#2 『結晶』の魔女①


「あんた、そろそろその辺で止めときなよ」


「くそう……うるせえなあ、まだ金はある。もう一杯だ」


 ここはとある町酒場。

 飲んだくれ、荒っぽい口調で毒づく無精ひげを生やした男と、それを窘める酒場の女将。


 男は薄汚れている革鎧を身に着け、腰には大きな剣を一本携えている。

 カウンターテーブルの上には麻袋一杯に溢れんばかりの硬貨の山。これ程有ればまだもう一樽開けてもお釣りがくるだろう。


「あんたが稼いだ金だ、好きにすればいいけどねえ。そんな風にやってると、その内あんたも命を落とすよ。折角拾った命、もっと大事にしなさいな」


「うるせえ、俺はどうせ死なねえよ。ほっといてくれ」


 それに、死んでしまうのならそれでも構わないとすら思っていたかもしれない。彼は傍から見れば、それ程に無謀な事をしていた。

 酒を浴びる彼の名はアルバス・ヴァイオレット。勇者である彼だが、今は一人で魔獣討伐の依頼を受け、その報酬で生計を立てている。

 魔獣討伐と言っても、それは本来一人で熟す類の依頼ではない事はアルバスの傍に置かれた麻袋、中身が溢れる程の依頼達成の報酬、その金額が物語っている。


「ちっ、勇者様が良い気になりやがって」


「死神のアル――仲間を見捨ててのこのこと逃げ帰って来た臆病者が」


 わざわざアルバスの耳に入る様に大きな声で話す、そんな妬みや嫌悪の相混ぜになった会話声が店内の他の席から聞こえてくる。

 アルバスはそんな声を聞き流しながら、舌打ちを溢し、酒を浴びる。


 死神のアル――それが勇者の二つ名として通っている。

 勇者としてアルバスは仲間を募り、旅に出た。しかし、その道程は過酷な物だった。

 今代の勇者一行の旅もまた、これまでの勇者たちと同じ結果だった。道程での戦いに敗れ、仲間たちは死に、パーティは崩壊。

 しかし、これまでの勇者一行とは違った点。それはアルバス一人だけが生き延びて帰ってきてしまった事だ。

 アルバスは生きている限り、勇者である。その任を解かれる事は無い。

 また仲間を募り、旅に出る。そして、再びのゲームオーバー。そんな事が何度も続いた。


 そうやって行く内に、自然と付いた二つ名が“死神のアル”もしくは“臆病者のアル”だ。

 パーティを組んだ仲間が必ず死ぬ、故に死神。仲間を見捨てて逃げ伸びる、故に臆病者。

 当然、そういった悪評から次第にアルバスの元へ集まる仲間は減って行った。


 自然を愛する気のいい男、盾持ちのハデス。

 明るく優しい回復役、僧侶のセレス。

 貴族の娘で実力はピカイチ、騎士のミネルヴァ。


 皆物好きなのか、もしくは勇者という肩書に惹かれたのか、理由は何でも構わなかった。

 誰もがアルバスの元に集まってくれた最高の仲間たちだった。

 勿論、その全員が死んだ。


 以降のアルバスは新たな人員の募集もせず、パーティ参加の申し出も全て断る様になった。

 そして、もう終わりにしようと思った。もう死んでしまおうと思い、自分一人ではとても対処仕切れない大きな依頼を無理やり受けて、剣一本でそれに挑んだ。

 そこを自分の死地とするはずだった。しかし、何故かアルバスは生き延びてしまった。

 足元には大きな魔獣の死体の山。そして、手元には依頼達成報酬の大金。


 そんな無謀な依頼を繰り返す。しかし、何度やっても結果は同じ。また生きて帰ってしまう。

 周りの人は死んでしまう。しかし、自分一人だけはどうやっても生き延びてしまう。

 身体の傷と、心の傷だけが増えて行く。


 アルバスはそれから、一人で依頼を受け、一人で全てを解決する日々。金を稼いで、次の街へ。

 もはや魔王討伐なんて大任を達成する気なんてさらさら無かった。それでも、アルバスさえ生きていれば次の勇者は現れない。次の犠牲者は現れない。それだけは救いだろうか。

 死んだならそれはそれで構わない、このいつ終わるかも分からない勇者という呪いから解放されるのだから。

 生き続ける自分と、終わりを望む自分。そんな矛盾を孕みながらも、アルバスは放浪を続けていた。


 そうやって今日もあぶく銭を溶かし酒を浴びていると、からんと後ろから酒場の入り口、扉が開かれる音。

 そしてコツコツと木板を踏みしめる靴の音。その音はアルバスの方へと少しずつ近づいて来る。

 そして、その音の主は隣のカウンター席へと腰を下ろした。

 他にも沢山席は空いているというのに、わざわざ隣に座るという事は、アルバスに用が有るという事なのだろう。そして、アルバスへの――勇者への用事なんて限られている。

 危険な依頼を持って来たか、もしくは――、


「あなたが、勇者ね」


 漆黒色のローブ姿。目深にフードを被っているが、声からするに女だろう。


「だったら?」


「わたしを、パーティに加える気はない?」


 もしくは、パーティ参加の申し出か。今回は後者だったらしい。


「悪いな、うちのパーティは定員一名。人手は間に合ってんだ」

 

