② 夜更けのフランベ雑貨屋仕立て

 ベビードールに着替えたダチュラは地下工房でなく、一階の雑貨屋でテレビで深夜番組を見ていた。

 力加減を間違えたビンタで、ボケ役が本気で痛がっているのは痛快だった。

「あはははっ! やっばいなァ、今の!」

 伸びすぎた赤い前髪が邪魔だが下手に切るのも嫌だった。そこで商品のヘアピンで留める事にしたが、そういう損得カンジョウは濃口のポテトチップスをバリバリ頬張り、やや気の抜けたコーラで流し込んでしまえば何ほどのものかという気になってくる。ただスパイスにまみれた指先にキスしていればいいのだ。

 しかし、ダチュラ・ザ・ホリック──このとき彼女は心得ていたか定かではないが。

 災厄とは、そういうときにやって来る客だ。

 玄関の三重の物理ロックが次々と解錠されていく。探っている様子は無い。最初からナンバーを知り、特殊な鍵の合鍵を持ち、最新の生体認証さえがダチュラ本人と認識する。

 魔道士ならば結界を敷くのが常識という裏をかいたセキュリティだが、そもそもそうした理に属さない者には無いに等しいのだった。

 ブラックベル・ザ・カリヨン。

 それが扉を開けて入ってきた災厄の名だ。

 彼女はレジ・カウンターの事務用椅子の上で指をしゃぶっているダチュラを見ると、嬉々として両手を広げ、豊満な胸とポニーテールを揺らしながら歩み寄ってきた。

「ッぐ、ぶふふっ!」

 あまりの出来事にダチュラはコーラを吹き出した。

 ネグリジェだ。ブラもショーツも透けている。胸の谷間に挟んでいるのは遠目にも宅配ピザのチラシだと分かったが、なぜそんな真似をしているのかがダチュラには分からない。

 怖い。お家に帰りたい。ここがお家。通報しよう。でも鳴らない、しょせん人間相手の防犯技術なんてこんなもの──そこで思考は途切れ、気付いた時には抱き上げられ、カウンターの上に腰掛ける格好で抱きしめられていた。

「ダチュラぁ〜! ありがとう、ありがとぉ〜! こんなのもらっていいの⁉︎ このクーポン、一〇〇〇円割引だよぉ!」

「ゔぇ、ベ、ベル……。あ、あの、はなして……」

「あぁ、ごめんごめん! つい嬉しくって!」

 スッと離れていく柔らかな温もりの主の顔は、それでもホクホクしていた。

 ブラックベルはその魂を堕落させる一方だ。過去の事とはいえ、こんな女に憧れを抱いた自分が情けなくなる。

 ダチュラはカウンターの上に立ち、ブラックベルを見下ろした。そうだ、こうでなくてはいけなかったのだ。

「ベル。礼の言葉なんか要らない、カリヨンに戻れ」

「また色っぽいパンツ穿いてるわね。あ、ちょっと透けてる? え、男でも出来た──ぶふぅッ!」

 ローキックがブラックベルの華奢な顎を打ち抜いた──のでなく、来ると予感した彼女が殺陣師のように自分から顔を振り、喰らったような声を上げたのだ。ダチュラもまた不発に気付いて振り抜かなかったので、「このガキ……」と呟きながら足を下ろす。

 向き直ったブラックベルは、少し怒ったように、

「ガキは貴女でしょう?」

 ダチュラは鼻を鳴らし、そっぽを向いて「帰れ、二度と来るな」と吐き捨てるように言った。

 するとブラックベルはヘアゴムを解き、髪を下ろして顔を横に振った。

「──わたしは今も昔も、これからもカリヨンの魔女だ」

「じゃあなぜ鐘楼の地下工房を捨てた? ベルはあと一歩だった。その一歩を僕が踏まなきゃ、君がホリックだった──はずだ」

「そうね。でもわたしは一つの魔法を極められない。わたしの罪状は“浮気”だから」

「……嘘だ。それは、嘘だ。ベル、それなら君はどうして延命と若返りをしている? 変わらないその姿をどう説明する? それは魔法の極みなんだぞ……」

「ふふ、悪魔をたぶらかして十股以上も掛けてれば、なんでもくれるわ。若さも命も。だからますます、わたしの罪は深まるばかり。だからうらやましいわ、ダチュラ。こうなると、貴女のように一途に一つのものに夢中になってみたいもの」

 聞いて、ダチュラは黙った。

 しばらくしてから、

「…………なんで? なんで、もっと早く教えてくれなかったの? 僕は君を……」

 いつの間にか、ダチュラの声はか細く、口調も幼くなっていた。

 ブラックベルはニコリと笑った。「綺麗」とダチュラは何十年ぶりかに思った。

「だって、魔道士だもの。まして魔女は憎まれてこそ。口紅と同じ、恨みの一つや二つ、買うものでしょ? ──あら。鳩が豆鉄砲みたいな顔して」

 ダチュラは確かめるように自分の顔に触れ、「ヒッ、ヒヒッ」と奇妙な声をあげたかと思うと、火がついたように大声で笑い出した。

 雑貨の中でも割れやすい小物に亀裂が走り、砕け散った。当人も気付かないのか、ベビードールの肩紐に火がつき、裾からメラメラと炎が上がった。

「あらあら、相変わらず熱っぽいんだから。もう!」

 と、ブラックベルはダチュラのパンティを膝まで下ろし、そのショックで鎮火する──ベビードールも小物も、映像を逆再生するように元通りになった。

 ブラックベルはパンティの端を持ったまま、

「うん。このパンティ、やっぱり可愛いわ。わたしも欲しいんだけど」

「ばっ、ばか! 手を離せ……ッ! 欲しけりゃ悪魔に頼みなよ!」

 そそくさとダチュラはパンティを引き上げる。

 ブラックベルは残念そうに、

「あぁん、ダチュラの生ヘアヌードも見てたのに……。あとで自撮り送ってよね」

「撮るかッ送るかッ! このヘンタイ、自分のを鏡に映せばいいでしょ!」

「ケチね、見せたって減るもんじゃないのにぃ」

「減るどころか失うんだよ、いろいろと!」

 ブラックベルは憮然として頬を膨らませると、

「……わかった。今日のところは、長年の誤解が解けただけで良しとしてやるわよ」

「誤解させた側の言葉じゃないんだよなぁ! ホントもう、どういう神経してるの⁉︎」

「それからダチュラ、言いにくいんだけど」

「ンン〜うぅ! 人の話、聞かないなあァ! なによ、なんなの! 言いなよ!」

 ブラックベルは胸の谷間に挟んでいた宅配ピザのチラシを取り出し、

「今夜の件が終わったら、一緒に食べようよ。宅配ピザ。──ダメ?」 

 その小首を傾げて訊ねる仕草に、ついドキッとしてしまった。綺麗で可愛くて、けれどなのかだからなのか、わがままなブラックベルに。

 ダチュラは「やれやれ」と片膝を抱くようにカウンターに腰掛け、いささか以上に照れ臭そうにブラックベルを見つめ、

「骨付きソーセージも注文してくれるんなら、ね」

 その、最後の「ね」にブラックベルは嬉々として大きく頷き、ダチュラの雑貨屋を後にするのだった。

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