#30 『汚れ』の魔王②

 そして、魔力操作の特訓も一段落した頃。

 

「――しかしまあ、こんなにもあっさりと本丸へ辿り着けるとはな……」


 魔石を光に透かし、キラキラとして様子を眺めてながら、アルバスがぼやく。


「なあに? 浮かない顔ね」


 特訓の時、アルバス傍に寄り添っていたまま隣で腰を下ろしていたエルが顔を覗き込む。


「だってよ、勇者俺たちがこれまで何年かけても魔王の元にすら辿り着けなかったって言うのに、エルが来てから1年足らずで、もうその首元に剣が届きそうって所まで来ちまったんだぜ? そりゃ今までの落差から不安にもなるさ。本当にこの道をこのまま進んでいて大丈夫なのか、ってな……」


 これまで何人もの勇者が道半ばで膝を折って来た。

 それはやはり、あの黒い泥――魔王のその力に対抗できなかったのが大きい。

 かつてのアルバスの仲間も、あの泥に精神を侵されて、そして命を落とした。

 しかし、エルが入ってからの勇者一行の旅路は順調そのものだ。


「案外、何事も一度軌道に乗れば、後はとんとん拍子で物事は進む物よ。それに、順調なのは良い事じゃない」


「ま、そんなもんか……。でも、本当にエルに出会わなかったら、その軌道にも乗って無かったんだ。なんつーか、まるで勇者を導いてくれる女神様みたいだな」


「そ、そう? わたしはただの記憶喪失の魔女なのだけれど」


 エルは肩をぴくりと震わせるが、それが何なのかアルバスには分かる事は無い。

 アルバスが「うん?」と顔色を窺うが、エルは「何かしら?」といった風にすぐに取り繕うので、それ以上気にする事も無かった。


「いや。そういやそうだったな。普段そんな様子も見せないから、忘れてたぜ」


 口ではそう言っているが、実のところそれを忘れた事なんてない。

 むしろ、エルが自分との旅を終えた後、どうして行くのか気になっていた。


「酷いわね、ただ旅をしている分には問題が無いだけよ。帰る家も無いのだから、アルが思ってるより結構深刻よ?」

 

「そうだな、すまん。でも、それなら、エルは旅が終わったらどうするんだ?」


 だから、直接聞いてみた。


「気が早いわね」


「女神様のおかげで、ゴールが見えて来たからな」


 いつもの様に軽口を交えて、まるで何でもない雑談の一つの様に。


「はいはい。――でも、そうね……」


 エルはしばらく悩み、黙り込んでしまった。


「なんだ、考えて無かったのか?」


「ええ。“ここ”に残った使命だけを追って、ここまで来たものだから、後の事なんて考えていなかったわ……」


 “ここ”と言って、エルは胸の前で手を握り、少し寂しそうに目を伏せる、そんな表情を見せる。

 

 アルバスには考えていた事が有った。

 もし、エルの記憶が戻らないのなら。もし、帰る場所が無いのなら――。


「じゃあさ、この旅が終わったら――」


 そうアルバスが言いかけた、その時。

 船員たちが騒ぐ声が聞こえてくる。

 何事だろうか、と様子を窺おうと立ち上がると、すぐにその理由は分かった。一目瞭然だ。


「霧――!」


 気づけば、海上には霧が立ち込めていた。

 この商船の航路上で、霧が出て来たという事は、つまり“黒い島”がすぐ近くだと言う事だ。

 船員たちも黒い島の噂を知っているのだろう、船内は物々しい雰囲気で、警戒色が強まっている。


「ついに、辿り着いたわね」


 丁度航路の半ばくらいだろうか。

 西の大陸と東の大陸の間、海のど真ん中。そこに、それは在った。

 濃い霧が辺りを包み込み、全容は把握できない。それでも、霧越しに薄く大きく黒い影が存在感を放っている。


「それじゃあ魔女様、出番だぜ」


「任せな――さい!」


 エルは取り出した杖を勢いよく振るい、杖先の赤紫色の結晶が弧を描く。

 魔法の淡い光が放たれて、まるでその杖に空間が殴られたかの様に、霧の結界の一部に風穴が空く。

 そして、その風穴を中心として広がって行き、そのまま霧は全て霧散して行った。


「これが、黒い島――」


 霧が晴れ、眼前には黒い島の全容が現れた。

 

 土なのか岩なのかも分からないような黒い大地。

 世界の中央にあるこの島から全てを見下すかのように、島の中央部に建てられた黒一色の城。

 その光を吸い込むほどの漆黒の城は、アルバスたちが今までに見て来た王都に建てられている様な城のイメージとはかけ離れた、初めて見る建築様式だった。


 船員たちも急に霧が晴れて黒い島が現れた物だから大騒ぎだ。

 そんな喧騒をバックに、勇者と魔女は一歩を踏み出す。

 

「それじゃ、行くぜ?」


 アルバスはそう言って、エルの肩と膝下に腕を回して抱き上げる。

 つまり、お姫様抱っこの形を取った。


「ちょ、ちょっと!? アル!?」


 そんなエルの僅かな抵抗も虚しく、アルバスは船の手すりに足をかけて――、


「そーれっ!」


 エルを抱きかかえたまま、跳躍。

 勿論それで黒い島へ届く訳も無く、何も無ければ海に落ちるのがオチだ。

 しかし、ぎゅっと目を瞑ったままのエルの杖の先、赤紫色の結晶が魔法の淡い光を放つ。


 アルバスたちは『転移』の波に乗り、そして――、

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