#5 『結晶』の魔女④

 初撃の不意打ちに失敗したからか、まるでこちらの出方を窺っていた様だった白銀のボスも、こちらが完全に戦闘態勢に入った事を察したのだろう。


「キィィィィーー!!」


 と、再び命令の鳴き声を上げ、まるで兵隊猿を鼓舞する様に斧を地に叩きつける。

 地が揺れ、それと同時に周囲の兵隊猿たちの、


「「「キェェェェ!!!」」」


 という耳を突く鳴き声の輪唱が、空気を揺らす。


 我先にと、先頭に飛び出て来た浮いた兵隊猿の一匹。

 アルバスはその棍棒の一振りを同じく剣の一振りで払いのけ、切り返しの一振り。

 一撃で首を刎ねる。

 

 首を刎ねられた兵隊猿は絶命。

 肉体は塵と成り、虚空へと消える。


 武装しているとは言っても、兵隊猿の攻撃自体は一直線の単調な物。

 もはや魔獣との戦いは百戦錬磨、歴戦のアルバスにとって剣の扱いはペンを紙に走らせる様な、無意識に熟せる所作の一つ。

 

 そんな一直線の攻撃を受け流し、胸部の鎧を避けて正確に首を刎ね飛ばす事など容易な事だ。

 ――勿論、それが相手が一匹の場合に限るのだが。


 相手は魔獣、慈悲や躊躇など無い。

 休む暇など与えてはくれない。

 すぐさま二匹目が畳みかけて来る。

 

 今度は槍を持った兵隊猿の突きがアルバスに襲い掛かる。

 やはり知能に似た何かが有るのだろう、一件丸腰で脅威度の低そうなエルよりも先に、分かりやすい剣という脅威を携えたアルバスの方を袋叩きにするつもりらしい。

 切り返しが、間に合わない。

 しかし――、


「――はぁっ!!」


 エルが気合の掛け声と共に、赤紫色の『結晶』の矢が放たれる。

 淡い魔法の光に包まれた杖の先、赤紫色の結晶から、それと同質の『結晶』が無から生み出され、矢の形状を形成し、放たれたのだ。

 

 放たれた『結晶』の矢は槍を持ってアルバスに襲い掛かっていた兵隊猿の頭部を貫き、その勢いのまま木の幹に打ち付けた。頭部を失った兵隊猿は塵と成り消え、幹に突き刺さる『結晶』の矢だけが残った。


 それだけではない。

 エルの放つ『結晶』の矢は一本だけではなかった。


「――降り注げっ!」


 その最初の一撃を皮切りに、エルが天に掲げた杖から淡い魔法の光は辺に広がり、その勢いが黒いローブを怪しく揺らす。

 そして、数多の『結晶』の矢が雨の様に降り注ぐ。

 その『結晶』の雨は器用にアルバスとエルの居る場所を避け、ドーナツ状を描きながら、周囲の兵隊猿を貫き、瞬く間にその全てを一掃した。


「おいおい、マジかよ……」


 先程武装した魔獣に吐いたのと同じ台詞を、今度は隣に居る魔獣よりも恐ろしい魔女様に向かって吐く。


「キィ……」


 しかし、それで全てが終わった訳では無い。

 降り注ぐ『結晶』の雨を受けても尚、そこに頭上に斧を掲げ盾とし、悠然と佇む白銀のボス猿。

 巨体に見合った硬質な皮膚、そして武装した鎧が『結晶』の矢を通さず、片口に刺さった数本の矢を除けば、ほぼ無傷と言ってもいいだろう。

 

「しぶとい、わね……」


「あんた、何者だよ」


「だから、名乗ったでしょう?わたしは魔女『エル』よ」


「そうじゃない、魔法ってのはあんな物なのか」


 確かに魔法が使える、彼女が魔女だと聞いてある程度は戦えるのだろうと踏んでの今日の依頼だったのだが、普通はあの数を一瞬で屠る様な真似出来るはずが無い。

 一撃必殺の威力を待つが、長々と魔法式の構築だとか言って時間をかけて詠唱して放つ、というのがアルバスの知る魔法だ。

 

 こんな魔法をアルバスは見た事が無かった。

 これまでに見て来た魔法と呼ばれる物とは遥かにレベルが違う。

 あれらは所詮魔法擬き、これこそが真なる魔法なのだと、そう思った。


「二つ名持ちの魔法使い、魔女ならこれくらいは出来ると思うわよ?――多分、ね」


「つまり、あんたは――」


 しかし、今この瞬間に限ってはエルからゆっくりと話を聞き出す暇は無い。

 そんな話をしているアルバスとエルの居た場所に、斧の一撃が叩き込まれる。

 

 それを察知した二人はすぐさま左右に飛び退き、その一撃を回避した。

 斧は空振り、二人の間の大地を二つに割く。


「おっと」


「話は後、まずはこいつをどうにかするわよ」


 再び、エルの杖が振るわれる。

 淡い光が弧を描き、幾つもの『結晶』の矢が放たれる。しかし、


「キァァ!!!」


 ボス猿は斧を振るうまでもない。

 片腕でその矢を受け、矢は堅い表皮で受け止められる。

 鬱陶しそうにその腕を振るうと、矢はぽろぽろと地に落ち、ぱりんと軽い破裂音と共に、『結晶』は欠片となった。


「駄目ね、あいつ堅過ぎる。わたしの矢が届かないわ」


「そこを何とかならんのか」


「そうね。“それ”なら或いは――」


 エルはそう言って、アルバスの腕の先――その手に持つ長剣に視線を向ける。

 薄汚く安っぽい他の装備品とは不釣り合いな、黄金色の美しい長剣。

 

 確かに、これまでのアルバスの無茶な戦いを経ても、刃毀れ一つしてしない高級品。

 アルバス自身も何よりも一番信頼を置いている得物だ。

 この長剣での一撃ならば、あの巨体の硬い皮膚も貫けるだろう。


「隙を、作れるか?」


「ええ、それくらいなら、お安い御用よ。――あと、おまけ」


 ボス猿は再び斧を振り上げる。

 アルバスとエルは視線を合わせて、互いに合図。

 

 そして、動き出そうとしたタイミング。

 エルが何やら言って小さく淡い光を放つが、もう走り出したアルバスの足は止まらない。

 そして、エルの言う“おまけ”が何なのかを、アルバスは身体で直接理解した。


「――身体が、軽い」


 踏み出した足。

 その一歩目、二歩目よりも、軽い。

 

 走り始めよりも、エルの“おまけ”――淡い光をその身に受け取った後の方が、明らかに身体の調子が上がったのを感じる。

 今なら、空だって駆けて行けそうだ。

 『身体強化』された身体を活かし、地を蹴り、大樹の幹を蹴り、宙を舞い、ボス猿までの距離を詰める。


 しかし、ボス猿のヘイトはもうアルバスには無かった。

 先程の『結晶』の魔法で兵隊猿を一掃され、脅威判定が更新されたのだろう。

 斬りかかろうとするアルバスを無視して、ボス猿の斧は迷いなくエルの方へと振り下ろされる。


「――咲き誇れ!」


 エルの掛け声と共に『結晶』の盾が花開き、宙に浮く様に空間に形成される。

 『結晶』の盾はがっちりと斧の重い一撃を受け止めるが、花弁にはヒビが入る。もう一撃は保たないだろう。


「ちっ……舐めんじゃねえよ!!」


 しかし、エルに斧を振るったボス猿の背はがら空きだ。

 跳躍したアルバスはボス猿の背後に回り、苛立ちを込めた長剣の一振りはボス猿の片口の表皮を、そして肉を割く。


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