4日目

同じ病室。依子は無気力な表情で窓の外を眺めている。やがて部屋に白衣姿の貴久が入ってくる。



貴久:こんにちは……。体調はどうでしょうか?


依子:こんにちは、貴久さん。今日は、良くもないけれど、とても悪いというわけでもないです。


貴久:そうですか……。ところで、やっぱり絵を描いた甲斐があったみたいですね。僕の名前を淀みなく呼んでくれた。


依子:そうですね。でも、それだけじゃないです。私は、あなたの顔を覚えていました。覚えて、いたんです。いいえ、思い出したというべきですね。今までのこと、ここに来る前のことも、少しずつですが……ぼんやりと……。


貴久:それは本当ですか?!


依子:……はい。あなたと出会ってから、本当に不思議なことばかり起きるわ。


貴久:そうですね、ああ、そうか。きっと、もしかしたら、その病が治る日も近いかもしれない! やっぱり奇跡は起きるんだ! ああよかった、これでまた君と暮らせる! 完全に君が元気になったら、また二人で旅に出よう! 君が描きたいと言っていた海を二人で見に行くんだ。ああ、ああ! しあわせに生きるってことはなんてすばらしいんだろう!


依子:貴久さん。


貴久:どうしたんだい?


依子:ごめんなさい。きっと、海に行くことは出来ない。もう長くないの。なんとなくわかるのよ。この病も、完治することはない。


貴久:どうして……。わからないだろう? そんなこと。ああ、わかったよ。きっと長い入院生活で気が弱くなっているんだ。大丈夫だよ、早くここを出て元の生活に戻れば、落ち込んだ気持ちだってすぐに晴れる。僕がずっとそばにいるよ。だから心配しないでいいんだ。


依子:違うの。心配なのはあなたのことなのよ。貴久さん、このままではあなたも時機に私と同じ運命を辿るわ。あなたはそれも「自分が選んだ道」だというけれど、それこそ人生を投げ出す、うっちゃるようなことだと私は思います。私は、人生が素晴らしいものだなんてこれっぽっちも思わないけれど、それでも、あなたには簡単に手放してほしくはないの。まして私の後を追おうだなんて考えはとても許せない。


貴久:そんなつもりは……


依子:貴久さん、私を殺して。


貴久:ど、どうして!


依子:深い愛情があなたにこの病を感染(うつ)すなら、あなたがその愛を否定して、私に諦めさせてください。


貴久:そんなこと出来るわけないじゃないか!


依子:お願いです。先の短い死に損ないの、最期の頼みだと思って聞いてくださいな。この愛は強くて深い、もう呪いみたいなものだから。私一人の手じゃ消せないんです。あなたじゃないと、消せないんですよ。


貴久:……どうして、一緒に逝ってはいけないのですか。


依子:私が行きたかった明日をあなたに生きてほしいから。生きているあなたのことを好きになったから。それじゃだめですか。


貴久:あなたは……本当に狡い人です。


依子:ええそうね。


貴久:ただ一緒にいたいというだけの願いも叶えさせてはくれないのですね。


依子:……はい。


貴久:……じゃあ、僕も一つだけ、頼んでもいいでしょうか。


依子:私に出来ることであれば。


貴久:明日、僕と共に海へいってはくれませんか。せめて最期に、あなたと海が見たいんです。


依子:……ええ、わかりました。明日、一緒に行きましょう。約束します。

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