第118話 動き出す月の子

 バタッとイガラシさんが横向きに倒れる。呼吸する音が聞こえない。


 「い、いや。いやああああああ!」


 次の瞬間、鼓膜を突き破らん勢いで轟いたのはアリスの泣き叫ぶ声だった。


 なんで、いきなり。


 そんな言葉しか出て来ない。


 イガラシさんがアリスの伸ばした手を取ろうとしたタイミングだった。


 目や耳、口から血を蛇口を捻ったように出て来たのだ。


 「いややわぁ」


 この場に似つかわしくない女性の声が上側から聞こえて来た。


 混乱している俺以外の人達が全員声の方に向く。


 カンザキさん達が侵入して来た場所に優雅に座る、種族妖狐の人が居た。


 二本の尻尾に狐耳、和服に身を包んだ人間である。


 「八神ヤガミっ!」


 最初に叫んだのはカンザキさんだった。


 殺意を隠す事もせず、ヤガミって人を睨む。


 「イガラシはんは裏切り死んでもうたし、わっちが動くしかありんせん。まずは、皆殺しと致しましょうか」


 「嬢ちゃんは下がってろ。絶てぇに前に出るなよ! セツナ!」


 「わーっとる!」


 トウジョウさんがポーションをカンザキさんに叩き付ける。


 強化系のポーションだったのか、カンザキさんの身体がほんのり光った気がする。


 刹那、動き出したカンザキさんの血の斧を細目で見てからナイフで受け流した。


 ナイフを投げ飛ばす。


 「伸びろ!」


 固められたコンクールの床を貫いて木の根っこがナイフを弾いてヤガミに向かって伸びる。


 「邪魔な魔王候補者を三人も始末できるとは、運がよろしやす」


 木の根っこに対して、魔法陣も展開させないで炎を手から噴射し燃やした。


 「うちと相性が悪いのぉ!」


 「あらあら。相性なんて関係なく、実力が足りませんよ」


 影からリーダー核の仲間達が飛び出て来る。


 「おらっ!」


 「遅い」


 アイリスが斧を振り上げた瞬間、パンっと乾いた音が響いた。


 激しい光が一瞬煌めき、次の瞬間にはアイリスの横腹が閃光に貫かれていた。


 「ぬあああああ!」


 弾痕から凍って行く部分を握る。


 ハンドガンである。


 ここはダンジョンでは無い。相手は暗殺者だ。


 暗殺者に最適なのは剣でも槍でもない、銃なのは当たり前である。


 「くっそ!」


 カンザキさんは銃を回避できるが、攻撃を受け流されてしまう。


 ローズやユリも動くが、ローズの血が届く前に燃やされ反撃の一撃で沈む。


 種族としての一段階目の進化を終えているのか、仲間との力の差がかなり広い。


 それでも食らいついているユリ。


 ダイヤの影が援護するように伸びるが、それも優雅に回避され弾丸のカウンターが飛ぶ。


 「ぐっ」


 「弱いであのんすね」


 アララトのスペックはアイリスとローズを足して二で割った感じだが、それでもなお届かない。


 反撃の投げナイフが四本、腹に突き刺さる。


 「はああああ!」


 「気合いはありんすね。気合いは」


 カンザキさんとユリの猛攻は続けている。それでも届かない。


 血の斧を見て受け流され、肩などの予備動作からユリの行動が予測される。


 さらに二人の連携が致命的に悪い。


 ジャクズレが不死の軍団を召喚すれば、その全てが燃やされる。


 魔法も投げナイフで消される。


 「ここまで圧倒的な実力差があると、サポートに回るしかありませんな」


 トウジョウさんの攻撃的なポーションも投擲武器の前では意味を成さず、強化系のポーションを味方に振りかけるだけだった。


 カンザキさんとユリが粘って戦っている。


 その状況でも、俺はただ、目の前で起きた状況を咀嚼できずに立ち尽くしていた。


 ◆


 アタシには何もできる事が無い。


 サナ、ごめんね。助けてあげられなくて。


 「くっ」


 怨みを込めた目でヤガミと言われた人を睨む。


 お門違いなのは間違いないだろう。


 だけど喋った内容的に関係あるのはサナの裏にあった組織だ。


 なんで、こんな事にならなくちゃいけないんだ。


 なんで、こんな目にあわないといけないんだ!


 「キリヤ⋯⋯」


 キリヤもサナの事をちゃんと友達と思ってくれていたのか、サナの無惨な死に方にフリーズしている。


 アタシだって、目の前の状況から目を背けて逃げ出したいし、何も考えたくない。


 でも、なんとかしないと全滅だ。


 事情なんて知らない。けど巻き込まれたからには話てもらう。


 アタシにできる事は少ないかもしれないけど。


 「キリヤ、元に戻って来て!」


 「なんで、どうして」


 目をぐるぐると動かして、いかにも混乱している。


 同じ言葉を呪文のようにずっと繰り返している。


 ダメだ。アタシの言葉が届かない。


 ⋯⋯あぁ、泣いてしまっている。涙が溢れて止まらない。


 泣いたって、状況が変わる訳じゃない。アタシの涙に価値なんて無い。


 「キリヤ起きて! お願いだから起きて!」


 揺らしてもうんともすんとも言わない。


 『聞こえるか人の子よ』


 誰?


