第5話 漫画家、メイド少女と邂逅する
** naoyuki side **
――尚之の自室。
『いきなり電話してきて何の用?』
「えー実は今週、姫小路先生に私のアシスタントに入っていただけないか、お願いしたく思いまして」
『アンタ、アタシが打ち切り作家だからって暇だと思ってる?』
「いえ滅相もありません。新作ネームで多忙なのは重々承知しておりますので、可能な範囲で構わないのですが」
『フン、まあいいわ。一週間と言わず、どんと一ヶ月入ってあげるわよ』
「本当ですか?こちらはとても助かりますが」
『しばらく新作なんか描く気にならないし』
「それはそれで、姫小路揚羽ファンとしては寂しいですが」
『じゃあ辞めとく?』
「いえ……気分転換にぜひ、ご利用いただきたく」
『ふん、だったら黙って受け入れなさい』
「はい。ありがとうございます」
『今日からアンタが後輩ね』
「……。承知しました先輩。パンでもコーヒーでも買ってきましょう」
『冗談よ。作業のやり方は前回と同じでいいわね』
「はい。クラウドに入れるように設定しておきますので。よろしくお願いします」
『わかったわ』
尚之が揚羽との通話を切る。
期待通り、彼女がアシスタントを受けてくれることになった。しかも今週だけでなく、一ヶ月間。
尚之は彼女が天使のように感じてしまった。 まあ、見た目は天使というより吸血鬼だが。
姫小路揚羽は尚之と同期デビューの女性漫画家である。
彼女と初めて出会ったのは、新人賞の授賞パーティー。
会場の面々がスーツやカジュアルな服装をしている中、一人恐ろしく目立つ格好の人物がいた。
小学生かと思うような低身長に毒々しい化粧をした銀髪のゴスロリ女。
それが姫小路揚羽だった。
新人賞向けの読み切りで、尚之が最優秀賞を取り、揚羽は次点の優秀賞だった。
最優秀の尚之はその日、ベテラン作家や編集部のお偉方に次々と話しかけられ気疲れしていた。
そんなとき、同じ受賞者の揚羽が一人で佇んでいたので尚之はお偉方から逃げるべく彼女に話しかけたのだ。
尚之は彼女の名前を授賞式の前からしっかりと認識していた。
新人賞向けの短編がかなり好きな作品だったからだ。
他の漫画にはないダークで詩的な世界観が尚之にとってはとても新鮮だった。
尚之が話しかけると揚羽はいきなり「ずいぶんと調子に乗ってるわね、最優秀」などと挑発してきた。
尚之も「ずいぶんとやさぐれていますね、優秀賞さん」と返した。
そこから互いの作品へのダメ出し合戦が始まった。
揚羽の指摘は的を得ており尚之はずいぶんとダメージを食らった。
そして多分、尚之も揚羽に大きなダメージを与えたと思う。
作品の批判合戦でわかったのは互いに互いの作品を深く読み込んでいるということだった。
そして批判合戦から互いの好きな漫画や映画の話に移り、そこでも相手の趣味を批判し合った。
まあ、互いに批判している作品は互いの好きな作品でもあったわけだが。
正直尚之にとってここまで会話をしていて楽しく、精神的に近づけたと思える女性は初めてだった。
なので、尚之は勇気を出して揚羽に言った。
「良かったらこの後、別の場所で続きをやりませんか」と。
すると揚羽は言った。
「言っとくけど、アタシ既婚者よ」と。
その日、尚之は見事に玉砕した。
が、それはそれである。
それからも互いにリスペクトし会える同期として、尚之と揚羽の付き合いは続いているのだった。
** konishi side **
小西孝則(こにしたかのり)は少年ヨッシャーの編集者である。
彼は一見軽そうに見える優男だが、その中身は野心に溢れる仕事人間である。
そして無類のメイドカフェ好きであり、メイドカフェに週に3度は通っている。
現在の彼のお気に入りの店は『ポップンパーラー』という全国300店舗を誇る大メイドカフェチェーンの一号店である。
小西は打ち合わせと称して担当作家をメイドカフェに連れ出し、メイドカフェ仲間を増やそうと画策している。
その標的にされた気の毒な作家の一人が千本柿笑午という漫画家である。
笑午の描く漫画は緻密で繊細で華があり、ストーリーも技巧的かつユニークで、少年ヨッシャーの中でも上位の人気を誇ってる。
