第9話 彼女といるだけで……。【修正しました】
「あーー。ごめんね。熱くなかった?」
「大丈夫、大丈夫。もう温かったから……」
「本当にごめんね。ちょっと待ってね。あーー。ハンカチなかった」
彼女が私を引き寄せて抱き締めようとしてくれた瞬間。
私のカフェオレが零れた。
「タオルあるから……大丈夫」
「だけど、シミになっちゃうよね。すぐ、洗いに……あーー。嫌だよね。あそこは」
「男子トイレだったから、大丈夫。行ってくるね」
「私も一緒に行くよ」
「ううん。大丈夫。すぐだから」
私は、急いで女子トイレに駆け込む。
彼女とあのままいるとあの空気に飲まれてしまいそうだった。
彼女は……復讐相手の妻だというのに……。
「冷たっ……。あーー。とれないよね。やっぱり、コーヒーは……」
スカートの太ももを濡らしたカフェオレのシミは、私に罰を与えているようだった。
彼女と私は、復讐を果たすだけの関係。
それ以上でも、それ以下でもない。
やっぱり取れないか……。
女子トイレから出て彼女の元に歩く。
木々の間から照らす太陽が、彼女にスポットライトを当てているようだ。
「綺麗……。本当に……。って、何考えてるのよ。でも、何となく。陽人の気持ちがわかる気がした」
不倫相手に異性ではなく、同性を求めた感覚。
何も話さなくてもわかってくれる気がしたのかな。
いろんな事……。
「遅くなってごめんね」
「ううん。あーー。やっぱりシミになったよね。クリーニング出さなきゃ駄目ね。今から服買いに行こう。それで、クリーニングにそのまま出して」
「大丈夫だって、家でシミ抜きすればいいから」
「駄目だよ。こういうのは、早く」
「大丈夫!タマゴサンド食べよう」
私は、彼女の隣に腰掛けてタマゴサンドを食べ始める。
さっきよりも、心臓が【ドキドキ】する。
気にしない。
気にしない。
これは、私の勘違い。
何度も言い聞かせながら、タマゴサンドを喉の奥に流し込む。
「盗聴器仕掛けてきたの、寝室に……」
話題を陽人の浮気問題にすり替えた。
「私もよ」
「そっか。あっ、あれね、種類とかいっぱいあってね。それで、録音機とか受信機も買わなきゃいけなくてあっというまにお金がなくなっちゃった」
ドキドキを誤魔化す為に、ペラペラと勢いに任せて話す。
「私は、借りてきたから知らなかったけど。結構、するのね」
「うん。結構したよ。取り付ける時は、ドキドキした。だけど、カメラだけはつけられなかった」
「わかるよ。私も同じだから」
「だよねーー。二人が連絡取り合ってる時の表情とか見たらもう耐えられない気がしたんだよね」
「そうだね。私もそう思った……」
「同じだね……」
さっきとは違って会話がうまく続かない。
それは、きっと……彼女と……。
「一週間様子を見よう。その間に盗聴器が私達の欲しがっている証拠をくれるかもしれないでしょ」
「うん。そうだね」
「一週間後、録音した音声を一緒に聞こう」
「そうだね。そうしよう」
「しほりさんは、働いてるの?」
「あっ、お弁当屋さんでパート程度だから……」
「どこのお弁当屋さん?……あっ。ごめんね。復讐を終えたら終わるのに、何を聞いてるんだろう、私」
彼女が、少しだけ寂しそうにしてくれている気がする。
それが、少し嬉しい。
「普通に出会ってたら、私達仲良くなれたかもしれないよね」
「そうだね。あーー。ごちそうさま」
「仕方ないよね。また会ったら、今朝の動画思い出しちゃうわけだし」
「確かに……。そうだよね。トイレにカメラを仕込めたら楽だけど。公共の場だから、盗撮は犯罪行為だもんね」
「だよね。あっ、二人ってどうやって知り合ったのかな?会社の同僚とか?」
「うーーん。それはないはず。コウキの同僚は、全員知ってるから。そこに陽人って名前はいなかったわ」
「じゃあ、どうやって出会ったんだろう。SNSとかマッチングアプリ?」
「それは、私が調べておくわ」
彼女は、鞄から高級ブランドの手帳を取り出す。
やっぱり、住む世界が違う。
何を期待してたんだろう。
「旦那さんのフルネームと生年月日を書いてくれる?働き先は、わかる?」
差し出された手帳にスラスラと書く。
文字を書きやすい高そうなボールペン。
「山神商事の営業部のはず。辞めてなかったら……」
「辞めるわけないでしょ。山神商事ね。ちょっと調べてみるわ」
「よろしくお願いします」
私は、彼女に手帳とボールペンを返す。
よく見たら、彼女が着ているスーツや身につけているアクセサリーや履いてる靴も持ってる鞄も……。
身に纏っているすべてが高級ブランドだ。
私とは違う。
セールで買った中流のブランドの服やバック。
2000円で買った靴。
閉店セールをやっていたジュエリーショップのall1万円コーナーで買ったネックレス。
身に纏う全てが安物の私。
住む世界が違うって、こういう事なんだ。
それなのに、私は彼女を巻き込んで。
彼女に勝手に【ドキドキ】なんかして。
有り得ない。
「どうしたの?」
「ううん。何でもない」
「それならいいんだけど……。一週間後、何時ぐらいにこれる?受付に伝えなくちゃいけないから」
「あっ、10時頃に」
「ちょっと待って。その時間は大丈夫だわ。予定は午後からだから……。それじゃあ、10時によろしくね」
「はい。こちらこそ」
私は、定価三万円の腕時計を覗き込む。
「あっ、娘を迎えに行かなきゃ」
「こんな時間まで引き留めてごめんね」
「いえ、大丈夫」
まだ、14時過ぎ。
娘を迎えに行く必要なんてない。
だけど、何か悲しくなる。
彼女が【お嬢様】だと感じれば感じる程……。
住む世界が違うのがわかって……。
これ以上、近づいたら駄目なのがわかって……。
胸の奥が……。
「お金、おろして渡すわね」
「いえ、まだ大丈夫だから」
「そう?足りなくなったら言ってね」
「はい」
「お金が必要ならいくらでもだすから……探偵とか雇っても構わないのよ」
「探偵……。それは、まだいらないかな」
「そうよね。二人で出来る事から始めなきゃね」
「はい」
探偵がいらないと思ったのは、彼女に会えなくなるのが怖かっただけ。住む世界が例え違っても……。
今だけは、彼女に会っていたい。
彼女の瞳の中に映っていたい。
「じゃあ、帰りましょうか」
「はい」
立ち上がって元来た道を歩き出す。
「それは、ゴミじゃなかった?」
さっき、食べた物を公園のゴミ箱に捨てたのに彼女はまだ紙袋を持っていた。
「あーー。これはね、後で食べようと思ってたやつなの」
「そうなんだ」
嘘だ。
彼女は、旦那さんと一緒に昼食を食べるつもりだったんだ。
それをたまたま私を見つけたから……。
「じゃあ、私。こっちなんで」
「じゃあ、一週間後に」
「はい。それじゃあ」
私は、彼女と別れて歩き出す。
彼女と話して息が出来た。
彼女と話すと楽しかった。
彼女といるだけで…………。
何考えてるのよ、私。
私は、鞄からスマホを取り出す。
「もしもし、お母さん。今から、絵茉を迎えに行くから。ごめんね。盛り上がって昼食も食べちゃったの」
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