きみのいいパパじゃなかった

尾八原ジュージ

きみのいいパパじゃなかった

 2LDKのファミリー向けマンションから単身用アパートに引っ越した日、ほっとしたのは事実だ。前のところと比べればずいぶん狭いし古いけれど、おれは今ひとりでいるべき場所でひとりなのだということに安堵し、安堵したことに罪悪感を覚えた。

 荷ほどきを半分ほど済ませ、小さな冷蔵庫に買ってきたばかりの缶ビールを並べながらふと、生まれてこなければよかったなぁと呟いた。そのとき、小さな手でぺたぺたと背中をさわられるような感触がした。

 振り返ったが、もちろん誰もいなかった。


 おれが既婚者だったのはもう過去のことだ。妻の菜々美とは恋愛結婚だった。彼女が妊娠したのは、おれたちふたりが二十八歳のときだった。「生理遅れてるんだよね」と言われたとき、じゃあできたかもなと返したおれは、結構ワクワクしていたはずだ。それから、陽性反応の出た妊娠検査薬を持ってトイレから駆け出してきた菜々美と、抱き合って喜んだことも覚えている。

 あのときおれは確かに嬉しかったはずなのだが、あの気持ちは一体何だったのだろうと後々考えることがある。たぶんおれはあのとき、自分の子供が産まれるということがよくわかっていなかった。だから嬉しいような気がしたのかもしれない。


 ひとりぼっちで過ごす新居の夜は静かだ。里菜の泣き声も、菜々美がそれをあやす声もしない。少し離れたところから車の走行音が聞こえるくらいだ。なのに寝つけないのは、きっと慣れない環境のせいだろう。そう思うことにした。

 ようやくうとうとしかけた頃、突然ドンと腹の上が重くなって、体が動かなくなった。仰向けになっていたおれの腹の上に、見知らぬ子供が乗っていた。五歳くらいの女の子で、何の表情も見えない真顔でこちらをじっと見つめている。照明もないのにその子だけはぼんやりと白く浮かんで見えた。明らかにこの世のものではなかった。

 睨みあっているうちにだんだん意識が遠くなって、気が付いたら朝になっていた。女の子の姿はもうなかった。


 今頃になって色々と思い出す。菜々美の妊娠中、おれは結構協力的だったと思う。妊婦健診についていったり、市が主催するパパママ教室とかいうのに参加したり、子育てに関する本を読んだり、今のうちと言いながら子連れでは行きにくそうなレストランに行ったりした。名前も一緒に考えた。菜々美の名前から一文字取ろうと提案したのはおれだった。それなら赤ん坊のことを愛せると無意識に考えたのかもしれない。

「いいパパになりそうね」とよく言われた。たとえば義母に、おれの実母に、それから病院の看護師、同じ職場の同僚や上司や後輩、そして菜々美にも。そうかなぁと笑いながら応えつつ、胸中には不安がひっそりと影をさしていた。街中で子連れを見かけると(ほんとにあんな感じになれるのかなぁ)とどこか別世界のことのように思った。でもいざ我が子を抱いたら、きっと父性本能とかいうものが目覚めて、可愛くて可愛くて仕方なくなるんだろう――そう思うことにした。でも「いいパパになりそうな人間」と「実際いいパパになる人間」は違うのだ。少なくともおれの場合は全然違った。


「お兄さんが越してきた部屋、何年か前に小さな女の子が亡くなってんのよ」

 アパートの隣の部屋に住むばあさんが、単調な声でおれにそう教えてくれた。別におれから尋ねたわけじゃない、ゴミ捨て場で顔を合わせたときいきなりそう言われたのだが、不快ではなくむしろ納得感があった。道理で家賃が安いし、幽霊なんかも出るわけだ。

 引っ越してから一ヶ月、女の子の幽霊は毎晩おれの腹に乗ってくる。最初は怖かったがもう慣れた。動けなくて暇だから、おれは心の中で彼女に話しかけるようになった。

 きみ、もしかして里菜か? そんなわけねぇよな。だって里菜はそんなに大きくなれなかったんだから。じゃ菜々美か? 子どもの姿で出てきたのか? なんつって、それも違うよな。顔が全然違うもんな。やっぱりこの部屋で死んだっていう子だよな。きみが何て名前か知らないけどえらい痩せてるな。服も汚くてペラペラで寒そうだな。きみの親は何やってたんだろうな。

