話を打ち切った。
◇
翌日午前7時、出勤してきた家政婦の望月美寿々(もちづきみすず)が麻里江を起こしに来た。
まだ起床の時間じゃないのにと思ったら、彼女が妙に慌てている。
麻里江が眠い目をこすって「おはよう」と言うと、望月が切羽詰まった声で麻里江に言った。
「麻里江さん大変です、瑠々ちゃんがこれを!」
望月が持っているのは一枚のメモ用紙だった。
文字が書いてあるので読んでみると、
###################
先生の家に行ってきます。
送迎は時間外ですので歩いていきます。
帰りは車を使います。
瑠々
###################
と書いてあった。
麻里江が慌てて瑠々に電話をすると、すでに笑午の自宅の前にいるのだという。
笑午の家は意外と近所ではあるが、歩けば一時間以上かかる距離だ。
送迎が時間外なら何故タクシーを使わないのか。
そもそも8時になれば送迎を使えるのになぜ待たないのか。
麻里江は自分の娘に呆れてしまった。
あの娘は自身の価値を全くわかっていない。
浮かれるのは解るが、お花畑も大概にして欲しい。
帰ってきたら叱りつけたいが、麻里江は今日から映画の撮影で一ヶ月間家を空けねばならない。
「美寿々ちゃん、恥ずかしいお願いだけど瑠々のこと叱ってもらって良いかしら」
「ええ、かまいませんよ。瑠々ちゃんに何かあったら大変ですからね。でも瑠々ちゃん、小さい頃の性格に戻ってしまったようですねえ」
「これが元々の瑠々なのよね。こんなことならあの娘のこと、千本柿先生に丸ごと貰ってもらったほうがよほど気が楽だわ」
「ふふ、そんな事になったら淳次さんが泣いてしまいますよ」
「それもそうね」
そういって麻里江と望月はクスクス笑い合うのだった。
** ruru side **
面接の翌日の午前4時。目を覚ました瑠々は昨日の出来事を思い出す。
挨拶で思い切り噛んで頭をぶつけ、原稿を見て涙を流し鼻水も流すという忘れたい記憶が瑠々の頭にフラッシュバックする。
そして、そんな自分を見る笑午の冷たい目も思い出し、瑠々はベッドの上で「わあああああああ」と悶え転がった。
昨日帰ってからも散々繰り返した行為だが、一日経っても記憶は消えなかったようだ。
そんな瑠々だったが、実は彼女は今やる気に満ちていた。
それは面接の帰り際の出来事に由来する。
『朱鷺川さんがアシスタントに応募してくれて私は救われました。これからお世話になります。どうぞよろしくお願いします』
笑午がそう言って深々と頭を下げた姿に、瑠々の中に頼られる嬉しさと絶対に先生のお役に立ちたいという決意が溢れたのだった。
が、笑午の冷たい目と自分の失態が消えたわけではないのでやる気と不安がごちゃごちゃになって瑠々は悶々とした状態に陥っている。
そんな瑠々は本日から笑午の元に通うことになる。
予定では午前9時から仕事が始まるが、瑠々はできれば早めに行って笑午の家族に挨拶したり家事を手伝ったりあわよくばメイド服に着替えたりしたいと考えていた。
正直、笑午は瑠々のメイド服に好意的とは思えなかった。
おそらくあれだけメイド服にこだわりのある人だ。
メイド服を着る人間の資質を計っているのだとしても不思議は無い。
笑午に認めてもらうため、できるだけ家事を手伝いメイドとしての能力を見てもらう時間が欲しい。
なので瑠々は早めに笑午の家に行ってみようと考えた。
送迎は8時からなので、笑午の家に行くなら歩いて行かなければならない。
そうと決まったらグズグズしていられない。
瑠々は母親にメモを残して自宅を飛び出し、笑午の家に向かってひたすら歩いた。
カバンにはもちろんメイド服を入れてある。
笑午からいつ着用の指示があってもいいように。
◇
土曜日の早朝は車通りも少なく、歩いていて気持ちがいい。
途中で大きな公園も通ったが、緑の中を歩くのはとても新鮮だった。
瑠々は散歩というものをしたことがなかったが、それを趣味にする人の気持が理解できた。
今の瑠々には目に映る色々なものが輝いて見えていた。
やりたいことに挑戦できるってなんて素晴らしいんだろうと、瑠々は思った。
笑午の家に着くと瑠々は急に緊張して鼓動が早くなってきた。
時間は6時50分。やっぱり早く来すぎたかもしれない。
瑠々は自分のやりたいことばかりで相手方のことをあまり考えていなかった。
朝早くにチャイムを鳴らしたら迷惑だろうし、いきなり家事をさせてくれなんて頼んだら相手を困惑させるだろう。
そう考えを改め、程よい時間まで駐車場で待つことにする。
少しすると母から電話があった。
笑午の家に一人で歩いて行ったことをとても叱られた。
