3日目
同じ病室。写真とスケッチブック、日記を交互に見つめる依子のもとに、白衣姿の貴久が現れる。
貴久:こんにちは。今日の体調はどうでしょう?
依子:こんにちは、貴久さん。あなたが、貴久さんですね?
貴久:ええ、そうです。絵を描いた甲斐があったみたいですね。
依子:ええっと、そうですね……。確信をもって、あなたが貴久さんだとわかりましたから。ありがとうございました、昨日は付き合っていただいたみたいで。
貴久:いいんですよ。これが僕の仕事ですから。ところで、本当に、調子は大丈夫でしょうか? 本当はどこか痛むところがあったり、苦しかったりしませんか?隠さないで言ってくださいね。
依子:そうですね。体調は、本当は少し、身体が言うことをきかなくなっています。身体の奥まで根が張っているみたい。でも痛みはないわ。
貴久:そう……。痛みがないのはよかったです。
依子:貴久さん。今度はあなたが話してください。隠さないで。
貴久:何を……。
依子:あなたは私の何?私とあなたは、どういう関係だったんでしょうか?
貴久:関係なんて……ただの患者とカウンセラーです。それ以上でもそれ以下でも。
依子:じゃあどうして、この写真が残っているんです?
貴久:それは……!
依子:言ってください! 教えてください! どうせ明日には忘れてしまうとしても、私はあなたを知りたいんです。日記にも書いてありました。あなたは、私に言ったのでしょう。「お互いに知っていきましょう」と。ならばその言葉通りにしてください。私が忘れてしまうからといって、不誠実でいられるのはとても、悲しいです。
貴久:……なにも、隠していたわけではないし……不誠実な態度をとろうとしたわけでもありません。でも、あなたを傷付けてしまったことは謝ります。申し訳ありませんでした。その写真は……僕のものです。落としてしまったんでしょう。
依子:(黙って話を聞いている)
貴久:その写真を撮ったのは、1年ほど前のことです。僕と君は、その当時恋人関係にありました。君は女流画家で、よく僕をモデルに作品を描いていました。だから、君が昨日、絵を描いたときに感じた懐かしいという感情は、間違いではなかった。僕もまた、絵を描く君の姿を見て懐かしいと感じたのですから。あの一瞬だけ、昔の君が僕の前に戻ってきてくれたような気がした。もう戻らないと知りながら、戻してはいけないと知っていながら。僕は君よりも我儘で欲深くて、どうしようもない人間です。それでも、たとえ君が僕を忘れてしまったとしても、僕は君を忘れることは出来なかった。だからこうして、カウンセラーとして君のもとを尋ねることにしたんです。
依子:どうして……。あなたは私の身体に巣食うこの植物の恐ろしさを知らないのですか?
貴久:知っています。その植物は、人の記憶を養分に成長し、花を咲かせる。そして、寄生主の感情を媒介に他者へ感染する。愛情深い相手であるほどそのリスクは高まることも。全て知っています。全て理解したうえで、ここの医師たちに打診しました。あなたに僕の記憶があるうちは会わせることは出来ないが、完全に全て忘れた後であれば、他人という体で接触することは可能だと。だからこうして、カウンセラーとしてあなたに会いに来たんです。
依子:なぜ……なぜそんな馬鹿な真似を……。あああ、どうしよう、私のせいだ。
貴久:依子さんのせいじゃありません。
依子:今のあなたの話を聞いて、私の中の朧げだった懐かしいという感情が、少しずつ確信に変わっていくのがわかる。あなたのこと、思い出そうとしている。思い出してしまったら、あなたは。私のせいで、あなたまで。
貴久:違います。僕は覚悟してここにいます。僕が今後どうこうなるのはあなたのせいではなく、僕自身の責任です。僕が望んだ結果です。だからあなたのせいじゃない、絶対に。
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