第14話 Bring it!(3)
「幸谷君、お疲れぇ」
正孝はちょうど、下駄箱を開けたところだった。
「え? あ、うん」
突然声をかけられて、正孝は戸惑ってしまう。
「今日は、これから帰り?」
「うん」
「あ、そうなんだ。バイトとか、やってたりするの?」
「ううん、全然」
正孝は答えた。
じゃあ、どうして部活も行かずに帰るかと言えば、単純に、この学校という、たくさんの人がいる空間から早く逃れたいからだった。正孝は、人が嫌いなわけでは無かったが、七時間の授業を終えるともう、へとへとに疲れてしまう。
「あ、じゃあさ――今日もし暇だったら、この後、ちょっと打ち合わせしない」
「打ち合わせ?」
「うん。ほら、移動教室の行く場所。今日決めちゃたら楽できるでしょ」
「あー、うん……」
正孝はぼんやり応えた。
『楽ができる』というのは、正孝にはあまり魅力的なキーワードではなかった。早く決めたとしても、その浮いた時間ですることも別にない。次から次に急かされるような、そういうせわしない生活感を押し付けられるのも、正孝は嫌だった。
愛美は、自分の言葉が正孝に刺さっていないことはすぐにわかった。同じ「うん」でも、自分の誘いに煮え切らない返事をされると、愛美は少しむきになる。そこで愛美は、言葉を変えてみることにした。
「それに私、今日バイトなんだけど、絶妙に時間空いてるんだよね。だからちょっと、時間潰すの相手してほしいなと思って」
愛美が言うと、正孝は、今度は乗り気なのがはっきりわかる声音で答えた。
「僕で良ければ」
まぁ、良しとするか――と、愛美は笑顔を正孝に向けた。
自転車通学の愛美は駐輪場に自転車を取りに行き、正孝はそれに付き添った。自転車を押す愛美と正孝は、並んで正門を出た。そこで愛美は、正孝が電車通学なのを知った。
「幸谷君って、どこ住んでるの?」
「池袋の三丁目」
「えっ! 池袋住んでるの!?」
うん、と正孝は頷いた。
生まれも育ちも東久留米市の愛美には、池袋は都会だった。
東久留米からでも都心までは電車で一本、時間にして三十分とかからないくらいだが、それでもその三十分の間には、車窓を通り過ぎるたくさんの家々からなる分厚い壁がある。
しかしどうして、そんな都心に住んでいながら、こっちの高校を選んだのだろうと、そんな疑問が愛美の中に浮かんだ。
武蔵黒目高校には私立らしく、売りがある。例えば、校舎が新しい事。何しろ、開校十年目の新設校である。近隣の女子中学生の間では、制服も可愛いと人気だ。それだけでなく、行事に全力投球するというカリキュラムや、そういった生徒が集まる明るい校風にも人気がある。
しかしそれくらいなら、都心部にいくらでも、人気の学校はある。
部活はというと、これも確かに売りがある。武蔵黒目高校の部活動は、そのほとんどの部で専門の外部指導員を招いているので、生徒や家庭の満足度は相当高いのだ。〈強豪〉と呼ばれる部もいくつか持っている。文芸部もそのうちの一つだ。武蔵黒目高校の文芸部は、界隈では有名である。
しかし正孝は、幽霊部員である。部には名前だけ置いているが、活動には参加していないと、愛美は正孝本人から聞いて知っている。
勉強に関して言えば、この学校に入れるくらいならわざわざこんな田舎に来なくても、池袋の方でだって学校はかなり自由に選べたはずだ。
それなのに、なぜこの高校に?
