凛音

うり北 うりこ

第1話


 きっと私は恵まれている。


 友だちもいるし、両親も優しい。勉強もそこそこできるし、顔だって平凡だけれど不細工という訳でもない。

 人に合わせることだって得意だから、先生やクラスの人気者にも気に入られている。


 そう。不満に思うことなんて何もないはず。


 それなのに、いつもどこかで感じる疎外感は、私が本心を見せないからなのか。表面だけの関係しか作れていないからなのか。



 最初に何か違うと感じたのは、ほんの些細なことだった。何を話していたのかすら覚えていない。

 ただ、まぶた痙攣けいれんした、それだけのこと。

 その時に友人の一人が言った「ストレス?」という言葉に気が付いてしまった。

 

 友だちと話してても楽しくないなって。ただ楽しいふりをして、合わせているだけだって。

 

 そこからは、何をやってもダメだった。楽しくなくて、合わせるだけの自分がむなしい。

 私がいてもいなくても、世界は何も変わらないのだから、いなくなっても構わないだろうと思った。

 日々の日課に自殺のやり方を調べることが追加された。


 だけど、私はまだ生きている。どんなに自殺方法を調べて、死にたいと願っても、いざとなると足がすくんでしまって実行できなかったから。



 そんなある日、電車での交通広告が目に飛び込んできた。


【過去に戻って、今を変えてみませんか?】


 怪しすぎるそれは、私にとって希望に見えた。

 急いでスマートフォンで検索すれば、何と被験者を募集していた。しかも、先に現地で家を用意してくれるという。

 問題は、未成年は保護者の許可が必要なこと。


 私は、懸命に両親を説得した。最初は反対していたものの、熱心に何かを頼んだことなどなかった私の強い意志に負け、両親は困った顔で了承してくれた。


 それから両親と共に『LPF company』と呼ばれる会社の社員さんたちと念入りな打ち合わせをした。

 


「さぁ、ここが十九年前になります。携帯はこちらを、お金はこっちを使ってくださいね」

 

 事前打ち合わせ通りのものをもらうと、私は早速与えてもらったアパートを出た。もちろん服もこの時代に合わせたものを着ている。

 

 それにしても、ジャラジャラとたくさんついたストラップが邪魔だ。お母さんは懐かしいなんて笑ってたけど。

 なんて、大学の入り口でお母さんを待ちながら、どうでも良いことを考える。そうしないと緊張でどうにかなりそうだった。

 

 大丈夫、きっと上手くいく。そのための下調べだってやってくれた。お父さんとお母さんの性格だってわかる。計画だってバッチリ立てた。

 

 絶対に、絶対に……二人を別れさせる。

 こんなに楽しくも面白くもない空っぽな人生、最初からなかったことにしてみせる。

 

「誰か待っているの?」

「えっ?」

「呼んでこようか?」


 お、お母さん!? なんで、お母さんから話しかけてくるの? ど、どうしたら……。


「いえ、その……待ってる訳じゃなくて」

「うん?」

「だ、大学に憧れてて、でも部外者だから……」


 そう言えば、お母さんは納得した顔をして「今から時間ある?」と私に聞いた。


「へぇ、凛音りんねちゃんって高校一年生なんだ。もう大学のこと考えてるなんて、しっかりしてるのね」

「いえ、そんなことは……」

 

 大学を案内してもらったあと、お母さんのオススメで学食で昼飯とも夕飯ともいえない時間の食事をとる。

 大学四年生のお母さんは綺麗だ。お母さんなら、お父さんよりももっとイイ人がいると思う。


玲香れいかさんって、お付き合いしてる人いるんですか?」

「いるわよ」

「どんな方なんですか?」

「私には勿体ないくらい素敵な人よ」


 そう言ったお母さんは本当に幸せそうで、二人を別れさせるのは大変そうだ。もちろん、諦めるつもりはないけれど。


「あの、また会ってもらえませんか?」


 お母さんは不思議そうに私を見る。

 そりゃそうよね。親切心で大学を案内した子に、また会いたいと言われたら。


「昨日、彼氏に振られちゃって。一人で家にいるのが寂しくて……」

「ご両親は?」

「海外赴任しています。着いてきて欲しいって言われたんですけど、彼氏と離れたくなくて無理を言ったんです。まぁ、その彼氏に振られちゃったんですけどね」


 言い終わる前に、石鹸の香りに包まれた。


「家においで」

「えっ?」

「高校生は、もう夏休みだよね? 私も明後日から夏休みに入るの。サークルとバイトがあるからずっとは一緒にいられないけど、夏休みの間、良かったらおいでよ」

「……いいんですか?」

「もちろんよ」


 何故か、予想以上の成果が得られた。これなら、上手くいくかもしれない。私がこっちにいられる一月ひとつきの間に、何がなんでも別れさせる。

 それにしても、こんな作り話を簡単に信じちゃうなんて、人が好すぎるんじゃない?



