第6話 メイド少女、主を見つける

** ruru side **


「皆さんに仕事場を案内すると家族に話してきます。少し待っていて下さい」


 千本柿笑午が鋭い目つきでそう言うと、洋間のドアを開けて部屋を出ていく。

 瑠々は笑午が予定外の注文をされて怒っているのではと心配になった。


 今回の面接では手応えのあった瞬間が一つもない。

 メイデン・ハーツの話やメイド服の話で少しは会話が弾むかもと期待していたがそんなことはなかった。

 瑠々は自分の着ているメイド服を見て心が少し重くなるのだった。



 ――数日前


 瑠々が両親にメイド好きを告白した翌日のこと。

 瑠々はアシスタント活動を学校に認めてもらうべく、両親と三人で教師陣に対し直談判を決行した。


 校長室にて、担任・学年主任・教頭・校長と、瑠々・麻里江・淳次が対峙する。

 瑠々は教師陣に対し、自身の内にある千本柿笑午への畏敬の思いと、彼のもとで勉強したいという情熱を余すことなく伝えた。

 メイド服云々は話がややこしくなるので伏せていたが。


 瑠々の両親もアルバイトではなく教育の一環として認めて欲しいと頭を下げた。

 学校としても芸能活動等は認めている手前、両親揃って頭を下げられたら拒否するのは難しい。

 親子三人での直談判のかいがあり、成績を落とさないことや授業・学校行事はすべて参加すること等を条件に、瑠々のアシスタント活動は認められた。



 瑠々が自宅に帰ると、母が自身のクローゼットから一着の服を持ち出し瑠々の前に広げた。


「瑠々、あなたが本音を言えた記念にこの服をあなたにあげるわ」

「お母さん!それはあの『メイド大作戦』の衣装ではないですか!?」

「フフ、そうよ。あなたがメイドが好きって言えたら譲るつもりで取っておいたの」

「お母さん、ありがとうございます!このメイド服、着てみていいですか!?」

「あなた、着れるかしらね。あの頃の私、そうとう体絞ってたのよ」


 瑠々が母から譲り受けたメイド服に嬉々として着替える。

 が、着替えの途中、瑠々がバツの悪そうな顔で母に言った。


「お母さん、胸の部分だけキツくて閉まらないです……」

「瑠々、あなた生意気に成長したわね。いいわ、お父さんに直してもらいましょう」

「あの、それなら少し布飾りを増やしても良いですか?」

「もちろんよ。あなたの好きなようにアレンジすればいいわ」

「やった!」


 そうして世界的なデザイナーの父が夜なべしてお直ししたかいあり、瑠々のメイド服が完成した。


「瑠々、着心地はどうだい?」

「お父さん!サイズもぴったりです!デザインもすごく可愛くなりました!ありがとうございます!」

「はは、それは良かった。頑張ったかいがあったよ」

「これで好きなときにメイド服が着れるわね、瑠々」

「はい!私……面接にはこの服で行きます!」

「え゛っ、本気かい、瑠々」

「はいっ!この絶妙なタイミングで私の前にメイド服が現れたんです!これはもう面接のためにこのメイド服を着て行けという、千本柿先生からのおみちびきに違いありません!!」

