第29話 side ◯◯

花井智子はないさとこの訃報を聞いたのは、出張先のホテルのロビーだった。



「お久しぶりです。お義兄さん」

「久しぶりだね。佳代子さん。花井の最期は、安らかだったか?」

「はい。最期は、私の腕の中で眠るようにいきました」

「そうか。それは、よかった。だけど、明日は友引だろ?葬儀は、明後日だ。何も亡くなってすぐに私を呼び出さなくてもよかったのに……」



苦笑いを浮かべる私の顔を佳代子さんは見ないようにした。



「最期のお別れをきちんとしなければ後悔なさると思ったんです」

「後悔?何故、私が……」

「いつだったか、お義兄さんが花井を見る目に熱を帯びていたのを感じました。あれは、私が花井と向き合い始めた頃……」

「私には、妻がいるのだよ。何を馬鹿げた事を言っているんだ。お通夜の日に顔を見るよ」

「怖いのですか!」



佳代子さんの言葉に心臓がギュッと掴まれるのを感じる。

怖くないわけなどない。

あの子を亡くした時と同じだ。

身体中の毛穴という毛穴から嫌な汗が吹き出てくる。

力を入れていないと立っている事さえ出来ない。


「お義兄さん、花井への気持ちは早苗さんへの想いとは違うものですよね。ここで、花井に気持ちをぶつけてください。お義兄さんを咎める人などいない。まだ、逝ったばかりです。だから、花井の耳には届くはずです。後悔しないで欲しい。私達は、同じ屋根で暮らした中じゃないですか……」