 お母さんの家にお邪魔して一週間が経った。大学生のお父さんとも知り合えたのだが、全く上手くいっていない。付け入る隙が見つからない。


 この間、お父さんの好みを探りたくて質問したら……。

 

「優介さんって、玲香さんのどこが一番好き?」

「一番かぁ……、難しい質問だね」

「どうして?」

「玲香の素敵なところはたくさんあるからね。一つに決めるのには一年以上かかりそうだよ」


 という、ただの惚気だった。

 だから、今度は料理を失敗させようと思った。そうしたら、喧嘩にはならなくても気まずい雰囲気になるだろうから。


「玲香。砂糖と塩、間違えてるよ」

「えっ!? 大変! 食べるのやめてー!! ごめんね、優くん、凛音ちゃん」


 ごめん、お母さん。砂糖と塩を入れ替えたの、私だよ。


「よし! カレーにしよう。隠し味にチョコレートとか蜂蜜を入れるんだから美味しくなるよ」


 そう言ったお父さんは、私とお母さんを誘ってカレー作りを始めた。砂糖味の鶏肉ももちろんカレーの具材になるために鍋へと入れられた。


 できあがったカレーは普通に美味しかったし、気まずい雰囲気にも当然ならなかった。


 私は悟った。二人に亀裂を入れるには、二人では解決できないような内容でなくてはいけないと。


 

 私は、二人の入っているサークルへとお邪魔することにした。


「学食愛好会って、何をするの?」

「学食メニューのアンケートを取ったり、都内の学食やお店にご飯を食べに行ったりかな」

「お店にご飯を食べに行くのも活動なの?」

「食べるのが大好きな人たちが集まって食事に行くっていうゆるいサークルだからね」


 なるほど、と頷きながら私は次の計画をしっかり頭のなかで確認した。

 大丈夫。これが上手くいかないはずがない。好きなら好きなだけ、疑いたくなるはずだ。友だちがそう言ってたし。


 そして、私は蒔いた。蒔きに蒔いた。そして三週間目が終わるだろうという時、遂に芽吹くと思われたのだが……。


「えっ? 玲香と別れた? 美咲ちゃんが俺を好き?」

「えっ? 優くんと別れた? 優くんと美咲がいい感じ?」


 お父さんはあり得ないと笑い飛ばし、お母さんも特には気にしてないみたい。


「玲香さん、大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫よ」


 お母さんの表情は本当に大丈夫そうで、私が蒔いた種は咲かなかった。噂くらいじゃ、二人の仲はヒビすら入らなかったのだ。

 実際、美咲さんはお父さんのこと好きだったようだから、彼女には悪いことをしてしまった。


 その後も、何度も二人の仲を壊そうとしたのに、どうにもならなかった。

 今日寝てしまったら、朝が来てしまったら、残りは二日しかない。そう思うと、鼻の奥がツンッと痛くなり、目が熱くなった。


「凛音ちゃん、眠れないの?」

「……うん。ごめんね、起こしちゃった?」


 鼻をズビビとすすり上げ、濡れた顔をTシャツの袖で拭っていると、お母さんが隣に座った。


「……玲香さんは、どうして私を泊まらせてくれるの?」

「うーん。私が高校生だった頃と同じ顔をしてたからかな」

「同じ顔?」

「つまらなそうな顔」


 ドキリとした。上手く隠せていると思っていたのに。


「多分、他の人は気付いてないから大丈夫よ。それに失恋したばかりだし、楽しいって思えないのも当たり前だもんね。あとは、優くんにも似てるから単純に放っておけなかったのかもね。初めて凛音ちゃんを見たとき、優くんの妹さんかと思っちゃったもの」


 目元を和らげ、お母さんは私を見る。


「もし女の子が生まれたら、凛音ちゃんみたいな子なのかな……」

「……玲香さんは、優介さんと結婚するの?」

「できたらいいなって思ってる」

「子どもは欲しい?」


 私の問いかけに、お母さんは頷いた。


「優くんと結婚して、子どもが生まれて、暮らしていく。それを考えるとね、不思議と何でもできる気がするんだ」

「なん……で? もしかしたら、二人の子はすっごく性格が悪かったり、勉強ができなかったり、問題を起こしてばっかりかもしれないよ」


 自殺願望者かもしれないよ、という言葉は呑み込んだ。


「いいんじゃない?」

「……へ?」

「だから、いいと思う。どんな子でも」


 どうして、まだ生んでもいない子どもに対してそんなに肯定できるの?


「私と優くんとの間に生まれてきてくれる。それって奇跡みたいなことだよ。もし、子どもが生まれたら、どんな子だって嬉しい。抱きしめたいなぁ」

「何それ……」

「何だろうね。あ、女の子が生まれたら凛音って名前にしようかな」


 まだ会ったこともない子どもを想像して笑うお母さんは、本当に本当に幸せそう。


「玲香さん。明日、私帰るね」

「えっ?」

「お父さんと、お母さんに会いたくなっちゃった」

「着いてくことにしたの?」


 私は笑って、頷いた。本当は海外じゃなくて、もっと遠い未来に帰るのだけど。



 翌日、お父さんも見送りに来てくれた。仲良く並ぶ二人に大きく頭を下げる。


「玲香さん、優介さん、一ヶ月もありがとう。絶対に、幸せになってね!!」


 二人に大きく手を振ると、借りてもらったアパートへと走る。少しでも早く、お父さんとお母さんに会いたい。


「予定より早いけれど、いいんですか?」


 LPFの社員さんに聞かれ、私は頷く。


「はい。大切なものは、ずっと前から持っていたみたいです」



 ──end──

 

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