第30話 side ◯◯
夕貴を嫌っていたのは、憎かったからじゃない。
鷹道さんに似たあの綺麗な顔が疎ましくて堪らなかったから……。
それと……。
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「花井、今日は会食の予定なんだが。ネクタイは、どちらがいいだろうか?」
「そうですね。淡いお色がよろしいかと……。奥様、おはようございます」
「おはよう。鷹道さん、今日の会食にはグリーンがよろしいのでは?」
「ああ。本当だ。やっぱり、洋服に詳しい早苗に頼めばよかったね。花井、手を煩わせてすまなかった」
「いえ、大丈夫です。では、失礼します」
通りすぎる花井の足を引っ掻けてやりたかった。
「お母様ーー」
「
「ゴホッ、ゴホッ……」
「ほら、言ったじゃない」
「お姉様は、毎日学校に行っているのよ。美貴だって行きたい。行きたい」
「そんなに大きな声を出したら、お体によくないわよ」
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ」
「お部屋に戻りましょう」
美貴は、産まれつき心臓と気管支が弱かった。
走ると必ず咳を出してしまうから、走る夕貴をよく叱りつけた。
「美貴も保育園に行きたい!お母様、行ってもいい?」
「それは、駄目よ」
「どうして?」
「保育園に行ったら美貴は、走り回るでしょ?そんな事になったら、お母様は心配でお家にいれないわ」
美貴は、体が弱いのに勇敢な子。
正義と悪が存在するなら、絶対に悪を許せない子。
だから、保育園なんかに行って友達がいじめられていたら戦ってしまう。
そんな事になって、美貴にもしもの事があったら……。
「保育園?美貴が行きたいと言ったのか?」
「はい。あなたは、どう思いますか?あの子は、体が弱いですし」
「美貴がやりたいというのなら、やらせてあげるべきだと私は思うよ」
「それは、お医者様から言われているからですか?」
「それもあるけれど……。それだけじゃない。美貴にも同じ歳の友達を作って欲しいんだ」
鷹道さんの言葉に私は、美貴を保育園に入れる事に決めた。
そして、美貴は一度だけ桜ちゃんを連れてきて私に紹介してくれたのだ。
楽しそうで、幸せそうで保育園に入れた事はよかった事だとそう思っていたのに……。
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「どう言うことなの?花井、浅見。あなた達が居ながらどうして……」
栄野田の会社で開かれた昼食パーティーに参列していた。
私と鷹道さんが急いで帰宅すると美貴は、ベッドの上で息をあらげて横たわっていた。
「お医者様からは、入院させた方がいいと言われました」
「それなら、すぐに病院に連れて行きましょう。どうして、連れて行かなかったの」
「美貴お嬢様が行きたくないと泣き叫びまして……。本来なら、眠らせて病院に連れて行きたいけれど……。強い薬で眠らせてしまうと美貴お嬢様のお体に負担がかかってしまいよくないと言われました。奥様が、帰宅したら病院に連れて行けると思ったので待っていました」
「わかったわ。美貴に直接確認するわ」
鷹道さんと私は、美貴に入院しなければならない事を告げた。
美貴は、来週から小学校だから行きたくないと泣き叫んだけれど……。
鷹道さんと私は、美貴を病院に連れて行った。
大丈夫……。
いつもの発作。
そう思っていたのに……。
入院して、10日間が経ち。
美貴の容態は、悪化した。
「最後は、家で過ごしますか?」
古くから栄野田の家族を見てくれている医師の
最後の二日間、先生は看護士さんと共に栄野田の屋敷に来てくれた。
「どうしてこんな事になったの……。花井、浅見。あなた達がいながら何故……」
「奥様、申し訳ございません」
「早苗、よさないか。美貴は、今まで十分頑張ったんだよ」
「あなたは、花井の肩を持つのね。あなたは、いつだって私より花井が大切だから」
「何を言ってるんだ!よさないか」
「お母様、ごめんなさい。私が行けなかったの。美貴を置いて遊びに行ったから……」
「どういう事、夕貴……」
「美貴が小学校にあがる練習をしたいって行ったの。だけど、友達が来て。それで、後にしてって言っちゃったの。そしたら、美貴が私を追いかけてきて」
「お嬢様。それ以上は、言わなくていいんです。お嬢様のせいじゃありませんから」
「どういう事、花井」
夕貴の言ってる意味がわからなかった。
それを止めた花井も許す事が出来なかった。
美貴の葬儀が終わって二日程経った頃……。
一緒にいた浅見が、家政婦を辞めると話してきた。
私は、あの日何があったかを浅見に確認した。
浅見は、私にあの日見た全てを話してくれたのだ。
今思えば、夕貴だって小さな子供。
友達と遊びたくなるのは、仕方なかった。
だけど、私は許す事が出来なかった。
いなくなった夕貴を必死に追いかけた美貴は、栄野田の屋敷の前の道路で倒れてしまったのだという。
