第9話 迷いは選択肢を消し去る
――パイユ村
貧しくも互いを支え合い、命を
春の優しく暖かな太陽の下で男たちは力仕事に精を出し、女は家を守り、子は母の手伝いを行い、幼子は無邪気に走り回る。
老人は苦労と喜びを刻む皺だらけの瞼を細め、
だが、その当たり前の光景は唐突に失われた。
村のあちらこちらから悲鳴が轟き、炎に包まれる家からは焦げ臭さと肉の焼ける匂いが入り混じり、村へ浸透していく。
逞しき両手を失った男は血の海に沈み、子は
命のつながりを見守り続けていた老いた瞳からは輝きが失われ、赤黒の幕が下りていく。
その中で、一頭の牛が四つの足を使い大地を踏みしめて、二匹の
牛の名は
彼女の背後には、幼い男の子と女の子。そして、その二人を強く抱きしめて恐怖から守り続ける母の姿。
貫太郎は子龍の
二匹の幼き龍は左右に広がり、たかが牛と口元を歪め、口より無数の小さな炎の弾を産み、貫太郎へと放った。
貫太郎は炎の弾を全て避けて、黄金の闘気を纏い右に立っていた子龍へ体当たりを喰らわす。
相手は子龍と言えど、優に貫太郎の二倍の大きさはある。
そうだというのに、子龍の身体は宙を浮き、後方へ吹き飛ばされ、納屋へ体をぶつけた。
左にいた子龍は驚き、瞳を貫太郎へ動かして炎の弾を産み出そうとするが、すでに貫太郎は体勢を変えて
「がぁ!?」
左にいた子龍も同様に吹き飛ばれ、
一頭の牛が生まれたばかりとは言え、二匹の龍相手に健闘――いや、圧倒していた。
その様子を親龍である火龍が深紅の瞳で睨みつける。
ここは子のために用意した誕生を祝う晩餐の席。その食事を
それは人に飼われた家畜であり、餌である存在。
そうであるはずなのに、大切な我が子に傷を負わせた。
火龍は大樹の如き太い尾を振り上げる。
その先端は鋭く、まるで槍のよう。
槍は金属よりも固い鱗に覆われ、
それが貫太郎を射抜かんと音の速度を超えて向かってきた。
貫太郎の黒く大きな瞳では、その槍の姿を捉え切れない!
――させるかぁあぁぁ!!――
少女の声が天に木霊して、煌めく一刀を振り下ろした。
火龍は思いがけぬ痛みに驚き、尾を退く……。
少女は貫太郎の前に立ち、声を掛けた。
「大丈夫、貫太郎ちゃん!」
「ぶも!? ぶももも!!」
「そう……」
力強い貫太郎の声に対して、か細い声を返したのはカリン。
彼女は刀を両手で握り締めて、親龍と子龍を牽制しながら貫太郎の姿を覗き見た。
彼女は傷つき、
技量、体力、力ともに子龍を圧倒していたが、如何せん体のつくりが違う。
子龍を包む硬き鱗の前に、貫太郎の体当たりだけでは届かなかった。
そうであっても、村人を守る貫太郎の決意にカリンは胸を打たれる。
同時に――。
(凄い、貫太郎ちゃん。牛なのに人間のことを守ってあげるなんて……牛なのに、本当に子龍と渡り合えてるし。戦士みたいな闘気纏ってるし……何なんだろう、貫太郎ちゃんって? と、そんな場合じゃない!)
