第116話 例え嘘であっても変わらぬ想い

 カランカラン、と俺の目の前で転がるのは鉄でできた首輪だった。


 ただ、刻まれた刻印が目を引く。


 「それは隷属の首輪っすよ。着けて。そしたら、アリスは無事に解放する」


 運命の魔眼を使ってイガラシさんやアリスを確認する。


 アリスに対して運命を示すテロップは十年後の未来以外は出ていない。


 対してイガラシさんは視る度に出て来ていた結果に変化が現れていた。


 『敵35%』


 味方の確率が消えているし、敵の確率もだいぶ下がっている。


 「どうしたの? 着けないとどうなるか、分かるっすよね」


 どこまで冷めているのか、冷徹な視線を俺に向ける。


 アリスの首にダガーを近づけて、いつでも殺せるとアピールしてくる。


 隷属の首輪を着ければアリスは助かる。その代わり、俺はオオクニヌシの奴隷のような状態になるのか。


 ⋯⋯マナを襲い、アリスにまで手を伸ばした相手に従う。


 そんなの到底許せるはずがない。


 「どーしたの? 考え事? それとも、影に潜んでいる気配が動くのを待ってるっすか?」


 ユリ達が密かに潜んでいるのは分かっている。だけど俺からは指示を出さないつもりだ。


 隷属の首輪がどんなモノは知っているが具体的な仕組みは知らない。


 もしも魅了のような洗脳に近いモノだったら抵抗する事は可能かもしれない。


 抵抗する事ができれば首輪を破壊し反抗する事が可能だ。


 それだけじゃない。奴らの懐に飛び込む事さえできる。


 俺はゆっくりと首輪に手を伸ばす。


 一か八かの大勝負。俺の心は折れない。


 刹那、強烈な違和感を覚える。


 不安要素のある物をこのタイミングで使って来るか?


 確実にしたいのなら、できるような条件を付けるはずだ。


 それは何か⋯⋯アリスだ。


 着けた瞬間は流れ込んで来る情報に抵抗などはできないかもしれない。


 人は最初、何かしらの衝撃を受けるモノであり、それと一緒。


 僅かな一瞬だけでも言う事を聞いてしまった場合、俺の手でアリスを⋯⋯。


 可能性は捨てきれない。


 それだけじゃない。


 抵抗できるかは結局分からない。俺は使わないと思い具体的に調べて無かったのが仇となったか。


 「ほら、早く着けるっすよ」


 どっちにしろ、ダメじゃないか? 詰みの状態では無いだろうか。


 俺が種族になってアリスを救出⋯⋯それも間に合わない。彼女の強さには。


 変身までの僅かな時間でアリスを殺すには十分過ぎる時間なのだ。


 世界の摂理的に不可能。


 「⋯⋯ダメ、だよ」


 絶望の縁に立たされた俺の耳に届いたのは、掠れたアリスの声だった。


 イガラシさんは目を見開いて、チラリと横目でアリスを見た。


 それでも俺の方を見ていると直感で分かり、動く事はできなかった。


 視野が広い。


 「早いお目覚めっすね」


 「薬への耐性は普通の人より、あるんだ。そう言う体質」


 「そうっすか。でも目的は変わらないっす。着けるっすよ」


 アリスは起きた。だけど抵抗できる程の力はまだ回復してないだろう。


 それどころか、人間状態と言えど現役探索者であり暗殺者のように対人戦の訓練を受けているとなると、アリスが自力で脱出するのは難しい。


 ⋯⋯ここまで絶望的な状況は中々無い。


 希望の光が、一切見えて来ない。


 「ダメだよ、着けたら」


 「黙るっすよ」


 「嫌、だ。アタシはどうなったって良いんだ。でも、大切な人達が傷つくのは、悲しむのは、嫌なんだ」


 イガラシさんがダガーを突き立てると、僅かに入っていた光に反射した。


 傾けた角度は脅しには事足りる。一般人なら怯えて何もできない。


 だけどアリスは違った。危険な状況にも関わらず言葉を絞り出した。


 起きてから時間が経過して呂律が回り、ハキハキと喋る。


 「キリヤやマナちゃん、ナナミン。もちろん、サナエちゃんだってそうだ」


 「はぁ?」


 「この状況でも変わらない。君はアタシの大切な友達だ。大切な人なんだ」


 「それは演技っすよ。友なんかじゃない」


 「はは。それは⋯⋯悲しいなぁ」


 クソクソ。どうすれば助けられる。どうすれば!


