第35話 義妹の不安ごと

 美優の部屋に一歩入った瞬間にそれを感じた。


 鼻腔をくすぐる、甘くて鼓動を微かに刺激するような香り。


俗に女の子の香りというのは、シャンプー、ボディソープ、洗剤、柔軟剤から構成されているから、女の子がいい匂いするわけじゃないとかいうクソみたいな説。


 俺はその考えを断固否定する。


その女性経験がない男子を嘲笑いながら言いやがって、そんなことないもん! 女の子の香りはあるんだもん!


 女の子のフェロモンとか汗とかが、それらの科学的な物と混ざり合って、女の子の香りを高めているのだ。よって、女の子の香りというのは存在すると俺は思う。


 じゃないと、兄の下着の匂いを嗅いじゃう系妹が成り立たなくなるしな。


 兄の匂いがあるなら、妹の匂いがあって、女の子の匂いも存在することになる。以上、証明終了。


 さて、なぜ部屋に入るなり、こんな気持ち悪い持論を振りかざしているのかというと、きちんと理由があるからだ。


 美優の部屋、めちゃんこいい香りがする。


 ええ、そのためだけに長尺使い使いましたよ男の子ですから。


「お兄ちゃん、座って座って」


「お、おうよ」


 美優は俺が部屋に来たのが嬉しいのか、いつもよりも声のトーンが上がっているような気がした。。


 俺をベッドまで連れて行くと、美優はそのまま軽く跳ねるようにしてベッドに座り、俺にもそうするように促してきた。


 なんだろうか。女の子のベッドに座ることに、少し抵抗があるのは。


 そんなことを考えながら、少し遠慮義に美優のベッドに腰かけて、俺は視線を色んな所へと向けてみた。


 部屋自体はシンプルな色遣いで、全体的に白と淡い桃色の色が多く見られた。特別ファンシー過ぎることもなく、動物のぬいぐるみが置かれている点以外は特筆することはない。


 それだというのに、女の子の部屋だと分かるのはなぜなのだろうか? ちょっとした小物に可愛いものが使われているからだろうか?


「何か気になった物はあった?」


「いんや、あんまり見当たらない」


 以前に、互いの部屋を見せ合えば互いのことが分かるかもなんて言っていたけど、これを見ても美優のことが分かる情報は少ないな。


 何かその人の特徴が分かる所というと、本棚だろうか?


 そう思った俺は、ベッドから立ち上がろうとしたのだが、隣に座っている美優に袖を掴まれて動けないでいた。


「美優?」


「少しだけ話あるから、そこに座ってて」


 そんなことを言ってきた美優の言葉に小首を傾げながら、俺は何か思い当たる節があったかどうか考えてみた。


 しかし、そんな頬を恥ずかしそうに染めて話すような話題はあっただろうか。いや、あったわ。それもつい昨日のことだ。


 俺がそんな回答に行きつくと、美優は少し俺から離れた後、突然こてんと俺の太ももの上に頭を乗せてきた。


「え、み、美優?」


「お兄ちゃんの目を見て話せないことだから、このままでお願いしてもいいかな? あ、あと、頭撫でて」


「え、頭をか?」


 恥ずかしそうに頬を染めながら、美優はその感情を極力表に出さないようにして、そんな言葉を口にした。


 あくまで抑え込んでいるだけなので、その熱はじんわりとゆっくりと美優の横顔を赤くしていった。


 これって、断れる感じじゃないよな?


 俺は女の子の頭を撫でることに対する照れくささを押さえ込んで、ゆっくりと俺の太ももの上にある頭を撫で上げた。


 さらりとしている髪は、触っているこちらの方が気持ち良くなるほどの手触りで、自然と一度撫でた後は二度三度と手を動かしていた。


「んっ……そう、一定間隔で撫でて。その感覚がずれたら、お兄ちゃんが動揺したかすぐに分かるから」


「何そのバカなウソ発見器みたいなの」


 頭を撫でる速度によって嘘を見極めるって、さすがにその思考はおバカ過ぎないだろうか?


 そんなことを考えながらも、俺は美優に言われた通りゆっくりと手を動かして、美優の頭を撫でていた。


 そのまましばらくの間、美優はただ静かに俺に頭を撫でられていた。そして、心が落ち着いたのか、不意に口を開いた。


「昨日さ、お兄ちゃん、私のお腹に頭顔埋めたよね?」


 その言葉を受けて、俺は思わず手の動きをぴたりと止めてしまった。


 いや、言われると分かっていても、実際に言われると反応してしまうものだな。


「な、撫でるのやめないで」


「お、おう」


「んっ……それで、その、なにか感じたりしなかった?」


 俺が再び頭を撫で始めると、美優は小さく声を漏らした後に言葉を続けた。


 微かに上ずったような声は緊張しているようだった。昨日のことを思い出して。羞恥の感情にやられているのだろうか?


