第2話 メイド少女、将来をかんがえる
彼女の家は名家というわけではないが裕福だった。
父は世界的なデザイナーであり、母は国民的な人気女優であった。
瑠々は母から飛び抜けた美貌とプロポーション、父からはアートのセンスと手先の器用さを受け継いでいた。
品行方正で学力も高く、運動能力にも優れている。
そんな瑠々の長く艶のある黒髪は彼女の清廉さの象徴であった。
そんな瑠々には幼い頃からこよなく愛し続けたものがあった。
それはメイドである。
彼女の本棚にはメイドに関連する漫画・小説・解説書など、メイドにまつわるありとあらゆる本が並んでいた。
さらに本棚の奥には、彼女が幼少期から描き続けてきた数十冊におよぶメイドの絵が描かれたノートやスケッチブックも隠されていた。
そんな瑠々がメイドを初めて目にしたのは9歳のときである。
父が見せてくれた母が主演の昔の映画。
その中で母の演じるヒロインがメイドだったのだ。
母の扮するメイドはときに優雅に主に仕え、ときに慈悲深く主の子の命を救い、ときに勇敢に主の敵をうち倒した。
そしてヒロインのメイドと男やもめだった主は、様々な困難を乗り越えて最終的に結ばれた。
その話が瑠々にとってはどのようなおとぎ話よりも美しく輝いて見えた。
彼女は自身の嗜好を誰かと共有したくて友人にメイドの良さを伝え回った。
しかし友人たちの反応は良いものではなかった。
それ以来、瑠々はメイド好きのことは誰にも言っていない。
彼女の密かな楽しみといえば部屋でメイドの絵を書いてみたり、メイドに関する本を読み漁ったり、SNSに上がっているメイド服のイラストやコスプレにいいねを押すぐらいなものである。
いつか自分もメイド服を着て主のため働いてみたいなどと考えてみるが、それは具体的な目標ではなくただの妄想でしかなかった。
とはいえ瑠々ももう高校二年生であり、真剣に進路を考えねばならない時期だった。
「朱鷺川さんって将来はどうするの?」
学校の教室にて、瑠々が先程配られた進路調査票を見つめていると、前の席に座るクラスメイトが話しかけてきた。
特に親しい間柄ではないが、近くにいればたわいない会話をする人物である。
将来と聞いて、瑠々の頭にやりたいことが思い浮かぶがそれは口にしない。
「おそらく進学することになると思います」
「朱鷺川さん頭いいもんね。あなたのお母さんみたいに女優にはならないの?」
「いえ、女優なんてやりません」
「そう? 朱鷺川さんならスターの資質十分だと思うけど。声も綺麗だしスタイルも抜群だし」
「む、無理です。私、赤面症ですしカメラ向けられると緊張で吃りますし」
「もったいないなあ。朱鷺川さんが女優になれば
「いえ、あははは……」
将来は
こんな調子なので本当に何でも話せる友人というのが瑠々にはいなかった。
瑠々はチラリと教室の窓際に座る一人の人物をみる。
中性的で美しい顔立ちをしたショートカットの少女。
彼女は名を『
余談であるが、瑠々の学校には意外と芸能人が多い。
セキュリティの高さやブランド力の高さから業界にウケが良いのだ。
芸能人の生徒は、瑠々のように二世のケースもあれば、タレントとして売れてから入学するケースもある。
一色あやめの場合は後者だった。
彼女はトップアイドルグループのメンバーでTVでもよく見かける。
グループではクールキャラの彼女だが、普段の彼女も中々に無愛想でクラスでは浮いた存在だ。
瑠々には他人の目を気にせず、やりたいことをやる彼女が眩しく見えていた。
自分はこのままやりたいことを隠しながら生きていくのだろうか。
そんなことを考えながら、瑠々は憂鬱そうに進路調査票を見つめるのだった。
◇
学校が終わると瑠々は送迎の車に乗って習い事に行く。
瑠々は子供の頃から習い事としてバレエとピアノ、そして絵画教室に通っている。
他にも様々な習い事に通っていたが、高校に入り学業優先ということで3つに絞った。
実は学業優先というのは建前で、本音ではメイドに思いを馳せる時間、いわゆる「メイ活」の時間が欲しかっただけだが。
習い事は特に情熱もないので、言われたことを熟すだけだ。
習い事の先生たちからは本腰を入れてやってみましょうと誘われるが、これ以上メイ活の時間を削るわけには行かないので断っている。
習い事が終わり自宅に戻ると珍しく両親が揃っていた。
それぞれ長期間家を開けることが多いため、二人が一緒にいるのは珍しい。
ちなみにだが、両親不在が多い朱鷺川家の家事は一人の家政婦が行っている。
50代の女性で瑠々との付き合いも長く、関係はとても良好である。
家事も一緒にやるし、料理や裁縫もその家政婦に教わった。
残念なのは家政婦の格好がシャツとズボンにエプロン姿という所だ。
瑠々には家政婦がなぜメイド服でないのかが理解できなかった。
リビングに入った瑠々が、ソファで寄り添う父と母に声をかける。
「ただいま帰りました」
「おかえり瑠々! 相変わらず僕の天使は世界一愛らしいね」