浅見と花井は、必死に美貴を追いかけすぐに発見し医者を呼んだ。
病弱であっても、子供というのは足が早いもの。
夕貴しか見ていない美貴を掴まえるのは、至難の技だっただろう。
あの時、浅見と花井が見つけてくれたお陰で、美貴は長く生きれた。
浅見にお礼を言うと浅見は深々と頭を下げて、栄野田の屋敷を後にした。
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あれから、何十年も経っているのに私はいまだに夕貴にきつく当たってしまう。
仕方ないと頭ではわかっていながらも、心がついてきてくれないのだ。
意地のようなものなのか……。
いや、違う。
夕貴を見るとあの時感じた気持ちがふつふつと沸いてきて怒りに変わっていくのだ。
悪いと思う気持ちよりも先にきつい言葉が口から飛び出す。
もう十分生きた。
だから、こんな日々を終わりにしたい。
美貴を失った悲しみが癒える事など二度とないのだから……。
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「すい臓がんですね」
検査に引っ掛かった私を鷹道さんが大学病院に連れて来てくれた。
「そんな……嘘だろ」
取り乱す鷹道さんとは違って、私はとても冷静だった。
「栄野田さんの場合、発見が早かったので腫瘍部分摘出手術と抗がん剤治療で完治を望む事が出来ると思います」
「そうですか。考えさせてください」
「早苗……どうして?」
「あなたの体ではなく私の体です。どの選択をしようと自由じゃありません」
「それは……そうだけど。決断は、早い方がいいに決まってるだろう」
「考えさせてください」
私の言葉に鷹道さんが落胆しているのがわかる。
私がいなくなったら、何か不都合がおこる?
愛してるふりをして……。
「もちろん考えるのは栄野田さんの自由なのですが、腫瘍の大きくなるスピードが早ければ手遅れになります。なので、できるだけ早くお返事をいただければと思います」
「わかりました」
私は、鷹道さんと共に大学病院を後にした。
帰りの車に乗り込むとため息を吐きながら「やっと死ねる」と呟いた。
「早苗……今何て言った?」
「ようやくお迎えが来てくれたと話したんです」
「どういう意味だ?どうして、そんなに嬉しそうに話す?」
「やっと、この苦しみや悲しみから解放されるんです。嬉しいに決まってるじゃないですか……」
私の言葉に鷹道さんは、ボロボロと泣き出す。
最愛の娘を失い、残された娘を傷つけ苦しめ……。
こんな人生は、さっさと終わって欲しかった。
だけど、ある人から言われた。
「後を追って死んじゃったら、美貴ちゃんには会えないよ。だから、頑張って生きなさい」
その言葉が頭の片隅から離れなくて、必死で今日まで生きてきた。
「治療はしないのか……早苗」
涙声で話す鷹道さんの手を握りしめる。
「死なせてください」
私の言葉に口を抑えて「わかった」と呟いた。
鷹道さんの声が震えているのがわかる。
「鷹道さんには、私の事をたくさん覚えていて欲しいんです」
「わかった。覚えておく」
「それじゃあ、一つ目のお話をするので聞いてもらえますか?」
「わかった」
鷹道さんが、私を愛していないのはわかっている。
こうやって、泣いてくれるのは一緒に暮らしてきた情なのはわかってる。
だけど、私は……。
お見合いだから鷹道さんと結婚したんじゃない。
その事を鷹道さんに知っていて欲しい。
墓場まで、持って行こうと決めた秘密を……。
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「早苗ちゃん、あの人は無理だよ」
「わかってる。栄野田のお坊っちゃまなんでしょ」
「わかってるなら、何してるの」
「見るぐらい別にいいじゃない」
中学一年生になった私は、この街唯一の図書館で彼を見つけた。
幼なじみの
私のお父さんも小さいながらも、ある一角の地主と工場の経営をしている。
同じ社長でも、栄野田と浅木じゃ大違いなのはわかってた。
だけど、あの綺麗な横顔。
あの顔を見つめるぐらい許して欲しい。
「ああいう人は、お見合いして結婚するのよ。もう、許嫁なんかもいるはずだから……。早苗ちゃんには、何も出来ないわよ」
「別に、告白するって言ってるわけじゃないわよ。私は、ただこうやって彼を見つめてるだけで十分なんだから……」
「そうやって、見つめてると気持ちをだんだん抑えられなくなっちゃうのよ」
「大丈夫よ。栄ちゃん」
栄ちゃんの言う通りだった。
高校を入る頃には、私は彼への気持ちが抑えられなくなっていた。
それを誤魔化す為に、告白された同級生の
「早苗ちゃん、僕といてもつまらない?」
「まさか、そんな事ないわ。とっても楽しいわ」
「そう。それならいいんだけど」
「ま、まだ、付き合って一週間でしょ?何もわからないじゃない」
「確かに、そうだよね」
元弥君と一緒に帰らないと私は彼を探してしまう。