「わたし、魔法が使えるわ。結構強いのよ?魔王を討つ力になれると思うわ」


 魔法が使える、つまり彼女の職業は魔女という事だ。

 魔法とは専門的な技術と知識を必要とする、人間を超越した力。この世界で魔法が使えるという事はそれだけでアイデンティティだ。彼女の「結構強い」という言も嘘では無いだろう。パーティに加えるメンバーとしては有力候補だ。


 しかし、アルバスの心は決まっていた。もう二度と仲間は作らない。

 それに、もう魔王を討つ気なんてさらさら無かった。かつての純粋だったアルバスならともかく、死神のアルにそれは魅力的に映らない。

 しかし、仮にも勇者という立場、肩書。正面から「魔王討伐なんてもうやる気がありません」なんて公言する事は憚られた。故に、それなりの納得してもらえる建前としての、断る言い訳が必要だ。


「知ってるだろ、俺は死神だ。一緒に来れば、死ぬぞ」


 いつものアルバスの断り文句だ。しかし、


「やってみなきゃ、分からないわ」


 魔女はやけに食い下がって来る。

 こういうパターンの時は大体金に困っているのか、それとも死にたがりかのどちらかだ。


「金が欲しいなら、これ持ってけ。わざわざ命を捨てる事は無えよ」


 と言って、カウンターテーブルに置いていた麻袋を隣へ無造作に投げる。

 まだ中の硬貨は十分に詰まっており、魔女の前に落ちたそれはじゃらりと重いく鈍い金属音を鳴らす。

 アルバスにとってそれは執着する物では無かった。


「これは……?」


「さあな、そこに落ちてた。拾っとけよ」


 アルバスは適当な嘘を吐いて、半ば強引に大金を押し付ける。


「嘘、あなたのでしょう。受け取れないわ。それに、わたしはお金が欲しい訳じゃないの」


 そう言って魔女は、中がぎっしりと詰まって重たい麻袋を、ずりずりとテーブルの上を引きずるようにして、アルバスへと押し返す。


「なら何だ、死にたいのか?これ以上俺の背負う十字架を増やすのは止めてくれ」


「違うわ。最初に言ったでしょう?わたし、魔王を討つ力になれると思うわ」


 つまり、この魔女は金目当てでも、死に場所を求めている訳でも無い。ただ大義の為に、勇者一行に加わろうと言うのだ。

 かつてアルバスにもそういう頃が有った。理想と希望を、意志と大義を胸に旅に出た、若かりしあの頃。

 アルバスはこの魔女の純粋な眩しさに当てられてか、それとも酔いが回り過ぎたからか、眩暈を覚える様な感覚に、頭を抑える。


 この手のパーティ参加希望者は久しく見ていなかった。アルバスは少し逡巡し、断り文句を探す。


「……はぁ。分かった、じゃああんたのその力とやらを見せてくれ」


 そう言って、懐から一枚の紙を取り出す。


 カウンターの奥からその様子を見ていた女将が「ちょっと、それは……」と制止しようとするが、アルバスはお構いなしだ。

 それは依頼書だ。そこには『魔獣の掃討 備考:複数体、数不明』という依頼内容が記されていた。

 アルバスはその依頼が通常よりも明らかに、そして遥かに難易度の高い物だと知っている。自分でわざわざそういう依頼を選んできた内の一つなのだから、当然だろう。


「これを、手伝えばいいのね?」


「いいや。これをあんた一人で達成出来れば、パーティを組んでやる。無理って言うなら、話は終わりだ」


 仮に人間を超越した魔法なんて力が使えたとしても、仮に複数人でパーティを組んでいたとしても、魔獣の討伐は至難の業だ。

 今まで何度もこの類の依頼を熟してきた。しかし、時には死傷者が出たし、そして時にはパーティが全滅しゲームオーバーだ。勿論、アルバス一人で挑んだ際だけは不思議と例外だが。


 まさか一人でそれを達成しろだなんてそんな無理難題、受けるはずが無い。これでこの魔女も引き下がると思っていたが故の提案だ。しかし――、


「ええ、分かったわ」


 しかし、魔女は二つ返事で了承する。

 アルバスは想定外の返事に困惑するが、自分が言い出した事、今更手の平を返す事も出来ない。


「本気かよ……。ちゃんと依頼内容分かってるか?」


「ええ、勿論よ。今日はもう遅いし、明日またこの店の前で集合、って事でいいかしら?」


「おいおい、俺も付いて行くのかよ」


「だって、見ててくれないと、実力を証明出来ないでしょう?」


「それは……まあ、そうか」


 それに、同行すれば最悪の場合はアルバスが助けに入る事が出来るはずだ。とアルバスは思案し、同行の提案を呑む。

 ――最も、そういった事態になった時点でアルバス以外の全員、今回の場合この魔女は命を落とすであろう事は、これまでの経験から想像に難くないだろうが。


「じゃ、また明日ね」


 そう言って、魔女はふっと余裕の笑みを溢して、グラスの中身を一気に飲み干して席を立った。コツコツと靴音は背後へと去って行く。


「おう」


 と一言だけ返してそれを見送った後、はぁと一つ溜息を吐いて、アルバスはグラスに口を付ける。しかし、その中は空だった。

 その空いたグラスをしばらく眺めた後、アルバスは気づく。そういえば、あの魔女は何も注文せずに店を出たな、と。

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