第2話 見限られた魔王

――勇者が攻め込んできた! 



 この報告に立花が体を飛び跳ねた。

「な、なんと!? この百年、勇者不在であったのに……クッ、ついにこの日が来てしまったか。だが――」

(これで陛下も、百年前のご自身を取り戻すはず)



 何やら、立花が期待を籠めた目でこちらを見てくる。

 私はそれにため息で答える。


「はぁ~、南方領域に侵入されるまで、敵軍が出立したことにも気づかないとは。たるんでいるな」

「陛下が言いますか、それを? 陛下がたるんでいるから、部下の士気が削がれているんですよ!」

「そうか、それは悪いことをした」


「そこで素直に謝罪をされるとは……凛々しかった頃の陛下ならば、私如きのいさめなぞお許しにならなかったはず」

「え、そんなに横暴だったかな?」

「横暴ではなく、それこそが力の象徴たる魔王としての振る舞いでしょう。そうだというのに、ここまで私の無遠慮な諫言かんげんを気にする様子もないようで……」


「あはは、年を取り丸くなったってことだ。まぁ、人間族に換算するなら、まだ三十代前半くらいだがな。それよりも勇者の話だ。南方領域には四将軍の一人カペラがいただろう? 彼女に任せよう」

「陛下はお出にならないのですか? カペラ将軍は手練れとは言え、相手は勇者ですぞ。御一人では少々……」


「大丈夫だろ。出てきたばかりの勇者。さほど力はつけていまい。仮にカペラの手に余るようであっても、防備は万全だ。何かあっても対応できる」

「し、しかしっ!」

「もう、話は終わりだ。伝令、そうカペラに伝えておけ」


「はっ!」



 伝令が中庭から出ていく。

 その姿を見届けて、私は土いじりに戻る。

「さ~ってと、他の野菜たちの世話をして、終わったらひとっ風呂浴びて、自室で小説の続きでも読みながらお茶とお菓子を堪能するか」

「アルラ陛下、そのようなことをしている場合では! これまで大人しかった人間族が攻勢に出たということは、この百年、牙をぎ、それを我ら魔族に突き立てようとしているのでは!?」

「大丈夫だって。まったく、立花は心配性だなぁ」



 そう思っていたのだが……。



――三日後・玉座の


「ご報告いたします! 陛下、カペラ将軍は重傷を負い、戦線を離脱! 勇者率いる人間族の軍は南方領域を抜けて、ソーテル砦へ向かっています!!」

「へ、カペラが? いや、落ち着け私……ソーテル砦は難攻不落の要塞! 十万の軍をってしても落ちるには一年は掛かる。各地域にめいを発し、兵を集め、勇者の背後を突け!」



――さらに五日後


「ご報告いたします! 陛下、軍の編成は間に合わず、ソーテル砦を落とされました!」

「はい!? ま、まだ五日しか経っていないんだぞ」

「勇者率いる軍は拠点を落としながら、まっすぐ魔都ティーヴォへ向かっています」

「まっすぐ? ソーテル砦ほどではないが、ここに至るまでの拠点とて、容易く打ち破れるものではないぞ! 一体何が?」


 ここで立花が頭を横に振り、力なく言葉を漏らす。

「やはり、人間族は牙をいでいたのでしょう。陛下が土いじりにかまけていた間も……」

「ウグッ。そ、それについては後だ! ともかくすぐに対応を――」

 そこに、もう一人の伝令が飛び込んでくる。


「へ、陛下! 勇者率いる一軍が魔都の前に現れました!」

「はぁあ!?」



 予想だにしなかった報告に、私は思わず間抜け面を晒してしまった。

 声を上擦らせながら言葉を返す。

「い、いや、南方領域に侵入して十日も経っていないんだぞ。どうなっているんだ? これほどの勢いで攻め込んでは、兵站も持たぬだろうに……」


 この情けない声に立花が答える。

「情報分析官によると、馬の数が足らず道中徴発ちょうはつをしているようですが、兵や物資は十分だそうです。奴らはこの日のために、あらゆる面において準備しておいたのでしょう」

「この日のためとは?」

「我ら魔族をめっするためですよ、陛下!」


 玉座が置かれた王宮内に反響する立花の悲痛な叫び。

 さらに、彼はこう続ける。


「ああ、情けなや。二千年に渡り栄華を誇った魔都に人間族の軍の侵入を許し、奪われてしまうとは……」

「お、落ち着け立花。まだ奪われては――」


「ここに至ってもいまだいくさ準備もなく、農夫の姿をした陛下にどのような期待が抱けますか!!」

「そ、それは……ほ、ほら、まさか今日来るとは思ってなかったんで……」

「南方領域に侵入された時点で戦時ですぞ、陛下!」

「それは、そうだが……と、ともかくだ、すぐに魔都ティーヴォの防衛の準備をせねばな。伝令! 守備隊に防衛の準備を! ありったけの弓と魔導砲を用意し、城壁に並べろと伝えよ!!」