もう、これ以上彼を探す事はしちゃいけない。
そんな事をしてしまうと……。
私は、気持ちが抑えきれなくなって……ストーカーになってしまう。
「早苗ちゃん、聞いてる?」
「あっ、ごめんなさい。今、お腹すいたって思っちゃったの」
「あっ、コロッケかい?」
「そう。お昼が少なかったから」
「じゃあ、買い食いして帰ろうか?」
「ほんとうに!したいわ」
「僕が奢るよ」
元弥君は、すごくいい人で。
同級生達からも人気があった。
甘いルックスに優しい笑顔。
「やっぱり、栄野田鷹道様は素敵よねーー」
「最近の土日は、図書館じゃなくて、土手に絵を描きに行ってるんだって」
「本当に!?私も鷹道様を見に行こうかしら」
「いいじゃない。いいじゃない」
二人組の女子高校生が嬉しそうに去っていく。
「コロッケ、揚げたてだって」
「ありがとう。うわーー、美味しそうね」
「早苗ちゃん、つまらないのに無理して笑わなくていいんだよ」
「何言ってるのよ。私は、すごく楽しいわ」
本当は、さっきの女の子達の話が気になって仕方なかった。
栄野田鷹道……。
私の大好きな人。
図書館で、鷹道様と言われていたのを聞いた。
だから、彼の名前を知っていた。
「あーー、美味しかった。やっぱり、コロッケって美味しいわね」
「確かに、そうだね」
「また、買い食いしましょうよ。元弥君」
「いいね!今度は、パフェなんかも食べようか」
「そうね。それは、楽しそうね」
「じゃあ、僕はここで」
「うん、気をつけて」
元弥君は嫌いじゃない。
だけど……。
大好きな人とキスをしたり、抱き合ったり……そんな事は私は出来ないんだ。
「ただいま」
「お帰り、早苗」
「どうしたの?お父さんもお母さんも深刻そうな顔して」
「実はね……。お父さんが昨日栄野田グループの社長さんと飲みに行ってたのよ」
「うん。それで?」
「そこで、22歳になったら早苗を息子さんのお嫁にもらえないかって言うのよ」
「お嫁さん?それって、どっちの?」
「嫌じゃないのか?何だかキラキラしてみえる。早苗は、お父さん達と違って普通に恋愛して結婚していいんだぞ」
「そうよ、無理してお見合いなんかしなくたっていいんだから」
父と母は、申し訳なさそうに話すけれど……。
私は、嬉しくて仕方なかった。
「だから、どっちって聞いてるのよ」
「そりゃあ、長男の鷹道君に決まっているじゃないか!栄野田を……」
父が何かを必死で話していたけれど、私の耳には何も聞こえなかった。
それよりも、心が踊る。
まさか、栄野田鷹道と結婚する事が出来るなんて夢にも思わなかった。
「お父さん、お母さん。私、お見合いを引き受けるわ!お母さん、栄野田に嫁ぐのだから花嫁修行をしてちょうだい」
「早苗、無理に引き受けなくていいんだぞ」
「そうよ、早苗」
「無理なんかしていないわよ。私、栄野田のお屋敷に住んでみたいもの」
「早苗、何だか嬉しそうね」
「そんな事ないわよ。決められた結婚は悲しいわ。だけど、栄野田さんが貰ってくれるなら私は大歓迎よ。私は、浅木の家で何不自由のない生活をしてきたのよ。だから、貧乏はしたくないの」
次々に嘘が口から出るほど鷹道さんとの結婚は嬉しかった。
例え、鷹道さんが私を愛してくれなくても一生一緒にいたいと思った。
初めてを全て鷹道さんに渡したくて、最後のデートをして元弥君と別れた。
ファーストキスも鷹道さんがよかったから……。
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「早苗……。それって」
「最期は、やっぱり栄野田で死にたいです」
「話をそらさないでくれ」
「今の話しは、やっぱり忘れてください。私が墓場まで、持って行こうとした秘密なんですから」
「どうして、言ってくれなかったんだ?」
「言ってどうなりますか?言った所で、鷹道さんは私を愛してはくれないでしょう」
車が栄野田の敷地に入る。
ここに来て、私はただのお見合い相手だと痛い程に実感した。
鷹道さんが、花井に向ける眼差しに熱を帯びているのを感じたからだ。
「鷹道さん。私は、少しでも夕貴に優しくしてあげられるでしょうか?」
「もちろんだよ。私達の娘なんだから……」
「死ぬ日までに夕貴を抱き締めてあげられればいいのですが……」
車を降りてお屋敷に入る。
ようやく死ねる事が、こんなに嬉しいなんて……。
そう思っていたのに……。
夕貴が連れてきた桜ちゃんを見て、まだ生きたいと思ってしまった。
「お母様。美貴ね、お友達が出来たの」
「誰?」
「桜ちゃんって言うの!今度連れてきてもいい?」
「いいわよ。連れてらっしゃい。お母様がケーキを焼いてあげるから」
「イチゴのたっぷり乗ったやつよ。来週の土曜日には、連れて来るから。約束よ」
「約束……」
今までで一番夕貴に優しくなれる気がした……。
美貴、お母様はお姉ちゃんを許してもいいかしら……?
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