4話 友人関係と違和感


 まだ俺たち以外は誰もいない大教室。

 俺の右側に座るのは昨日一悶着あった地雷系ファッションの女子。

 完全に嫌われたと思っていた彼女はまるで昨日のことが無かったかのように、俺の隣に座っていて、さらに俺の名前まで知っていた。


「ど、どうして崎宮さんは俺の名前……知ってるの?」


 そう問いかけると、崎宮さんはピンク色の手帳型カバーがされたスマートフォンを差し出してきた。


「これ」


 そこには、大学公式の掲示板が映し出されていた。


「これって、自己紹介のっ!」

「うん」


 そ、そっか。

 崎宮さんはこれで俺の名前を知っていたのか。


「風切くんのこと、ゼミで見かけてなんとなく覚えてたから……昨日傘を借りた後、この掲示板を見て分かったの」

「そう、だったんだ」


 ゼミの時の崎宮さんは周りを見渡す素振りは無かったのに……意外と見てるんだなぁ。

 じゃあ俺がゼミでぼっちだったのも知ってるってことだよね。


「風切くんの方こそどうしてあの時、わたしの名前を知ってたの?」

「ああ。実は俺も、この掲示板の自己紹介で崎宮さんの名前知ってさ。可憐って良い名前だなって思って覚えていたというか」

「へぇ……わたしの名前が可愛い、んだ。ふふ」


 崎宮さんはそう呟きながら、小さく笑った。

 ど、どうしたんだろ……?

 もしかして、名前にはあまり触れない方が良かったのかな?


「さ、崎宮……さん?」

「一つだけ、疑問に思ったことがあるんだけど」

「?」

「どうして掲示板の『崎宮可憐』がわたしだって分かったの?」


 そ、そっちか……。

 確かにそれは疑問に思うはず。

 傘を貸す前の俺は、そもそも崎宮さんと話したことすらないのに、地雷系ファッションという特徴だけで崎宮さんを『崎宮可憐』だと断定しちゃったわけで。

 でも崎宮さんからしたら見ず知らずの男子が自分の名前を知っていたわけで、よく考えたらキモい……よね。

 女子だからなおさらその手のことには敏感だよな。


「ご、ごめん! 単純に見た目とか、雰囲気の特徴が掲示板の自己紹介と一致したというか……」


 俺が必死に説明すると、崎宮さんは急に真顔で俺を見つめてきた。

 それはもう、今にも110の番号を押しそうなくらいの真顔で、可愛いというより怖い。

 ヤバいヤバい。絶対に引いてる!


「ごめん! やっぱキモいよね? あはは。正直、崎宮さんの服がピンクで目立つから、ついゼミの時から見ちゃってたというか。だから、なんかごめん」

「…………っ」

「えと、崎宮さん?」

「ううん。風切くんが謝る必要は全くないし、ふふっ、むしろ——」


 続け様に崎宮さんは何かを言いかけたが、突然、喋るのを止めた。

 あれ? 崎宮さん怒ってない……?

 何を言いかけたんだろう。

 崎宮さんは話している途中でキャラが変わるので、イマイチ掴みどころがない。

 可愛いけど、ちょっとだけ変わってるのかも。


「それより今から改めて自己紹介しない? わたし風切くんのこともっと知りたいから」


 崎宮さんはそう提案しながらニコッと笑うと、白い歯を見せる。


 かなり意外だった。

 昨日の崎宮さんは、もっと俺に対して警戒心を露わにしていた印象だったけど、今日の崎宮さんは真逆。

 それに、俺のことを知りたいなんて……女の子からそんなこと言われるの初めての経験だし、シンプルに嬉しすぎる。


 傘を貸しただけで、こんなにも俺みたいな男に気を許してくれるなんて……。

 よっぽど、あの後行く予定だった用事に間に合ったのが嬉しかったのかな?