 幽霊は何も言わなかった。黙って、無表情のままおれを見つめ返していた。


 出産翌日、病室で赤ん坊を抱っこしている菜々美が、もう母親らしい顔をしていたのにおれは驚いた。早々に名前を里菜と決められ、「パパに似てるね」と言っておれに差し出された小さな生き物は、おれには誰に似ているようにも見えず、強いて言えば猿みたいだった。「かわいいね」と言われてもピンとこなかった。空気を読んで「うん」と答えながら、菜々美に嘘がばれてませんようにと願った。おれの指をつかんだ小さな手の必死さが、なんだか怖かった。

 大部屋の病室に長居はできず、洗濯物を預かって家に帰った。会社は休んでいたから、多少やることはあるものの概ね暇だった。ベビーベッドを組み立て、テレビを点けてビールを飲んで、コンビニの弁当を食った。独身時代に戻ったみたいだった。

 おれ、父親になった実感全然ないな。菜々美たちが退院して家に戻り、しばらくいっしょの空間にいれば、そのうちおれの父性本能も目覚めるんだろうか。そんなことを考えて、期待した。でもそんなに甘くなかった。里菜はふにゃふにゃで、触ったら壊れてしまいそうで、表情に乏しく、なにを感じているのかさっぱりわからなかった。おまけにおれが抱っこすると「赤ん坊ってこんな動くのかよ」というくらいのけぞるし、哺乳瓶が苦手で母乳しか受け付けない。おむつ替えはなんとなく抵抗があるのを菜々美に見透かされて、わたしがやるよと取り上げられた。そのとき菜々美の目の下にクマができているのに気づいた。でもおれは「悪いなぁ、よろしく」とか言いながら任せてしまって、だから里菜については、おっかなびっくり何度か風呂に入れたのがせいぜいだ。里菜はけっこうでかい声で泣いて、その声が思った以上に不快で、おれはこっそり(家にいたくないな)と思ってしまった。


 気温が下がるのが思いのほか早い。あるいは幽霊が出る部屋ってのは寒いものなのかもしれない。毛布を買おうとたまたま入ったショッピングモールで、子ども用の服が目に入った。売れ残ったらしいものがワゴンに入って、弁当よりも安く売られていた。

 気づいたら赤いトレーナーを一枚買っていた。五歳の子ってこれくらいのサイズでいいのかなとかぼやきながら家に帰り、部屋の隅に服を置いて、こんなの着るかなぁと大きめのひとりごとを言い、手を合わせた。お供えのつもりだった。

 その夜、女の子の幽霊は赤いトレーナーを着ておれの腹に乗っていた。お供え成功だ。ちょっと嬉しくなって、おれは金縛り状態だけど唇の端っこで笑った。ああ、安物だけど前より寒くなさそうじゃん。そっちの方がいいよ。そう考えたのがわかったのか、幽霊は初めてにっこりと笑った。


 里菜が夜泣きをしたとき、おれがあやすよって受け取ることができていたらよかったなと、今になって思うことが増えた。なんにせよ、どこかでもっとちゃんと里菜に慣れるようにしておかなければいけなかったのだ。おれは自分でうぬぼれてたほど愛情深くなかった。会話とか表情とか、わかりやすいコミュニケーションをとれない生き物が――つまり赤ん坊が苦手だった。苦手だからこそ接する機会を増やさなければならなかったのに、おれは逆のことをやった。残業を引き受けたり、わざと帰りの電車を乗り逃してみたりして、帰宅時間を遅らせた。

 菜々美は「仕事が忙しいんじゃしょうがないね」などと言いつつ、日中は義母に手伝ってもらったりしていたらしい。でも赤ん坊の世話は二十四時間体制だ。その夜、菜々美はひとりで里菜をあやしていた。おれが仕事で疲れてるからって、おれを起こさないように里菜を抱っこしたままそっと外に出て、マンションの周りを散歩していたらしい。そうすることで里菜が寝つくこともあったのだろうけど、その日はそれが災いして、ふたりは居眠り運転のタクシーに撥ねられた。事故の瞬間、おれは眠りの中で大きな音を聞いたけれど、それが自分に関係あるものだとは思わなかった。

