杏野 2

 さて。

 何がどうなって自分がここに居るのかは分かっていなかった。気がつくと俺は、刺された公園のベンチに着の身着のままといった体で座り込んでいたのだ。ただなんとなく、この場所からは離れられない……それだけは自然と理解していた。

『地縛霊』という言葉は聞いた事があったが、定義も成り立ちも知らないままに己で体現するとは思ってもみなかった。

 この一カ月(おそらく)の間、現場検証を眺め、野次馬を観察し、ワイドショーの実況を冷やかし、封鎖が解かれた後に訪れる、おそらく暇つぶしを求めているのであろう人々の反応を、こちらも暇つぶしにしていた。様々な来客達の姿が徐々に減り、ほとんど誰も来なくなってからしばらく経った今日、無事に逃げ果せた少女とその家族、ついでに爺さんが葬儀や墓の前だけでなく、このベンチにまで花を手向けに来てくれたのだ。


 お参りの四人がいなくなってすぐに、暇な俺は本能的にズボンのポケットをまさぐりスマホを探していた。死人になってもスマホに依存している現代人ぶりには我ながら少し呆れる。だが、この一ヶ月間そうだったように、期待した感触は右ポケットからは得られない。

 ふと、そういえば……と、ダウンジャケットの深めの内ポケットに手を突っ込むと、なぜか読みかけの文庫本は所持を許されていた。誰に許可を下されているのかは知らないが。

 この文庫本は、幼馴染から是非に……と勧められた一冊だった。小説はおろか、漫画もそう手に取らない俺には、薄手の文庫本とはいえ読破にはそれなりの気合と根性が必要であり、家に居ては眠気が炬燵やストーブと結託して襲ってくるので、厚着をしてこのベンチで読んでいたのだった。

 パラパラと頁をめくる。死んでいるせいなのか寒さも暑さも感じなかったが、誰もいない公園で鳴る紙の掠れる音は、なんだか寒気を引き立てるようだった。

 栞を挟んだ箇所まで頁が開き、俺は大まかなあらすじを思い出していた。

 余命宣告をされた美少女主人公が、恋する相手にどうにか告白させるために知恵を振り絞る物語だった。間も無く死にますと通告されるような境遇にも関わらず自発的な告白を貰えないとは脈が無さすぎるだろうと思ったが、物語のもう一人の主人公である男の方には告白できないそれなりの理由があり、それが間も無く開帳されるというタイミングで、少女の悲鳴が聞こえたのだったな、そういえば。

他にすることもないので、栞を外し続きを読むことにした。スマホがあれば、『地縛霊』について調べることができるんだけどな。

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