アフター 『結晶』
「――ここは……。そう、私は戻って来たのね」
夜空の様に美しい黒一色の長髪、宝石のように輝く紫紺の瞳、そして長く尖った耳。
そんな姿をした彼女は、若かりし白くきめ細かく皺一つない自分の肌にほんの少しの違和感を覚えつつも、その身体を起こした。
真っ白な潔癖の世界。
白を基調とした、天に浮かぶ浮遊島。
ここを呼ぶ名が有るとすれば、それは天界と呼ぶのが相応しいだろう。
白いタイル張りの床の上に置かれた木製の椅子に、もたれる様に座って眠ってた様だ。
その空間は、先程まで彼女の感じていた暖かさとは明らかに違っていた。
「そう、確か、わたしは……」
自分の最後の記憶を思い返す。
アルヴの家で、大好きな家族たち、子や孫たちに囲まれて、ベッドの上で眠る様にして、天寿を全うした。
『結晶』の魔女、エルはそうやってあの世界を去ったのだ。
「アル……」
彼女はそう言って、あの世界で積み重ねて来た大切な思い出たちを胸にそっと抱く。
酒場で出会い、魔獣と戦い、共に旅をして、他の魔女たちと出会い、そして魔王を倒し、英雄となった。
その後の人生も共に生きた勇者と魔女は、死するその瞬間まで傍で共に在ったのだ。
目を覚ました彼女に、誰かが声をかける。
声の主は白い装束に身を包んだ若い少女の姿をしている。
「おはよう、リエル。長い間眠っていたね」
「――ああ、あなたね。そうかしら? わたしたちの感覚からすれば、刹那程の一時でしょう?」
「まあ、それもそうだね。――弟には会えた?」
「さあ」
リエルと呼ばれた彼女は曖昧に答えて、それ以上話す気は無いといった風にひらひらと手を振る。
「じゃあ、また」
「ええ」
少女が去った後、リエルも外に出る。
視界には一面の青空、そして雲海が広がっていた。
その天を彼女の足元と同じ様な白いタイル張りの島がいくつも浮いている。
「リエル――ね。そう呼ばれたのはいつぶりかしら」
あの世界でも、その名は何度も耳にした。
それでも自分が改めてその名で呼ばれると、どうにも違和感を感じてしまった。
まるで、自分じゃないみたいな――。
「駄目ね。ほんの少し、魔王を倒すまで、それだけのつもりだったのに……」
元々、人間一人分の人生を丸々あの世界で過ごす予定なんて無かった。
ただ、自分の世界を脅かす脅威を、世界の子たちだけで対処できない悪を、それを排除して終わるつもりだった。
それなのに――。
「アルがいけないのよ。あなたが居たから、わたしは魔女エルになってしまった――」
魔王討伐後も、リエルは愛した勇者と共に人生を生きた。
そして、二人の子孫たちは今もあの世界で生きている。
勇者アルバスの育った故郷の村は栄え、その名を英雄を称えアルヴと改められて、大きな国となった。
そして長く尖った耳という特徴を持った強う魔力を持つ一族は、かの伝説の『結晶』の魔女の名を取って、エルフと呼ばれる様になっていった。
そうして、今もあの世界で生きる人々の営みは続いている。
「本は、子供たちが繋いでくれる。きっと、もっと先の未来で――」
アルバスとの旅の間からずっと書き続け、そして完成させた本――魔導書。
そこに記された魔法は、ずっとずっと、もっと先の未来で、子孫の誰かが手に取るだろう。
そして、その時こそが真の意味で戦いの終わりの時だ。
「ラプラス――。まったく、困った弟だわ――」
魔王は討たれた。
狂暴な魔獣と、黒い泥の脅威は去った。
それでも、依然あの世界は停滞している。
時は流れる。
そしてその時の流れの中で栄えて行き、発展して行くはずの文明。
しかし、そのどれもが、リエルが世界を去ったあの頃のまま。
魔王を討って、世界に平和がもたらされた。それは間違いない。
それでも、まだ戦いは終わっていない。
あの魔王を産み落とした、真の黒幕が居る。
「後は、任せたわよ。わたしの子たち――」
『結晶』の魔女、エルは自分の世界の子たちに未来を託し、元の座へと戻った。
懐かしい先に赤紫色の結晶の装飾の付いた杖をどこからともなく表し、手に握る。
そして、あの頃の、勇者と共に旅をした頃の様に、軽い動作で横薙ぎに振るう。
人間の肉体の縛りから放たれて、若く軽い、今のリエル身体ではこの程度の魔法を振るう事など容易な事だった。
淡い魔法の光が結晶を中心として放たれ、周囲一辺を温かく包み込む。
彼女の色が、世界を彩る。
周囲の景色が、まるで本のページをゆっくりと捲る様に、一変して行く。
丘の上の、天を覆う雲を突き抜ける程に高く伸びた、大きな大樹。
その根元に、彼女は居る。
彼女の名は、ラプ・リエル。
アルバスたちの生きたあの世界を治める神であり、そして、勇者を愛した魔女だ。
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