ペチャパイヒロイン奮闘記

長岡更紗

ペチャパイヒロイン奮闘記

 暑い。

 暑い。

 暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い。


 何故こんなに暑いのか。

 それは、胸に大量のパッドを入れている所為である。


「いらっしゃいませー」

「ありがとうございましたー!」


 コンビニでバイトをしている十ハ歳の鈴山ルミは、貧乳だ。ナイチチだ。ペチャパイだ。

 絆創膏貼るだけで済むような豆しかないというのに、見栄を張ってCカップのブラジャーをし、その中に大量のパッドを詰め込んでいる。一体何枚使っているのか、ルミ自身も把握し切れていない。


「うぉお、さっきの客、オッパイデカかったなぁっ」

「EとかFとかありそうじゃなかったか!?」


 客が途切れたからと、男たちはオッパイトークで盛り上がっている。

 男というのは最低だ。女を胸でしか判断しない生き物なのだ。だからルミは舐められないように、いつも大量のパッドを仕込んでいる。

 というのも、以前付き合った男にペチャパイを辛辣に批難されたからだった。元々コンプレックスだった胸を痛烈に批判されて、トラウマとなってしまっている。

 結局その男には『こんな女とも言えない奴は抱けない』と言われて別れたのだが。


「やっぱさ、付き合うならオッパイでかい方が良いよなー!」

「お前、オッパイ星人かよ!」

「お前もだろーが」

「まぁな、小さいより大きい方が良いよなー!」


 ルミは同じバイト仲間の脚と脚の間を蹴り上げたい衝動に駆られながも、ぐっと我慢した。

 こんな下品な男どもはルミの好みには当てはまらない。ルミの好きな人はーー


「い、いらっしゃいませっ!!」

「やあ、ルミちゃん」


 スーツにネクタイ。清涼感漂う、その雰囲気。

 キラキラした瞳にさらさらの髪の毛。何より、ルミより十歳年上の彼はとても大人っぽい。


「まだ残暑が厳しいね」

「スーツ、暑くないですか?」

「暑いけど、手に持つのも面倒でね」


 そう言いながらお酒の置いてある方に向かっている。仕事帰りに毎日一本買って行くのが、この人……橋下(はしもと)流(りゅう)の日課だ。

 ルミはこの男に恋している。気さくに声を掛けてくれる流を。仕事でミスをしたのを見られた時、「元気出して」と声を掛けてくれたこの男を。


「ルミちゃんは、どこの大学行くの?」


 流はレジにビールを持って来て、そう話しかけて来た。酒と、つまみと、今晩の弁当をピッピとスキャンする。流はいつも弁当を温めるので、今日もそうした。


「私、大学には行かないんです。お金も頭もないし」

「じゃあ、どっかに就職?」

「それもまだ決まってなくて……このままここでバイトを続けちゃうかもしれないですね」


 情けない話だが、嘘をつく事でもない。

 ルミは苦笑いを見せながら温めたお弁当をレンジから取り出し袋に入れた。


「はい、お待たせしました!」

「あ、ありがとう」


 いつもならこの後、流は背を向ける。そしてルミは『ありがとうございました』と心から声を掛けるのだ。

 だが、この日は何故か違っていた。


「ルミちゃん」

「はい?」

「海近(うみちか)市のテーマパークのチケットって、ここで買えるんだよね?」

「あ、はい! このコンビニで買うとちょっと割引があるんですよ」

「じゃあ、二枚貰おうかなぁ……」


 テーマパークのチケットを、二枚。ルミは絶望的な気持ちになった。

 男の友達と行く事も考えられるが、相手が女の可能性もあるからだ。流に彼女がいるかどうかは分からない。だからルミは余計にショックを受けた。


「に、二枚、ですね……良いですよね、ここ……楽しそうで」

「行った事ない?」

「はい、実は」

「じゃあ、俺と一緒に行かない?」

「……え?」


 ルミは目を点にした。

 今、流は何と言ったか。いきなりの言葉に、脳の処理が追いついて行かない。


「ルミちゃんが来てくれるなら、二枚買うよ」

「私、ですか?」

「行きたくない?」

「い、行きたいですっ」


 叫ぶようにそう答えると、流はクスクスと笑って「じゃあ二枚ちょうだい」と言った。ルミは信じられない思いでチケットを販売した。



 そうして行ったテーマパークで、ルミは流に告白されたのだ。

 驚いた事に、彼もルミを好いてくれていたらしい。こうして二人の交際は始まった。


「今日もとびきりお洒落して行かなくちゃ!!」


 ルミはデートの時、絶対にお洒落に手を抜いたりしない。ケバくならない程度の高校生らしい化粧と、女らしい服装。清潔に整えた髪の毛。靴にも勿論気をつかい、そして胸には……


