最終話
「え、一緒に寝ましょうよ、お兄さん!」
爽からの予想外の提案に俺はなぜだかドキッとしてしまい、分かりやすく猫のように目を丸くして驚いた。一人っ子だった俺は、こんな風に年下の男に甘えらえるのに慣れていない。というか、兄弟だろうと友達だろうと、男同士で一緒に寝ることなんて普通ではない。しかもウチにあるのはシングルベッドだ。寝て起きたらきっとどちらかが下敷きになってしまう。
「……今日ずっと気になってたんだけど、アナタ距離感バグってない?!」
俺は今居るのが夜中のマンションだという事も忘れて大きな声で叫んでしまった。初対面の男に対して、いきなり手を握ったり、会ってそのまま家に泊まったり、一緒に寝ようと言ってきたり、流石に距離感がおかしいというか、危機感が無いというか。俺が親なら心配で外を出歩かせたくないくらいのレベルである。
「え、そうですかね……?一人だと寂しいな、って思って。嫌ですか……?」
嫌ですか?、と聞き返されるとは思っていなかった俺は言葉に詰まる。少し言い過ぎだっただろうか、爽の顔は暗く沈んでいた。下手に返事をすると、彼を傷付けてしまうのかもしれない、と少し冷静になる。ふと今日の職場での泣きそうだった西園寺の顔が頭をよぎる。
「嫌……ではないよ、別に」
俺は宋の顔を見つめて、真面目なトーンで答えた。彼が望むなら、一緒に寝るくらいしてやらんこともない。俺の経験がないだけで、意外と男同士で寝てみるのも悪くないかもしれない。
俺の返事を聞いた爽は黙り込んで、俺の顔をまじまじと見つめる。相変わらず可愛い顔をしている男だな、なんて思ったりもした。そして、目を見つめ合っているとなんだかにらめっこみたいだな、と俺はちょっと笑いそうになる。
「……あはは!冗談ですよ!僕が下で寝るから、お兄さんはベッドで寝てください」
「え、一緒に寝なくていいのか?」
俺は素直に驚き、そう聞き返してしまった。聞き返した後にすぐ冷静になる。この言い方じゃ俺が爽と一緒に寝たいと思っているみたいじゃんかと、咄嗟に発言を撤回したくなった。
「流石にお疲れのところ、睡眠まで邪魔するのは申し訳ないですから!」
彼の発言は本当に冗談だったようだった。俺はまたこの男に弄ばれたのか。俺は机越しに向かい合って座っている爽の顔に向かって右手を伸ばし、両頬を指で挟む。爽の唇はタコのようにニョっと前に出る。
「……本気で一緒に寝たいのかと思ったぞ、爽君。」
俺を騙してきた仕返しとして、爽のほっぺを指で挟んでぷにぷにと動かした。爽の頬は水風船のように柔らかく、自由自在に膨らんだり萎んだりした。
「うふふふふ」
爽は抵抗することなく、タコの口のまま笑った。
――話し合いの結果、俺は床で、爽がベッドで寝ることになった。爽は自分だけベッドの上で寝ることにかなり遠慮をしていたが、俺が半ばゴリ押しでベッドで寝てもらうことにしたのだった。年下とは言えども、来客の相手が床で寝ている中自分だけベッドで寝ると申し訳なくて余計眠れなくなる。
二人の寝る場所が決まった後、「流石にそろそろ寝ないとヤバイ」と二人はさっさと寝る準備をすることにした。風呂は別々に入り、歯磨きは余っていた新品の歯ブラシを貸し、パジャマは俺の少し大きなスウェットで我慢してもらうことにした。そして部屋の電気を消した後、爽はベッドに行き、俺は床に寝転ぶ。
(床……やっぱ固いな)
床で寝るのなんて何年ぶりだろうか。俺は固い床にバスタオルを敷き、片付けていた夏用の布団をかぶり、いつも抱き枕にしているクッションを枕の代わりにした。
「本当に大丈夫ですか?僕、全然下で寝れますよ?」
真っ暗闇の部屋の中、ベッドの上から爽が俺に声を掛けてくれた。俺が床でガサゴソしていたから気になったのだろう。
「気にするな!今日は君がお客さんなんだから、ゆっくりベッドで寝てくれ」
「……」
俺がそう言うと、爽からの返事は無くなった。――じゃあ寝るか、と思った瞬間、バタンッとベットの上から何かが落ちたような音がした。
「じゃあ、僕も下で寝ますっ」
爽の声が俺の耳元で聞こえてくる。電気を消しているから、彼がどこにいるのか詳細には分からないが、めちゃくちゃ近い、ということだけは感覚的に分かった。
「ちょっと!どこにいるのよ!」
俺は焦って何故かオカマ口調になってしまう。手を上下左右に動かしてみたが、人間らしきものには全く触れなかった。
(……となると、まずベッドから降りて、体をしゃがめて耳元で囁いた後、歩いて離れていったのか?)