「じゃあ、わたしから自己紹介するね?」


 俺が崎宮さんのことを考えていると、先に崎宮さんから自己紹介を始める。


「わたしの名前は崎宮可憐。一応、生まれも育ちも東京なんだけど、大学からは一人暮らしがしたかったから、東南大の近くにあるマンションで一人暮らししてるの」

「えっ! 東京に実家があるのに、わざわざ一人暮らししてるなんて……凄いね。俺だったら絶対実家に甘えちゃうと思う」

「せっかく大学生になったんだし、趣味とかプライベートも自由にしたいからね」


 趣味、プライベート……多分、この地雷系の服とかのことかな?

 それとも、彼氏と二人で……って意味だったり?

 どちらにしても崎宮さんって今どき女子ってイメージが強いし、派手な地雷系ファッションとお高そうなアイテムを持ってるから、とても田舎出身だとは思っていなかったが……。


「自己紹介にも書いたけど、わたしってピンクのものが大好きで。昔から可愛いものとか好きなものを自分の身の回りに置かないと気が済まない性格っていうか……まあ、それで空回りしたこともあったんだけどね」


 崎宮さんは少し顔を曇らせながらも「自分の自己紹介は終わり」と言わんばかりに手のひらを俺の方に向ける。


 次は俺の番ってことか。


「えと、俺は風切裕也。出身は栃木の田舎の方にある街で、崎宮さんと同じで大学近くのマンションで一人暮らししてる。特に趣味とかはないし……見ての通り、何でもごく普通で一般人だから、運動や勉強もザ・普通だし、特技もないし、友達もほぼいないダメ人間なんだけど……よ、よろしく」


 俺が自己紹介を済ませると、崎宮さんは小さくパチパチと手を叩いてくれた。

 ほぼ自虐ネタみたいになっちゃったけど、崎宮さんが良い反応をしてくれるおかげで空気は少し和んだ。


「ふふっ。自己紹介なのに、自分を立てない人は初めて見たかも」

「ご、ごめん……自虐多くて。でも俺、生まれつきダメ人間だからさ」

「風切くんはダメ人間なんかじゃないと思うよ?」


 崎宮さんはスパッと言い切ると、少し俺の方に身を寄せてくる。

 近づいて来た崎宮さんから女の子らしい甘い香水の匂いがした。


「友達がいないなんて、そんなのわたしも同じだし、それに……」

「それに?」


 急に口が止まったので聞き返すと、崎宮さんは自分の肩まで伸びていた鮮やかなピンク色のストレートヘアを手のひらにサラッと広げた。


「わたしのピンク髪とか、この服とか……今まで誰も褒めてくれなかったけど、昨日の雨の中を行こうとした時、風切くんだけは可愛いって言ってくれた。わたしの可愛いを守るために大切な傘まで貸してくれたから、嬉しくて」


 崎宮さんの……可愛い。

 崎宮さんはピンク色のサラサラした長い髪に触れながら言う。


「そんな人——今までで初めてだったの」


 俺は昨日、傘を貸したことで自然と彼女の可愛いを守っていた。

 傘を貸したのは100%親切心だったのに、最初は崎宮さんから下心があると疑われていたから、てっきりまだ疑われているものだと思い込んでいた。

 結果的にその気持ちが伝わったから、崎宮さんは昨日とは真逆に柔らかい笑顔で俺に話しかけてきてくれたのか。


 それに崎宮さんはあの時の俺が髪や服を「可愛い」って言ったこと、こんなにも喜んでくれていた。

 あの時は単に傘を貸すことに必死だったのもあるけど、崎宮さんの身につけているものはどう見ても高価だと分かったし、崎宮さんの綺麗なストレートの髪や可愛らしいハートモチーフの服が雨で濡れたら可哀想に思えた。