「佳代子さん」

「お義兄さんが納得いくまで、傍にいてあげてください」

「だが、夕貴は?」

「お嬢様は、昨日会いに来られて最期のお別れをしました」

「そうか。私も会いたくて祈っていたんだ。後1日、後1日とね。神様にお願いしていたのだけどね。花井も神様もどうやら私が嫌いだったようだ」

「そう思うのなら、花井が亡くなる前に握らせて欲しいと言ったものをご覧になってから決めてはいかがですか?」



佳代子さんは、花井が眠る部屋のドアを開けた。


「亡くなる前に?」

「はい。私は、リビングにいますので……」

「あっ、佳代子さん」

「何でしょう?」

「君千嘉の事は、本当にすまなかった」

「お義兄さんが謝る事ではありませんよ」

「私がきつく叱ればよかったんだ。あいつは、いつも甘やかされていたから……」

「お義兄さんが悪者になる必要はないですよ。あの頃と違って、今は思うんです。君千嘉さんを他所に行かせない努力を私ももっとするべきだったのではないかと……」

「佳代子さんは、十分していたよ」

「そんな事ありません。何か他にも出来たはずです。こんな事を話していたら、花井の魂が完全に離れてしまいます」



佳代子さんに背中を押されて入る。

真っ白なベッドの上に花井が横たわっていた。



「花井。今までお疲れ様」


枕元にあるライトだけが花井の存在を映している。

少しだけ微笑んでいる死に顔は、最期の瞬間が幸せだったと教えていた。

花井の手を見るとあの日のそれが握りしめられていた。



「あーー、花井。何故……何故死んだんだ。私は、花井に愛してると言いたかった。あの日、それを……」


私の涙が花井の目に落ちて、まるで花井が泣いてくれてるように見える。

妻や夕貴やあの子を想うのとは違う。

胸の中にずっとくすぶっていた想い。

いっきに溢れだしたそれは、私の目から大粒の涙を落とさせる。




二十二歳を迎えた私の元にお祖父様が連れて来られたのが、花井だった。



「後、五年もすれば鷹道たかみちが栄野田の社長になり私も会長になる」

「お父様、まだですよ。まずは、大学を卒業しないと」

「ああ、そうだな。所で、会長。そちらは?」

「ああ。今日から家政婦見習いで働く事になった花井智子さんだ」

「初めまして、花井智子です」

「また、随分若い人を連れてきましたね。鷹道や君千嘉と歳が変わらないぐらいだ」

「彼女にも色々事情があってな。それに、彼女が立派な家政婦になる頃には鷹道が社長になっておる。その頃には、伏見は定年退職だ」

「そうですね。確かに、鷹道や君千嘉のお世話をしてくれる家政婦は大切だ」



お祖父様とお父様は、豪快に笑いながら酒を酌み交わしていた。

花井は、伏見さんに色々と教わっているのが見える。

今まで、人に興味を持たなかった私が初めて興味を持った。

自分とは違う世界を知っている花井の事が知りたくなったのだ。


家政婦見習いをしている花井は、私が土手に絵を書きに行くのによくついてきてくれた。



「鷹道様、絵の具は私がお持ちします」

「いいよ、いいよ。それに様はいらないよ」

「駄目です。伏見さんに怒られてしまいます」

「ハハハ。花井は、真面目だな。まだ、家政婦じゃなく見習いだろ?僕だって、まだ社長でもないただの人だ」

「それなら、お坊っちゃまの方がよろしいですか?しかし、それは君千嘉様がそう呼ばれていますし……」

「君千嘉は、僕より五つも下だからね。花井は、僕達兄弟の真ん中だね。だから、僕にとって妹だ」

「妹……ですか。いえいえ、違います。私は、家政婦見習いです」

「妹が嫌なら友達だね」



私は、花井が一緒に来てくれるのが嬉しかった。

メイド服を着て、私をどこまでも追いかけてくれる。

例え、付き合う事が出来なくても……。

それでも、構わないと思えた。

そうやって日々を重ねて半年が経った。

明日大学を卒業すれば、私は栄野田の次期社長としてお祖父様の会社に就職する。



「鷹道、少しいいか?」

「はい」

「お前はいずれ栄野田を背負しょって立つ人間だ。この街で、栄野田を絶対的な存在にする為にも浅木さんのお嬢さんとの婚約を進めていきたいと考えている」

「待ってください。僕は、まだ結婚なんて……」

「鷹道の気持ちは、よくわかる。だけど、私もそうだった。栄野田の長男に産まれた限り、恋愛の自由などない」

「長男って事は、君千嘉には自由があるのですか?」

「あいつは、次男だ。栄野田を背負っていくわけじゃない。鷹道、分かってくれ」


お父様の言葉に私は何も言えなかった。

部屋に戻る私を再び呼び止めたのは、お祖父様だった。



「鷹道、少し話せるか?」

「はい。何でしょうか?」

「お前に花井は無理だ。諦めなさい」

「お祖父様、どういう意味ですか?」

「産まれた時から、お前を見てきた。父親の目は誤魔化せても私の目は誤魔化せない。花井は、お前にはなびかない。諦めなさい」

「そんな事、わからないじゃないですか……」

「わかる。お前みたいな育ちのいい人間に花井は落とせはしない。例え付き合えたとしてもお前の手にはおえない諦めなさい」

「そんな事、わからないじゃないですか……」

「鷹道……。お前は、栄野田の人間だ。栄野田の長男に産まれたのだから自覚を持った生き方をしなさい。花井は、いずれお前のよき理解者になってくれるだろう。しかし、それは恋人ではなく。家政婦としてだ」


お祖父様の言葉にがっかりしていた。栄野田の長男として産まれた私には、人を好きになる事も許されないのだ。


「花井の誕生日はいつ?」

「えっと……。来週の水曜日です」

「そうか、わかった」

「何でですか?」

「いや、何でもないよ。それじゃあ、帰ろう。雨が降りそうだ」


どこかのタイミングで花井に気持ちを伝えてしまいたかった。

いつか、大人になって花井がまだ傍にいて……。

いや、私が死ぬ日にでも伝えよう。

そう思っていたのに……。



「お誕生日おめでとう、花井」

「プレゼントだなんて、鷹道様から受け取れません」

「これは、友情の印だ!だから、受け取って欲しい」

「鷹道様……」

「だから、呼び捨てでいいって言ってるだろ?」

「そうはいかないです」

「だったら、今日だけは僕の友達としていてよ。休みだろ?今日は」

「はい」

「それ開けて」

「わあ。綺麗です」

「つけてあげるよ」

「ありがとうございます」


随分前に、雑貨屋で花柄のバレッタを見つけていた。

土手や公園に行くと綺麗な花を嬉しそうに見つめている花井にピッタリだと思った。

私と花井は、この日一度だけ友人として遊んだ。

花井にとっては友達と遊ぶぐらいの感覚だったのかも知れないが、私にはデートだった。

大好きな人と最初で最後のデート。





「夕貴の事、今までありがとう。花井がいなければ、夕貴は壊れていた。だけど、私は夕貴を庇ってやれなかった。知っているだろう?あの子が亡くなった日、妻が私と花井に言った言葉を……。あれが、答えだ。私は、愛を証明しなければならなくなった。夕貴を傷つけても……。花井、私が花井を愛していた気持ちに蓋をしたのがいけなかったのか?だけど、栄野田に産まれた私に恋愛をする権利も自由もなかった。どうすればよかった?私は、あのデートの日に「好きだ」と言えばよかったのか?未消化なままの恋心きもちは厄介なものだ。佳代子さんにまで、見破られるほどの熱を帯びていたなんて……。妻が私の中にある気持ちに気づくなんて当たり前の事だね。

