第230話 ダイヤと戌

 「わん!」


 「戌の英雄か?」


 ダイヤに殺気を向けて誘い出し、月の裏側まで移動した。


 周囲には誰もいないので存分に戦う事が許される。


 「わん!」


 英雄は前屈みになり、四足歩行で移動する。


 その犬走りはふざけている訳では無いようで、かなりのスピードを有していた。


 「【月鞭】」


 月面から月明かりが集中してできた鞭のような光が英雄に襲いかかる。


 それをステップを駆使しながら回避し、右手を振りかざす。


 「わん!」


 大きな魔力の爪が顕現し、ダイヤに振り下ろされる。


 「はっ!」


 横にステップして回避すると、爪が振るわれた箇所に大きな亀裂が入る。


 かなりの破壊力を有していたようだ。


 戌の英雄の顔には悪意などは微塵もなく、純粋無垢な赤子のような表情だ。


 しかし、表情とは裏腹に身体はボディビルダーみたいに筋骨隆々である。


 再び四足歩行で加速する英雄。


 「わおおおお!」


 ダイヤが咆哮をあげる。空間を揺るがす咆哮に全く動じない。


 肉薄した英雄は口を開くと、牙のような魔力の塊が顕現する。


 「ぬおっ」


 バックステップで回避し、影を生み出す。


 「これはどう対応する」


 影を刃のようにしながら英雄に伸ばす。


 ぴょんぴょんと障害とも思わぬ動きで躱す。影に呑まれる事無く足場とする。


 まるで卯の英雄と戦った時のような感覚に陥る。


 数ヶ月前の戦いが昨日の事のように振り返る事ができる。


 「わん!」


 爪での攻撃を影で防ぐと、英雄も咆哮を放つ。


 「わん!」


 「ガオ!」


 咆哮に咆哮をぶつける事で相殺する。


 「では我も、同じように戦おうでは無いか」


 全身に力を込めて、月面を蹴る。


 爪を掲げて袈裟で落とすと、英雄は回転しながら回避し踵を頭に落とす。


 ダイヤは進化で絶大なパワーアップをしていた。


 英雄の踵落とし、しかも半回転を乗せただけのパワーではビクともしない。


 「ガオ!」


 口から【月光線ムーンレイ】を放ち吹き飛ばす。


 月の光に呑まれても生存した英雄は濡れた動物がやるように身体をブルブルと震わせた。


 「中々に丈夫では無いか」


 「わん! 【英雄覇気】」


 白色のオーラを放出しながら身体の大きさが増していく。


 きちんと立てば身長は三メートルを超えるだろう。比例するように身体の体積も増す。


 「ガルル」


 「来るが良い」


 険しい表情となり、牙を剥き出しにして英雄が接近する。


 臆する事なく堂々とした立ち振る舞いで英雄の攻撃を待つ。


 次なる攻撃は牙での攻撃。口を閉ざさないように影で抑える。


 さらに別の影が腕や足に絡み付き拘束する。


 逃れようと暴れてもダイヤの影からは簡単に脱出できない。捕まったら最後、抗う力は等しく無力だ。


 「我は少し後悔していてな。もしもお主がその気ならばこの争いから身を引くが良い」


 「わんわん!」


 会話が成立しているのかしていないのか、分からない状態。


 「無駄な殺生はしたくないのだ。何もせず静かに暮らすと言うならこの世界にいるが良い」


 「ガルル! ワンワン!」


 戦意をさらに高めて威嚇する英雄にダイヤの瞳は悲しさを滲ませた。


 子供ながら責任を背負い、信念のまま戦って戦士としてその生涯を終えた。


 卯の英雄である。


 本当ならば責任も命を落とす必要も無かった。子供のように友達と遊び笑い将来を考えれば良かったのだ。


 自分の人生を大切にすれば良かったのだ。


 その事を考えていた。


 「まともに会話もできんか。それとも対話を望まぬか。耳を貸す気は端から無いのか」


 「ワンワン!」


 「あの子は会話に応じてくれたぞ。しかとその最期を見届けた。⋯⋯できればその子について聞きたい。卯の英雄だ」


 「わん?」


 その名前を聞いて戌の英雄に新たな変化が現れた。


 彼の頭の中に蘇るのは忘れた昔の光景だった。


 『わん!』


 『なんでアナタはわん、しか言わないの?』


 『わん?』


 『ぴょんは不思議でたまらないの。人間じゃなくて犬みたいなの』


 それが戌の英雄と卯の英雄のファーストコンタクトだった。


 そこから戌の英雄が卯の英雄と遊ぶようになった。背中に乗せたり、鬼ごっこをしたり。