確かに母に直接断ってから出るべきだったと反省する。
落ち込みつつ立っていると、屋敷の中から一人の中年の男性が出てきた。
家の住人が新聞を取りに玄関まで出てきたようだ。
その男性に声をかけられたので自己紹介をして頭を下げると、彼は笑午の父の尚久とのことだった。
瑠々は9時前まで待つつもりでいたが、尚久に家に上がるよう言われたので言葉に従う。
通されたリビングには笑午の義姉の文香とその二人の子供、そして初めて見る青年と高齢の女性がいた。
文香の娘の鈴々が瑠々を見るなり「るるちゃんだ!」といって駆け寄ろうとしたが、文香と青年に制止される。
眉目秀麗な青年は笑午の兄の尚哉で、厳格な雰囲気の高齢の女性は笑午の祖母の滝乃と紹介された。
その場で文香とも改めて自己紹介を交わす。鈴々もかしこまって名前と年を瑠々に伝えてきた。
促されるままソファに座ると、瑠々はソファのかたわらに大きな白い犬と2匹の猫がいるのに気がついた。
突然のモフモフに瑠々の胸がキュウンとときめく。
瑠々の家では両親がアレルギー体質だったので動物を飼ったことがなかった。
なので瑠々はペットに憧れを抱いていたのだ。
ちなみに瑠々には動物アレルギーはない。
瑠々が動物たちをじっと見つめるのをみて尚久が問うてくる。
「朱鷺川さんは犬や猫は大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫ですっ」
「尚之はまだ寝ていると思いますが、起こしてきますか?」
「い、いえ。私が早くきすぎましたので。先生がお目覚めになるまでお待ちします」
「そうですか、ではこちらで待っていて下さい」
そこから瑠々と千垣家の人々との面談リレーが始まった。
千垣家の面々が朝食を交互に取りつつ、食べていない者が瑠々と会話をするという形式である。
途中、笑午の妹の光理が参加してからは場が一気ににぎやかになった。
瑠々が全員と面談を済ませた頃、笑午が二階から降りてきた。
瑠々は笑午が瑠々を見て不機嫌そうな顔をしたと感じて心がズンと重くなった。
が、失礼の無いように急いで立ち上がり挨拶をする。
笑午と言葉を交わすが、どうにも迷惑がられていると感じて心が挫けそうになる。
笑午が朝食は不要と言い出したときは申し訳無さで泣きそうになってしまった。
結局光理の口添えで笑午が朝食を食べると言ってくれたので瑠々は安堵した。
笑午が朝食を食べている間、瑠々は光理に質問攻めにあうことになった。
千垣家の人々は光理と瑠々の会話を穏やかに聞いている。
ちなみに鈴々はルルちゃん人形を持って瑠々の膝の上に収まっている。
「瑠々ちゃん家って芸能人来るの?」
「いえ、まったく来ません」
「じゃあ芸能人の友達はいる?」
「それは……お答えできません」
「えー。じゃあ瑠々ちゃんモデルとかやってる?」
「いえ、モデルはやりません」
「なんで!もったいないじゃん!」
「向いてないんです。母にもそう言われましたし」
「うそでしょ?そんなことある??うーん、ていうかなんで漫画のアシスタント?」
「千本柿先生の作品が好きなので、ぜひお手伝いがしたいと思ったのです」
「ふーん。ねえ、好きな俳優はいる?」
「俳優は……いませんね」
「うーん、じゃー好きな男の漫画のキャラとかは?」
「メイデン・ハーツのレックくんです。やっぱりどんな逆境でも半妖ちゃんたちを守り抜くレックくんの姿は痺れます。でも彼はいろんな女の子に優しすぎるのでそこは玉にキズですね。ライバルキャラのアヴァルのほうが硬派でかっこいい説もありますがやっぱり他人に冷酷な部分があるのでそこはレックくんと関わり合っていくうちに徐々に人間的に成長してもらってですね……」
「あーーー、瑠々ちゃん彼氏はいる?」
「い、いません!!」
「えーいないのかー。そういえば昨日はなんでメイド服着てたの?」
「あの、私メイド服が好きで千本柿先生にお会いできると思ったら気持ちが高ぶってしまって……」
「あー、そういやユキ君の漫画メイドの女の子ばっかだよね。それでユキくんの漫画好きなんだ。今日はメイド服着ないの?」
「あの、メイド服は軽々しく着てはいけないと反省しまして」
「ええー、別に着たいなら着ればいいのに」
光理がそう言ったところで朝食を終えた笑午がダイニングテーブルから歩いてきた。
光理が笑午に向かって話を振る。
「ユキ君、瑠々ちゃんメイド服着て仕事したいんだって」
「え?」
光理の発言に笑午が怪訝な顔をする。
その表情に心がズシリと沈みつつ、瑠々は笑午に誤解を与えないよう弁解をする。
「あの、光理さん、違います。あの違わないんですが、私先生にきちんとお仕事が認められたらお願いするつもりで」