「そういえば瑠々って昔からスイッチはいると暴走する癖あったわね。最近は大人しくしてたから忘れてたけど」

「はは……やっぱり瑠々は君の娘なんだね……」



 そんな経緯で瑠々は面接にメイド服を着てく事になった。

 が、面接に向かう車の中で、瑠々は早速怖気づく。


「お母さん、私ちょっと不安になってきました。この服で良かったでしょうか。千本柿先生に変な子だと思われたらどうしましょう」

「別にいいじゃない、変な子なんだし」

「えっ、私って変な子なんでしょうか??」

「気づいてなかったの?」

「ワ、ワタシハヘンナコ……?」


 千本柿笑午の自宅兼仕事場に到着すると、笑午の担当編集である小西というきのこ頭の男が駐車場まで迎えに来た。

 瑠々は小西と挨拶を交わし、母と二人で彼の後をついていく。


 小西は瑠々と母を見たとき、かなり驚いているようだった。

 瑠々の母は有名人であり、いきなり登場すれば相手を驚かすことなど考えればわかることだ。

 予め言っておけばよかったと反省する。

 それよりも小西が瑠々を見たときの珍獣とでも遭遇したような顔は地味にダメージを受けた。


 駐車場は笑午の自宅を取り囲む塀の外側にある。

 そこから鉄柵の門を入り、庭を少し歩く。

 庭は広いが手入れがされておらず、雑草が生い茂っていて瑠々は少しもったいないと感じた。


 雑草だらけの庭をすぎると、個人の邸宅にしては大きな建物が現れる。

 その屋敷の外観を見たとき、瑠々の胸がトクンと高鳴った。


「よ、妖明亭です……」


 白い壁に赤い屋根、絡まる蔦にトンガリ屋根の塔屋。

 その屋敷は瑠々がいつも『メイデン・ハーツ』の中で見ていた建物。

 主人公と半妖娘たちが暮らすカフェ付きの邸宅、妖明亭にそっくりだった。


 小西に促されるまま、瑠々は鼓動を早めつつ屋敷の玄関をくぐった。

 建物の中は綺麗に改装されているがレトロな雰囲気が残してあり、お洒落かつ趣がある。

 仕事場がこんなに素敵なら毎日来るのが楽しくなりそうだと、瑠々は心が弾んでしまう。


 玄関のすぐそばの部屋に案内され、中に入る。

 そこは大きな窓から日が差し込む8畳ほどの洋間で、中に一人の青年が座っていた。


 その青年は一見普通の若者に見えたが、顔をよく見ると恐怖を感じるほどに鋭い目つきをしていた。

 瑠々はその青年の恐ろしい目を見た瞬間から、蛇に睨まれたカエルのように体が固まり動けなくなってしまった。

 自身の心臓の高鳴りが、高揚からか緊張からか恐怖からかもうわけがわからない。

 瑠々は青年の顔を見ながら硬直していたが、母に肩を叩かれ我に返る。


 瑠々が慌てて案内された椅子に座ると、そこから面接が始まった。

 瑠々の予想通り、目付きの鋭い青年が千本柿笑午であると紹介された。


 面接は気合を入れて臨んだが、はじめの挨拶で失敗し、結果としてボロボロだった。

 少しはメイド服を褒めてもらえるかもと、瑠々は淡い期待をしていたが、笑午は終始冷たい目で瑠々を睨んでいた。

 やはり面接にメイド服は場違いだったのかもしれない。


 最後に笑午から「メイド服はいつも着ているのか」と問われたので自分がメイド服を着ている経緯を話す。

 笑午は何の感情の変化も見せずに恐ろしい目つきで瑠々の話を聞いていた。


 話していた瑠々はどんどん居た堪れなくなって、とうとう自分の格好は変か笑午に聞いてしまった。

 笑午は少し考えると、無表情のまま瑠々の問いに問題ないと答えた。

 笑午の答えに瑠々は多少安堵したが、正直瑠々には笑午の感情が分からなすぎて怖い。


 そんな風に考えていると、小西が少年ヨッシャーの漫画家である姫小路揚羽の名前を出した。

 そのとき、笑午の顔に一瞬だけ優しい笑顔が浮かんだ。

 今日始めて笑午が見せた無表情ではない表情である。

 瑠々は笑午と姫小路がどのような関係なのか、とても気になった。

 が、二人の関係など聞けるわけもない。


 そのまま話は進み、笑午の仕事場を見せてもらうことになった。

 そして話は冒頭に戻る。


 家族への断りを済ませた笑午が戻ってきた。


 笑午の後に続き、部屋を出て廊下を歩く。

 すると廊下に突然女の子の声が響いた。


「わあ、るるちゃん!」


 自分の名を呼ばれた瑠々はたいそう驚く。