「もうちょっと入りそうね……うん、これでよし! 不自然に見えないわよね、この胸……」

 鏡を何度も見て、おかしなところがないかを念入りにチェックする。

 長くやり続けているだけあって、見た目は完璧だ。きっと触られると感触が違うのだろうけれど。


「流さん!」

「ルミ」


 今日も流はかっこいい。爽やかイケメンの彼は優しくて、ルミには勿体無いくらいの彼氏だ。

 そしてとても誠実な男である。

 ルミはまだ高校生だからと、卒業までは何もしないと宣言された。その時は少し残念に思ったが、逆にホッとしたのも確かだ。

 高校卒業までは半年ある。それまでにこのペチャパイをどうにかしなくてはいけない。そう、Cカップにまでサイズを上げなくてはいけないのだ。

 自分のナイチチが恨めしい。たわわを携えていたならば、腕を組む時に相手にぎゅうっと押し付けられるというのに。ルミは偽乳だとバレないように、適度な距離を保たなければならないのだ。


 密着したい。


 好きな人と触れ合いたいと思うのは、至極自然な欲求であろう。だがペチャパイは、それすら許されない。そう、その偽造オッパイがある限り。


 絶対、絶対、大きくしてやるんだからっ!


 ルミは高校卒業までの間、やれる事は全てやった。

 胸が大きくなると言われる食べ物は勿論、胸が大きくなるという怪しいサプリメントも買った。高い下着を買って、あらゆる肉を集めて胸に押し寄せた。今まで貯めたお金をはたいて、エステにも通った。


