第5話

 「私、30歳まで生きてる確率が30パーセントもないんだって」


 久しぶりに肺に孔が空いた次の日に、学校から帰ってきたあかねにそんなことをふと漏らした。


 「…………どこに孔ができるかは、わかんないって言ってなかったっけ?」


 あかねは少し不思議そうな顔をして、そう尋ねてきた。


 「私も知らないけど、なんか今までの孔の出来方から統計取って、それがどっかで致命傷を作る確率計算したんだって」


 「よくわかんないね。私、今期の理数科目全部90点台だけど」


 「そんだけ頭あるなら、わかりなさいよ。ま、私もよくわかってないけど」


 そうやってぽけっと言葉を零しながら、ずるずると壁に添えていた身体をべっどにずり落ちさせる。


 「なーんとなく知ってたけど、いざ言われると結構来るものがあるよねー」


 「なんだろ……絶望、みたいな?」


 「そー、なんか体中から力ぬけて、ただでさえ痛いあちこちが余計痛くなるみたいな、そんな感じ」


 そうやって口に出してから、喉の奥に少し意地悪な言葉が浮かんできた。ぼんやりと開けたまま、それを出すか逡巡して、まあいいかとそのままに口を開く。



 「まー、あんたには」―――




 ―――「わかんないけどね」




 開けた口から漏れた言葉は、あっさりと拾われた。視線上げると、相変わらず快活に笑ったままのあかねがいる。変なこと言った自分も嫌になるけど、それをあっさりと受け止めている、こいつのことも少しだけ嫌になる。


 はあ、と溜息を付いたら、ぼすんとあかねの腰がベッドに遠慮なく落ちてきた。一応、私の足を踏まないかは確認してるんだろうけど、昨日、自分が腰をやっているのを覚えているのかなこいつは。


 「ま、心配ないって、無痛症も平均寿命短いらしいし。事故とか病気とか、普通より起きやすいからね」


 「どこに心配しない要素があるのよ、それ」


 「ん? おそろいだねってこと」


 「やな、おそろいだ……」


 こうやって、自分から漏れ出る言葉ネガティブな一色なのも、嫌なんだけど。


 痛みと苦しさに紛れた脳からは、明るい言葉なんて出てこない。


 苦しくても頑張れる人が、この世にはいるらしいけど、そういう方面では私才能がなかったらしい。


 零れる言葉はネガティブで、陰気で、憂鬱で、後ろ向き。


 相手がこいつじゃなかったら、すぐにみんな顔を歪めてしまうくらいには。


 そうやって何度もため息をついていたら、あかねがまじまじとこっちを見ていた。


 「何見てんの?」


 「ん、観察? 今日のゆうりはどうだろうなって」


 「何かわかった?」


 「疲れてるね。しんどそうだ。まあ、いつも疲れてしんどそうだけど」


 「そりゃそうでしょ、私はいつだってしんどいし、苦しいわよ」


 そんな他愛のない、やり取りを繰り返す。胸は孔が空いて痛いけど、そうしている間は少しだけ痛みがまぎれるから。


 「私、基本的にさ、自分の痛みが誰かに理解される、とか思ったことないの」


 軽く吐いた息は、どうにも血の味がして酷く不味い。


 「まあ、そりゃそうだね」


 「痛みが酷い時はそれ以外何も考えられないし、これがずっと続くかもって想ったらどうにも怖いし、痛みのせいでいろんなことが出来ないと情けなくるし、こんなのおかしいでしょってキレたくなる」


 「ふーん……」


 「ほんっとーに痛いときは、こんな痛みがずっと続くなら死んじゃってもいいかなって想うのよ。やばいときは結構、自傷とかやってたし、……なのに、いざ死ぬって言われたら、やっぱいやだなあ思っちゃうわけ」


 「それは、かわいそ」


 「でしょ、かわいそーなのよ、私。もっと労われ」


 「えらい、えらい」


 「うるせえ」


 「自分で言ったんじゃん、労われって」


 「思ってもないこと、言うなばーか」


 そう言って自分の腕で視界を隠す。


 「はは、ばれたか」


 「実際のとこどーなのあんた」


 「どーなのって、何が?」


 「別に、今この話、聞いてどう想ったのって、それだけよ」


 そう言ったら、しばらく沈黙が帰ってきた。


 視界を覆ってるから、あかねがどんな表情をしているのかもわからない。想像を働かせてもいいけれど、胸に空いた孔がその想像すら阻害する。思考にはずっとノイズが走ったような、断裂が疼き続ける。