「5日ぶりですね、お父さん。新作のイベントはどうでしたか?」
「もちろん大成功だったよ! でもパパは瑠々にもショーに出て欲しかったな」
「ショーには絶対出ません! 私が人前で赤面するのお父さんも知ってますよね?」
「頬を赤らめた瑠々が涙目でランウェイを歩く姿なんて最高にキュートじゃないか」
「いやですよそんなショー! 母さんも何か言ってやって下さい」
「そうね。瑠々はモデルって柄じゃないわ」
「ええ、君の娘なのにかい?」
「パフォーマー向きじゃないのよね、性格が」
「ならデザイナーかな? 瑠々はセンスが良いからね。私の下で修行するかい?」
「デザイナーも無理ですよ。私お洋服作ろうって思ったこと無いですから」
本当はある。メイド服だが。
「瑠々は何かやりたいことがあるのかい?」
「わ、わたしはその……今考え中で……」
「希望があれば言うんだよ。モデルやデザイナーでなくともパパは応援するからね」
「はい、わかりました」
両親と別れ自室に戻る。
主を見つけてメイドになりたい。
そう言ったら両親はどんな顔をするだろうと考え、ため息をつく。
瑠々は愛用の机に座り、スケッチブックを取り出す。
そこにはメイド服を着た女性のイラストが所狭しと描かれていた。
なにも瑠々は本気でメイドになろうとは考えてはいない。
メイドとして主に仕えることが無理ならせめてメイドに関わる何かがしてみたいと思うのだ。
例えばメイドカフェで働いてみたり、メイドに関する創作物を作ってイベントに出てみたり、そういった活動でもきっと瑠々は十分満足できる。
ただ、瑠々にはそんなささいな願いも両親に相談する勇気が湧いてこない。
怪訝な顔や不可解な顔でもされてしまったら、瑠々は両親を自分と相容れない存在と感じて距離を取ってしまうかもしれない。
学校のクラスメイトたちと同様に。
モヤモヤとした気持ちを払拭すべく、瑠々はカバンから一冊の本を取り出した。
瑠々が本をパラパラ捲ると、目的のページにたどりつく。
瑠々の胸がトクンと高鳴り、そこからページを一枚ずつ、丁寧に捲っていく。
ページが進むたび、瑠々の顔がニヤニヤしたり眉を釣り上げたり紅潮したり青ざめたりくるくる変化してゆく。
最後のページを読み終わると、瑠々は息を鼻からすーーーっと吸い込み、口からぷはぁーーーーと吐きだした。
「やあああ今週もよかったですよぉぉぉお『メイハー』!! この作品はいま連載中のメイド物では間違いなく頂点です!妖鬼とスイーパーが徒党を組んで襲ってきたときはどうなるかと思いましたけど、まさか主人公のレックくんが猫又のミュウちゃんと吸血鬼のロザリーちゃんの二人の能力同時に引き出しちゃうなんてビックリしました! でも二人があんなに好き好きオーラ出してるのにレックくんが鈍感すぎるのはちょっとイラッとしちゃいますねえ。お約束なのはわかりますけど、この新調した最高に可愛いメイド服姿見ても無反応だなんてレックくん罪が深すぎて有罪確定ですよまったく」
瑠々がいつもと同様、興奮してぶつぶつと独り言を喋りだす。
瑠々が読んでいたのは少年ヨッシャー19号。
栄光館という出版社が毎週発行している少年漫画雑誌である。
瑠々は毎週欠かさず少年ヨッシャーを購入している。
主に
『メイデン・ハーツ』はラブコメ要素の強いバトル漫画で、主人公の能力に変わった特徴がある。
主人公はヒロインである半妖の少女たちとキスをするとヒロインと融合してその妖怪としての能力を得られるという力を持つ。
ヒロインのかわいさ、襲ってくる妖鬼のデザインのエグさ、ヒロインとのキスシーンの美しさ、融合後の主人公のキャラデザの良さ、バトルシーンの表現力など、『メイデン・ハーツ』には様々な魅力が詰まっており、少年ヨッシャーの中でも3本の指に入る人気作品となっている。
そして瑠々にとってこの漫画の最大の魅力といえば、ヒロイン全員がメイド服を着ているという部分だ。
緻密で美しくデザイン性も高いメイド服を着たヒロインたちが、カフェで接客したり主人公の世話を焼いたり戦うために主人公に身を捧げたりする姿は瑠々の琴線をビシビシ刺激するものがあり、『メイデン・ハーツ』は瑠々にとってもはやバイブルに等しい作品と言って過言ではなかった。
「だいたいレックくんは女の子に気を持たせすぎなんです。烏天狗のクロフシちゃんに髪飾りあげて次の週にはセイレーンのソニアちゃんとデートしてって。まあかわいいメイド服の半妖娘ちゃんがたくさん見れるのは嬉しいですけど、って、あれ……この千本柿先生の巻末コメント……」
瑠々は作者の巻末コメントも当然チェックしているが、今週の千本柿笑午のコメントは瑠々には見過ごせない内容だった。
『地震で棚のもの全部落っこちてきました。誰か片付けて……。あ、アシさん募集してます。よろしくお願いします。』
そのコメントを読んだ瑠々の鼓動は、急速に早まっていくのであった。
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