第5話
いつからいるんだよ。
と、文句を言いそうになったけれど、元々梓に使えているのでそんな文句も言うことができない。
「そうだね」
梓は男の言葉に素直に従って布団に潜り込んだ。
あまり長居しないほうがいいかと思ったが、梓が海斗の腕を掴んできた。
その指先の細さに心臓がドキンッと鳴る。
ここへ来てから海斗の心臓は少しバカになってしまったようだ。
「な、なに?」
「もう少し、ここにいてくれる?」
その問いかけに断る人なんてきっとこの世に存在しない。
海斗は何度も頷いた。
「もちろんだよ」
すると梓は嬉しそうに微笑む。
まるで天使や女神のようだなと海斗は思う。
こんなにきれいな子を見たことがなかった。
「どうしたの?」
思わず梓に見とれていたので、ハッと我にかえる。
「い、いや。女神みたいだなって思って」
口走り、慌てて自分の口を両手で塞ぐ。
なんてこと言ってんだ俺!
健も呆れた表情で海斗を見ているが、助け舟を出すつもりはないらしい。
さっきから自分の分のクッキーをポリポリとかじっているだけだ。
「女神か……。私合ったことがあるよ」
「え?」
「女神さまに」
突然の言葉に海斗はキョトンとして梓を見つめる。
梓はいたずらっ子みたいに微笑んで海斗を見ていた。
冗談だろうか?
それにしても突然こんな冗談を言うものだろうか?
判断できずにいると、健が口を開いた。
「いつ?」
「結構前だよ。予知夢を見るようになる前だった」
梓は思い出すように目を閉じる。
暗い視界の中に蘇ってくるのは学校の階段だった。
「あの時、学校で気分が悪くなってうずくまってたのを、海斗くんが助けてくれたとき」
そう言われて海斗は懸命に自分の記憶をたどる。
けれどなかなか思い出すことができない。
たった1度階段で助けただけの少女のことを、海斗はすっかり忘れてしまっているのだ。
「あの日、家に戻ってから私の様態はさらに悪くなったの」
部屋の空気が少しだけ重たくなったような気がした。
病気の話は普段あまり聞かない。
聞いちゃいけないものだと思って、海斗も健も、触れてこなかった。
「トイレに行った時そのまま倒れちゃって、救急搬送された。一時期心配停止にまでなったんだよ」
梓の声はあくまで淡々としていた。
自分の過酷な過去を振り返っているようには見えず、とまどってしまうくらいに。
「その時、夢を見たの」
梓は思い出して頬を緩めた。
それはとてもきれいな夢だった。
梓は病院のベッドに寝かされていて、意識のない状態だった。
そんな自分を見下ろしている自分がいたのだ。
あぁ、これが幽体離脱っていうやつかぁ。
いつかマンガで読んだことのある幽体離脱を思い出す。
たしかこれって時間が経過しちゃうと体に戻れなくなるんだよね?
マンガの知識が正しいかどうかなんて考えてはいなかった。
ただ、このままじゃまずいことになるという感覚だけで梓は動いていた。
体に戻るためにふよふよと浮かんでいる自分をベッドに近づけていく。
しかしなかなか上手に行かずにベッドに近づいた途端離れてしまう。
幽体離脱をした体を操るのって結構たいへんなんだな。
そんなことを考えながらもまだ焦ってはいなかった。
自分が霊になっていると気が付いたのはほんの数分前だ。
マンガの中では24時間以内に戻ればいいと書かれていたから、まだまだ時間はある。
そしてその間にきっと、この魂だけの体にも慣れてくるんだろう。
そう考えると少しこのままで遊んでみたい気持ちにもなってくる。
家族は今どこにいるんだろう。
学校のみんなはなにをしているんだろう。
気になり始めると今度はうずうずしてきてしまう。
梓はひとまず自分の体に戻ることを諦めて、ここから飛び出してみることにした。
病室の窓へ向けて進んでいく。
ベッドに近づいたときと同じように弾かれてしまうかと思ったが、窓はすんなりと通り抜けることができてしまった。
『わぁ!』
思わず声を上げる。
梓がいる場所は病院の5階部分だったようで、外に出た瞬間街を見下ろすようになったのだ。
5階の高さから見下ろす街は人々が小さく見える。
以外と緑が多かったり、大きいと思っていた池が小さい。
それが楽しくて梓は病院の屋上を目指した。
ふよふよと頼りなく感じる魂だけの梓だったが、外に出て飛ぶことであっという間に扱いに慣れてきた。
屋上へ行きたいと願うだけで体が自然と向きを変えて、屋上へと向かってくれるのだ。
だから梓自身が疲れるようなことはなにもないし、移動も早い。
こんなに便利なことがあるのかと驚いてしまった。
屋上から町並みを見下ろしてみると、更に人々は小さくなった。
行き交う車の音も小さくてさざなみのようにしか聞こえてこない。
あぁ。気持ちがいいなぁ……。
降り注ぐ太陽の光が眩しくて目を細める。
魂だけになっても気温を肌で感じることはできるようで、梓の体は温められていく。
普段から空調のきいた室内ばかりにいた梓には、外で日光浴をすることも新鮮だった。
ずーっとこのままでいたいた。
眠っちゃいそう。
そう思ったときだった。
突然『梓!』と声が聞こえた気がして飛び起きた。
思わず『はい!』と返事をしてしまうが、周囲には誰もいない。
でも確かに聞こえてきたその声は聞き慣れた母親のもののような気がした。
なんだか妙な胸騒ぎを覚えた梓は屋上から病室へと引き返すことにした。
窓の外から中を覗いてみると、両親がベッドの横に立っているのが見えた。
『お父さんお母さん、来てくれたんだね!』
普段仕事で忙しい2人はなかなか梓にかまっている暇がなかった。
こうして両親と対面するのは一週間ぶりだったのだ。
梓は嬉しくなって病室へ飛び込もうとした。
しかし、窓にぶつかる寸前に跳ね返されてしまったのだ。
『え、どうして?』
もう1度チャレンジする。
しかし、またも跳ね返される。
『なんで病室に戻れないの!?』
焦って何度も窓に体当たりしてみるが、そのすべてが弾き返されて終わってしまった。
嘘でしょ。
このまま病室に戻れないなんてことになったら……!
自分はこのまま死んでしまうことになる。
そう気が付いた梓はサッと血の気が引いた。
懸命に窓に近づこうと願う。
体に戻りたい。
体に戻りたい!
体に戻りたい!!
体に戻りたい!!!
しかし全く言うことを聞いてくれない。
屋上へ行きたいとか、地上へ降りたいという願いなら簡単に叶うのに、どう頑張ってみても病室に入ることができないのだ。
『なんで……!?』
窓の外から中の様子を伺うと、白衣を着た医者が心臓マッサージをしているところだった。
『梓しっかりして!』
母親の悲痛な叫び声が窓の外まで聞こえてくる。
嘘でしょ。
待ってよ。
私このまま死ぬの……?
信じられなかった。
だって、マンガの中では24時間の猶予があって、主人公はその間に飛び回って遊んでいて……。
そこまで考えて梓は全身から力が抜けていく感覚に襲われた。
あぁ、そうか。
あれはマンガの世界で、現実じゃないんだ。
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