頭の中で爽の現在地を考察していると、突然、俺の体を覆っていた夏用の布団の中に何かが入ってきた。
「ここ、ですよっ」
層の声がまた耳元で聞こえてきた。今度はさっきよりかなり近い。というか、俺の勘違いでなければ耳と唇が一瞬触れたような気もする。
「……お兄さん、今日は本当にありがとうでした」
爽はそう言うと、床に寝っ転がっていた俺の上に被さり、ぎゅっと抱きしめてきた。俺は予想外の出来事で反応に困ってしまう。
「お、おう。ぜんぜんいいってことよ……!」
男から抱き着かれたことなんて、今までに一度も無かった。普段の俺なら、「やめろよ!」とでも言って拒絶していたと思うが、今日はなんだかそんな気分ではなかった。きっと、男である爽が、男である俺に抱き着いてくるという事は、何かそれ相応の理由や感情があるんだろう。今の俺はそれを否定したくない。
「僕、結構最近しんどいことも多かったんですけど、お兄さんのおかげで明日からも頑張ろうって思いました。」
俺に抱き着いたまま、爽は言った。こんな明るい大学生なのに、なんだか意外だなぁと正直思った。人には人の地獄があるもんだ。
「……そっか。俺も、人生上手くいかないことばっかで嫌になっちゃうんだけど、今日は久しぶりに楽しかった。ありがとうな」
一日が終わってしまうのが寂しいな、と久しぶりに思った。(厳密には0時を過ぎていたが。)俺は爽の体を抱きしめ返したりはしなかったが、優しく彼の背中をポンポンと撫でた。爽はまたぎゅっと俺の体を強く抱きしめた。
「おやすみなさい、お兄さん」
爽はそう言うと、ゆっくりと俺の元を離れた。
「あぁ、おやすみなさい。爽君」
俺の長い長い一日が終わった。
――うす暗い部屋の中、スマートフォンのアラームが鳴り続ける。
(また今日も仕事だ……嫌だ……)
俺は寝ぼけながらも、スマートフォンを置いてあった位置まで手を伸ばし、画面の光を浴びる。眩しい画面を薄眼で見ながら、どうにかアラームを止めることに成功した。
「ふわぁ……。おはようございます……」
アラームを止めることに必死だった俺は、隣にいる人間の存在に気付かなかった。
「うわぁ!……誰かと思った」
「……僕の事、忘れちゃったんですか?……ひどいなァ」
彼は顔をぷくっと膨らませた。一瞬、誰か女の人でも連れ込んでしまったのかと思ってしまったが、顔をよく見ると彼が昨日出会った爽であることを思い出した。俺は、ごめんごめん、覚えてるよと返事をする。結局彼はあの後もベッドに戻らず、床で俺と一緒に寝ていたようだった。
「今日、大学一限からあるのでちょっと急ぎます!」
爽はそういってスッと立ち上がって着替えだした。俺も仕事があるから急がないと、と眠い眼をこすって、体の上半身だけ起き上がる。
(爽、もう帰っちゃうのか……。爽が大学に行ったら、俺は会社に行って、それでもう二度と会うことはないのかな……。でもまあ、お互い大学生と社会人だし、それが普通か。用事もなんもないしなぁ)
昨日までは俺のすぐそばにいた爽の存在が、なんだか遠く離れてしまったような感覚がした。もともと知り合いでもなんでもなかったのに。
「あのさぁ、爽……君?」
俺はいたたまれなくなって、着替えている爽に話しかける。俺が貸したスウェットは、いつの間にか丁寧に畳まれていた。
「ん、なんですか?お兄さん」
「お腹は、空いた……?今日朝ごはんはどうする?」
俺は自分の手をお腹に置いて、いかにもお腹が空きましたというポーズで聞いてみる。
「あ、大丈夫ですよ!僕、朝あんまり食べないんで!」
「あぁ、そっか。まあそうだよね。大学生だしね。うん」
大学生だから朝ごはんを食べないなんてことは無いと思うが、上手く返事が出来ず思い付きで適当に話してしまった。どうしよう、ここから先の会話は考えていない。面接で大学生を問い詰めるのは得意なのに……。
「ねえ、爽君?!」
俺はへこたれずにもう一度話しかける。
「はい?!……なんでしょうか?」
「あの、その、連絡先とかさ、教えてくんない?……もし忘れものとかしてたら困るし!!」
「……あぁ、いいですよ!インスタでいいですか?」
「え?インスタって連絡とかできるの?俺インスタやってない……」
まさか、いまどきの大学生はインスタで連絡を取り合うとは思ってもいなかった。それを知ってたら昨日の夜にでもインスタのアカウントを作ってたのに。
「あはは、おじさんですね!じゃあLINE交換しましょうか?」
「あ、本当?!おじさん、それだと助かります……」
二人はスマートフォンを取り出し、友達追加をする。俺のLINEに「平山爽」という名前が表示される。
「友達追加できました!『赤山 悟』って名前なんですね。」
「あ、そういえばこっちは名前教えて無かったな。スマン」
「いえいえ、今知れたのでOKです!」
会話が終わると、二人の間に少しの沈黙が流れる。
「……あの、また家まで来てくれる?」
俺の口から自然とその言葉が出た。顔がなんだか熱くなっているのが自分でも分かる。
「え、また来ても良いんですか?」
「……もちろん!昨日楽しかったし」
俺がそう言うと、爽は満面の笑みでこう言った。
「じゃあ、今度は一緒のベッドで寝ましょうね!」
「俺の部屋に、あざとい男子大学生が住みついた話。」 @deruta-kaku
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