 菜々美も里菜もいなくなってしまった。皆、おれを気づかったり、気の毒がったりしてくれた。「お父さん、かわいそうに」という声もよく聞いたけれど、おれじゃない誰かの話を聞いているみたいだった。骨壺に入った我が子を見ても、おれの父性とか愛とかが目覚める気配はなかった。菜々美が死んだのははっきりと悲しいけれど、里菜に対してはよくわからない。だっておれはほとんど里菜と関わらなかったし、たぶん、ちゃんとしたお父さんでもなかったから。おれはときどき、小さくて柔らかな生き物のことを、後悔と罪悪感といっしょに思い出した。

 菜々美も里菜も幽霊にはならなかった。少なくともおれの前には出てきていない。


 幽霊のために、もうちょっと可愛い服や髪留めを買ってきた。お菓子もお供えした。ぬいぐるみも置いてみた。部屋の隅は、男の部屋には場違いな愛らしい品物で埋まった。幽霊の女の子は相変わらずおれの腹の上に出るけれど、以前の無表情とは違って、にこにこ笑うようになった。新しい服を着ているし、不器用だが髪留めもつけている。それを眺めながら、(おれはどこに向かってるんだろう)と考えた。だんだん幽霊のことを「可愛い」と思うようになっていた。彼女が嬉しそうにしているとこっちも嬉しくなって、もっと喜んでほしいなと思った。明日この子がいなくなってたら泣くかもしれない、なんて。

 なんで今更。

 おれはどうして里菜のときにこういうことができなかったんだろう。

 赤ん坊はおれにとってコミュニケーションのとれない生き物で、でも、いつかは大きくなって、笑い合ったり言葉を交わしたりできたはずだ。それに、菜々美はすぐ母親の顔になってたじゃないか。どうしておれにはできなかったんだろう。どうして。そんなことを考えながら、自分では食べないケーキを買って帰った。

 おれは幽霊に依存していた。無垢なものが笑いかけてくれる時だけ、自分が許されるような気がした。本当なら、こんなことしてるうちに菜々美と里菜の墓参りにでも行くべきだろう。でも行けなかった。菜々美と里菜に合わせる顔がなかった。


「お兄さん、顔色悪いよ」

 隣のおばさんにそう言われた。自分でも体調が悪いと感じていた。ここに引っ越してきてからずっと寝不足気味なのだから、当たり前といえばその通りだ。

 このままどんどん健康状態が悪化していったら、遠からずおれも死ぬのかもしれない。いっそそれが救いなのかもしれない。そしたらまた菜々美と里菜に会えるだろうか? 今度はもう少し父親らしく、慈しみの心をもって里菜を抱っこできるだろうか? お前のパパが上手にできるように、他所の子で練習してきたんだよって言うのか?

 最低だ。

 その夜眠っていると、いつものように幽霊が現れた。おれが買ってやった服を着て、リボンをつけ、嬉しそうな笑みを浮かべて、珍しく、するりと布団の中に入ってきた。耳元で「パパ」と小さな声が聞こえた。

 とっさに声が出ていた。「おれはパパじゃないよ」

 その瞬間、部屋中の空気がぱっと変わるような感覚があった。気がつくと、幽霊は消えていた。電気を点けると、部屋の隅に積まれていたお供え物の山がごろごろと崩れた。

 そうか、あの子はいなくなったのか。おれは直感的に悟った。いなくなっちゃったのか。あんな一言で? でも幽霊ならそんなこともあるか。そうか。悪かったな。いや、悪いことじゃない、むしろいいことじゃないか。ずっとこの部屋で、おれなんかといっしょにいるよりは。よかったのだ。これでよかった。

 おれはベッドの上にへたり込んで、よかったよかったと繰り返した。だっておれはあの子のパパじゃないんだから。あの子はおれのところなんかじゃなくて、もっといい場所へ行くべきなんだから。そしてもう一度この世に生まれてくるとしたら、もっと幸せな人生を送れるところに行ってほしい。菜々美も里菜もそうだ。特に里菜、もっといいお父さんがいるところに生まれてくれ。

 眠れそうになかった。おれは冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出しながら、いつの間にか「いいお父さん、いいお父さんか」と繰り返しつぶやいていた。いいお父さんってどんなだろうな。おれもいいお父さんになりたかったな。そう口に出したとき、ふいに里菜の手を思い出した。産まれたばかりの赤ん坊の小さな小さな手が、おれの右手の人差し指をぎゅっと握りしめた日が確かにあった。

 急に胸が苦しくなった。プルトップの開きかけたビール缶が床の上に落ちた。おれはその場に蹲って、しばらく泣いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きみのいいパパじゃなかった 尾八原ジュージ @zi-yon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説