#3 『結晶』の魔女②
「おはよう。ちゃんと来てくれたみたいで良かったわ」
「それはこっちの台詞だ。てっきり怖気づいて逃げ出すかと思ったぜ?」
朝。
昨晩の約束通り酒場の前で落ち合ったアルバスと魔女。
出会って早々煽り合いの様相を成すが、互いに特段気にした様子はない。ただの軽口だろう。
「それで、アル。今日の――」
「待て待て、いきなり距離感が近いぞ」
「あら?でも“死神のアル”でしょう?」
「ああ、そうか……」
アルバスは頭を無造作に掻きながら、悪態付く。
昨日は酒が回っていた所為か話の流れに身を任せてしまっていたが、互いに名乗ってすらいなかった事にここでアルバスはやっと気づく。
魔女は有名な“死神のアル”の二つ名を一方的に知っている、だからそれを名前だと認識し、そのまま“アル”と呼んだのだ。それがほぼ初対面での愛称呼びという些か不適切な距離感になっている事など、本人は知る由もない。
実際“死神のアル”と呼ぶのと、ただ“アル”と呼ぶのとでは天と地程の差がある。アルバスの体感として前者は蔑称であり、後者は愛称に当たる物だ。
「いや悪い、名乗って無かったな。俺は勇者『アルバス・ヴァイオレット』だ」
「そう、アルバス――長いわね。やっぱり、アルでいいわ」
折角フルネームを名乗ったものの、魔女様はお気に召さなかったらしい。
改めての名乗りも徒労に終わった様だが、“死神”や“臆病者”と蔑称呼ばれるならともかく、悪意無く愛称で呼ばれる分には悪い気はしない。再三の訂正は必要無いだろう。
「そうかい。――で、あんたの名は?」
魔女は口元に手を当て、少し逡巡の素振りを見せ、勿体ぶった後、ゆっくりと口を開いた。
「……わたしは『エル』。そう呼んで頂戴」
「ふぅん……」
エルと名乗る魔女の様子から、何となくアルバスは“それが偽名ではないか”と、そう思った。
家名を持たない者自体特段珍しくはない。
アルバスだって両親は居ないので、育ての親の家名を勝手に名乗っているに過ぎない。
勇者となった際に希望に満ち溢れていたアルバスがその家名を大陸中に響かせようと名乗り始めた物だが、今となってはその名に泥を塗っている体たらくだ。
問題はそこでは無い。
会話の間や声のトーンに含まれていた迷いの感情から、きっと『エル』という名前はついさっき考えた、もしくは名乗り慣れていない物なのだろうと察する事が出来た。
しかし、だからと言ってアルバスはそれを追求する事は無い。
どうせ今日限りの付き合いだ、どちらでも良い事だ。
本来であれば今日の依頼をたった二人で受けるなんて自殺行為、どちらかもしくは両者共が命を落とす可能性の方が高い。
しかし、アルバスはどうせまた自分だけ生きて帰るのだろうと思っていた。
それなら、名前なんて聞かない方が良かったかもしれない、と少し後悔を覚えた。
そんな感情が表情に出ていたのかもしれない。
「……?」
気づけば魔女――エルがアルバスの顔を覗き込んでいた。視線が交差する。
そして、ここで初めて黒いローブの奥の彼女の顔を正面から見ることが出来た。
宝石の様に輝く、澄んだ紫紺の瞳。さらさらとした艶の有る黒髪。長く尖った耳の形も特徴的だ。
高飛車な口調や魔女と言う職業からしていたイメージとは随分と違う、可愛らしい、柔らかい表情をするのだなと、そう思った。
「――ああ、いや、そうだ。それで、今日の話だったな」
アルバスは自分の心中を見透かされた様な、そんな変な気まずさを覚えて、半ば誤魔化す様に話の軌道を修正する。
「ええ、道すがらでお願いするわ、アル」
アルバスが返事替わりに一つ溜息を吐き、くるりと背を向け歩き出す。
すると、エルはその半歩後ろを付いて来る。
意識を少しそちらへと向ければ、風に靡く黒いローブが視界の端にちらちらと映り込む。
やはり、エルからは恐怖やそういった類の感情を感じられない。
まるで今日の依頼を達成し、アルバスと共に魔王討伐の旅に出る事が彼女の中で確定事項となっているかの様な、まるで実家で腰を下ろし寛ぐ安心感を抱いている様な、そんな落ち着いた様子だ。
今回の依頼内容は魔獣の掃討。
相手は複数体で群れを成している、猿人型の魔獣。
その全てを狩り尽くすのだ。
奴らは普段山奥に潜んでおり、時折村に下りて来て民を襲うのだと言う。
通常であれば国お抱えの軍でも配備されるであろう案件なのだが、今はどこも人手不足。
こんな辺境の村にまで人員が回される頃にはそこはもう廃村になっている事だろう。
「つまり、わたしの魔法でこの猿を全部焼き払えばいいのね」
アルバスから一通りの説明を受けたエルは、そう言いながら受け取った依頼書に記された猿人型魔獣の絵を指でぺしぺしと叩く。
「今からでも引き返して良いんだぜ。別に逃げたってあんたを責めやしねえよ」
「しつこいわね、大丈夫よ。アルは後ろから見てれば良いわ」
半ば挑発する様なアルバスの再三の忠告にも、やはりエルは耳を貸さない。
命を落とす事を恐れていないのだろうか。――いや、それを誰よりも恐れているのはアルバスなのかもしれない。
「そうかい」
「それに、名乗ったでしょう。もしかして、もう忘れてしまったのかしら?わたしの名前はエル、あんたじゃないわ」
しかし、アルバスはそれを聞き流す。ただ一言、
「置いてくぞ」
とだけ言って、心なしか駆け足気味に山道を先導して行く。
「ちょっと、アル!」
エルも置いてかれまいと、黒いローブをひらひらと揺らしながら、その後を付いて行った。
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