 声の方を向くと、そこにはお団子頭の幼い女の子がいた。


「ママ、おっきいるるちゃんがいる!」


 廊下から近くの部屋に向かって幼女が叫ぶ。

 瑠々は幼女がその手に持っているものを見て状況を理解した。


 彼女が持っているのは『おきがえルルちゃん』という有名な少女向けの着せ替え人形の玩具だ。

 この幼女は瑠々の事を大きなルルちゃん人形だと思っているようだ。


 余談であるが、瑠々の名前の由来も実はルルちゃん人形である。

 麻里江がルルちゃん人形が好きで娘にその名を授けたのであった。


「すみません、姪です。鈴々、ちゃんと挨拶しな」

「こんにちわ!るるちゃんなにしにきたの?りりとあそびにきたの?」

「えっと、こんにちは鈴々ちゃん。私は瑠々だけどお人形のルルちゃんじゃないです。私は漫画のお手伝いに来ました」

「うーん?わかんない」


 そう言ってお団子幼女がコテンと首を傾げる。

 瑠々はあまりの愛らしさに心の中でくううううっとうめき声をあげ、幼女の頭を撫でた。


 鈴々の呼ぶ声を聞いて、リビングの奥から慌てた様子の女性が現れた。

 女性は赤ん坊を抱いている。


「尚之くん、ごめん。鈴々そっち行っちゃった」

「いえ、こっちこそ気使わせてすみません」

「すぐ連れてくから……って、なんねこの美人さん!なんでメイド服きよるん?ってうしろの人朱鷺川麻里江?!今さっきテレビのドラマでよったが??ほんもんね???」

「文香さん、落ち着いて。あとでゆっくり説明するので。ええと、すみません。この人は私の兄の奥さんです」

「はっ!取り乱してごめんなさい……。ごゆっくり」


 笑午の義姉という女性が取り繕った笑顔で挨拶すると、瑠々が「お邪魔しております」と頭を下げた。


 瑠々が赤ちゃん可愛い、構いたいという欲求を抑えていると、二人の少女が「ただいまー」と言いながら玄関から家の中に入ってきた。

 メガネで黒髪おさげでジト目の少女と、栗色髪でポニテで猫目の少女である。


 メガネ少女は一行を見てポカンと口を開け頭上にはてなマークを浮かばせる。

 ポニテ少女は「え、朱鷺川麻里江?え、ウソ、やば、え、メイド?コスプレ?ナニコレ」などと言って混乱している。


「詠海、光理、仕事のお客さんだから挨拶して」


 メガネ少女は「あ、どうも」と言って頭を下げると逃げるように2階に上がっていき、ポニテ少女は「ドウモコンニチワ」とカタコトで挨拶するとタタっと笑午の義姉のところに走っていった。

 二人に挨拶を返そうとした瑠々だったが、目の前から相手がいなくなってしまい、二人の行く先を交互に眺めるしかなかった。


「仕事場は二階ですので」


 そういって笑午が一行に声をかけたので、瑠々は気を取り直して付いていくことにした。


 笑午に仕事場として案内された部屋は、12畳ほどの大きめの部屋だった。

 奥に仕事用の机があり、中央にソファとテーブルがある。

 壁は全て本棚になっていが、そこに並ぶべき本はすべて床に散乱していた。

 部屋の中央部以外はほとんど歩けない状態だ。

 瑠々の心のなかに衝動的に掃除したい欲求が湧いてくる。


「すみません、こんな状態で。こないだの地震で本が落ちてしまったのですが、片付けがまだできていないんです。中もご覧になりますか?」

「はい、お願いします」

「わかりました」


 麻里江の希望通り笑午の案内で本が落ちていない部分を歩き、作業用の机に辿り着く。


「作画はいつもここでしています」

「あっ、その原稿は……」


 机の上に並べられた漫画原稿を見て、瑠々が声を上げた。


「ああ、それはメイデン・ハーツの原稿ですね。ペン入れ……ええと、下書きの清書作業を行っているところです」

「あ……あの……そちらの原稿……、よく見せていただいてもよろしいでしょうか……」


 瑠々が震える声で笑午に尋ねる。


「かまいませんよ」


 笑午の許可を得た瑠々が、机の上の原稿に近づき、そして原稿を凝視した。


「ネネットちゃんのキスシーン……」


 机の上にあったのはメイデンハーツの目玉である主人公とメイド服の半妖娘が融合するためのキスシーンが描かれた原稿だった。


 ちなみにネネットというのは月兎の小さな少女で、悪玉に虐待され利用されていたところを主人公に保護されたが、再び拉致され処分されかけているという非常に不憫なキャラである。