 それなら、今さら掘り返さなくてもいいのになとか思いながら、俺は昨日美優のお腹に顔を埋めていた時のことを思い出していた。


「……いい匂いした、とか?」


「そ、そういういのじゃなくて、その、昨日ね。帰ってきてからおやつ食べちゃったの」


「ん? おう?」


 なぜ急に昨日のおやつ事情に話が飛んだのか。その理由について明かされないまま、美優の話は転々と移り変わっていった。


「あと、お昼もいつもよりも食べたと思う。あっ、その前の日の夕食も結構食べちゃった」


 なんだろうか、怒涛にやってくるこの大食いアピールは。


 いや、美優が食事をする場面に立ち会う俺から見ても、美優が大食いをしている姿は見たことがない。


では、なぜそんな嘘をつくのか。


 兄に甘えて膝枕をしてくる妹。ということは、これは褒めて欲しいという訳か?


「えっと、いっぱい食べて美優はえらいなぁ?」


「ち、違うから。褒めて欲しいとかじゃなくて……」


 美優は俺の考えを見透かしたようにそんなことを言うと、意を決したようにきゅっと目を閉じた後、言葉を続けた。


「その、お腹出てるとか思わなかった?」


 横から分かるくらいに熱くなった瞳を揺らして、恥じらうように口元をきゅっと閉じながら、美優はそんな言葉を口にした。


 そんないじらしい美優の表情を前に、俺は撫でていた手を再び止めてしまっていた。


 兄にお腹が出てないか気にしちゃうなんて、この妹……できるっ!!


「て、手が止まった。やっぱり、そんなこと思ってたんだ」


「違う違う。そんなこと思うわけないだろ?」


「じゃあ、どう思ってたの?」


 微かに頬を膨らませてしまった美優の横顔を見て、俺は正直に言葉を告げてあげるべきだと思った。


 兄にお腹が出ていると思われていないか。それを聞くことすらも恥ずかしくて、目も見れないとか言うぐうかわな妹のために、俺は思ったことを赤裸々に話さなくてはならないだろう。


 それが、兄としての役目なのだからっ!


「美優のお腹についてだが、ハリと柔らかさを兼ね備えながらスラリとしていた。世の中にはおへそフェチという言葉がある。正直、昨日までは分からなかった感覚だが、美優のお腹の感触を知って、その扉の前まで立ってしまったことをここに告白しよう。多分、水着とかのおへそが見える状態で同じようにやられたら、俺は真理の扉を開いていたと思う。次に、顔を押し付けられたときに感じた制服の匂いについてだが、あれ単純に興――」


 俺がつらつらと美優のお腹の感触について語っていると、突然美優が俺のお腹に抱きついてきた。


 それはさながら、昨日の俺を彷彿とさせる抱きつき方だった。


 女の子に突然抱きつかれた。そんな事態を前に俺は一瞬、何が起きたのか分からなくなっていた。


「み、美優さん?」


「も、もういいから」


「あの、この状況は一体何が起きているんでしょうか?」


「お返し。私だけやられたのも癪だし?」


 美優はそう言うと、俺のお腹付近に顔をぐりぐりっと押し付けて、少し声のトーンを上げた言葉を漏らしていた。


 美優呼吸をお腹付近で感じながら、腰に回された腕がきゅうっと俺を抱きしめてくる。


 そんな妹の姿と感触と近すぎる匂いを前に、俺は一気に体温を跳ね上げてしまっていた。


それに伴って加速していく心臓の音がうるさくて、その音が美優に聞こえてるんじゃないかと本気で心配していた。


「あの、お腹の付近でしゃべられるとこそばゆくて、あと息をされるのもお腹の付近が暑いんですけど」


「今は顔見せられないから、我慢してっ」


 そんなことを言ってきた美優は、耳の先まで真っ赤にしていた。


 どうやら、今の美優は膝枕では隠せないほどにその顔を真っ赤にさせているようだ。


 そういえば、昨日も似たような感じで顔を上げることを拒否されたな。もしかして、あの時の美優の顔も今と同じ感じだったのだろうか?


 そんなことを考えながら、すぐ下にいる美優に視線を落した。


 兄に甘えてくる妹。ブラコン妹の中でも、そんな妹に部類される妹といった所か。


 そんなことを考えながら、俺はお腹に顔を埋めている美優の頭をそっと優しく撫でるのだった。


 妹のベッドの上で、妹に抱きしめられながらその頭を撫でるというシチュエーション。


「……ふへっ。おっと危ない危ない、にやけた笑い声が出るところだった」


「出てるよ、お兄ちゃん」


 そんな甘える妹を前に、妹の部屋にお呼ばれするイベントは終了したのだった。


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