#35 『真実』の龍➂

 コンコン。


 エルが身体を休める寝室の入り口の扉が、軽くノックされる。


「魔女様、起きていますか?」


「ええ、どうぞ」


 エルが促せば、リーンはゆっくりと扉を開ける。

 見れば、リーンはお湯を入れた桶とタオルを持って来てくれた様だ。

 

 リーンはサイドテーブルに桶を置き、傍に腰を下ろす。

 

「ずっと寝ていると、汗かきますよね。身体、お拭きしますよ」


「悪いわね。お願いするわ」


 エルは纏っていたワンピースを脱ぎ、腰元に落とす。

 その白い肌が露わとなる。

 

 胸の傷は殆ど塞がっていたが、しかし、それでも完全にとはいかない。

 胸から頬にかけての亀裂。そのきらきらと光を反射する結晶の筋だけが、薄く白い肌に走る様に残っていた。


 リーンは特段それに触れる事も無く、淡々と手を動かしていく。


 

 しばらく濡らしたタオルでエルの背中を優しく拭っていたリーンだったが、ふと手を止めて、口を開く。

 

「――あの、魔女様」


「うん? 何かしら?」


「魔女様は、兄さまの事を、どう思っているのですか」


「どうって、大切な仲間よ。――ちょっと軽薄で生意気だけど、それでも、安心して背中を預けられる、勇者様。それがアルよ」


 今リーンがどんな表情しているか、背を向けているエルには見ることが出来なかった。

 それでも、その声色から、察する事が出来る物は有っただろう。


「そう、ですか。とても、信頼されているのですね」


 リーンはそれ以上、何も言わなかった。


「リー……」


 エルは口を開きかけた。

 しかし、それをわざわざ言うのは――それを問うのは、野暮というものだろう。


「――いいえ、何でもないわ」


 聞かなくても、分かる事だ。そして、聞いたところで人の心は変わらないし、意味の無い事だ。

 


 身体を拭き終わった後。

 

「それじゃあ、わたし、外の風に当たって来るわ」


「大丈夫ですか?」


「ええ、問題ないわ。ありがと」


 そう言って、エルは寝室を出て行った。

 

 そして、一人になった部屋の中。

 リーンは誰にも聞こえない様な小さな声で、「……魔女様が、羨ましいです」と、独り言ちていた。


 

 アルバスが家の前で風に当たりながら煙草を吹かしていれば、玄関扉を開けてエルが出て来た。

 寝巻では無く、旅の中で見慣れた黒いローブ姿だ。


「もういいのか」


「ええ。もうすっかり」

 

 数日経てば、エルは今までと同じ様に動けるまで回復していた。

 そんな元気に動くエルの様子を見ていたアルバスだったが、首筋から頬にかけてのきらきらと光る結晶の筋に視線が行き、ずきりと胸が痛んだ。


「――悪かったな」


「いつまで気にしてるのよ、しつこい男はモテないわよ」


「そういうんじゃねえだろ。お前は女なんだから。……顔に、傷付けちまった」


 いつもの様に軽口で返すエルに対して、アルバスは真剣な声色だった。

 自分のせいで、と肩を落とし、悔いていた。

 しかし、それでもエルは何か面白い事でも有ったみたいに、ふっと一笑。

 

「なんだ、そんな事ね」


「そんな事って――」


「ねえ、アル? 話は変わるんだけれど――」


 そして、新しい玩具でも見つけたみたいに、悪戯っぽく笑いながら、アルバスの隣に腰を下ろす。


「なんだよ」


「あの時、話があるって、言ってなかったかしら?」


 あの時――つまり、黒い島での事だ。

 

 エルは俯いていたアルバスの顔を、悪戯っぽい微笑みのまま、覗き込む。

 アルバスはわざとらしく顔を背けてから、「はあ」と大きく煙を吐き出す。


「あー……。なんだ、その……戦いはまだ、終わってねえからな。その話は、お預けだ」


 そして、そう言って立ち上がり、煙草の火をもみ消して、足早にその場を去り、家の中へと戻る。


「ねえ、アル。待ちなさいよー」


 エルもその後ろをとてとてと追いかけて、中へ入っていった。

 


 夕食時。

 夕食はアルバスが作り、リーンがそれを少し手伝った。

 エルには心得が無かったので、椅子に座ってその様子を眺めていた。


 食事をしながら、アルバスが切り出す。

 

「一先ず、エルも万全。しかし、あの魔王をどう倒すか――」


 このままもう一度無策で突っ込んでも、またあの不死身の魔王に返り討ちに合うのがオチだろう。

 何かしら、対策を講じる必要が有る。


「あの、その話なんですけど」


 と、おずおずとリーンは手を挙げる。


「リーン、何か心当たりが有るの?」


「はい、魔女様。実はですね、この村の近くに、大きな峡谷が有るんですけど――」


 それは、以前に妖精の里を探している時に、アルバスからも聞いた“真実の目を持つ龍”の話だった。

 峡谷に隠れ潜む龍に出会うことが出来た者には、何でも一つ真実を得る権利が与えられるのだという。


「――つまり、その龍なら、不死身の魔王を倒す術を知っているかもしれない、って言いたいのね」


「おい、リーン。あれはただのおとぎ話だろう。そんな物に頼るなんて――」


「いいえ、兄さま! 龍は居ますよ!」


「何か、理由が有るのね」


「はい。幼い頃、私は峡谷に遊びに行き、そこで龍に出会ったのです――」


 リーンの話の内容を要約すると、こんな感じだ。

 

 幼い頃、龍の峡谷に遊びに行ったリーンは迷子になってしまい、さ迷い歩き疲れ果てたリーンはその場で眠ってしまったのだ。

 そして、リーンは夢を見た。

 夢の中で見た、白い龍の姿。それはリーンの記憶に強く刻まれている。

 

 目が覚めたリーンは、村の入り口の前で目が覚めた。

 いつの間に帰って来たのか分からない。それでも、何となく理解していた。

 きっと、あの龍が助けてくれたのだ、と――。


「それ、お前がガキの頃みた夢の話だろ」


 アルバスはスプーンでリーンを指し、その言を一蹴。


「違います! 私は龍に助けてもらったんです!」


 しかし、リーンは心の底からその思い出を信じていたので、その言を曲げる事は無い。

 

「まあまあ。実際、わたしたちに手札が無いのは事実よ。一度試してみても、良いんじゃないかしら?」


「それは――まあ、そうだが」

 

 エルに宥められて、アルバスも矛を収める。

 

「折角リーンが案をくれたんだもの。一度、その峡谷へ行ってみましょう」

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