彼女は軽く首を振り、牛が龍と戦っている不可思議な状況を忘れて戦いに意識を集める。
「貫太郎ちゃん、二匹の子龍は任せられる? 私は火龍を相手に引っ掻き回してみるから!」
「ぶも!」
「そう、じゃあお願いね!!」
声を出すと同時にカリンは地を走り抜けて、火龍の足元へと一気に迫った。
火龍は尾と爪で追い払おうとするが、カリンの速度はそれを上回る。
刀を振るい、人の
「がぁぁあああぁ!」
龍の咆哮――カリンも負けじと喉奥の底から声を生み、村人たちへ呼びかける。
「村のみんな! 今のうちに逃げて!!」
しかし、龍の姿と炎に包まれる村。そして、親しき者たちの物言わぬ
それでも、彼女は戦いを
龍の一撃はどれも必殺。掠るだけカリンの身体を引き千切ってしまうであろう。
最悪の光景が常に頭を過ぎり、その恐怖が心を包むが、さらに奥底に宿る勇気が彼女の足へ力を伝える。刀を握る両手に力を伝える。
人の瞳を空へ向かわせる巨大な龍の足元にて転がり、体中を傷つけながら、何度も何度も
貫太郎も子龍を相手に、一歩も退かぬ戦いを続ける。
二人の姿に、混乱に頭を打ち据えられていたはずの村人たちに冷静さが宿り始めた。
いたずらに龍に
生き延びられるという希望が――。
誰かが村の外へと声を生んだ。
その声は伝播し、村人は村から離れようと震える両足を殴りつけて、傷を負った者へ肩を貸して歩き始める。
希望が見えたはずの中で、刀を振るい、ひたすらに火龍の鱗を剥ぎ取り続けるカリンは、絶望に心を満たす。
(駄目だ! かすり傷を生むのがやっと。こんなんじゃ、いずれは!!)
だが、見事なだけで、命を刈り取るほどのものではない。
刻んだ傷は全てかすり傷。
火龍に痛みこそ味わわせてはいるが、それだけ……。
このままでは体力が尽きて――――ここで、ある二つの選択肢がカリンの前に浮かぶ。
それは、村人を見捨て生き残るか・己の全てを曝け出して村人を救うか。
人助けの旅。彼女の信念。ならば、後者の選択こそ正しい。
しかし、そこには迷いが生じる。
(影の民としての力を解放すれば、倒せる――でもっ)
影の民と知れば、村人は彼女を忌避するだろう。
道端に落ちている石を拾い上げて打ち据えるだろう。
言葉の
これらは幾度も経験してきたこと――でも、決して慣れることのない痛み。
この迷いは――――選択肢を潰す!
火龍は足元でのたうち回る小娘に煩わしさを纏い、感情を怒りへと変えていく。
我が子のために用意した晩餐。
それを家畜と小さき存在が邪魔をし、あまつさえ我が肉体に傷をつける。
ああ、煩わしい、煩わしい。何とも煩わしいことか。
このような地を
皿に盛られた料理たちが、不敬にもその皿から逃げ出そうとしている。
ただ、怯え、我が腹に、子の口に投げ込まれるだけの分際で――。
赤く
子どもたちへ与えた食事は微々たるもの。我が子らはまだまだ飢えているだろう。子の空腹を思うと母の心に痛みが走る。
しかし――生誕の祝福を奪われた怒りが、愛と貪欲を上回り、皿を下げることにした。
食事の場は他にもある。もう、ここは不要だと。
火龍は村を覆わんとする大きな翼を広げた。
それに呼応して、子龍たちも小さき翼を広げる。
そして、空へと舞った。
一匹の巨大な龍と、二匹の小さき龍は村の上空で留まる。
村人たちは逃げる足を止めて、青空に浮かぶ三つの赤を見つめ続ける。
カリンは三つの赤を空色の瞳に映して、失った選択肢に嘆きをぶつけた。
「村を……焼くつもりだ……」
この言葉が呪詛となり、三匹の龍は巨大な口を開き、その中心に炎を集め始めた。
集まる力は大気を怯えさせて、戦いを知らぬ者――男も女も子も老いも差別することなく、恐怖に
カリンは失われた選択肢にすがり、手のひらで左の瞳を覆い、影の民として力を呼び寄せる
「回れ回れ時の歯車よ。
だが、途中で言葉を降ろし、代わりに歯と歯を噛み締めてギリギリと音を刻む。
「ダメ、間に合わない! わたしの馬鹿! 迷ったせいで!!」
村の空に、三つの太陽が生まれ、龍の口から生まれし灼熱の業火が村へと落つる。
深紅の輝きは多くの瞳たちを赤に染めゆきて、恐怖をも焼け焦がしていく。
瞳にあるのは赤の世界。
それ以外何もない世界。
次には何が起きるのだろうか?
焼け落ちる肉の痛みにのたうち回るのだろうか?
それとも、痛みもなく世界から自分が失われるのだろうか?
誰もが絶望を前に心を止めた時、彼の声が響いた。
――時間稼ぎご苦労だった。貫太郎、カリン――
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