 ただでさえ崎宮さんは目立つのに、雨でびしょびしょになって周りから指を刺されてしまう彼女を想像しただけで、俺は居た堪れなくなったのだ。

 地雷系……見た目でそう一括りにしてしまえば、崎宮さんは病んでる女子になってしまう。

 でも崎宮さんは、その見た目のイカつさとは裏腹に、普通に優しく接してくれて声にも透明感があった。


「昨日は傘を貸してもらって本当に助かったし、嬉しかった。借りた傘はしっかり乾かしてから返したいから、また今度返すね?」


 最初は地雷系ファッションだから性格とかも地雷系そのものに思えたけど、単純にピンクの可愛いものが好きなだけの女の子なのかもしれない。

 可愛いものへの執着が強すぎるだけで、本質的には普通の女の子なんだろう。


 それなら、俺は——。


「さ、崎宮さん!」


 もう決めた。

 俺がするのは、じゃない。

 山ほど陽キャの友達を作るより、信じられる友達が一人いれば、それでいい。

 だから俺は崎宮さんと——っ。


「俺と……友達に、なってくれないかな」


 ほぼ告白みたいな雰囲気だった。

 恥ずかしくて今にも顔から火が出そうだ。


 でも……今の俺は無敵だ。

 昨日、あれだけ恥をかいたんだから、今さらどれだけ恥をかいても構わない。

 崎宮さんの反応は……?


「……う、うんっ」


 崎宮さんはニコッと柔らかい笑顔になっていた。


「こちらこそ、よろしくお願いしますっ」


 よ、良かったぁぁぁ……!!


 こうして、ついに俺の大学生活で初めての友達ができた。

 それもとびっきり可愛い顔の女子。

 ちょっぴりピンク髪やファッションが変わってるけど、中身は純粋に優しい女の子だと思うし、大丈夫だろう。(もしもこの流れで崎宮さんから「嫌」なんて言われた暁には、落ち込んで中退する所だったぜ)


「風切くん。せっかくわたしたち友達になったことだし、良かったら——」


「あっ! 昨日の髪ツンツンくーん!」


 突然、崎宮さんの声を遮るように、聞き覚えのある声が左から聞こえた。

 軽快にトタトタと歩み寄って来たのは、昨日俺の髪を指摘してくれた、いかにも陽キャな女子の日向。

 今日は薄手のセーターの上にジャケットを羽織ってスラックスというボーイッシュな服装で、ショートヘアを相まって声やアクセサリー以外は女子とは思えないくらいだ。


「か、髪ツンツン!?」

「うん。昨日ワックスミスって髪がとんがってたから、それが君のあだ名」

「そんな黒歴史掘り下げるようなあだ名で呼ばないでよ。昨日のことは忘れたいんだから」

「えー? あ、もしかしてトラウマになったから今日はワックスしてないの?」


 日向は痛いところを突いてくる。

 昨日のことがあって絶望していた俺は、今日はワックスをして来なかったのだ。


「じゃあこの後あたしがワックスの付け方教えてあげるよ!」

「い、いいよ。そもそもワックス持ってきてないし」

「あたしの貸したげるよ?」

「だからいいって」


「——ねぇ風切くん」


 俺と日向が話していたら、崎宮さんがクイっと俺の服を引っ張った。


「その子は誰? その子とはどんな関係なの? 友達? 彼女?」


 あれ、崎宮さんまた真顔に戻ってる……?

 やけに早口で様子もおかしい。

 さっきまでの柔らかい笑顔を見せればいいのに……ま、いいか。


「彼女は同じゼミの日向さんだよ」

「風切ぃー、さん付け禁止!」

「え、ええ……? じゃあこちらは日向」

「日向でーすよろしくー。てか君って昨日前の席にいたピンク髪の子だよね? 名前は?」

「…………」


 崎宮さんはいつの間にかまん丸可愛い目から、しっとり細い目つきに変わった。

 やっぱりなんかおかしい……。


 さっきまでの崎宮さんとは雰囲気が違った。



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