 このめいに、伝令は首を横に振る。


「陛下、それは叶いません」

「え、何故だ?」

「すでに、魔都に兵はなく、退却しております」

「は?」

「魔都に滞在していた全軍は魔都からの脱出を図る民衆を護衛し、北方都市のテールレスへ向かっております」


「ま、待て、どういうことだ? 私はそのような命令を下した覚えは?」

「ご心中お察しします」

「いやいやいや、こちらは混乱しているのに、何を察したんだ、お前は?」

「ここまで陛下のもとにお仕えできたこと誇りに思います。では、家族を待たせておりますので、これにて失礼させていただきます」



 伝令はふざけた言葉を残すと、もう一人の伝令と頷き合い、玉座の間から出ていく。

 その際、部屋の隅にあった金の燭台を懐に収めていった。


「あ、あいつら、どさくさに紛れて燭台を盗んでいったぞ。というか、何が起こっている!?」


 この問いに、立花が大きなため息を交えて声を返してきた。

「はぁ、陛下、まだお気づきになりませんか? あなたは民と兵から見限られたのですよ」

「……へ?」

「この百年、陛下は民衆からの支持を失い続け、そして、この戦争がきっかけに全てを失ったのです。もはや、陛下の下につどう兵も配下も民も居りませぬ……」

「そうなのか? そうか、それほどまでに私はしんを失っていたのか」



 勇者ティンダルたちとの戦い以降、政務と軍務は立花に任せっきりで、私は菜園の世話と家畜の世話しかしていない。

「ふむ、いつかはそうなるだろうと思っていたが、ようやくか。そこに至るまでに百年もかかるとは、のんびりした連中だ」

「陛下、何を仰って? まるで、予測していたような口振りですが?」


「ティンダルとの戦い以降、やる気を失っていたからな。ゆえに、玉座を奪う者が出てくるだろうと思っていたんだが……奪う者は現れずに、民が見限るとはな。あはは、下々もやるじゃないか。下手な戦士よりも頼もしい。むしろ、私に牙を剥けなかった貴族や戦士たちの情けなさよ」


「陛下、お言葉の意味を理解しかねます?」

「民の裏切り、大いに結構と言っているんだ」

「何を馬鹿げたことを!? 百年前のあなたならば、民の裏切り、兵の裏切りなど決して許さなかった! 燭台を盗む兵などその場で八つ裂きにしていた。そうだというのに、大いに結構ですと!? 本当に、本当に、嘆かわしや!!」



 立花はローブに覆われた右腕で、涙をぬぐう仕草を見せる。

 ぬぐわれた顔もローブに包まれているので、何も見えないが……。

 彼は足を踏み鳴らす仕草を見せたあと、懐から大きな袋を取り出す。そして、玉座のにある金目の物を詰め込み始めた。


「お、おい、立花?」

「ティンダルを打ち破り、陛下は十年ほどまともでした。ですが、その後の九十年! マイア様から菜園をお引継ぎになり、土いじりを覚えた陛下は御変わりになった! 民を見ず、兵を見ず、国を見ず、牛と野菜を見つめる毎日。それが終えると横になり食っちゃ寝の毎日。もう、これ以上はお仕えできません!」


「その腹立たしい気持ちはわかるが、なんでせっせと金目の物を詰め込んでいるんだ、立花?」

「退職金代わりですよ」

「ええ~」


「またもや、配下の愚行を『ええ~』一言で終わらせる気ですか? 情けなや、勇者ティンダル一行を打ち破った陛下は瞳の内側にしかおらず、瞳の外に映るは、醜く肥えた陛下だったモノ。あの、勇者ティンダルたちを打ち倒した雄々おおしき陛下は何処いずこへ……」


「酷い言われようだな。それに、実のところ、ティンダルたちを打ち破ったわけじゃな――」

「もう、言い訳は結構です、陛下! 魔王アルラ=アル=スハイル様に仕え、二百年以上。そのうちの九十年は諫言かんげんの毎日でしたが、その日々も今日にて終わりとさせていただきます。では、陛下も遁逃とんとうを。私はお先に失礼させていただきます」


 立花は袋に詰めに詰め込んだ装飾類をよっこらせと背負って、玉座の間から出て行ってしまった。

 誰の気配もなく、無音の調べが包む玉座で、私は声を立てる。


「誰ぞ、誰ぞおらぬか!?」


 しかし、返ってくるのは反響する自身の声のみ。



「なんと、城内に誰もおらぬのか……みんな、素早いなぁ」

 勇者が領地に攻め込んできて八日。魔都に現れて一日も経っていないというのに、城内から配下が消え、魔都からも民が消えた。


「どうやら、ずいぶんと前から見限られていたようだな。今日まで皆が留まっていたのは……立花のおかげか」


 私の代わりに立花が王としての責務を果たしてくれていた。そうでなければ、反乱の一つや二つ起きていたかもしれない。

 魔族の歴史上、これほどまでに情けない魔王がいるだろうか?

 と、自問自答する反面……。


「立花には悪いが、あいつめ、頑張り過ぎだ。さっさと反乱が起きていればそいつに玉座を譲り、責務から解放されていたんだが。もっとも、貴族階級の者どもが私を恐れすぎているきらいがあったので、そう簡単に反乱は起きぬか。だが、これからは何の責任もなく、自由に生きられる。悪くない。もう、誰の目も気にせずに畑の世話をできる、フフフ」



 王としての姿を失った自分の姿に大いに喜びを感じる。

 立花の指摘通り、国家国民のために責務を果たしていた私は消え失せていた。


「しかし、これからどうするか?」

 そう、頭を悩ませたとき、城内に足音が響いた。

 私はその足音に声がほころぶ。


「立花? あはは、なんだ戻って来てきたのか」


 だが――

「私の名は勇者ナリシス=フォールトツリーア! 魔王アルラ=アル=スハイルの首級を上げんと参った! いざ、尋常に勝負せよ!!」

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