 走りの速度は同じくらいだったために楽しめた思い出がある。


 遠くからそれを見守る炎の龍の姿も。


 世界侵略に向けて出発していなくなってしまってからすっかり記憶から失われていた。


 だが、思い出した今込み上げる悲しみの感情がある。


 もうどんな世界に行こうが会う事の許されない現実。


 襲い来る絶望感と拘束されている現状への無力感。


 その全てが今、英雄の中で怒りに変わった。


 「わおおおおおん!」


 戌の英雄は忘れっぽい。過去の事は簡単にすぐに忘れる。


 だが、思い出を大切にしているのだ。


 忘れていたが思い出せた。大切な思い出の一ページ。


 それが奪われた事実。犯人は目の前の狼である。


 「ガルル! ワオオオオオン!!」


 悲しさを吐き出すように叫び、強いオーラを放出する。


 皮膚から動物のような毛が伸びて来る。


 戌の英雄がどうして「わん」しか言わないのか。いや、言えないのか。


 それは人間の部分が極僅かしか残っていないからである。


 本人も忘れている事象だった。


 勇者の血を与えられた時、彼は無垢の英雄となるはずだった。


 元々知性ある英雄になれる素質は無かったのだ。


 英雄への変化は地獄の苦しみを長時間経験する。その間に自我が崩壊する。


 素質と言うのはその苦しみを耐えれる忍耐力と精神力である。


 素質の無かった人間がどうして戌の英雄になれたのか。


 それは身体が変化している最中にペットだった犬を喰ったからだ。


 正確には主を心配した犬が近づき、何を血迷ったか噛み付いたのだ。


 痛みを紛らわせるためだったのか、肉を引きちぎり食らった。


 素質は犬の方が高かったのか、それとも主を護る強い意志があったのか。


 主人格が犬になったが知性ある英雄と進化を遂げたのだ。


 見た目は人間だが中身は犬に近かった。


 「ワン!」


 全てが他とは違う英雄は上昇した力を発揮して影を破壊して脱出してみせた。


 着地と同時にダイヤに迫る。


 「速いっ」


 影の身代わりと自分を入れ替えたが、影には攻撃せずに本体に向かって来る。


 スンスン、と鼻を揺らしていた。


 「臭いか。ならば」


 影に潜り完璧に体臭を遮断、影の身代わりを用意して臭いを放出させる。


 これならば騙されるだろう。そう安心したのも束の間、影に手が侵入した。


 「ぬお!」


 影から強制的に引っ張り出され空中に投げ出されたダイヤ。


 「ワオオオオオン!」


 無防備なダイヤに向かって口から魔力の塊を放った。


 巨大なレーザーに全身を包み込まれるダイヤ。


 「⋯⋯ワオオオオオン!」


 レーザーの中にダイヤがいなかった事を確認して卯の英雄に向けて雄叫びをあげた。


 「油断をするな!」


 ダイヤが突進で攻撃した。


 「ワンっ!」


 傷を負いながらも強く鋭い眼差しを向けるダイヤ。


 不意打ちが可能だった状態にも関わらず突進での攻撃。


 正面から勝ちたいと言う、ダイヤなりのプライドなのだろう。


 「我はあの程度では死にはせんぞ」


 「ガルル」


 犬は恩義を忘れない。


 遊んでくれた恩義、それを果たすために力を振り絞る。


 もしも勝てるならば命すら投げ出すだろう。


 友も主もいない世界に価値は無い。


 「ワオオオオオン!」


 「ワオオオオオオ!」


 犬と狼の咆哮が月を覆う。


 ダイヤとて負けられない。主のために。


 皆と幸せを謳歌できる住み、帰り、護る場所のために。


 「ワン!」


 「ガオ!」


 互いに口から一直線のブレスを放ち、中心で衝突する。


 拮抗するが、戌の英雄が少しばかり優勢だったのか押した。


 (負ける訳にはいかぬのだ)


 ダイヤは月からエネルギーを借りる事にした。


 内側のエネルギーと外側のエネルギーをブレスに集約して火力を上げる。


 押されていたが逆転し、押し切る。


 (お前の怒りも我が喰らってやろう。あの子によろしく頼む)


 最後の一撃に想いを込めて、英雄を包み込んだ。


 塵一つ残らず、宇宙空間を塵として舞った。


 粒子となった卯の英雄のように。


 「⋯⋯信念のぶつかり合いは対話を成立させない。無念よ。⋯⋯戌の英雄、南無阿弥陀仏」




◆あとがき◆

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