#6 『結晶』の魔女⑤

「ギィィィィーー!!」


 ボス猿は苦痛の悲鳴を漏らす。

 しかし、浅い。

 絶命までは至らない。

 

 反射的な反撃の蹴り、巨体の体重の乗った一撃がアルバスを襲う。

 それを長剣の刀身で受けるも、勢いは殺せない。

 身体は投げ出され、地に打ち付けられる。


「アルっ……!」


 アルバスを心配するエル。

 しかし、ボス猿の狙いは元よりそのエルだ。

 

 再びの斧の一振り。

 それはヒビの入った『結晶』の盾を今度は確実に砕き、その勢いでエルも吹き飛ばされる。

 身体は大樹の幹に打ち付けられ、その根元にぐたりと落ちる。


「おい、大丈夫か」


 打ち付けられ、ズキズキと痛む身体に鞭を討ち、アルバスはエルの元へと駆け寄り、抱き起す。

 これまでのパーティが全滅する時、それと同じ空気感を感じ、言い様のない焦燥感に襲われる。


「ええ、油断したけど、問題ないわ」


 しかし、気丈に振舞い、立ち上がるエル。

 その無事な姿が、抱いた焦燥感をそれは勘違いだとでも言うかの様に掻き消してくれる。


「わたしの心配よりも――見て、何かおかしいわ」


 見れば、ボス猿の片口の傷、そこから血液だろうか、どす黒い液体が流れ出している。

 そのどす黒い液体、どろりとした粘質性を帯びた、まるで黒い泥。

 それは次第にボス猿の片腕に、まるで別の生き物かの様に独りでに纏わりつく。


「ギョオオオオオオオ!!!」


 そして、肩口の傷を起点に溢れた黒い泥にその半身を覆われたボス猿は斧を手から落とし、悲痛の雄叫びを上げる。

 斧を握っていた腕を覆う泥は硬質化して爪の形を成している。

 

 猪の頭部、猿の四肢、銀毛に覆われた半身、そして黒泥に覆われたもう半身。

 眼前の魔獣はもはやまるで別の生き物だ。


「……こいつもか」


「アルは、あれを知っているの?」


 エルにとっては初めての物だろう。

 しかし、それはアルバスのこれまでの戦いの中、旅の中で何度か見て来た光景だった。


「黒い泥――あれを俺たちは“汚れ”と呼んでいる。魔王が世界に垂れ流してる排泄物だ。あの汚れが偶に魔獣の中に入り込んで、こうやって悪さしてんだよ」


 無意識的に“俺たち”と言ったアルバスだったが、もうそれに該当する人間は自分しか生きていない事を思い出し、心の中で毒づく。


 しかし、武装し、隊を成す猿人型魔獣。奴らの知能がそれ程に発達していた理由に合点が行った。

 魔王の汚れに汚染された魔獣は、その強大な魔力によってその凶悪さを増す。

 

 これまでアルバスのパーティを壊滅させてきたのも、この汚れが起因する。

 過去の記憶から、“仲間を失う”という恐怖が、アルバスの身を竦ませる。


「そう。なら、あの汚れを倒していくのが、魔王討伐への近道って事ね」


「それはそうだが、汚れの魔獣が相手は分が悪い、話が違う。お前は退け」


「嫌よ、ここまで来て――」「俺はもう!!」


 やはり頑なに退こうとしないエルに対し、アルバスは声を荒げる。


「――俺はもう、仲間を失いたくはない。目の前で人が死ぬのは、嫌なんだよ……。だから頼む、あんたは退いてくれ」

 

 それは悲痛な叫び。

 これまで仲間を失ってきたアルバスの、心からの叫び。

 しかし、エルは一歩、また一歩と歩を進めて、汚れの魔獣――ボス猿の前に立つ。


「わたしは、絶対に死なないわ。だから、信じて」


 振り返る事無くエルはそう言い、杖を振るう。

 淡い魔法の光が放たれ、二人を包み込む。

 温かさを感じるその光りが、身体の傷を少しずつ癒して行く。


(みんな最初はそう言うんだ。――そして、居なくなる。最後に「あなただけは生きて」と呪いの言葉を残して、居なくなる)


「ああ、もう、クソっ!」


 悪態をつきながらも、アルバスも覚悟を決め、剣を握り直し、エルの隣へと立つ。


「信じてくれる気に、なったのかしら?」


「馬鹿言え。このまま放っておいても死なれるだけだ、寝覚めが悪い。――俺に合わせろ」


「ええ、勇者様」



 アルとエル。勇者と魔女。

 二人は再び立ち上がり、汚れの魔獣と対峙する。

 

 腕の一振り、剣の一閃、魔法の一撃。

 それぞれが交差し、激突。


「――咲き誇れ!」


 黒い泥、汚れに包まれた腕を振り回した、遠心力の乗った薙ぎ払いの一撃。

 それは今度は一撃で『結晶』の盾を砕き、花弁が散る。

 しかし、ボス猿が腕を振った、その隙。


「捕まえたわ」


 エルがぐっと拳を握りしめると、砕かれた花弁、宙を舞う『結晶』の欠片が形を変え格子状と成り、ボス猿の腕を絡め捕り、その場に張り付ける。

 そんな拘束、この巨躯から発揮される怪力の前では、その拘束力は一瞬しか保たないだろう。

 

 しかし、その一瞬さえ有ればいい。

 この隙に、アルバスは懐へと滑り込む。


「――でやぁぁぁぁぁ!!!」


 そして、一閃。

 魔法の光に包まれたその長剣が、今度は確実に、がら空きとなったその巨躯の胴を二つに割く――。


 一瞬の静寂の後。


「ギョォォォォ……」


 汚れの泥が融け落ち、塵と成り虚空へと消える。

 そして、その二つに割かれたボス猿の巨躯もずるりと地に伏し、その重みからずしんと大きな音を立てる。

 それもやはり、程なくしてそれも塵と消えて行く。


 エルはふぅと一息つき、杖をまたどこかへと仕舞い込む。

 アルバスも剣を鞘へ納め、その元へと駆け寄る。

 そして頭を掻き、どこかばつが悪そうに、どこか照れ臭そうに、視線を彷徨わせた後、


「その、なんだ。……これからよろしくな、エル」


 そう言って、エルに向き直り、真っ直ぐと右手を差し出した。


「改めまして、『結晶』の魔女エルよ。よろしくね、アル」



 宙を舞う『結晶』の欠片が、まるで空で瞬く星々の様で。

 まるで、二人の旅路を祝福する光の様で――。

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