第13話 Bring it!(2)

「私もタックン狙ってるって言ったら、二人ともどうする?」


 ええっ、と明日香と緑は声を上げ、テーブルに身を乗り出した。


 愛美は二人の予想通りの反応に満足して、にまっと微笑んだ。


「えぇ、マナ、マジ!? マジそうなの?」


 明日香の声が裏返る。


 愛美は、何とも答えず、明日香に笑みを見せるのみである。


 緑は、初めてこんにゃくを食べた子供の様な、いかにも奇妙そうな表情で、固まってしまっている。明日香は、目を白黒させながら愛美に言った。


「待って、マナ、だったらちょっと話変わるくない!?」


「でも明日香、宇川さんの応援なんでしょ?」


 愛美は、いたずらっぽい瞳で明日香を見やり、そう言った。


「いや、でもそれはさぁ――」


「明日香、私の方応援してくれるの?」


 愛美にそう言われると、明日香はたじたじになってしまう。


 緑は、よくやるわ、と、愛美の言動に半ば呆れて小さく笑った。明日香を翻弄できるのは、愛美くらいなものだろう。そのあざとい仕草、声音、表情、それらすべてを使った駆け引き。本当に、よくここまでやれるわね――と緑は思ってしまう。


 しかしその一方では、緑は愛美に、嫉妬を覚えていた。この子は、私を相手にもしていない。それに明日香は、普段愛美と、特別に仲が良いというわけでもないのに、愛美にしか見せない顔がある。


「いや、マナ応援とかいらないでしょ!」


 明日香が言った。


「言えてる」


 と、緑も同意する。


「そんなことないよ」


 愛美はとりあえず、そう返事をして、それからぽつりと、言った。


「――だけど、望は、私が味方じゃちょっと可愛そう」


 愛美の言葉に、明日香と緑は押し黙った。


 愛美は二人に、念を押すような目線をやった。


「でも肝心の拓はさ、どうなんだろ」


 明日香は、少し盛り下がった様な雰囲気を嫌って、明るい声で誰にともなく訊ねた。


 小佐田拓は、背は低いが、それを補って余りある魅力で女子にモテる。拓のことを好きだという女子は、結構いる。しかしその逆に、拓の好きな人というのは、誰も知らなかった。サッカー部の男子に探りを入れる女子はこれまでにもたくさんいたが、今もって、判明していない。拓はそれを、岳斗にだけ打ち明けていたが、岳斗はそのことを、最近まで誰にも話していなかったのだ。


 愛美の目をもってしても、拓の好きな子までは、わからなかった。小佐田拓という男子がどんな人物なのか、実のところ、まだ愛美は掴めないでいる。


「探っとくよ」


 愛美が言った。


 これに関しては、明日香も緑も、愛美ほど頼りになる人間はいないと思った。二人が拓の好きな人を知りたいのは、単純な好奇心からだった。愛美が本気で参戦するならいざ知らず、実際の所二人は、拓を巡る夏果と望の恋愛レースの行方自体には、さほどの興味はなかった。それよりも気になるのは、あの小佐田拓の〈好きな人〉、である。