笑午は若手でありながら漫画家としての完成度が高く、編集部でも未来のメガヒットメーカーとして有望視されている。
小西と笑午の付き合いは、笑午の持込原稿を小西が受け取ったところまで遡る。
笑午は妖怪や動物が好きで、最初に持ち込んだ原稿は鬼と犬が戦う話だった。
笑午は才能はあるが一人だと地味で硬派な話を書いてしまう傾向がある。
いま連載中の『メイデン・ハーツ』も企画ネームの段階では主人公と色々な幻獣が融合して悪鬼と闘う話だった。
大衆ウケが心配になった小西がハーレム要素やメイド要素を入れることを提案し、笑午に現在の設定へ修正してもらったのだ。
笑午からはメイド服が面倒だと文句を言われるが、彼の描く半妖メイドたちは本当に可憐で愛らしく魅力的なので、小西としては良い仕事をしたと思っている。
決して立場の弱い新人作家に自身の趣味を押し付けたわけではない。
そんな笑午だが、彼は今仕事面で少し逼迫している。
彼のアシスタントが急遽辞めてしまったが、それを補う人材が見つかっていないのだ。
『メイデン・ハーツ』はアニメ化の話も出始めている優良タイトルである。
ここで笑午に負担をかけて作品の質を落とすようなことは避けたい。
幸い、笑午の同期作家の姫小路揚羽が1ヶ月ほどヘルプに入ってくれる事になったと連絡があった。
しかし姫小路も再起に向けたネーム作りで多忙なはず。
せめてもう一人技術のあるアシスタントが欲しい。
そんな思いを抱えながら小西が編集部にて仕事をしていると彼宛にメールが届いた。
千本柿笑午のアシスタントへの応募メールだ。
ソーシャルゲームのガチャでも引くような気分で小西はメールを開く。
季節の挨拶から始まる丁寧な文章の後、『メイデン・ハーツ』の素晴らしさと千本柿笑午への畏敬の念が長々と綴られる。
そしてアシスタントへ応募した動機と意気込みがこれまた長々と語られ、最後に丁寧な挨拶で文章は締められた。
差出人の朱鷺川瑠々という女性はどうやら大変な千本柿笑午のファンのようだ。
というか、クセが強すぎて地雷の匂いしかしない。
今回も見送りか、と半分諦めつつ小西は添付されていた履歴書のスキャン画像を開く。
年齢を見て驚く。なんと十六歳の女子高生だった。
しかも写真を見ると恐ろしく顔が良い。
有名なお嬢様学校に在学中で、趣味は読書と絵を描くことと部屋の片付け。
そして特技はピアノとバレエ、そして掃除らしい。
備考欄をみると、保護者と学校にはアシスタントとして働く許可をもらっているとある。
「なんかすごいの来たな」
ツッコミどころが渋滞しているメール内容に、小西はつい声を出して所感を述べてしまう。
ネタとしては面白い。しかしアシ経験無し、かつ高校生では採用は難しい。
そう判断を下しつつ、念のため添付されていた作品サンプルを開く。
作品サンプルも異常に多かったが、初めに開いた画像は彫像の鉛筆デッサンだった。
小西はその巧みさに驚いた。これは長年訓練をしていないと描けない絵だと小西は感じた。
次に開いたサンプルではミリペンによるメイデンハーツの模写が描かれていた。
一枚の紙にキャラやモンスター、そして建物等が無数に描かれている。
原作の絵に忠実で、ベタやトーンもしっかり入れてあり技術の高さと同時に作品への敬意と愛情も感じ取ることができた。
そこから次々サンプルを開き結局すべて確認してしまった。
小西にとってそれらの作品群は非常に魅力のあるものだった。
なぜなら作品のモチーフの大部分がメイド服の女性だったから。
最後に開いたサンプルは水彩画だった。
描かれているのはメイデンハーツに登場するメイド服の半妖娘たちがカフェで仕事をしている風景である。
見たことがない絵で笑午とは絵柄も異なるので、模写ではなく二次創作のイラストのようだ。
構図も色使いもセンスに溢れていて、アート作品として非常に魅力的だと感じる。
「うわーー、どうしようこれ。ここで逃す手はないよねえ」
想像以上の掘り出し物に小西は逆に頭を抱えてしまった。
もし漫画の持ち込みで来ていたら即日担当につくほどの画力だ。
ストーリーが書けなくても作画として十分戦える人材に思える。
というか、彼女の絵が小西に刺さりすぎたのでぜひ一緒に仕事をしたいと思った。
単にアシスタントにするには惜しい。どうにか自分の手で漫画家として育てたい。
