第17話

ノックをしてドアを開ける瞬間が一番緊張する。



健は海斗の背中を押して先に行くように促した。



海斗は先に健に行ってほしかったけれど、ここまできて尻込みしているような自分を梓に見せたくはなかった。



勇気を出してドアの前に立ち、一度深呼吸をした。



まるで人生で初めて試験を受けるときのような緊張感がある。



よし、行くぞ。



心の中でタイミングをはかってドアをノックする。



自分で鳴らした音にビクリと体を震わせた時、中から「はい」と、声が聞こえてきた。



それは海斗が逃げている間にもずっと会いたいと願っていた人の声だった。



鈴の音のようなきれいな声。



ずっと聞いていたくなる声。



その声を聞いただけで海斗の胸は一杯になってしまって、涙が出てしまいそうになる。



必死にその涙を引っ込めて、海斗は笑顔を作ってドアを開けた。



瞬間、窓から差し込んでいる光が眩しくて梓の姿が見えなかった。



白い天井に壁にベッド、そのすべてがキラキラと輝いて、ただ美しい世界が広がっているように見えた。



「あ、海斗くん?」



驚いた声がして視線を向けると、ベッドに横になっている梓の姿をようやく確認することができた。



今日の梓は薄いブルーのパジャマを着ている。



「ひ、久しぶりだね」



緊張から声が裏返ってしまいそうになる。



健はそんな海斗の後ろから病室へ入り、「よっ」と、梓に片手を上げて見せた。



そのおどけた様子に梓の緊張がほぐれていく。



「2人で来てくれるのは久しぶりだね」



梓は嬉しそうに頬を赤らめて、上半身を起こした。



といっても、ベッドの上体を起こしただけだけど。



「この部屋少し眩しすぎないか?」



「カーテン閉めてもいいよ」



健の言葉に梓が答える。



健は言われたとおりにカーテンを閉めて、少しは眩しさが軽減されたようだ。



海斗は梓のベッドの横まで移動してくると、以前よりも細くなった体を見下ろした。



胸の奥がジクジクと痛くなる。



ずっと見ないふりをして来たけれど、梓はこんなにも痩せてしまって、それでもまだ頑張り続けているのだ。



「ずっと来なくてごめん」



声がかすれてしまった。



これじゃ本当に申し訳ないと思っているのか怪しまれてしまう。



そう思ったが、梓は笑顔で左右に首を振った。



「大丈夫だよ。海斗くんも忙しかったんだよね?」



そう聞かれて海斗は曖昧に頷いた。



きっとお見舞いに来ない海斗のことを、健がいいように説明してくれていたのだろう。



黒スーツの男はそれが嘘であると見抜いたけれど、梓は今でも信じてくれているみたいだ。



そう思うと申し訳さなで胸がいっぱいになる。



「あの、その呼び方って……」



「あ、ごめんね。勝手に海斗くんとか呼んじゃって」



「ううん。そっちの方がいい」



初めて呼ばれたときはちょっとドキッとしたけれど、名字で呼ばれるよりも嬉しかった。



「私のことも呼び捨てにしていいからね」



そう言われて海斗はぎこちなく頷く。



このなあんでもないような会話でも海斗にとっては特別な時間で、すごく幸せを感じることができる。



いつかメガネ女子が言っていたとおり、これが好きという気持ちなのだろう。



それから海斗たちは学校内で起きた出来事や、最近梓が呼んで面白かった本の話をした。



海斗はほとんど小説を読まないのだけれど、今度本屋で買って読んでみようと心に決めた。



海斗たちがここへきてから20分ほど経過したとき、梓が少し苦しそうな表情を浮かべた。



「どうした?」



「ごめん。少しおしゃべりしすぎたみたい」



梓は照れくさそうに微笑んで、ベッドを下げた。



そのまま横になり、ふーっと大きく息を吐き出す。



疲れてしまったのかも知れない。



海斗にとって20分間のおしゃべりなんてどうってことないことだ。



1時間2時間走り回って遊ぶことだってできる。



けれど今の梓には座って会話をすることでも、長時間になると難しいことなのだと、あらためて理解した。



「俺たちに突き合わせてごめんね。今日はもう帰るから」



ゆっくり休んでもらおうと思って梓に背を向ける。



その時腕を掴まれて海斗は振り向いた。



見ると梓が海斗の腕をしっかりと掴み、うるんだ瞳を向けている。



その目に海斗の心臓がドキッと跳ねる。



「また来てね?」



「あぁ……絶対に来るよ」



海斗は自分の腕を掴んでいた梓の手を握りしめる。



その指先はやはり細く痩せていて、今では骨と皮だけになっているようだ。



それでも海斗はその手を愛しそうに撫でた。



「ありがとう。楽しみにしてるね」



梓はそう言うと、そっと目を閉じて眠り始めたのだった。


☆☆☆


梓の手の感触を思い出して海斗はついボーっとしてしまっていた。



「なにぼーっとしてんだよ」



と、健に突っ込まれるまで自分でも気が付かなかった。



「いや、別になんでもない」



慌ててそういうが、健はなにかに感づいている様子でニヤついた笑みを海斗へ向ける。



「お前も隅に置けねぇよなぁ。メガネ女子を泣かせてまで梓ちゃんを取るなんてさ」



「は? なんのことだ?」



どうして今メガネ女子のことがでてくるのかわからなくて首をかしげる。



そうしている間に健から冷めた目でジッと見つめられていることに気が付いた。



ニヤついてきたり、冷めた目で見てきたりなにがしたいんだコイツは。



「なんだかわかんねぇけど、明日もお見舞いに行くんだろ?」



歩きながら聞くと健は頷いた。



「もちろん。俺は誰かさんと違って毎日でも梓ちゃんに会いに行きたいもんねぇ!」



「それなら俺も行く!」



すかさず言うと健がまたニヤリと笑った。

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