「岳斗は?」


 明日香が、今度はもう一人の人気者の名前を出した。


 愛美は笑った。


「どうかな?」


 マナは少し、思わせ振りに応えた。


「あいつ分かんないよね。いつも鼻の下伸ばしてるし」


 明日香が、勢いよく言った。


「確かに! 話してるとき、ちらちら胸凝視してくるからね」


 緑も、岳斗の話に加わる。


「あいつおっぱい星人か」


「完全にだよ。明日香とか、めっちゃ見られてるじゃん」


 緑が言った。


 明日香の胸は、特筆するほどのモノではないが、しかし、この三人の中では一番存在感がある。また明日香自身も、胸の大きさを、わざわざ隠すようなタイプではない。


「今度金取ろうかな」


 と、明日香はそんな事をふざけて言いながら、制服の上から自分の胸を、手で軽く揺さぶった。緑と愛美は、思わず笑ってしまった。


 やがて、岳斗の話題で一盛り上がりした後、そういえば、と緑が言った。


「――そういえば、マナの班、級長も一緒だったよね」


 少しまた、からかうような口調。


「あー、ね! 幸谷君だっけ? 髪切ってかなり印象変わったよね」


「うん、そうだね」


 明日香の発言に、愛美は軽く相槌を打つ。


「てかこないださ、マナから苺もらってキョドってたねぇ。あれマジうけた。アーンとかね。マナ、幸谷君の事好きなの?」


 笑いながら、明日香が言った。


 緑も明日香も、そんなことないのは知っていた。髪を切って少し清潔感が出たからと言って、第一印象はそう拭えない。二人からすると正孝は、恋愛対象としては今もって「ありえない」相手だった。


 愛美も、口元を押えてくすくす笑った。


 その冗談、答えないといけないの? という、そんな空気を存分に出して。


「でもマナもさぁ、あんま、可哀そうだよ。絶対勘違いしてるから」


「ホントだよ、最近からかいすぎ」


 ケラケラと笑いながら、明日香、緑と次々に意見する。


 愛美は、にやりと微笑みを浮かべながら、紅茶のカップに口を付けた。






「やるよ」


 週明け、行動班の最初の班会議で、正孝は班長に名乗りを上げた。


 これには皆、驚いた。どうしてわざわざ、そんな面倒な仕事を引き受けるのか。その疑問の後で皆、正孝がこの七組の級長であることを思い出した。その時も、立候補だった。


 人間には、『長』と名のつくモノが好きな人種がいることを、高校生でもその歳まで生きていれば大抵知っている。そして、そういったタイプの人間に共通するある種の匂いは、どんなに隠そうと思っても隠せない。義務教育の間には皆、そういった嗅覚を持つものである。


 正孝の班で言えば、岳斗がそのタイプである。人の上に立つのは、嫌いではない。しかし岳斗は同時に面倒くさがりでもあるので、結果的に『長』になることはこれまで、ほとんどない。我が強すぎるのも一端あって、サッカーチームでもキャプテンよりは副キャプテンを任されるような男である。


 一方で正孝は、『長』であることを誇るようなタイプでは無い。むしろそういう立場は、不得意そうに見える。似合ってもいない。それなのになぜか立候補。皆その点については奇妙で仕方がなかった。


「え、ホント? やってくれるの?」


 愛美は、一応念を押した。


 実は愛美は、誰もやりたがる人が居なければ、班長くらい自分が引き受けてもいいと思っていた。正孝の立候補は、愛美には意外だった。


 愛美の言葉に、正孝は頷いた。


 皆、否は唱えない。拓は少しだけ、正孝の下につくような気がして、その点少し面白くないと思ったが、岳斗が反対しないので、別にいいかと、気にしないことに決めた。


 移動教室でどこに行くか、何をするか、その班会議で話し合った。


 話し合いを進めるのは正孝ではなく、愛美である。意見を言うのは主に岳斗、次点で拓。愛美と望は、出てきた意見を検証する役に回った。正孝はというと、ほとんど書記のような役回りである。


 実際の所皆、何をするかなんてことは、どうでも良かった。望には拓が居て、拓には望と、そして岳斗がいる。岳斗も友人の拓と、外見的にドストライクの愛美が同じ班なので、何をしても楽しいことは、すでに確定していた。加えて岳斗にとっては、正孝は掘り出し物だった。近頃岳斗は、毎日正孝を昼食に誘っている。


 正孝が自分と全く正反対の性格というのは、岳斗もわかっていたが、それゆえになのか、正孝の前では、肩肘を張らなくて済む。日頃マウント合戦に晒されている岳斗には、そういう世界と無縁の正孝の空間は、かなり心地が良かった。


 愛美にとっても、正孝と岳斗が仲良くなったのは、嬉しい誤算だった。男子同士、ギスギスさえしなければ良いかな程度に思っていた愛美である。ところが蓋を開けてみれば、岳斗は十年来の親友に対するかのように、正孝に接している。


 不思議なこともあるものだな、と愛美は思いながら、先週は正孝と岳斗が、昼食時に一緒に教室を出て行くのを、それとなく観察していた。


 班会議があったその日の放課後、愛美は、下駄箱の所で正孝に声をかけた。

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