#32 『汚れ』の魔王④
勇者と魔女、二人はついに魔王の根城へと、辿り着いた。
「中で何が待ってるのか分からねえ。気を付けろよ」
「ええ」
大きな扉の左右を二人で押せば、施錠すらされていない飾りだけのその扉はいとも簡単に開いた。
中へ入れば、薄暗い灯りだけが城内をぼんやりと照らしていて、広い玄関ホールと、正面には階段。
色は城の外と同じく黒を基調としていて、まるでここだけ色を失った寂しい世界の様だ。
「鍵もかけずに、不用心だな」
「結界があるもの、必要が無いのでしょう。この城も、全部飾りよ」
そんな会話をしながらも、警戒は怠らない。
二人は寄り添うように、お互いのカバー範囲を保ったまま、ゆっくりと階段を上って行く。
そして、進んだ先。一際目立つ大部屋の前まで来た。
おそらく、この中に――。
「行くぞ」
と、隣にいるエルへと声を掛けた、その時。
ギィーーと、扉は一人でに開いて行く。
まるで、中へ入って来いと、導かれているかの様に。
アルバスとエルは一歩、踏み出す。
すると、二人が入室したのを認識したかの様に、後ろの扉は再び一人でに動き、ばたんと閉じる。
「逃がさないって事かしらね」
「ふん。鼻から逃げる気なんて無いんだがな」
そして、赤ならぬ黒――ブラックカーペットの道を進んで行けば、その広い部屋の全容が見えて来る。
部屋の奥には玉座。
そして、そこに座す者こそが――、
「――魔王」
ついに、この時が。
何年も、何年もかけて
魔王はゆっくりと、玉座から腰を上げる。
その姿は“漆黒”。
まるで空間が抉れているかの様な黒一色の鎧を身に纏う甲冑騎士、それが魔王の姿だった。
魔王は何も語らない。
ただ、目の前の侵入者を排除するべく、腰に差した剣を抜く。
その片刃の剣の刀身もまた、漆黒。黒く、それでいて光を反射する刃。
刃を抜いたその時、ぞくり――悪寒が走る。
この世ならざる、汚れを産み出す漆黒の魔王。
その存在を前にして、根源的恐怖が、勇者と魔女を襲う。
「おい、なんだありゃ……まるで――」
「気を強く持ちなさい。呑まれるわよ」
「あ、ああ……すまん」
エルがばん平手でとアルバスの背を叩く。
それによって、魔王の空気感に呑まれかけていたアルバスは我を取り戻し、抜いた剣を構え直す。
エルもその様子を見て、ふっと微笑み、杖を構えた。
「アル、行くわよ」
「ああ!」
「ぎょ、ぎょおおおう!!」
あの異形の怪物の様な、奇怪で耳障りな声を発する魔王。
魔王が一歩踏み込み、前方へ突進。
その勢いで、魔王の身体――鎧の隙間からは、ぐちゅりとあの“汚れ”が滲み出て、飛散する。
魔王は漆黒の刃を振り下ろす。
アルバスはその縦切りを自身の剣で受け止めるが、その強い衝撃に足元の床に亀裂が走る。
「アルっ!」
すかさずエルの『身体強化』の魔法によるブースト。
アルバスの」身体は魔法の淡い光に包まれ、そのまま――、
「おりゃあああっ!!」
魔王の刃を弾き、そのまま切り返しで一撃を胴へと叩き込む。
鎧によって守られた肉体。致命傷には至らないが、魔王の身体は後方へと吹き飛ばされる。
「これまでの
その後も、魔王との攻防は続く。
『結晶』の矢を放つも、魔王は刃の一振りで粉砕。しかし、それを囮としてすぐさま背後へ『転移』し、杖を『結晶』の槍として突き立てる。
魔王が翻し反撃を試みれば、すぐさままた『転移』で離脱。ヒットアンドアウェイ戦法だ。
そして、エルが魔法で翻弄する事で、アルバスはフリーで動くことが出来る。
魔王がエルの方へと気が取られ、背後を向いた一瞬の隙。
アルバスの長剣による一閃が、直撃。
魔王の漆黒の鎧を叩き割る。
「よし――エルっ!」
鎧を砕かれて、数歩後ずさる魔王。
そして、アルバスがその場から飛び退けば――、
「トドメよ」
数多の『結晶』の矢が雨の様に、鎧を失った魔王の肉体を貫き、幾つもの風穴を空ける。