そう考える小西であったが、持ち込みではないので扱いが難しい。
結局、上司である副編集長の尾岸に確認したところ、笑午の下で育てよとのお達しが下った。
自分の手で育成できないのは少々残念だが、笑午の専属アシスタントであれば小西が一番近い編集者になるのでツバはつけやすい。
そもそも、当初の目的である笑午のアシ確保という目的は達成できるので現状はそれで満足すべきだろう。
笑午にメッセージを送ると、未経験者の女子高生という部分に大きく引っかかっていたが、サンプルを見せたら黙って了承した。
面接は移動時間を節約したいとの理由で笑午の自宅で行うことになった。
笑午の同意も得られたので、朱鷺川瑠々の方に面接を行いたいとメールを送るとすぐに了承の返事が帰ってきた。
面接には保護者も同伴で来ることになった。
ともあれ、姫小路揚羽に朱鷺川瑠々の二人がアシスタントに入るなら千本柿笑午の人手不足問題も解消しそうだ。
悩みのタネが一つ無くなり、小西は安堵の息を吐くのだった。
** naoyuki side **
小西から有望なアシスタントが見つかったと連絡が入り、尚之は小さくガッツポーズを作る。
しかし話を聞くと相手は女子高生だという。
高校生であれば昼間と深夜に作業ができないし、技術面での懸念もある。
尚之は不安を覚えたが、サンプルをみたところ、アシとしては十分すぎる資質を持っているように思えた。
その女子高生は尚之を尊敬しているようなので、無責任な仕事をすることも無いだろうと小西が太鼓判を押す。
猫の手も借りたい尚之としては担当にそこまで言われたら断る理由はない。
尚之の自宅で面接を行い、条件面で問題がなければ採用するということになった。
面接当日、担当の小西が前もって到着する。
面接会場は尚之の祖母の滝乃がいつも家事をしている洋間だ。
平日の夕方のため自宅には祖母・母・義姉・姪・甥がいるが、洋間には近づかないよう言ってある。
面接用の書類をテーブルに並べる小西が「すごい美少女だから驚かないでね」などと言ってくる。
尚之としては美少女でも化物でも猫でも犬でも仕事をしてもらえれば何でも良い。
定刻の15分前。小西の携帯に先方から到着したとメッセージが届く。
小西が駐車場まで相手を迎えにいく間、尚之は洋間のテーブルで待つ。
少しすると、小西がアシスタント候補とその保護者を連れて部屋に戻ってきた。
驚かないでねと言った小西本人が驚愕に震えるような表情をしているが、尚之はその理由をすぐに理解できた。
驚愕するのも頷けた。なんせそこには国民的な人気女優の朱鷺川麻里江がいたのだ。
そしてその横には人形と見紛うほどに美しい少女がメイド服を着て立っていた。
これは一体なんのイベントかと混乱したが、尚之は現状を思い出す。
今は小西がアシスタント希望の女子高生とその保護者を連れてきた場面である。
確かに、参加人員の頭数に間違いはない。
尚之が立ち上がり、女性二人にどうぞと席に座るよう促す。
緊張のためかメイド少女は顔を耳まで赤くし硬直していたが、母親に肩を叩かれるとぎくしゃくと動き初めた。
少女の着ているメイド服は長袖にロングスカートのクラシカルなタイプだが、ずいぶんと作りが良いように見える。
二人が席につくと、小西が尚之の隣に座る。
小西が未だ戸惑いを残すような声で互いの紹介を始めた。
「こちらが本誌でメイデン・ハーツの連載を手掛けている、千本柿笑午先生です」
「千本柿です。よろしくお願いします」
尚久が二人の女性に頭を下げる。
「それでこちらが今回アシスタントに応募してくれた朱鷺川瑠々さんです。朱鷺川さんは未成年ですので、本日はお、お母様に同伴していただいています」
尚之の認識通り、メイド少女がアシスタント希望の女子高生で、女優の朱鷺川麻里江がその保護者のようだ。
小西の紹介を受けて母親の朱鷺川麻里江が頭を下げる。
「どうぞよろしくお願いします」
それに続いてメイド少女が勢いよく頭を下げる。
「あの!!よろしくお願いしまっしゅ!!」
その瞬間、ガンッと音がなってメイド少女が「うっ」と声を漏らした。
勢い余ってテーブルに頭をぶつけたようだ。
「大丈夫ですか?」
「あの、大丈夫です……」