「そちらはアナログですが基本はデジタル作業になります。朱鷺川さんはパソコンは……」


 瑠々に語りかけた笑午の言葉が途切れた。

 なぜなら瑠々が泣いていたからだ。


 瑠々は感動していた。

 キスシーンの描かれた原稿の、そのあまりの美しさに。

 これほど美しい原稿を描ける人間がこの世に存在している奇跡に。

 その神に選ばれた特別な人間にお仕えできる機会が訪れた幸運に。


「朱鷺川さん、大丈夫ですか?」

「あの大丈夫です。すみません」


 笑午の問いかけに瑠々は我に返り、慌てて原稿から離れハンカチで涙を拭いた。

 瑠々の感情を察した母麻里江が、話題を変えようと笑午に話しかける。


「アシスタントの方の机が無いようですが、作業場所は別の部屋でしょうか?」

「ああ、アシスタントは基本リモートですのでここに机はありません」


 笑午の意外な回答に麻里江は驚き、さらに質問する。


「こちらで仕事をするわけではないのですか?」

「はい。なので朱鷺川さんも仕事場には来ていただかなくでも大丈夫です」

「え!!?」


 笑午の意外な言葉に驚き、瑠々はつい大きな声をだす。


「ええ、今までのアシさんもそうでしたので」

「そ、そ、そんな……そう……ですか……」


 瑠々は妖明亭にそっくりなこの建物に、すでに愛着が湧いていた。

 ホコリの溜まった窓枠や本の散乱した部屋も掃除したいと考えていた。

 毎回、幼女や赤ちゃんに会えるのも楽しみだった。

 何より、笑午のアナログ作業をじっくり観察できるのを幸運に思っていた。


 しかしどうやらこの場所で仕事ができるわけではないらしい。

 瑠々があからさまにがっかりしていると、麻里江が口を出す。


「先生、私は瑠々をこちらに通わせたいと考えています」

「ええと、ですが仕事場もこんな状態ですし、リモートのほうが効率的ですが」

「先生、瑠々は単なるアルバイトではなく先生への弟子入りを希望しています。師と仰ぐ先生のお仕事を直接見聞きすることで己の人生の糧にしようと考えているのです。瑠々には掃除でも肩揉みでも何をさせてもかまいません。どうかこちらで瑠々を鍛えてやっていただけないでしょうか」


 そう言って麻里江が深々と頭を下げた。

 瑠々は麻里江の言葉に驚いたが、完全に自分の気持ちを代弁していたので「お願いします!」と倣って頭を下げる。


「ええと、困ったな。私は弟子なんてとれるレベルではありませんが」


 戸惑う笑午の様子に小西が口をはさむ。


「千本柿先生、部屋を片付ける家政婦を雇いたいって言ってたじゃないですか。朱鷺川さんがそうした心づもりなら作画の無い日に仕事場の片付けをしてもらったらどうですか?」


「むむ。しかし、遅くなっても送り迎えなんてできませんし……」


 笑午の指摘に麻里江がすぐに返答する。


「その点は心配ございません。朱鷺川家では瑠々の習い事のために送迎サービスと契約をしていますので」

「むむむ……」


 笑午の心が揺れている、もうひと押しだとその場にいる全員が感じた。

 麻里江が瑠々にあなたが落としなさいと目配せをする。

 瑠々は麻里江の視線にうなずく。


 瑠々は「私は先生のお側で勉強がしたいです、どうか仕事場に通わせて下さい」と言おうとした。

 しかし笑午の鋭い目を見た瞬間、緊張と先程の感動で頭がごちゃごちゃになり衝動的に浮かんだ言葉が口からとび出した。


「先生、私はあなたのお側でメイドがしたいです!どうか私のご主人さまになって下さいませ!」


 瑠々の言葉に笑午が固まり、小西が白目で震え、麻里江が目を見開く。

 そして瑠々は自分の言った言葉の間違いに気が付き、慌てて訂正する。


「いえ、あの、違いました、あのこちらに通いたくてその勉強のためにあのアシスタントでその……」


 瑠々が顔を紅潮させ手をわちゃわちゃさせながら訂正するが、笑午は固まったままである。

 泣きそうな瑠々を見かねて麻里江がフォローを入れる。


「先生、メイドと主人というのはあくまで比喩表現です。瑠々は先生に忠実に師事し雑用でもなんでもこなすと伝えたかったのでしょう。そうよね、瑠々」

「は、はい!そうです!私、何でもします!なのでこちらに通わせて下さい!」


 瑠々が母の援護に感謝しつつ頭を下げると、ようやく笑午が口を開いた。


「朱鷺川さん、何でもはしなくて結構です。ですが、アシスタントの他に掃除もしてくれるならとても助かります。教えられることがあるかは解りませんが通っていただけるならお願いしたいと思います」


 笑午の返事を聞いて瑠々は安堵と喜びでその顔に涙と満面の笑みを浮かべた。


「はいあの、よろしくお願いします!」


 瑠々がもう一度深々とお辞儀して頭を上げると瑠々の鼻から鼻水がたれてきた。

 瑠々が慌ててハンカチで鼻を押さえる。


 瞬間、笑午の口からふっと笑い声が聞こえた。

 先生が笑った!と思って瑠々はすぐに顔を上げたが、笑午はすでに無表情に戻っていた。


「失礼しました。こちらこそよろしくお願いします」


 笑午が無感情な声で瑠々の挨拶に応える。

 瑠々は笑午の笑顔を見逃したことをとても残念に思った。

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