「いいじゃん、メイド服かわいいし。ねえ、文ちゃん?」
「私?うん、まあ、制服は女の子の憧れではあるねえ。うちも制服に憧れてバスガイドになったし」
尚之の義姉の文香が遠くを見るような目で光理の問に答える。
どうやら文香は元バスガイドであるらしい。
愛嬌たっぷりの彼女には天職であっただろう。
「お父さんと尚哉兄もいいよね?」
「ふむ。この屋敷の中だけで着るなら、かまいませんが」
「俺は家事をしてもらえるなら服装に口は出さない」
既婚者男性組は特に反対はないようだ。
「おばあちゃんもいいでしょ?」
「フン、洒落で使用人の服を着るというなら私は許さないよ」
「え?」
全員に難なく許可がもらえると思っていた光理が祖母の思わぬ反対に驚く。
「主に心から仕えるつもりのない人間がその服を着るのはあたしは不愉快だね」
そういって滝乃がツンと横を向く。
「主っておばあちゃんがおじいちゃんの使用人だったのは大昔でしょ。今の時代本気でメイド服着てる人なんていないよ!」
「あたしはあの方の使用人を辞めたつもりはないよ」
光理が滝乃に意見するが、滝乃は横を向いたままだ。
話を理解出来ない瑠々に、尚之の父の尚久が声をかける。
「すまないね、朱鷺川さん。私の母と父は複雑な間柄でね」
そう言って尚久が尚之の祖母と祖父の関係について説明する。
半世紀以上前の話である。
滝乃は幼い頃から尚之の祖父の実家である鞍星家で使用人をしていた。
鞍星家は近世は大名家、近世では伯爵家の地位にあった名門中の名門の家系である。
戦後も旧財閥系企業を集約し鞍星グループを再興させ、その創業者一族として鞍星家は政財界に大きな影響力を持っていた。
滝乃が16才のとき、鞍星家では当主の尚忠が逝去しその嫡男の尚政が新たに当主の座についた。
戦後の混乱も落ち着き日本が高度成長期真っ只中の頃の話である。
そんな鞍星家に小さな事件がおきた。尚政が使用人の滝乃を見初めて子を孕ませたのである。それが尚之の父の尚久である。
滝乃は尚久を身籠ったまま鞍星家を去るつもりだったが、尚政はそれを許さなかった。
尚政は尚久を鞍星の跡取りにするつもりで奮闘したが、親類縁者の猛反対でそれは叶わなかった。
尚政がやれたことは、廃家していた千垣という分家の名と鞍星の小さな別邸を尚久に与えてやることぐらいだった。
尚政は自分が結婚せず子もなさなければいずれ尚久を当主にせざるを得なくなると考えていたが、親族たちの共謀で尚政は当主の座を追われてしまった。
結局尚政に残ったのは、滝乃と尚久、そして尚久の名義の小さな洋館だけだった。
失意に暮れる尚政だったが、滝乃に励まされて密かに憧れていた動物園に就職し、定年まで働いた。
滝乃は尚政が病気で亡くなるまで彼のことを主として敬い、自身はいち使用人として尚政に尽くした。
そんな過去があるので、滝乃は使用人の服というものに特別な思い入れがあるのだろう、と尚久は話を締めた。
尚久の話を聞いた瑠々の様子に、千垣家の全員がギョッと驚く。
瑠々がボロボロと涙をこぼし嗚咽していたのである。
「ううっ、ひっぐ、そ、そんなお話が現実にあるだなんて……」
瑠々がズズズっと鼻を啜る。
そして瑠々は滝乃の方を向き、そのままひざまずき、胸の前で手を組む。
「素敵です……。あなたとご主人の関係は私の理想そのものです」
「主と使用人がかい?」
「はい!私は昔から主のために尽くすメイドに憧れていました。現実にそんな方がいたなんて私感動してしまいました!」
「フン、変わった娘だね」
そういって滝乃がまんざらでもない様子で頬を染める。
「あんたは尚之の弟子になったそうだけど、本当は使用人として仕えたいのかい?」
「あの、はい。私は先生のお力になりたくてこちらに来ましたので」
「まあ、アンタがウチの人間に仕えるってなら鍛えてやらないこともないがね」
「本当ですか!?あの、よ、よろしくお願いします!師匠!」
師匠と呼ばれた滝乃の口角がクッと持ち上がる。
「そうと決まったらとっととその小綺麗な服を脱いで使用人の服に着替えてきな」
「は……」
元気にはい!と言いかけた瑠々だったが一番肝心な人の許可をまだ取っていなかった。
瑠々はドキドキしながら恐る恐る笑午を窺った。
笑午が一つふぅと息をつく。
「そろそろ作業開始の時間ですので、着替えるなら手早くお願いします。それと祖母の指導を受けるのは原稿が終わってからにしてください」
「かしこまりました、ご主人さま!」
瑠々は高揚感で顔を朱に染めつつ、笑午にそう返事したのだった。
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