尚之が声をかけると顔を真っ赤にしたメイド少女が頭を押さえて涙目で返事をした。
気まずい空気の中、場を立て直すように小西が話し始める。
「えー、では始めさせていただきます」
そこから小西の進行により、話が進んでいった。
編集部では高校生は原則アシスタントの採用を断っていること。
しかし編集部は朱鷺川瑠々に特別な才能を感じたため、将来有望な人材として例外的に採用を考えていること。
労働時間は夜9時までとすること。
仕事の内容は口外しないこと。
保護者や学校から仕事の中断の指示があった場合は従うこと。
など、編集部の意向や就労条件が小西によって説明される。
互いに了承済みの条件を確認するだけなので話はサクサク進む。
「先生から何か質問はありますか?」
「そうですね。私の専属アシスタントになりたい理由を聞かせてもらえますか?」
尚之が質問をするとメイド少女がビクッと体を震わせ、緊張の面持ちで応答する。
「はいあの、先生のお描きになる絵が大変素晴らしくて、特にあの、先生のメイド服へのこだわりは感嘆に値するものでして、その、先生が連載を始めてからずっと先生の絵を模倣して勉強させていただいておりまして、それで先日あの、アシスタント募集の告知を見てこれは天啓だと感じまして、ぜひともお手伝いさせていただきたいと思い至り、今回応募させていただいた次第でございます!!」
真っ赤な顔をしたメイド服少女が早口で志望動機を言い切った。
尚之も自分の作品を肯定されれば悪い気はしない。
しかしどうやらこの少女は尚之の漫画のメイド服要素に特別な思い入れがあるようだ。
メイド服にこだわっているのは尚之ではなく隣りにいる小西編集なので尚之は少々複雑な気分である。
そしてもう一つ、尚之の中でとても気になることを聞いてみることにした。
「朱鷺川さんは、普段からその格好をしてるのですか?」
「あっ、あのこれは、今日初めて着たんですけど、あの、私、メイド服が好きでいつかは着たいと思っていて、その、これは母が昔映画の撮影で着ていたものをリメイクしたものでして、あの、母は女優なんですけど、あの、私がメイド服が好きと言ったら譲ってくれまして、それで私としましては、この服は今日という大切な日にふさわしい衣装であると思いまして、着てきたんですけど、やっぱおかしいかったかなと現在思っておりまして、その……やっぱり変でしょうか?」
メイド少女が羞恥に身を震わせながら涙目で問うてきた。
尚之は、はいと考えた。
尚之の価値観において、メイド服は面接にふさわしい服ではない。
しかし、おそらくこの少女は尚之をメイド好きだと勘違いをしてこの服を着てきたのだろう。
同好の士に認めてもらうために勇気を出して勝負服を着てきた少女を否定して傷つけてしまうのは忍びない。
「いや、単なる好奇心気で聞いただけですので。服装は個人の自由なので問題ありません。漫画家にも個性的なファッションの人は多いですし」
尚久の返事に小西が追従してきた。
「そうそう、姫小路先生なんかは毎回ガチガチのゴスロリファッションで編集部来ますからね」
小西は状況に慣れてきたのか、美少女のメイド服姿が眼福なようでニコニコ顔である。
尚之は小西の言葉で姫小路が編集部内でゴテゴテの黒い日傘を差していたのを思い出し少し口元をにやけさせてしまった。
ともあれ、女子高生だろうがメイドだろうが仕事をしてもらえるなら尚之としては文句はない。
「私の方は問題ないです」
「朱鷺川さんのお母様は質問はありますか?」
小西が朱鷺川麻里江に質問すると、彼女が感情の見えない微笑で答える。
「そうですね。仕事場を見せていただいてもよろしいですか?」
「えっと、千本柿先生、大丈夫ですか?」
「いいですが、散らかっていますよ。先日の地震で物が散乱してしまったので」
「かまいません。お願いします」
ということで、一行は尚之の仕事場を見学することになった。
尚之はこうなるなら部屋を片しておけば良かったと少し後悔した。
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<尚之の関係者>
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