第12話 Bring it!(1)
行動班が決まった週の土曜日は授業があった。土曜授業は三時間か四時間で終わり、そのあとは、部活の生徒は活動がある。しかし平日と違い、部活も、始まる時間が早いので終わる時間も早い。夕方になる前には大方の部は活動を終える。
そこで愛美は、
電車通学の緑は、明日香の自転車の後ろに乗った。明日香と愛美は、市内の中学校出身で、武蔵黒目高校は地元である。愛美に至っては、高校から自宅まで、自転車で十分とかからない。
愛美が二人を連れて来たのは、最近できた喫茶店だった。
高校から最寄りの東久留米駅の西口側の住宅街の中にある。
武蔵黒目高校は東口の側にあるので、西口側の店情報となると、市外の生徒は良く知らない。まして今回愛美が見つけて来たのは、その西口側の、住宅街にぽつんとできたケーキ喫茶である。市内在住の明日香も、その存在を知らなかった。
店に入り、三人はそれぞれに好きなケーキと、そして紅茶を頼んだ。
価格も良心的。
肝心のケーキは、最近はやりの〈上品な味〉というのではなく、口に入れると、濃厚な甘味が、口内に広がる。
最初の一口を食べた明日香と緑は、「うーん」と、目を細くした。
愛美は、にやりと笑った。
美味しい店を知っているということが、女子の中でどんな価値になるのか、愛美は熟知している。そしてそういう店を教えて、招待することの意味というものを。いつもの顔なじみのメンバーであっても、場所を選べば、それはちょうど、中世期におけるサロンのような、極めて社交的な場となる。
「あー、幸せ」
緑が、低い声で言った。
「美味しいねここ。よくこんなお店見つけたね」
明日香も、すっかり気に入って愛美に言った。
それから明日香と緑は、今日の部活のことを面白おかしく、話題に上げた。愛美も、バイト先のちょっとした出来事を語り口鮮やかに披露して、二人を笑わせた。その後で、今週のクラスの話題を切り出したのは、明日香だった。
「――でもマナの班さ、ちょっとズルいよねぇ?」
元気な張りのある声で、明日香が言った。
「あれはね」
緑も同意する。
しかし、ケーキのおかげで、話は深刻味を帯びない。
「タックンと遠野君?」
「そうだよ。拓、うちの班に欲しかったもん」
明日香が言う。
「え、でも明日香の班、鈴木君いるじゃん」
愛美が言い返す。
鈴木君というのは、鈴木条のことである。軽音楽部のギターである。ただ、明日香をはじめ、クラスの目立つ生徒は、彼のことを『鈴木』や『条』とは呼ばない。『鈴木君』と呼ぶのは愛美くらいなものである。
「ロリねぇ……」
明日香が首をかしげて、少し笑いながらくしゃっと顔をゆがめる。
『ロリ』というのが、鈴木
「でも明日香だっていいじゃん。ローリーもいるし、来輝もいるでしょ。うちなんて――」
と、緑が自分の行動班の男子の悪口を言い始める。
ちなみに来輝というのは、軽音楽部のバンドでボーカルをやっている、いわゆるモテる系の男子だ。見た目だけなら、小佐田拓や遠野岳斗より女子受けが良い。いつも首に、存在感のある銀ネックレスをつけている、そういう男だ。
「――だけど確かに、マナの班絶対楽しいよね。拓に岳斗でしょ」
話が一週回って、愛美のところに戻って来た。
愛美は少し、含みを持たせた口調で返した。
「それに、望もいるしね」
明日香と緑は一瞬、息を止めた。
ここまでの会話の中で、誰も牧田望の名前を出していなかった。その理由を、愛美はよくわかっていた。明日香と緑には、少しばかり、罪の意識があるのだと。
「でもそれも意外だったんだよね。マナって、望と仲良かったっけ?」
明日香が、取り繕うように、いつもより少し高い声で言った。
明日香は、感情や思考がすぐに表に出る。そのわかりやすさを、愛美はなかなか、気に入っていた。
「二人も、望とはまだあんまり?」
愛美の質問に、明日香と緑は互いに顔を見合わせ、躊躇いがちに頷いた。