花井が佳代子さんに恋をした日を私はよく覚えている。もう結婚をしていたのに、狂いそうなほどだったから……。抑えても、抑えても、今のように涙が止まらなくて。私は、出張に行き1ヶ月家を明けた。行かなくてもよかったのに、部下について行ったんだよ。初めての失恋だったからね。思ったよりもこたえてね。立ち直るまでに、1ヶ月じゃ足りなかった。だけど、ほら、離れた方が考えなくてすんだから……。ほら、また私ばかり喋ってるね。どうして

、いつも花井は何も言ってくれないんだ?そんなに、私が嫌いだったか?佳代子さんには、たくさん話をしたのか?最期は、一人じゃなくて本当によかった。花井が一人ぼっちで逝ってしまったら、私は酷く後悔をしたから……」


花井の手を握るともうそこには温もりはなく。

あるのは、硬直した肉体のみだった。

「好きだ」と告白したからと言って花井が付き合ってくれたわけじゃないのはわかっている。

だけど、普通の人のように恋をしたり傷ついたり……。

好きな人とデートをしたり、キスをしたり……。

お金よりも、もっとそんな経験が欲しかった。

何て、贅沢な人間なんだ。

妻も子供も地位も名誉も何もかも手に入れているのに……。




「私は、最低だ。あの子が亡くなった時話してくれたよね。亡くなった人は、心の声が聞けると……。だから、悲しんでばかりいたら悲しいんだと……。花井に私の最低な心の声を聞かせてしまったね。栄野田鷹道という人間はね。本当は贅沢でわがままな人なんだよ。知らなかっただろ?40年以上も一緒にいたのに……」


まだまだ、花井に伝えたい事はあった。

まだまだ、話したりないぐらいだ。

だけど……私には……。


ピリピリ……。


「もしもし、どうした?」


ちゃんと愛を証明しなければならない人がいる。

最期に聞いてくれるか、花井?


「いつも、うまく言えないけど。ずっと想っていた事があるんだ。……愛してる」




「奥様は、誤解しています。旦那様、きちんと愛してると伝えないといけません」

「そういうのは、恥ずかしくてうまく言えないんだよ。花井も知っているだろう?私は、恋愛をしてこなかったんだ」

「そんなの関係ありません。生きてる人に気持ちは伝えないと伝わらないんです。不器用でも恥ずかしくてもちゃんと伝えてください。そうじゃなきゃ、奥様は旦那様が私を好きだと誤解したままです」

「無理だよ、花井。娘達には、言えても妻には照れ臭くて言えやしないよ」

「そこを頑張るんですよ」




「花井、ようやく言えたよ。出来ないと言ってばかりで困らせてごめん。「愛してる」って言えると気持ちが少しだけ楽になるもんだね。それを受け取ってくれる相手がいるって幸せな事だと改めて実感したよ」



花井の髪をそっと撫でる。

同じように歳を重ね、同じように大人になった。



「花井は、妹みたいな存在だ」


私は、また花井に嘘をつこう。


「だけど、今日だけは許してくれ」


冷たくなった頬にキスをする。


「すまないが、向こうへ行くのに持って行ってくれないか?兄としての最初で最後の頼みだ」


気持ちを伝えたお陰で、体の中が軽くなった。

否定も肯定もされずに受け止めてもらえて本当によかった。

生きていても、花井はそうしてくれただろう。


「それじゃあ、行くよ。今まで、本当にありがとう。安らかに……」



来た時とは違って、私の足取りは軽かった。

佳代子さんが、与えてくれた貴重な時間に感謝している。


さよなら、花井。

生まれ変わっても、また栄野田にやって来てくれ。



「佳代子さん、ありがとう」

「ゆっくり話せましたか?」

「ああ、もう十分だ。私は、早苗の元に急いで帰らなくちゃいけないからね」

「何だか良い顔をなさっていますね」

「花井が全て受け取ってくれたからね」

「それは、よかったです」

「死んでいるから話さないわけだからね」

「生きていても、花井はそういう人ですよ。お義兄さんもご存知ではありませんか?」

「ああ、わかっている。生きている時に言えばよかったんだけどね。残りの時間、ギクシャクしたくなかったんだ」

「お見舞いに来る度に花を持ってきたのは、あの子に供えられないからじゃありませんよね?花井に似合う花を選んだのですよね?」

「どうだろうか?それは、佳代子さんの想像にお任せするよ」



佳代子さんに笑ってから、私は家を出た。

佳代子さんの言う通りだ。

花井に持っていく花束を選ぶのは、とても楽しかった。


「旦那様。こちらはよろしかったですか?」

「それは、花井にではないんだよ」


実はね、花井。

私は、今日に花束を買ったんだよ。

に渡す花束を選ぶのは本当に楽しかったよ。

花井が言った通りだね。


「花を貰うと女性は笑顔になるんですよ」


それは、きっと。

私が幸せで楽しくて選んだ気持ちがいくのだろう。

花井、早苗は喜んでくれるだろうか?



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