待機霊
安達亮
杏野(きょうの) 1
突然だが、一カ月前(おそらく)に俺は死んだ。
今居るこの公園で、腹を大きな包丁で数回刺されて。
熱っ! 痛え! 声にならない叫びと同時に吹き出した本物の血液は、ごく平凡に生きた十六年間では見たことのない赤黒さだった。その強烈な色合いは未だに目を瞑ると思い出せてしまう。格闘漫画や不良漫画なんかにありがちな膝から崩れるという動作を圧巻の演技力でやってのけた俺は、それでもなんとか腕を伸ばし、必死に犯人に食らいついた。
もう覚えてもいない犯人の顔めがけて、
「やめろぁ!」
と声を振り絞った俺は、意識がプツリと切れるまでの間、余力全開、金の賭かった綱引きでもやっているかのような必死さで犯人の腕を掴んで離さなかった。それが功を奏したようで、当初犯人の標的になっていた少女は切られもせず刺される事もなく無事に逃げたようだった。
そこから先はどうなったか分からないので、今こうして顛末を聞いているわけなのだが……これって盗み聞きになるのだろうか。
「花を置いたら手を合わせて。それからお礼を言おうな」
「うん。お兄さん、助けてくれてありがとう。お墓参りも忘れずに行きます」
「本当にありがとうございます。貴方と貴方のご両親にはこれからもずっと感謝しながら娘を育てていきます」
父、少女、母と順番に温かい言葉が並べられ、俺の座るベンチの足下に花が手向けられる。三人の後ろで、この公園の隣家に住んでいるらしい爺さんもまた合掌しながら、口を開いた。
「本当に無事で何よりさ。勇敢な若者が町にいてくれて良かった。ワシもしばらくは線香を供えるようにしとくよ」
立ち上がった父親が頭を下げ返事をする。
「ありがとうございました。お爺さんの通報がなかったらと思うとゾッとします」
「うちの窓からこの公園はよく見えるから、たまたまさ。嬢ちゃんの運が良かったんだ。最初はね、助けてくれた、ええと
悪かったな頻尿で。暇なジジイめ。
「夕方頃に、変なのがもう一人増えやがったぞ! って思ったわけさ。こりゃまた怪しいと、新しく現れた奴を見てたら、そいつが嬢ちゃんに話しかけやがってね。もうその時には警察に電話かけてやったんだ!」
何を興奮しているのか徐々に語気を荒げる爺さん。少女は母親の手を握り、
「怖かった。何喋ってるか分かんなくって……」
そう呟いて泣きそうな顔になっていた。ジジイちょっとは配慮しろよ。思い出して怖がってるだろうが。
「嬢ちゃんは賢い。相手にしないですぐ離れたのが良かったんだな。犯人の野郎、しばらく突っ立ってたんだけど、急にこんなデカイ出刃包丁を取り出しやがって!」
嘘つけ。それだとギターくらいの大きさじゃねえか。
「喚きながら嬢ちゃんに向かってね。離れて見てても恐ろしくて仕方なかった。しっかり走って逃げた嬢ちゃんは偉い! 健脚、健脚!」
褒められたものの、どういう顔をすればいいのか困る少女と苦笑いの両親……と俺。
「そこで立ち上がったのが、彼だよ!」
勢いづいた指が俺の方に向けられた。三人も揃ってベンチへと振り向く。えっ、俺の姿って見えてるの? と半笑いになってしまう。
「逃げるもんだと思ったらなんと勇敢な男か。嬢ちゃんに、逃げろ! と叫んで犯人に飛び掛かってね……」
少し黙ると、見知らぬ爺さんは涙を零してくれた。
「彼も助かったら良かったんだがなぁ」
もともと静かだった公園に、より一層の沈黙が訪れてしまう。親子もすすり泣き、ベンチに座る俺も泣きそうな気分になってしまう。
俺、本当に死んだんだなあ。
「嬢ちゃん、これからも変な奴には気をつけて、杏野君の分もしっかり健康に過ごすんだよ」
「はい。ありがとうございます」
四人はもう一度ベンチに向かって一礼すると、公園を去って行った。
こちらの姿が認識されていないのは分かっているが、俺は会釈を返す。彼らのように公園から去る事のできない自分に……寂しさなのか嫌気なのか、よく分からない気分を覚えつつ、四人の背中を見送っていた。
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