#4 『結晶』の魔女➂

 山道を歩けば程なくして、辺りは大樹が天まで伸びる、見通しの悪い林の中。

 周囲の空気が変わったのを感じる。

 

 その空気感の変質が漂う魔力によるものだという事は、魔女であるエルと違って魔法に精通していないアルバスにも分かる事だった。

 それ程までに、肌にひり付く感覚が痛々しい。


 それが魔獣への接近の兆しだと理解したアルバスは、腰に差した長剣を抜き、構える。

 それはかつて王より賜った装備品の内の一つ、綺麗なだけで重くてクソの役にも立たなかった防具の類とは違い、これまで幾度も魔獣の肉を割き、骨を断ち、腸を引きずり出して来た、歴戦の剣。

 この世で唯一アルバスが信用している得物だ。


「――来るぞ」


「ええ」


 エルは短く一言で応え、ゆっくりと、落ち着いた足取りで歩を進め、アルバスの数歩前で止まる。

 そして、ローブを翻すと、どこからともなく現れる木製の棒――それは魔女の杖だろう。

 

 杖の先には拳ほどの大きさの赤紫色の結晶がはめ込まれており、それはきっと魔石の類であろう。

 その杖の大きさからして、どこかに収納して持ち運ぶなんてとてもじゃないが出来ない物だ。

 魔法によって、虚空からその長い杖が現れる。


 アルバスは大樹を背に右前方へ剣を構え、来る魔獣を待つ。

 エルは左前方へと杖を構え、杖の先の結晶が淡く光る。


 がさり。――物音、明らかな気配。

 アルバスは周囲に耳を澄まし、気配を探る。しかし――、


「アル、後ろっ!」


 先に声を上げたのはエルの方だった。

 その声に、アルバスは慌てて前方へ転がる様に飛び退く。

 

 背後から風を切る轟音。

 そして、一拍遅れてみしみしと言う音を立てて、枝と枝が擦れ合いながら、一本の大樹が倒れ、地を揺らす。

 見れば、先程までアルバスが背にしていた大樹がへし折られていた。


「おいおい、マジかよ……」


 自嘲気味な笑みでそう嘯くが、それが強がりから来るものだという事はアルバス自身も理解していて、どこか空々しい。


 大樹をへし折った者の正体。

 やはりと言った所だが、依頼書に姿の有った“猿人型の魔獣”だ。

 大樹の半分の高さはあろうその巨躯。白銀の剛毛に覆われた体躯。

 頭部は猪の様な大きな牙が有る。

 

 手にはもう刃こぼれしきって、もはや切る事は難しいだろう巨大な斧。

 その丸太の様な腕による斧の一振りであの大樹をへし折ったのだと、すぐに理解出来た。

 

 それだけならまだいい、それ以上の異常性。

 先の言は決して大樹をへし折った事に対しての驚きから来るものでは無かった。


「……なんで魔獣が、鎧なんて着てんだよ」


 猿人型の身体に纏うそれはまさしく鎧と形容するのが妥当な物だろう。

 鉄や革、様々な素材が器用に継ぎ接ぎにされ、その巨体の胸部を覆う鎧を成していた。


「キィッ……キィィィィーー!!」


 それに応える訳でも無く、猿人型は奇怪な甲高い鳴き声を出す。そして、その鳴き声は山中、大樹の林に木霊する。


 アルバスは猿人型から距離を取り、エルの方へ。


「大丈夫か」


「アルより先に避けたもの、当然よ」


「そうかい、なら良かった」


 エルも黒いローブに被った砂埃を払い、軽口を叩きつつ駆け足で傍に寄る。

 目深に被っていたフードは先程の衝撃で捲れ、素顔が露わになっていた。

 

 白い肌、紫紺の瞳、尖った長い耳、艶の有る黒髪。

 そして、その髪はローブの奥に隠していたのだろう。

 

 それは想像していた物よりも遥かに長く、腰程までの長さが有った。

 この辺り――西の大陸ではあまり見る事の無い、長く美しい黒髪。


 それとほぼ同時に、周囲の魔力の気配はどんどん大きく――いや、増えて行く。

 気づけば辺りは猿人型魔獣の群れに囲まれていた。

 

 あの甲高い鳴き声は威嚇行為ではなく、仲間を呼ぶ為の物だった事を悟る。

 しかし、もう遅い。


 周囲の猿人型の体毛は黒茶色、体長は最初の一体の様な巨大さは無いが、それでも成人男性くらいの体長は有り、やはりそのどれもが継ぎ接ぎだらけの鎧で胸部を覆っている。

 そして、手に持つ武器も様々だ。

 

 剣や斧、棍棒の様な物を持つ奴も居る。

 そのどれもが手入れのされていない、もはや鈍器としての役割しか果たせぬであろう物ばかりだ。

 

 しかし、猿人型魔獣が武装しているだなんて、そんな記述は依頼書には無かった。

 おそらく、その鎧や武器は――、


「――これまでの犠牲者の物、か」


「ええ、そうね。魔獣なのに、武装して統率されて、まるで知性が有るみたい。おかしな話だわ」


「実際そうなんじゃねえか。あの白い奴の一鳴きで皆集まって来やがった、まるで軍隊だ」


 十中八九、白銀の体毛を持つ巨大な個体がこの魔獣の群れの親玉。

 そして、その親玉が周囲を取り囲む赤茶色の個体――兵隊猿を使役しているのだろう。


 周囲の兵隊猿たちは、荒い鼻息を鳴らしながら、今か今かとボスの命令を忠実に待っている。

 二人は背中合わせの形で、追い詰められる。逃げ場は、無い。


「――それで、アルは“見てるだけ”なの?」


 エルはこんな状況だと言うのに、どこか楽し気に悪戯っぽく笑い、アルバスをからかう様だ。


「バカ言え。この状況でぼーっと突っ立ってたんじゃ、俺までお陀仏だよ。こうなったら仕方ねえ、手伝ってやるさ」



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