「良い子だよ。ザ・マネージャーって感じ」
愛美が言うと、何それと、二人は笑った。
少し、馬鹿にしている。というのは、二人から見れば望は、自分から意見を発信しないので影が薄い。縁の下の力持ち、とも言えるが、思っている事を言わないので、明日香や緑からするとそこが少し、卑屈に見えている。そういった二人の望に対する認識を、愛美はしっかり把握していた。実は愛美も、望には同じようなことを感じていたのだ。
「マナさ、なんで望と組んだの。私、マナ誘おうと思ってたのに」
緑が言った。
それを受けて、明日香も興奮した声で続けた。
「そうだよ! 私と緑とマナで組めば良かったじゃん! てか、その予定だったよね?」
「そうなの?」
愛美は、すっとぼけて言う。
「そうじゃん! 私と緑はそのつもりでいたし」
「ごめんごめん」
と、愛美は平謝り。
実際愛美は二人から、一緒に班になろう、と誘われてはいなかった。ただ、その気配を感じ取れないほど、愛美も鈍感ではない。明日香と緑もそれは分かっていた。それでも愛美を責められないのは、愛美が、望と班を組んだからである。
望が愛美の所に泣きついたのだろうというくらいは、二人にも推測できていた。そしてその状況を作った原因の片棒を、自分たちが担いでいたと言う事も、当然、解っていた。つまりは、夏果の側に付くだけでなく、夏果が望を排除しようとする空気に待ったをかけず、黙認してしまった。
そんな望を拾った愛美に、二人が意見できるはずもなかった。そして今、この会に愛美が夏果を呼んでいないという事実が、愛美の、夏果に対する感情を如実に表していた。
元気印で、物をはっきり言う、ある意味怖いものなしといった風な明日香も、愛美は敵に回したくないと思っていた。喧嘩をすれば、それがちょっとした口論のレベルでも、大怪我を負わされそうな、愛美にはそんな恐ろしさがある。
しかし緑は、明日香が愛美に遠慮しているのが、面白くなかった。緑は、夏果や愛美ではなく、明日香派なのだ。明日香が夏果とよく一緒にいるから、夏果も同じ側の友人と見ているに過ぎなかった。
「でもさ、マナも、一言くらい相談してくれても良かったんじゃない?」
緑が言った。
特段に非難めいた気配は無いが、しかし、笑い半分でもない。
とはいえ愛美は、緑には何も相談するようなことは無かった。というより、緑に相談して解決するようなことは何もないと思っていた。緑は結局、明日香と仲良くできてさえいればいと思っている、そういう女なのだ。
「でも二人とも、宇川さんの味方でしょ?」
けろっと、愛美が指摘した。
緑は不服そうに唇を引き締めたが、明日香は苦笑いを浮かべ、それから駄々をこねるように言った。
「でもそれはさ、私夏果に、応援するって言っちゃったんだもん」
愛美は少し笑いながら頷いた。
そのことは愛美も、先刻承知である。しかし明日香の応援は、深い友情から発生しているものではない。たまたま新しいクラスになって、その新しい友人作りの中で、ぽんと、言ってしまった軽はずみな約束に過ぎない。
とはいえ約束は約束。
それを易々と反故にするほど、明日香も裏切者ではない。
愛美からすれば明日香は、宇川夏果の策略に踊らされている被害者の一人である。好きな人を打ち明けることによって仲間を作り、ライバルを減らす。そういう作戦を躊躇いなく、迅速に実行できる女の子なのだ、宇川夏果は。
七組の雰囲気を作っているのは明らかに明日香であり、今後明日香がこのクラスの顔になるのは間違いないが、このままでは明日香はその裏で、夏果にとって都合の良いクラス運営のために利用されていくことになる。明日香には、夏果の強かさが見えていないのだ。
「――ってことは、愛美は完全に望側って事?」
緑が愛美に訊ねる。
そこで愛美は、意味深な間を置いて、それから応えた。
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