しかし愛美は、その質問がパンドラの箱をあける結果になるのではないかと思った。
人には誰でも、覗かれたくない過去があるものだ。そういう過去が、彼にこの学校を選ばせたのかもしれない。何となく、そんな気がする愛美だった。
「――あ、じゃあさ、私今日は大泉でバイトなんだけど、その近くのファミレスでも良い?」
「うん、いいよ。佐藤さん、バイトしてるんだ……」
やっぱり大人だなと、正孝は思った。
それから二人は電車に乗って大泉学園駅で降り、駅から徒歩一分ほどの場所にあるファミリーレストランに入った。
タコスのサラダとケサディーヤ、それにスープとドリンクバーのセット。その注文を終えた後、愛美は立ち上がりながら正孝に訊ねた。
「何が良い? 私とってくるよ」
「えぇ!」
正孝は、天地がひっくり返るような驚き方をした。何かを頼まれることはあっても、何かを頼むことの経験自体が少ない正孝である。まして同じ歳の女の子が、自分の飲み物を取って来てくれるなんてことがこの世にあるとは、思っていなかった。
愛美は、この一場面のリアクションだけをとっても、幸谷君はやっぱり「モテる」男子ではないなと、再確認した。こういう時、平気で人にモノを頼めるのが、そういう男の子だ。そして頼まれた女子の方は、そういう男の子のために何かをしてあげるのに満足感を覚える。だから、こういう時に遠慮する男の子は、モテない。
「でも、いいよ、自分で――」
「幸谷君、コーヒー飲む?」
「いや、コーヒーは……」
「炭酸は?」
「うーん……」
「じゃあ、ジュース系?」
「うん。でも――」
「じゃ、ちょっと待っててね」
腰を浮かせかけた正孝に背を向けて、愛美はドリンクバーに向かった。背後で正孝が、浮かせた腰をまたソファーに戻す、その気配を感じながら。
正孝にはマスカットジュース。
正孝の向かい戻って来た愛美は、アイスコーヒーにミルクを入れ、にこっと正孝に微笑んだ。
それから二人は、移動教室の班行動計画について、少し話し合うことにした。とはいえ本当は、この班のメンバーは、やる実習が『藤工芸』だろうが『ガラス細工』だろうが、その辺のこだわりが無いのを、愛美は知っていた。一番拘っているのは、実際の所、正孝なのである。
正孝は愛美に、行動計画の三つの案をメモ帳に書いて渡した。
班行動で決めなければならないのは、一日目午後、二日目の午前、午後、そして三日目の午前の活動である。逆に言えば、その四枠さえ埋めてさえいれば良い。
ところが正孝の班行動計画には、どうしてその流れなのかという理由まで、物理的、精神的両面から考察と説明が示され、細々とした留意点なども書き出されている。
正孝が作った三案全てが、愛美の思っていたよりも遥かに繊細に作られていた。愛美はその綿密さに、感動さえ覚えた。『楽』だとか『遊べる』というような娯楽だけを目的とはせず、そういった目的のために最適化された快楽主義的な計画とは程遠い。ちゃんと、『学習』を意図している。
プランAでは最終的にこういったことを学びたいから、それにはこの実習とこの実習の組み合わせが良いと思う。プランBでは――というそんな具合に、まるで正孝は、先生のような計画の立て方をしている。しかし教師ほどの厳格さはなく、行動予定には『余裕』が多い。
総じて、全ての計画で、バランスが良い。
そんな計画をささっと、メモ帳に書き出してしまう。
幸谷君はこういうの、得意なのだろうかと、愛美は思った。
ピンポンパーンと、音がして、丸い頭の配膳ロボットが、サラダにケサディーヤ、それにスープの皿を、腹の配膳台に乗せてやってきた。皿を取ってロボットを返した後で、愛美は話を移動教室に戻した。
もう一度ざっと正孝のメモ帳を見た後で、愛美は言った。
「幸谷君、すごいね! どれで行っても全然楽しそう」
愛美は、跳ねる様に言った。
正孝は少し照れながら応えた。
「だといいんだけど。佐藤さんは、どれがいい? あ、この三つから選べって意味じゃないからね。他に何かあったら――」
と、正孝は手提げから透明のブック型ファイルを取り出して、それを開くとテーブルの上に広げた。移動教室の施設の地図や、実習案内など、移動教室の各種詳細がA4用紙二枚にぎゅっと縮められている。
「あれ、これって、もっと大きい紙じゃなかったっけ?」
愛美はそう言いながら、配られた移動教室の案内の事を思い出していた。
学校から各家庭、各生徒に、アプリを利用して電子的に配られる電子ファイルの他に、同じものが生徒には、A3の用紙で二枚配られていた。
「書いてあることまとめて、小さくしたんだ」
正孝が答えた。
「えぇ、そうなの!? すごいね。幸谷君、そういうの得意なの?」
「ううん、全然、そういうわけじゃないけど」
そこで愛美は、正孝に今日一番聞いてみたかったことを、質問することにした。
「でも幸谷君、どうして班長やってくれることにしたの? ――ほら、やっぱり大変じゃん、色々準備とか、先生に報告とかもしなきゃいけないし」
正孝は少し考えてから答えた。
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