 「…………言っていいの? ほんとのこと」


 ぽつりとこぼれた声の調子が、少しだけ違って聞こえた。


 「言えばいいじゃん」


 「言っちゃうよ、ひどいこと」


 「私も言ったでしょ、今更じゃん」


 「まあ、そだねえ」


 どすと、大きな音がした。気になって、視界覆っていた腕を外したら、あかねの身体が私の隣にに転がっていた。ただ、見えるのつむじばかりで、結局表情は見えていない。


 「私さ怖いとかさ、そもそもわかんないんだよね」


 「そうね」


 「痛いのわかんないからさ、苦しいとかもわかんないじゃん、辛いも知らないし、悲しいも知らないよ」


 「でしょうね」


 「死ぬとか言われても、だから何って感じだし。私が痛くないって言ってんのに、私の傷を見て泣く人たちも、よくわかんないし」


 「まあ、かもね」


 「ゆうりの話もさ、そっかって感じ。何を感じたらいいのかもわかんないし、何も感じてない気もするくらい」


 「ふーん」


 声が少し強く荒れている。あかねはそれに気づいているんだろうか。


 「だって、私なんにも感じないんだよ! みんなとは違うから! 何にも分かんないんだよ! 自分がどうなってるのかもわかんない! だから! だから…………」


 「………………」


 「ゆうりが言ったことにも、何も、言えない……かな」


 何も感じてないからね……って、あかねはそんな風に言葉を零した。


 私は痛むを肺を抑えながら、どうにか身体を引き起こす。


 私の痛みを、こいつは理解していない。


 こいつの無痛を、私は理解していない


 共感はない。


 同情もない。


 そこには絶対的な隔たりがあって、私達はそれを知っている。


 善意も、悪意も持ちうることすらできはしない。


 それはきっと途方もないほどに寂しくて、悲しくて、苦しくて。




 「なに、




 そうやって、私達は、きっと解りあえている。



 「…………泣いてる? 私が?」


 「ていうか、あんたはしょっちゅう泣いてる」


 「うっそ知らなかった」


 「学校とかでは知らないけどね、こっちだとよく泣いてる」


 「うっそだあ」


 「峯ちゃんに聞いたらいいじゃん。てかそれだけじゃないからね、顔は赤くなるし、手は震えるし、やたら汗もかいてたりするから」


 「……教えてよ……そういうの、学校でもやってんのかな、はっずかし」


 「恥ずかしいとかはあるんだ、ふーん」


 「いや、ちょっと、まって、整理できない。は? 嘘でしょ?」


 「峯ちゃん曰く、私が痛みに苦しんでる時は、余計酷くなるってさ」


 「は? ちょ、ま? ええ? うそうそうそうそ」


 顔をガバっと上げたあかねの顔はまっかかで、瞳は涙で赤く染まっていて、鼻水が垂れてさえいる。これに気付いてないんだって言うんだから、面白いよねえ。


 「うそじゃない、ほーんと。あと、病院食でサバが出た時だけ、嫌な顔してるから」


 「やだ、うそ、やだやだ」


 「退行すんな。そーよね、触覚ないから、味覚が貴重な快感だもんねえ。シュークリーム系が出るときは、滅茶苦茶に嬉しそうだもんねえ」


 そうやってからからと笑ってたら、ぱっとあかねの手が肩まで上がった。揶揄いすぎたかなって、ちょっと後悔したけれどこちらとら胸に孔が空いてるんだ。咄嗟に避けるなんて出来っこない。


 なので諦めて、さっさと殴られることにする。眼を閉じて、少し待って。


 それから、どうにも拳が振ってこないことに違和感を覚えて薄目を開ける。


 そしたら、真っ赤な顔をしたあかねが、未だに困惑した顔でどうにか拳を下ろしていた。


 私はその姿を見て、またけらけらと笑いだす。


 結局、笑い声を聞いた峯ちゃんが病室を覗くまでそのやり取りは続いていた。

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