 最初から種族の状態で入ってこれば良かった。


 ⋯⋯いや、僅かに動いたらイガラシさんなら対応する。変わらないか。


 状況を全く把握してない状態では不意打ちも難しい。


 正面には仲間も倒れていたし。


 「早くするっす。このままじゃ死ぬっすよ」


 アリスが殺されるか、俺が奴隷となるか。


 後者なら、二人して生きられる可能性はある。


 もしも俺の予測が当たるのなら、最悪の結果となるだろう。


 「ダメ!」


 「黙るっす!」


 アリスは自分はどうなっても良いと言っている。きっとそう思ってる。


 だけどさ、それは俺も一緒なんだ。


 大切な人達を守れるなら、俺は俺を捨てる覚悟がある。


 首輪を拾い上げて、自分の首へと近づける。


 ◆


 まずい。このままではキリヤは首輪を着けてしまう。


 どうすれば止められる?


 アタシだって死ぬのは怖い。だけど、それ以上に周りの人達が辛い目にあうのが怖い。


 何か、閃いて。


 ⋯⋯サナエちゃんの目的はキリヤを隷属の首輪を使って奴隷にさせる事。


 どうして?


 キリヤが強いのは知っている。サナエちゃんも知っている。


 その力が欲しくなるのも分かる。反対に隷属化に抵抗される可能性が存在する。


 そんな賭けをするだろうか?


 どうして、隷属をさせようとする。アタシと言う脅しの材料を使ってまで。


 具体的な理由は分からない。だけど、組織的な何かがサナエちゃんの裏にはあるはずだ。


 その組織が酷い人達の集まりで、キリヤと敵対している場合を想定しよう。


 その時、アタシならどうする? 邪魔な人間をどうする?


 キリヤが首輪を持って、自分の首へと近づける。


 影に潜んでいる気配は動かない。キリヤが止めているのか?


 止めないと。アタシが、アタシがなんとかしないといけない。


 キリヤを従わせる人質がアタシなら、止める人質もアタシだ。


 「着けたら舌噛み切ってやる!」


 端的になるべく短く、それでいて確実に情報を与えられるように。


 最大限気持ちを込めた叫びは届いたのか、キリヤは止まった。


 頭の中は混濁しているだろうけど、今はそれどころじゃない。


 「黙れって言ったろ! 本当に首を斬るぞ! できないと思ったら勘違いだ。こっちは今までに何百人と殺しているんだからな!」


 焦りかなんなのか、サナエちゃんはミスした。


 アタシが全く怖がらず、不安も覚えずに喋り続けた理由。


 ただの勘だったかもしれない。そもそも勘の域に到達していなかったかもしれない。


 でも確信した。


 彼女は誰も殺そうと考えてないんだ。


 アタシなら邪魔者は排除する。怖い発想だけど効率的だから。


 でもそれをしない。危険性のあるマネをしている。


 なぜか。友達だからだ。


 アタシを殺すつもりもないのに脅しに使い、殺さない為に手下に加える。


 「できないよ、サナエちゃんには」


 「できない? 本当にそう思ってるの?」


 「思ってる。君は友達を殺すような人間じゃない」


 アタシを拘束している手に力が込められる。


 「うっ」


 「勘違いを正してやろうか?」


 ゆっくりと恐怖を増幅される為に刃を近づける。


 だけどその程度で怯えるアタシでは無いし、心を折る狙いならやはり傷つけるつもりが無い。


 アタシは友の心を信じる。自分の直感を信じる。


 どんな状況下だろうと、大切な人を見捨てる選択肢は存在しない。


 「アタシはサナエちゃんの事、なんも知らない。だけど、一緒に遊んで喋って飲んで食べて、色んな事して楽しかった。嬉しかった。その時のサナエちゃんは、演技に見えなかったな」


 あの時の笑顔が演技ならば、作り笑いなら気づける隙間はあったかもしれない。


 だけど無かった。それは本心から笑っているからに他ならない。


 「バカバカしいっすね。それも全部、憶測に過ぎない」


 「憶測じゃないよ。確信だよ。アタシはサナエちゃんの友達だから」


 「だからそれは全部嘘なんだって!」


 「そうは思わない! 嘘だって構わない。アタシは君を友達だと思い続ける!」


 それがアタシにできる事だから。


 「君が言うなら手を沢山汚して来たんだろう。罪も沢山重ねたんだろう。沢山恨まれているだろう」


 「だから、なんっすか」


 戸惑いを見せる彼女。常に冷えきっていた彼女の顔に違う表情が浮かんだ。


 「サナエちゃんの心は暗殺者でも殺人鬼でもない。一人の女の子だ。アタシやナナミン、キリヤの友人であるイガラシサナエだ」


 「はっ! 沢山人殺しをして来た事実を知ってもなお、友達と言えるっすか!」


 「ずっと言ってる!」


 アタシは本気の眼で彼女の眼を覗き込む。睨むに近い形かもしれない。


 「アタシはサナエちゃんの友達だ!」




◆あとがき◆

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