そして、その矢の雨が止むと、魔王の肉体はその場に倒れ伏した。
「終わった……のか……?」
アルバスはゆっくりと魔王の死体へと近づいて行く。
しかし――、
「――危ないっ!」
エルだけが、それに気づくことが出来た。
魔力の動きを感じ取れる、エルだけが。
魔王の身体が、ぴくりと痙攣した。
そして、ぞくりとした悪寒。それは最初にこの魔王と対峙した時と同じ物だ。
嫌な予感として、その感覚を察知したエルは、すぐさま『転移』の魔法を使用。
そして、アルバスと魔王の間に、滑り込んだ。
ぐさり――。
魔王の身体から泥が触手となって這い出て、エルの身体を貫いた。
「おいっ! エルっ!」
すぐさま受け止め、抱きかかえるアルバス。
魔王はその後、ぬるりと身体を起こす。
気づけば、『結晶』の矢の雨を受けてズタズタに空いていたはずの風穴は、全て埋まっていた。無傷だ。
(こいつ、不死身なのか……)
そんな思考が、アルバスの頭を過る。
しかし、それどころではない。
腕の中のエルは浅い呼吸を繰り返し、今にも気を失いそうだ。
肩口から胸辺りを一突きされていて、出血も酷い。このままでは、命が危うい。
「ぁ……アル……大丈夫……?」
「俺の心配してる場合かよ! 酷い怪我だ、すぐに治療しないと――そうだ、魔法でなんとか! 取り敢えず傷口を塞いで――」
「だめ……意識が定まらない。魔法の集中が続かない……」
淡い光が点滅し、いつもの様に魔法の形として発現しない。
傷の痛みが、流した血が、エルの感覚をブレさせ、狂わせる。
「くそっ! しっかりしろ! 帰ったら、話があるって言っただろ……。死ぬな、死なないでくれ……」
「ええ……死にたくない、死にたくないわ……。わたし、まだ、あなたと一緒に――」
エルの紫紺の瞳から流れた涙は頬を伝い、雫を落とす。
どうすれば、どうすればエルは助かるのか。
逡巡するが、時間も無い。
立ち上がった魔王は、もう鎧を纏わぬその“泥の肉体”で佇む。
そして、背から生やした八本の触手を伸ばし、こちらへと伸ばそうと攻撃の体勢を取る。
――そうだ。
アルバスは思い出すし、あの“水色の魔石”を取り出す。
それはエルが作った『転移』の魔法の魔法式が刻まれた魔石だ。
魔力を流すだけで、刻まれた魔法が発動できる。
「エル! 俺の手を握れ。それで、好きなだけ魔力を持っていけ」
「でも――」
「大丈夫だ。絶対に離さない。お前なら出来る。エルは、俺の特別な仲間だ、最強の魔女なんだ。出来ない訳が無い。だから、だから――」
まとまらない言葉を、必死に、アルバスは順番に吐き出していく。
そんな様子を見て、エルは脂汗を浮かべ辛そうなままながらも、薄く口角を上げ、ぎゅっとアルバスの手を握った。
それを確認すると、アルバスは『転移』の魔石に魔力を流す。
それと同時に、アルバスの魔力を、エルが吸い出していく。
――魔王の触手が、振り下ろされる。
二人を魔法の淡い光が包んで行く。
ぱきり、ぱきりと音を立てって、エルの傷口を『結晶』が覆って行くき、流れ出す血は止血される。
そして、二人を『転移』の波に乗る感覚が襲う。
魔力を限界まで消費したアルバスと、多くの血を流した限界状態で魔法を使ったエル。
無事『転移』の魔法の発動が成功した事を確認すると、その安堵からか、ぷつりと糸が切れたかの様に、二人の意識は、薄れて行く――。
――魔王が触手を振り下ろした先には、何も無い。誰も居ない。
そこには、砕け散った水色の魔石の欠片だけが、ただ散らばっていた。
『転移』先も指定できていない、滅茶苦茶な魔法。
それでも、二人はその握った手を離す事無かった。
そして、『転移』の波が収まり、二人が飛ばされた先は――。
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