 だが……駄目だった。

 ルミの胸は、何をやってもペチャパイのままだ。


「こうなったらもう、豊胸手術しか……」


 ルミは『豊胸手術』で検索をかける。

 豊胸に掛かる費用は、バレずにナチュラルに仕上げるもので、四十万程だった。

 これでは駄目だ。もうルミにはお金がない。サプリやエステにお金を使わずに、最初から豊胸に踏み切っていれば或いは豊胸手術が出来たかもしれなかったが。


「絶望的だわ……」


 ルミは自室でガクンと膝をついた。ブラジャーなど全く必要のない胸が、心底恨めしい。

 流は、ルミの胸が偽物だとは気付いていないだろう。つまり、ルミは流を騙し続けていた事になる。

 いや、騙そうとは思っていなかった。嘘を真実にしようと、真剣に頑張っていたのだ。

 しかし結果は変わらず、豆粒が乗っているだけ。世の中は不公平だ。どうして世の中には胸の大きな人と小さな人が居るのだろうか。ずるい、ずる過ぎる。


 本来なら待ち遠しいはずの卒業が、悲しい思いで満たされた。

 高校を卒業し、ようやく流と結ばれる時が来るというのに。

 彼はこの胸を見て、何と言うだろうか。オッパイ詐欺だと罵られるかもしれない。白い目で見られるかもしれない。女じゃないと言われるかもしれない。

 ーー別れてくれと、言われるかもしれない。


「どうすれば、いいの……っ」


 自分の彼氏だけは、そんな事を言わないと信じたい。

 信じたいのだけど、ルミは知っていた。斜めがけのバッグで、胸が押し上げられるように強調された時。彼がゴクリと喉を鳴らしていた事を。

 すれ違った女の人の服の胸元が大きく開いていた時、チラ見していた事を。

 とってもたわわに実っている女の子を見た時の、にやけ顔をルミは見逃してはいない。

 結局男というのは、大きな胸が好きなのだ。ルミの正体が豆だけだとバレてしまえば、逃げられてしまうかもしれない。


「どうして、私の胸はこんなに小さいの……っ」


 ルミは部屋で一人、シクシクと泣いた。


***


 高校を卒業してすぐに、ルミは流に旅行に誘われた。嬉しい事のはずなのに、死刑宣告のように思えた。別れへのカウントダウンが始まったのだ。


 この旅行で、私は嫌われるんだわ……


 そう思うと胸が苦しくて、最後の旅行だというのにちっとも楽しめない。宿泊のホテルに着いても、ルミの顔は晴れなかった。


「ルミ……楽しくなかった?」


 心配そうに顔を覗いてくれる流。ルミが世界で一番大好きな人。

 この人とひとつになれたら、どれだけ幸せな事だろうか。

 想像するだけで嬉しくて、でもそうならないであろう事が悲しくて。

 ルミはそっと首を横に振った。


「楽しくない訳じゃないの……でも、悲しくて……」

「悲しい? 何が?」

「流さんと、別れなきゃいけない事が……」


 そう伝えると、流の顔は険しいものへと変わった。


「別れる? 俺とルミが? 何で!」

「だって、私、嫌われちゃうもの」

「嫌うわけないだろ! 何でそう思う? 俺は俺なりに、ルミの事を大事にしてきたつもりだ。それが伝わってなかったか?」


 ルミはその問いに、もう一度首を横に振る。

 流の気持ちは分かっているつもりだ。とてもとても大切にしてくれていた事を。けれど真実を知れば、きっと彼も……

 過去の出来事がフラッシュバックし、ルミはギュッと目を瞑る。

 その瞬間に、いつの間にか溜まっていた涙がコロコロと転がっていった。


「ルミ……もしかして、するのが怖いのか?」

「違うの……そうだけど、そうじゃない……」


 ルミの答えに、流は首を傾げている。


「じゃあ、何で……」


 ルミの瞳から溢れる涙の量は増し、次々と頬を伝って降りていく。


「ごめ、なさ……っ、私、嘘ついてたの……流さんを、騙してたの……」


 そう言うと、流の顔色が変わった。詐欺をされて笑っていられる人物は、この世にそうはいないだろう。彼の反応は、至極まともなものだ。


「騙してたって……何を? 年齢、とか?」

「ううん、違う……」

「じゃあ、何」


 もう、これ以上は隠しきれない。流を騙し続けるのも疲れた。

 ルミは己のシャツに手を入れ、ブラジャーのカップから大量にパッドを掴み取る。そして流の前でバラバラとそれを全部落とした。流はそれを見て絶句している。

 嫌われた、とルミは判断した。こんな事をされて嫌わない男など、世の中にいるわけがない。


「……ごめんね、この胸……嘘なの。パッドを入れて、大きく見せかけてただけなの」


 まだルミの胸は、ブラジャーで服が持ち上げられている。けれども中身はスカスカの空っぽだ。

 流の顔を、ルミは見る事が出来なかった。


「……触ってもいい?」


 見た目があまり変わらないため、実感が湧かないのだろう。ルミはその問いに、コクリと頷く。耳を真っ赤に染めながら。

 流はゆっくりとルミに近づき、その人差し指をルミの膨らみの部分に当てた。そしてそのまま流が指を押すのと同時に、モールドのブラジャーのカップはベコンと音を立てて大きくへっこむ。そして指を引くと同時にボコッと元に戻った。


「ごめ……ごめんね……っ」

「騙してたって……これ?」

「……うん……」


 ああ、終わった。『こんな女とも言えない奴は抱けない』と言われて、笑われるだけだ。いや、流は優しい男だから、そんな事を言わないかもしれない。言いたくても我慢してしまう……そんな人だ。

 ならば彼に言わせては可哀想だ。こちらから言ってあげなくては。ルミは意を決して口を開く。


「今まで……ありがとうね……私は、すっごくすっごく楽しかったよ」


 泣いてはいけないと思うのに、涙が止まらない。

 これまでの半年間が脳裏で再生され、切なさが募る。


「そっか……ありがとうな、俺も楽しかった」


 流の言葉を聞いて、血が凍ったように動けなくなる。

 分かってはいた。分かってはいた、けど……


「何て、俺が言うとでも思ってるのか!?」


 いきなりの怒った流の声に、ルミは思わず顔を上げた。そこには呆れた顔をした流が、まっすぐルミを見下ろしている。


「馬鹿だな、そんな事気にしてたのか?」

「……え?」

「胸が小さくても、ルミはルミだろ?」

「……うん」


 この展開は何だと言うのか。ルミはキョトンと流を見上げる。


「騙してたっていうから、金でも巻き上げられてポイ捨てにされるのかと思ったよ」

「私、そんな事しないわっ」

「俺だって、胸が小さいってだけで別れたりしないよ」

「……本当に?」

「本当」

「でも流さんは、胸の大きい子の方が、好きよね?」

「う、うーん……それは否定出来ないかな……」


 やっぱりと沈みかけた瞬間、「でも」と逆接が続く。


「大きい方がいいけど、別に小さくても問題ないんだよ?」

「問題……ない?」

「うん」


 呆気にとられて流を見ていると、彼はクスクスと笑いながらルミの髪に手櫛を通した。


「だから、もうそんな事で悩まなくて良いんだよ」

「流さん……」

「気付いてあげられなくて、ごめん。別れたりしないから。安心していいから」


 流の真っ直ぐな言葉に、ルミはようやく安堵する。


「見せて」


 彼の要求に、ルミは素直に従った。恥ずかしさはあったが、もうルミに恐怖はなかった。


「うん、可愛い」


 そうニッコリ笑ってキスをしてくれる流。

 過去のトラウマも彼の腕の中にいる事で、ルミの中から徐々に姿を消して行った。


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『男子ぃーずプラス腐女子』

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