 『太陽の魔王⋯⋯はどうでも良いな。レイの友人だから肩入れさせてもらうよ。太陽が照らしてないから僅かしか手助けできない。すまない。どうか彼の心を動かしてくれ』


 ぽわぽわと暖かい何かが身体の中を巡る。


 「うんっ!」


 何がどうなっているのか分からない。でも、誰かがアタシに力をくれた。


 アタシの声、キリヤの心に届いて欲しい。いや、届かせる!


 「キリヤ、動かんとアンタの仲間がピンチだ!」


 動画で強いと言われている人達ですら、彼女の前では一撃で膝を着いている。


 それだけの強者だ。


 だからお願いだキリヤ。


 「動いてよ。⋯⋯こんなヤバい組織があるの、怖いよ」


 それは⋯⋯アタシの芽生えた恐怖の本音だった。


 「あら? 何してはるん?」


 「うぐっ」


 ヤガミに首を掴まれて強く握られる。


 「あがっ。ぐっあ」


 声が⋯⋯出せない。息も吸えない。


 コイツ、一瞬で首の骨を折れるのに誰も近づけないためにゆっくり締めてる。


 ⋯⋯まずい。


 せめて、キリヤが動けいてくれれば⋯⋯。


 ◆


 どうしてイガラシさんが死んだ。


 答えの出るはずない問題に必死に頭を動かしている。いや、ただ混乱しているだけだ。


 「⋯⋯怖いよ」


 混乱した頭には世界の音は届かない。でも、ただ一言だけで暖かい言葉が届いたのだ。


 暖かいと感じただけで、声は震えていた。


 少しだけ意識がクリアになり、大粒の涙を溜めたアリスが視界に入った。


 だけどいきなりいなくなり、微かに盛れる苦痛の籠った呼吸が聞こえる。


 目の前で、アリスが首を絞められている。


 ⋯⋯オオクニヌシ、コイツらがやっている事は正しい訳がない。


 目の前で大切な人が殺されかかっている。友が一人、死んだんだ。


 『敵は殺せ』


 未来の自分の声が蘇る。


 『キリヤ、良く見なさい。アナタの大切を壊すのは、大量虐殺者確定のヤツよ。果たしてそれは⋯⋯人間と呼べるかしら?』


 レイの声が聞こえる。とてもハッキリと。


 『善も悪も関係ないと言っていたでしょ? 見境なく殺すのはモンスターと一緒。アレは人の皮を被った怪物、モンスターよ。アナタは探索者、モンスターはどうするの?』


 モンスター、モンスターは⋯⋯倒す。


 俺はアリスの首を絞めている手に向かって手刀を飛ばす。


 バックステップで回避されてしまったが、アリスは助けられた。


 「ゲホゲホ⋯⋯おはっ」


 俺はアリスの口を塞ぐ。


 「ごめん、目は覚めた」


 「あの子の首は金剛でありんすか? 握り潰せんした」


 「モンスターが人語を喋るな」


 ライムが剣に姿を変え、強く握る。


 刹那、俺はヤガミの前に現れて袈裟斬りを放つ。見たのは予備動作か。


 「速いでありんすね」


 しかし、俺の攻撃はあっさりとナイフで受け流され反撃の銃弾が舞う。


 攻撃した直後だったが、無理くりベクトルの向きを変えて弾く。


 「銃弾を弾くんでありんすか?」


 「俺達のスピードがこのスピードで収まるとは思えないな」


 俺の隣にカンザキさんが並ぶ。


 「⋯⋯ユリ、ローズ、ペアスライム貸して」


 戦線離脱したユリと傷を再生させて飛び出そうとしたローズに言葉を投げ飛ばす。


 二人は迷う素振り無く、俺にペアスライムのピアスを投げ渡す。


 受け取りローズのペアスライム、ローラにカンザキさんの戦斧に姿を変えてもらう。


 「これ」


 「なんでだ?」


 「アイツ、多分だが魔力の流れを見ている。魔力の流れから力の流れを見てる。吸血鬼の血は魔力をふんだんに使ってるから、力の流れで攻撃の軌道が見られる」


 「よく気づいたな」


 混乱している時に見た記憶を手繰り寄せて分かったのだ。


 アイツは武器を見てから対応していた。


 ライムの中にも魔力が流れているため、力の流れは読まれるだろう。


 しかし、血よりかは幾分か良いはずだ。


 だからこそ、最初の動作として動く肩や目を見てから対応したんだからな。


 「行くか」


 ただ静かに、そう呟いた。




◆あとがき◆

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